2005年10月27日

兵庫県立芸術文化センター

10月22日にオープンしたばかりの「兵庫県立芸術文化センター」は、大ホール2000席、中ホール800席、小ホール400席余を備えた、コンサート・オペラ・バレエ・演劇などの舞台芸術に適した本格的な劇場施設です。公式サイトはこちら
阪急・西宮北口駅に隣接し、我が家からも自転車で10分という願ったり叶ったりの好条件。

センター正面の玄関ホール  2階大ホール前のロビー

昨晩は、ここのオープン記念行事の目玉である「ホセ・カレーラス ミサ・クリオージャを歌う」のコンサートに行ってきました。
ホセ・カレーラスは、ドミンゴ、パヴァロッティとともに「世界三大テノール」と呼ばれるオペラ歌手です。
また、「ミサ・クリオージャ」とは「南米のミサ」という意味で、ラミーレスという人が作曲した、アルゼンチンのフォルクローレを素材にしたカトリックのミサ曲だそうです。

ケーナ(笛)、チャランゴ(ギター)、ボンボ(太鼓)といった南米の伝統的民族楽器の伴奏、そしてピアノと合唱を背景に、カレーラスが時には力強く情熱的に、ときには祈りを込めて静かに歌い上げます。ミサ曲の形式にのっとった、「キリエ」「グローリア」「クレド」「サンクトゥス」「アニュス・デイ」の五楽章から成る素朴で土臭い5音階の旋律は、どこか日本の民謡に似ているような気がします。
テノール歌手としては、パヴァロッティのほうが華のある歌い方をしますが、カレーラスの求道的なまでに真摯な姿勢とたぐいまれな歌唱力に、すっかり魅了されました。
最後は2000席満場の総立ちの拍手とともに、6回ほどもアンコールが繰り返されたでしょうか。そのアンコール曲の一曲、日本語の「遠くへ行きたい」は、カレーラスの十八番でもあるそうです。

旦那さまといっしょに、贅沢でステキな時間を過ごすことができました。ドレスアップしたままチャリンコで家路をたどるのが、少し悲しかったですけど。
そのころ、近くの甲子園で阪神が四連敗してロッテが優勝していたなどとは、遠い夢の世界のできごとでした(笑)。

4層バルコニー形式の大ホール

結局全部やりなおし

一週間ブログを休ませていただきました。
で、その理由というのが、トコトンいい加減な私の性格にあったわけでして。

そもそもその少し前に、このブログをMovable Type最新版にアップグレードしたのは、ここの記事でも報告したとおりです。
で、着せ替えテンプレートを使って、自由にデザインを変えて楽しもうと思っていたわけなのですが、どうも字が小さかったり行間がせまかったりして読みづらい。あちこちいじってもうまくいかず、結局やっぱり元のデザインに戻そうと思ったのが、23日の夜。
ところが、何のはずみか、そのとき私は元のデザインのテンプレートをうっかり削除してしまったのです!
じゃあまた新しい方のデザインで行こうとしても、いじればいじるほど、デザインは崩れていくばかり。

……プッツン。

キレた挙句に私のとった行動というのが、Movable Typeそのものを、丸ごとサーバーから削除して、もう一度イチからインストールしなおすという暴挙だったわけです。システムをまったく理解していないから、こういうことができるのか。オールオアナッシングの無謀な性格が災いしたのか、とにかく大変な作業に首をつっこんでしまいました。
幸い過去のログはきちんととっていたものの、イチからアップしなおすということは予想以上に大変で、しかも、どうせなら今までよりもっとすっきりしたデザインにしたいと、デザインをあちこちの配布サイトまで探しに行って……。
今週はたまたま外出が多かったことも重なり、毎晩夜中の2時まで起きて作業するハメになりましたが、本日やっと再オープンにこぎつけました。
今同じことをしたら、きっと1日でできる!というくらいMTのアップロード作業とテンプレ改造には熟練しました(でも、全部終わってから熟練してもなあ……)。
この一週間、みなさまのサイトを訪問することもできず、たいへん不義理をいたしております。m(__)m

