2005年1月28日

進化論と創造論

私が日記をブログに移行しようと思った一番の理由は、ブログには「カテゴリー」というものがあることでした。今までは身辺雑記やサイト情報を書いているだけで、すぐにネタに詰まってしまいました。ブログなら、いろいろなテーマをコラム風に連載することができると思ったのです。
で、クリスチャンであることが自分の重要なアイデンティティのひとつである私は、「クリスチャン」というカテゴリーを作ることにしました。そしてせっかく連載するのなら、「旧約聖書」をテーマにしたいのです。
旧約聖書は難解で、クリスチャンでも敬遠する人が多い書物です。「あれはユダヤ教の教典だから、キリスト教とはまったく異なるものだ」という考えを持つ人もいるくらいです。しかし、事実は新約と旧約ふたつ合わせて、ひとつの聖書なのであり、旧約を読まなければキリスト教は理解できないのです。
というわけで、旧約聖書を肩のこらない読み物風にアレンジして紹介できたらと願っています。
万が一、肩が凝ってしまったらごめんなさい。

初回はやはり、創世記。
そして、創世記1章1節「初めに神は天と地を創造した」から始めるべきでしょう。
しかし、しょっぱなから、ひっかかってしまうことになります。ここからずっと、進化論と相反する記述が続くからです。

「神が、「地は植物、種を生じる草、種類にしたがって、その中に種のある実を結ぶ果樹を地の上に芽生えさせよ。」と仰せられると、そのようになった。
それで、地は植物、おのおのその種類にしたがって種を生じる草、おのおのその種類にしたがって、その中に種のある実を結ぶ木を生じた。神は見て、それをよしとされた」(創世記1:11、12)

聖書特有のしつこい描写ですが、この調子で水の生き物、空の鳥、地の獣、最後にヒトという具合に創造が進みます。
ところが、ここでイヤというほど出てくる「おのおのその種類にしたがって」ということばは、明らかに進化論の説明する進化の過程とは根本的に異なっているのです。
そして、私はこの聖書の記述を信じています。つまり、進化論を信じていないことになります。
これを読んで、なんと無知蒙昧なと、びっくりする方もあるでしょう。クリスチャンでない方はそうですが、クリスチャンでもそう思う人は多いはずで、「やっぱりBUTAPENNはコチコチの保守的エバンジェリカルだったか」と思われるでしょう。

私の乏しい経験から言うと、クリスチャンの半分は、この聖書の示す純粋な創造論を信じていません。
「進化のプロセスの背後に神の御手が働いているだけだ」という考え、いわゆる「創造的進化論」が、特に日本では主流なのです。
日本ではと言いましたが、欧米では神の創造を科学によって証明しようとする人々の活動は決して小さくありません。これを「創造科学(科学的創造論)」と呼びます。この説の詳しい説明は、Script1のTERUさんのエッセイ「神さまの証明」を読んでいただくのが一番わかりやすいでしょう。

ところで、私はこの「創造科学」というものを、否定はしないが、実はあまり賛成もしていないのです。
科学とは人間の目に見える領域を証明するものであり、一方、「信仰とは……目に見えないものを確信させるものである」(ヘブル人への手紙11:1)。
どちらが優れている云々ではなく、取り扱う領域が違うのです。
したがって、創造論を科学的に証明しないと自分の信仰が保てないという人は別にして、私個人としては、聖書の記述を科学的に証明する必要を感じていません。
もし神が人間を越える存在であるなら、その神について書かれた聖書を、人間の理性ですべて証明することは不可能でしょう。
また、「神が人間となって地上にくだり、人間の罪のために十字架にかかった」という、理性では捉え難いことを、みずからの人生の事実としていったん認めるなら、他の何物も信じられないものはないわけです。

このあまりに非合理的な考えを、私は知識としてではなく感覚として体験しました。
子どもを出産することによってです。
9ヶ月前までは影も形もなかった命が、時を経てひとりの人間としてこの世に産み出される。この神秘的な事実を、私は神の創造のわざとして受け止めるしかありませんでした。

自作小説「セフィロトの樹の下で」の中で、ロボット工学者とロボットとのあいだで、こういう会話を交わさせました。

「混沌の中から秩序は生まれる。アミノ酸のスープをかき回したら生命が生まれたようにね。ガラクタをかき回したら、心のあるロボットができたというわけだ」
「ひどい侮辱を受けているような気がします」

このロボットの答えが、私の信仰をあらわしています。
人間とは、偶然にできたにしては崇高すぎる存在です。しかし同時に、進化したにしては愚かすぎる生き物でもあるのです。

2005年1月27日

旅行に行きたい!

今度、高橋京希さんのブログコラムスに参加することになりました。たくさんの作家が思い思いのコラムを連載するという趣向です。参加者をまだまだ募集中なので。もし興味がある方は、こちらをご覧ください。
締め切りまであまり時間がなかったので、とりあえず6回シリーズでアメリカにいた頃の情報を連載することにしました。
しかし、記憶をたどっているうちに困ったことになりました。
「旅行に行きたい病」が再発してしまったのです。

実はタイから帰ってきてこの6年、どこにも行ったことがありません。
振り返れば、それまでの人生は旅行ばかりです。転勤、一時帰国を含めたら何回飛行機に乗ったでしょう。バケーション旅行もハワイ、ヨセミテ、フロリダ、ワイオミング、オーストラリア、プーケットとさまざま。
それが、今は電車にすらめったに乗らぬ有様です。
おじいちゃんが脳梗塞で倒れたり、おばあちゃんが足の手術をしたり、実家の父も心臓病で倒れたり、息子たちは大学受験。それどころではありませんでした。第一、子どもたちはもう家族旅行にはついてこない年齢です。
このところ、旅行の虫が騒ぎ始めていました。いわゆる禁断症状です。
旅行といえば、パッキング。私はスーツケースのパッキングが大好きなのです。ちょっと前まで、夢に出てくる頻度が一番多いのは、せっせとパッキングをしている光景でした。さあ、出発するぞとうきうきしていると、必ず目が覚めて悔しい思いをします。

幸いなことに、2月に沖縄へ小旅行に行くことになっているので、今から楽しみです。
そして、もうひとつ。
全く海のものとも山のものともわからない話なのですが、結婚25周年、つまり銀婚式が来年なので、記念にぜひともヨーロッパ旅行に行ってみたいのです。希望地は、ドイツ・オーストリアか、スコットランド・アイルランド。ヨーロッパ以外なら、ニュージーランドもいいなと思い始めています。
どれも、EWENやセフィロトなどの自作小説の舞台であるところがミソ。旦那はゴルフができるところなら、どこでもいいと言っているので、旦那はゴルフ、私はゴルフウィドウとなって小説の取材、ということになるかも。
もし行ければ、ブログを作ると言ってちっとも作ろうとしない旦那の「海外ゴルフ場リポートブログ」が実現するかもしれません。

2005年1月25日

完成しました

このブログダイアリーもほったらかし、メールも掲示板もレス遅れ。各方面で音沙汰なくて、すみません。
ようやく、EWEN「沈黙の回廊」が、この週末に執筆終了しました。
先週はずっとキーボードの前に座っていたので、足はむくむは、肩は凝るは、体脂肪は減らないは(笑)。某喫茶店マスター、ダイエットには、フェンネルティーがいいんですよね?
きのうざっと推敲しました。もちろんまだまだ細部の推敲が必要ですが、うまく行けば明日連載を始めます。
危惧していたとおり、当初の「全8回」という予定をだいぶオーバーしてしまい、全10回ということになります。
ということで、「セフィロト」第2部を始めると宣言していたのに延期になってしまいました。期待していた方、申し訳ありません。三周年企画なので、やはりこちらを優先したいのです。