改装後のブログは、「Movable Type: 風のまにまに号(Wandering Wind)」さまの「Macromedia風テンプレート for MT3.1」のデフォルトテンプレートを、少しいじってMT3.2用にして使わせていただきました。
右カラムの「折り畳み式メニュー」がミソです。クリックするとパタパタ畳めるので面白いですよ。
一応ネスケとオペラでも動作チェックしてみたのですが、もし不具合があればご知らせください。ネスケ4.xは残念ながら、メインページがかろうじて読める程度です。

小説の更新も少し遅れるかもしれませんが、最悪、土曜までにはなんとかしたいと思っています。

2005年10月21日

見切り発車

「夜叉往来」の第九話「死を紡ぐもの」の連載をスタートしました。

しんどかった……。とにかく書いても書いても全然納得がいかず、「こんなつまらないの、誰が読むんだーっ」状態。推敲するのも、PCに触るのもイヤで、この一週間は悶々としてました。
こういうことは初めてでした。やはりキャラをいじめすぎた怨念かしらん。
やっと第一回だけでも納得のいく形になったので、見切り発車します。

だからといって、特に大々的に書き直したというわけではないんですけどね。直した部分といえば、誠太郎のセリフを数行付け加えただけです。
でも、やっと頭で思い描いていたキャラの心境、兄弟が400年抱いてきた恩讐にかなり近づいたかな、と。おかげで誠太郎が当サイト史上最悪のイヤらしいキャラになりましたけど(笑)。

ストーリーのほうは、ますます登場人物全体が底なし沼に陥ってます。でもちゃんと抜け出します。はい。
この山場を過ぎたら、あとは一気に終息に持って行きます。第十話は短めの予定ですが、お約束どおり今年中に終われるかどうかは、かなり怪しくなってきました。
もしかすると第九話は、最初の三回分だけでなく一気にまとめて連載してしまうかもしれません。そうなると、クロスオーバー企画「手編みのマフラー」は12月にずれこむことになります。

2005年10月20日

プラグインあれこれ覚書

今日は、MovableType(このブログのツール)を使っていない人には、あまり興味のないお話です。

2、3日前に、最新バージョンである「MT3.2-ja-2」にアップグレードしてみました。
先週公開されたばかりなのに我ながら無謀だなと思ったのですが、新しいプラグインのスタイルキャッチャーを使ってみたかったんですよね。
スタイルキャッチャーは、ブログをいろいろなデザインに着せ替えることができるシステムです。MTの提供してくれるスタイルライブラリから選ぶことができるのです。
で、さっそく入れ替えてみたのが、今のデザインです。
なんだかシンプルすぎ? カレンダーも何もなくなっちゃいました。これがブログ本来の持つシンプルさで、私のが今までゴテゴテしすぎてたのでしょうか? 行間もつまってて、見づらいかも。
もしかすると、短期間でまた元に戻すかもしれません(でも戻す方法わかるだろうか……)。そしたら、このデザインを目撃できたあなたの運勢は、大吉ということで(そうか?)。

ほかにも、いろいろプラグインをいじってます。
ひとつは、アーカイブの月別表示をすっきりとしてくれるプラグイン。
Magic Whiteさまで教えていただきました。
このデザインでもそうですが、ブログ運営が長くなると、それだけアーカイブも
2005年10月
2005年09月……と延々と続いていきます。それを
2005 10 9 8 7……
とすっきり表示してくれるワザです。

もうひとつは、「しましまプラグイン」。エントリーやコメント欄を、交互に色を変えて表示してくれるものです。
nlog(n)さまからいただいてきました。うちはコメント欄に使っています。コメント欄をクリックすると、何のことだかおわかりになりますよ。