もうひとつの三周年企画、「小説人気投票」にも、ご協力ありがとうございます。
どのコメントを読むにつけても、感謝感激ですが、一番意外でうれしかったのは、「ティトス戦記」への熱いコメントでしょうか。「墓標」でちらりと出した続編にこれほど期待してくださっている方がいらっしゃるとは思っていませんでした。本当にありがとうございます。でも続編はしっかり構想を立てたいので、もう少し待っていただきたく(汗)。それまでには、いくつかプロットがある外伝を書いてしまうようにします。
それから、長編を上回る勢いの「魔王ゼファー」と「ギャラクシー」への投票にも驚いています。どちらも当初は一作だけのつもりだったのに、キリリクやCGをいただいて、どんどん話が膨らんでいき、シリーズ化したものです。常連さまや読者の方々との合作、と言ったほうがいいかもしれません。

さて、クロスオーバー企画はどれとどれが組み合わさるか、ドキドキしています。今現在の順位でいくと、「ディーターとゼファーの父親対決・うちの雪羽は絶対に聖にはやらん」ということになりますが(笑)。
投票は2月末まで置く予定です。

2005年1月19日

脂肪推定時刻

新年になって、体脂肪計を買いました。
理由はテレビで、ダイエットのためには毎日体重を計るのが一番良いと聞いたから。もちろん食事節制や運動と併用しての話ですが、体重の推移を毎日見ることで、ダイエットの励みとなるのだそうです。体重計に乗るのが楽しみになればしめたもの、なのだとか。
そう言えば、昔女性タレントが、「ダイエットのコツは自分の身体についた脂肪を憎むのよ」とおっしゃっていました。私も脂肪を憎む気持ちにかけては、特にお正月以降、非常に激しいものがあります。

そこで、反脂肪同盟の同志わが夫とふたりで、毎日体重と体脂肪を計ることにしました。
私たちの買った体脂肪計は足の裏で計るタイプのもので、年齢・身長・性別などの個人データを登録して、内臓脂肪率なども計算してくれます。この結果、夫は内臓脂肪率が高く、内臓脂肪型肥満、私は内臓脂肪率が低く、皮下脂肪型肥満ということがわかりました。
内臓脂肪型肥満は、別名「リンゴ型肥満」。お腹のまわりに脂肪がつき、外見は太って見えないのに体脂肪率が高い、男性に多いタイプです。皮下脂肪型肥満は女性に多く、下半身に脂肪がつきやすい。別名「洋ナシ型肥満」だとか。
リンゴのほうが、なんだか可愛い……。洋ナシはなんかヤだ。「女房として用なし」と言われているようで。

体脂肪や体重を計っていると、一日のうちでかなり変動があります。
たとえば、朝起きたときは、夜寝る前よりも体重が減り、体脂肪率は1%から2%も上がっていました。
これは、体脂肪が増えたのではなく、寝ている間に水分が吐き出されるなどの要素によるものだそうです。そして、朝は増えた体脂肪率が、日中水分を摂取したり活動していくうちにどんどん下がってくるのです。このため、夜寝る1時間前くらいに計るのが、正しい体脂肪の計り方だそうです。

それにしても、しょっちゅう体重をはかっていると、結構おもしろい発見をします。
「お、トイレに行ったら、300グラム減ったで」とか、
「200ccのコーヒーを飲んだのに、100グラムしか増えてへん。残りはどこへ消えたんやろ?」とか。つくづく、暇な夫婦です。
ちなみにダイエット効果は今のところ、全然現れていません(泣)。

2005年1月18日

三周年ありがとうございます

本館サイトのABOUNDING GRACEが三周年を迎えました。ありがとうございました。
正直、ここまでサイト運営にハマってしまうとは、開始当時は思ってもみませんでした。ただ、自分の書き溜めた小説の保管場所になればいいと思っていたのです。
最初に感想メールをいただいたときの感激は忘れられません。こんな拙いものを楽しんで下さる方がいるのだという喜びを知りました。
この三年間にいただいた感想や掲示板のカキコは私の宝物です。

とお礼を言っておいて次にお詫びなのですが、三周年企画小説は、とうとうと言うか、やっぱりと言うか間に合いませんでした。予告編だけアップしたのですが、EWEN?「沈黙の回廊」というタイトルです。新年になってからあちこちのサイトさまに不義理をしつつ、せっせとキーボードを叩き、今は第6話にとりかかかっているのですが、やっと本題に入ったところ。いったいこれ何話続くの、と途方に暮れています。一応8話か9話で終わらせたいと思っていますが。
できている分からアップすることも考えたのですが、サスペンスものは構成のバランスが命なので、最後の一行まで書いて推敲してから開始したいのです。
この2、3日中に結論を出すつもりです。もし時間がかかるようでしたら、セフィロトの第2部を先に始めてしまいます。「セフィロト」、「EWEN」、それから「夜叉往来」と続けて、あとは「セフィ」と「夜叉」を交互に連載……? ううむ、できるのか。頭が大混乱になりそう。

大混乱ついでに、ふたつの長編をくっつけたクロスオーバー小説も企画しちゃおうと、小説人気投票アンケートを設けました。上位2作品をクロスオーバーさせたり、上位の小説を多めにアップするというものです。完全なお遊び企画ですので、長編から掌編まで気に入った小説にお気軽に投票なさってみてください。
これからも、ABOUNDING GRACEをよろしくお願いします。

2005年1月15日

1995年1月17日(2)

テレビが宙を飛ぶ。額が落ち、台所では冷蔵庫がばたりと倒れ、仏壇から位牌が転がり落ちた。
一階で寝ていた主人の両親は、その中で立ち上がることすらできなかったという。
揺れが収まったあと、ガラスを踏まないようにと、とにかくスリッパを探して玄関へと出ると、下駄箱が横倒しになり、扉が開かない。
ようやく外に出ると、街灯も何もないまったくの暗黒。
少しずつ近所の人々が外に出てきた。
向かいの家にひとり暮らしをしている男性がパジャマのまま震えていた。
夜明けの光の中、義父は彼の家を指差した。「あ、お宅、二階がおまへんやん」
なんと、二階部分が横すべりを起こして、路地に倒れこんでいたのだ。
「あ、ほんとや。ありまへんなあ」と彼はそのとき初めて気づいて、びっくりして答えたそうだ。
阪急の夙川付近は、西宮でももっとも被害のひどい地域のひとつだった。
主人の実家のすぐ近所でも、2階部分が崩れ落ちて1階で寝ていた3人が死亡。同じ町内の文化アパートでも、一階部分で二人が生き埋めになった。
救助したくても、何もできない。警察署まで行って訴えた人がいたが、クレーンやジャッキがないので、なすすべがないという答えだった。
その日、あたりは異様な静寂に包まれていたという。近所のコンビニが、ひとり2点までという制限つきで店を開けてくれた。人々は押し合うことも怒鳴りあうこともなく、ただ静かに列を作った。

私はその頃、千葉の社宅で受話器にしがみついていた。
主人の家にも私の実家にも、こちらからまったく連絡が取れない。私も主人もほとんどの親戚は阪神間にいる。安否はなかなかわからなかった。
タイのバンコクに赴任していた主人から国際電話がかかった。西宮の家へなんとか電話が通じたという。交換手を通じた電話回線は優先扱いになるらしい。
芦屋にいる主人の妹一家に連絡を取ってほしいと頼んだ。ほどなく無事が確認できたが、家は全壊だった。住居のニ階部分がすっぽりと無人の一階にすべりおちて、全員助かったのだそうだ。
主人の実家も大きな被害を受けていた。どの部屋も足の踏み場もなく、柱は傾き、ニ階へ上がる階段はゆがんで空間ができていた。ニ階は転勤になる前まで私たちの住んでいたところだ。
「もし、あんたたちが二階に住んでいたら、家はどうなったやろう」と、義父は今でも口ぐせのように言う。
ニ階は家財や人間の重みで崩壊し、一階に寝ていた義父母を押しつぶしていたかもしれない。
夜になると、長田区の火災現場がテレビに映し出された。長田は私の両親の生まれた場所だった。なじみのある土地が炎に飲み込まれていくのを見ながら、私は祈ることもできずに、ただ泣くしかなかった。

6400人あまりの命を奪った阪神・淡路大震災。奇跡的に私の親族や直接の友人に亡くなった方はいなかったことは、ただ感謝するしかない。
家を失い、風景は変わっても、人がいれば、そこは元どおりの故郷だ。しかし愛する家族を亡くされた方の悲しみは10年という歳月さえ癒せるものではない。
亡くなられた方々とそのご家族のために、心からお祈りいたします。