相変わらず、こんなことやって、小説書きから逃避してる私。
でも、明日はそろそろ更新しますから。たぶん。いやほんと。

2005年10月14日

消しちゃった…

本館トップに置いてあったアンケート「ぷち投票第6回・当地を訪れたきっかけは?」を、誤ってサーバー上から消してしまいましたぁっ。

ショックです。先週新しい項目に変えたばかりで、しかも「今回が最後のぷち投票」と意気込んで始めたのに、わずか一週間で消してしまうとは。
実は、気がつくとサーバーにアップしていたファイルの総合計が50Mバイト近くの膨大なものになっていたので、不要なものを消して軽くしようと、それこそ軽い気持ちで思い立ったまではよかったのですが。要らないと勘違いして、「ぷち投票」のサブディレクトリまるごと消してしまったのです。
小説が書けないからといって、現実逃避してCGIやサイトをいじくるパターンは、やっぱり良いことがないですね(笑)。
今回はまだ始めたばかりということで、過去ログもとってませんでした。もう一度やり直すということも考えたのですが、今まで投票してくださった方のお気持ちを無にするようで、それくらいなら、もういっそここで終了にしてしまおうと思っています。

それに、わずか一週間ではありましたが、おおよその傾向はつかめました。
一番多かった答えは、「他サイトさまのリンクから」二十数票。
これが全体の半数近くを占めていました。
次が、「小説登録サイトから」が十数票。
つづいて「偶然・その他」が7票。
「他サイトさまの掲示板から」「推薦・紹介文を読んで」「グーグルなどの検索」が2?3票ずつ
「ウェブリングから」は0
でした。
あとでしまったと思ったのは、「競作やお祭りにいっしょに参加」という項目を作り忘れたことです。たぶんうちの常連さまは、この答えがかなり多いのではないでしょうか。

たったこれだけの結果で結論づけることはできませんが、小説サイト運営に大事なことは何なのかを今一度考えることができました。
「ほかのサイトさまとリンクさせていただくこと」、「小説登録サイトへの登録」、そして「競作やお祭りなどのウェブイベントに参加すること」は、たくさんの出会いを生み出すという意味で、小さなことのようですが、とても大切なことなのではないかと感じます。
おおげさに言えば、自分のサイトのためだけではなく、オンライン小説全体のすそ野が広がるためにも、こういった互いの交流は必要なことではないかと思うのです。

と偉そうなことを書きましたが、投票してくださった皆様、ありがとうございました。当方のミスでせっかくの投票をふいにしてしまい、申し訳ありません。
あ、それから、そのどさくさで何度もトップページをいじくったため、カラ更新になってもまずいので、もっと後日に更新する予定だった『ティトス戦記』外伝8をアップしてしまいました。どうぞご笑納くださいませ。

2005年10月11日

アメリカ生活のススメ(2)

このコラムは、「ブログコラムス」で「BUTAPENNのTIPS for American Life」というタイトルで連載していたものです。「ブログコラムス」が現在休止中なので、今までの5回分(掲載4回、未掲載1回)を再録していきます。
*  *  *

第二回「学校へ行こう!(1)」

 私がカリフォルニア州に滞在していた頃は、日本はバブル真っ最中だった。どこそこの会社がアメリカの有名なビルディングを買ったとか、そんな景気のいい話が飛び交い、日本からの駐在員もぞくぞくとアメリカに押し寄せていた。
 ちなみに帰国前年にバブルははじけ、とたんに駐在員の数は激減した。当時もてはやされた日本の国際化なんて、それくらいのものだった。企業も政府も目先の景気に左右され、全然長期的視野に立っていない。