2005年1月14日

1995年1月17日(1)

その日の早朝、私は千葉の社宅で電話を受け取った。
主人はすでに、赴任先のバンコクで暮らし始め、私たち親子三人は追いかけて4月に転居することになっていた。
電話は、西宮の実母からのものだった。
「あれ。こんなに早くどうしたの?」
「どうしたのじゃないわよ。すごい地震だったんだから!」
興奮した声。
本棚は倒れ、食器棚から皿やコップが飛び出して粉々になった。明るくなるのを待って、やっと動き出したという。
「そっちは何にもないの? 関東が壊滅してるんじゃないかと心配してた」
と母は言った。
電気もストップしてテレビなどの情報がまったく得られなかった当初、関東で大地震が起こって、その余波が来たのだと、母はひとりでやきもきと心配していたらしい(父はそのとき、中国へ出張中だった)。
それほどに「関西には地震が起きない」と当時は信じられていたのだ。だから、転倒防止金具を家具にとりつけたり、子どもに防災頭巾を用意したり、家に地震補強をするといった考えを、私は千葉に来て初めて学んだのだ。
「とりあえず、無事だから」
と、母の電話は切れた。
あわてて、テレビのスイッチを入れた私の目に飛び込んできたのは、崩れ落ちた高速道路の上でバスが宙ぶらりんになっている映像だった。そして、国道43号線に真横に倒壊している阪神高速。
つい、一週間前、帰省していた私はあの道を通ったのだ。
事の重大さにようやく気づき、受話器に飛びついた。同じく西宮にいる主人の実家。通じない。もう一度私の実家にかけたが、もうそのときは全く通じなくなっていた。

悪夢のような30分ほどが過ぎて、やっと主人の実家から電話がかかってきた。
「家の中が、さっぱりワヤや。下駄箱が倒れて玄関がふさがってしもてるし、柱も傾いてる。向かいの家は屋根があらへん」
義父の報告に、私は驚いて声も出なかった。芦屋に住んでいる主人の妹の安否を尋ねたが、まだ連絡が取れないという。
その直後、中国にいる父から国際電話がかかってきた。中国でも神戸の地震のニュースが入ってきたらしい。
母も主人の両親も無事であることを伝えると、「とにかく何とかしてそっちに帰る」。
それから、父の帰国への苦闘が始まった。
なんとか、飛行機の切符を手配し、昼過ぎの関空行きを見つけた。広いジャンボ機の中に乗客は4,5人しかいなかったという。
関空につき、とにかく大阪の天王寺まではなんとか電車が通じているとのことだった。天王寺に着いてみると、梅田行きの地下鉄が復旧したと知らされる。行く先々で情報を集めながらの旅。とにかく家へ一歩でも近づこうとした。
梅田で、タクシーを見つけた。主要道路を迂回しながらなら、行けるかもしれないと言われて乗り込んだ。
尼崎までは特に被害はないように見えた。武庫川を渡ると、景色は一変した。
「通行止めで、もうこれ以上は行けない」というタクシーの運転手に裏道を教えながら、ようやく甲子園の家にたどり着いて、母と再会を果たした。
母はとても冷静で落ち着いて行動していた。それまでに、家の中を掃除し、近所の市場でたった一軒営業を再開した店を見つけ、行列に並んでカップラーメンを買い込んでいた。水道は、マンションの隣の公園の蛇口から水が出たので、3階まで何回も往復して運んだ。
マンション自体はひび割れ程度で済み、まわりの景色も特に変わった様子はなかったそうだ。その時点で、これほどの大きな災害であるとは思っていなかったという。
甲子園は西宮の南東の端にあたる。同じ西宮市内でも、被害は地域によって全然異なっていたのだ。
西宮の中央部にあたる阪急沿線、特に夙川の周囲など活断層のライン上、主人の実家がある地域は、もっと悲惨な状況だったのである。

2005年1月11日

ヒーローと子どもの自己表現

もう17年近く前のことになるが、私たち一家は夫の海外赴任にともなって、4年半カリフォルニア州で暮らした。
当時、ふたりの息子は5歳と3歳。そのとき5月だったので、9月の新学期までの2ヶ月、上の息子だけ、近くの教会付属のプレスクール(幼稚園)に入れてもらった。
そこでさっそく問題が起きたのである。
いつものように昼頃迎えに行くと、私は先生にこう言われた。「あなたの息子は、暴力的だ」と。
私はびっくりしてしまった。上の息子は外ではむしろおとなしく、決して他人に対して暴力をふるうような子ではない。
よく話を聞いてみると、こうだった。
「カラテのように、なぐったり蹴ったりする真似をして、まわりの子どもを脅かしている」と。
何のことはない、彼は大好きな戦隊ヒーローものの、アクションの真似をしていただけなのだった。

アメリカの伝統的社会では、子どもは大人の前で厳しくしつけられている。日本では、男の子が戦隊ヒーローや仮面ヒーローの真似をしても、ほほえましく見つめられるであろうが、アメリカではとんでもない躾不行き届きの子どもに見られてしまうのだ(あれから月日が経ち、日本のメディア文化もたくさんアメリカに輸出されているので、今では事情は変わったかもしれない)。
それと似たようなことは、9月になって、キンダーガーテン(小学校付属幼稚園)に入学してからも起き、私は口をすっぱくして、テレビヒーローの真似をしてはダメと教えなければならなかった。
しかし、子どもにしてみれば、まったく言葉の通じない現地の学校に放り込まれて、自分をアピールする手段を何も持っていないのだ。せめて、かっこいいヒーローのアクションを真似することで、消えていきそうな自分を主張したいと思っただけではないだろうか。

高橋京希さんのブログでも取り上げられていたが、
「正義のヒーローものゲームは、悪者が暴れまわるゲームよりも、子どもの攻撃性を高める可能性がある」
ことが研究の結果わかったそうだ。
ゲームとテレビの違いはあるが、たしかにかっこいい正義のヒーローを子どもたちは真似したがる。しかし、それを見ている幼い子どもにとって、正義だ悪だという位置づけは意味がないと私は思う。かっこいいヒーローの格好や仕草を真似る。それは月光仮面のコスプレをして三輪車にまたがった昔の風景を持ち出すまでもなく、ことばの未発達な子どもにおいて、健全な自己主張、自己表現のひとつなのである。

やがて、子どもは「ことば」による自己表現を覚えていく。そしてそれが、身体による表現よりもはるかに重要で効果的だとわかれば、子どもはいつのまにかヒーローの真似をやめていく。現実と空想の世界の違いも、正義と悪ということばの意味も理解できるだろう。
問題は、「ことば」による自己表現を、家庭や学校で教えられないまま育ってしまう子どもである。親に話を聞いてもらえない、学校でも発言の機会を与えられない子どもたち。彼らがそのまま大人になって、暴力で自己を表現するしかないと考えたとき、私たちにはそれを止めるすべがないのだ。

2005年1月10日

今日からこちらで。

今日から、このブログを本格的に始動します。
それにともなって本館サイトのダイアリーはこちらに統合になります(以前のものはしばらく過去ログとして残しておきます)。
3日坊主で知られる私ですが、書くことがあるあいだは更新する予定です。特に阪神淡路大震災の記念日前後までは。

今日は、成人の日。下の息子も成人式に車で出発しました。これで息子はふたりとも20歳を過ぎたことになります。親の役目が終わった……というにはまだまだで、大学を卒業するまでは当分すねかじりされてしまいますが、精神的に親が関われる部分は、もうなさそう。一応ほっとした感じではあります。

しかし、昔に比べて20歳と言うのはずいぶん幼いと思えるのは気のせいでしょうか。社会が高度に複雑化するにつれて、成人年齢というのは上がっていくのか。
特に男にその傾向が強いような。うちの息子が特に頼りないのかもしれませんが、よそのお嬢さんは就職に関しても、積極的に資格を取ったりして、もっとしっかりした考えを持っています。
これじゃあ、お嫁さんが来ることはないだろうな。などと、そばで見ていて心配の種が一生尽きることはないのも、親の性というものです。

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