 アメリカに来る日本企業駐在員の多くは若い夫婦で、幼稚園や小学校低学年の子どもを連れていた。もちろん我が家も例外ではなく、赴任当時に二人の息子は3歳と5歳。
 そうなると、まず一番の難関は、子どもの幼稚園、小学校選びである。うちの子どもは、行った年の9月から下が幼稚園、上が小学校のキンダー(5歳児クラス)に該当した。
 ロサンゼルスのような大都市近郊には、日本人学校というものがちゃんとある。しかし、95%の親は、子どもを現地校に入れる。子どもに英語をマスターさせ、バイリンガルにするための絶好の機会だからだ。
 私立幼稚園(ナーサリースクール)は、原則は親が送り迎えするものだから、とりあえずよい幼稚園を見つけるために遠くまで東奔西走することになる。日本人同士の情報網を使い、近所のアメリカ人に尋ねまくる。私はクリスチャンなので幼稚園は教会付属と決めていたが、近くは満杯。ちょっと遠いが、トーレンスの隣のレドンドビーチ市によいところが見つかったときは、とにかくうれしかった。
 そして小学校。日本と同じで校区というものが決められているから、学校選びは即、家選びである。家探しは半年前に単身赴任していた夫にまかせるしかない。彼は赴任当初、休みという休みは、全部不動産屋回りに費やした。平日は慣れない環境での激務。休日は家探し。疲れ果ててホテルのバスの蛇口を出しっぱなしで寝てしまい、部屋中を水浸しにしたという笑えないエピソードまで作った。

 アメリカでは学校ごとに決まった教育税というものが校区内の住民の不動産ごとに課せられる。教育税の高いところは学校の質がよいということになり、コミュニティのステータスが高いということになり、みなこぞって住みたがる。教育税分が含まれるから賃貸家賃も高い。その代わり、地元住民が教育に物申すことができる。教育のローカルコントロールである。
 余談だが、アメリカ人はコミュニティのステータスということにとにかく並々ならぬ関心を持っている。ステータスが高ければ自分の家の地価が上がるからだ。そのために家にペンキを塗り、前庭の芝生を青く保つのは住民の義務なのだ。芝生にタンポポが生えていたというだけで、近所の人から怒鳴り込まれたという話も伝わっている。

 日本人駐在員には、小学校探しに際してもうひとつの条件がある。日本人が少ないということだ。
 学校に日本人が多ければ、子どもたちは話の通じる日本人同士で固まってしまう。子どもはその方が楽しいのだが、そうするとなかなか英語を習得しない。
 またカリフォルニアの法律では、一学年に一定以上の同じ外国語を話す生徒がいる場合、その子たちのための特別のバイリンガルクラスを作り、二ヶ国語で授業をすることが定められている。そうなるとますます英語を覚えない。だから、日本人は少ないほうがよいのだ。
 かの国に大挙して押しかけておいて、明らかに矛盾した話だ。親のエゴだ。
 短い滞在期間で英語はすぐにペラペラになれ、しかも漢字も九九も絶対に忘れてはならないと口を酸っぱくして教え込む。膨大な漢字ドリル、計算ドリルを与える。そうでないと帰国したときに困るから。イジメられるから。
 私たちは心ならずも、そういうことを子どもに強要した。子どもはたまったもんじゃない。体はアメリカにいながら、目は半分日本を向いている。帰国子女へのイジメが国内でも話題になっていた頃なので、ぴりぴりしている。親がそういう心構えでは、子どもに英語を覚えろというのは無茶である。日本のことをすべて忘れて現地の生活をエンジョイしなさいというのは、当時は無理な話だった。

「子どもはことばを覚えるのが速いから、すぐにペラペラになりますよ」
 とよく聞かされたが、実情はそんなものではない。
 最初の1年は、大混乱の時期だ。教室にいてもまったく先生や友だちの言うことがわからない。自分のことを主張することもできない。表面上は簡単な日常会話程度はすぐ話せるようになる(しかもカンペキな発音で)ので、親は安心してしまう。だが、英語を使いながら脳の中で本当に混乱なく思考できるようになるまでには、3年はかかる。それなのに、ほとんどの日本人駐在員の子女は1年から5年で帰国してしまうので、それこそあっというまに英語を忘れるのだ。次男は帰国して3カ月で英語がしゃべれなくなった。何のために苦労したのかわからない。
 現場の先生も大変だと思う。やっと英語でコミュニケーションができるようになったと思えば、平均3年で帰国。また全然わからない子が交替でやってくる。
 私たちのコミュニティには多くの外国人が住んでいた。香港、韓国、台湾、エジプト、アルメニアなど、国もさまざまだ。でもほとんどは、アメリカの市民権を得て永住することを目的にして暮らしている。入れ替わりが激しいのは日本人だけだった。
「日本人の子どもは教え甲斐がない。すぐに日本に帰ってしまうから」
 それが一部の先生たちのホンネだと聞いた。それでも彼女らの大多数は、わけ隔てなく日本の子どもに愛情を注いでくれた。
 アメリカの教育制度にも社会にも多くの問題がある。けれども、全然ことばのわからない外国人の子どものことを教師が「I LOVE YOU! I’M PROUD OF YOU!(あなたが大好き。すばらしいわ)」と(たとえタテマエでも)受け入れてくれることに、私は一生忘れないほどの深い感銘をおぼえたのだった。

 さて、めでたく家も決まり、長男が小学校に通い始めた。入学の前に校長による簡単なインタビュー(知能検査を兼ねた面接)があるのだが、日本語を話せる教師が同席してくれ、問題なくパスした。
 またまた余談になるが、この面接では、不合格になる子もたまにいる。そうすると一年間入学を延ばされることになる。また学齢に達しているのに、親の意向でわざと一年、入学を延ばす子どももいる。特に9月から12月生まれ(日本で言う早生まれになる)の子どもは、1年入学を延ばせば知能的・身体的に同じクラスの子どもより有利になるからだ。日本ではそういうことは許されないと思うが、アメリカでは許可される。それ以外にも、先生と合わないからクラスを変えてくれ、などという要求をぽんぽん出す。自分を主張することが当たり前の国なのだ。
 アメリカは州ごとに学校制度が違うが、カリフォルニアのこの学区の場合は、小学校はキンダーガーテン(5歳児クラス)から5年生までの六学年。中学校は6年生から8年生まで、9年生から12年生までが高校である。キンダーは小学校の中でも別棟で囲いがあり、遊具つきの専用の庭もあって、ちょうど小学校付属幼稚園という趣きである。
 9月から新学年スタートだが、入学式も始業式もない。数週間すると、オープンクラスという夜のミーティングが開かれる。いわゆる授業参観であるが、子どもの授業風景を見るのではない。単語や計算問題のプリントを綴じたバインダーや水彩画などの展示物を見て、あとは先生とコーヒーを飲みながら話すだけだが、働いている人も夫婦そろって行けるのがいい。
 ところで、ここの学校にはクラスごとに教師とパートタイムの補助教師がいて、それ以外に「クラスマザー」がいる。
 クラスマザーとは、要するに教室のお手伝いのボランティアのこと。教師だけでは手が回らない部分を保護者が手伝うのだ。することというのは、計算問題をやっている子どもの横で教えたり、プリントのマルつけ(ただし○ではなくV印)、子どもの描いた絵の掲示、水彩絵の具の補充、工作教材や掲示物の制作、など。高学年ではもっと高度なことをしているのだろうが、うちの子は低学年なので、この程度である。ことばが通じなくてもできることばかりなので、さっそく私も週一回やることにした。
「今日はクラスマザーに行くからね」と言うと、息子たちはうれしそうな顔になる。母親である私自身も、子どもが外国語の中でどんなふうに過ごしているのか見たい。結局このクラスマザーは滞在中ずっと続けた。


  【おことわり】 この情報は十年ほど前のものであり、現在は変わっている場合もあります。また、アメリカは州によって大きく事情が違うので、その点ご了承ください。

2005年10月 7日

ぷち投票最終回…かも

本館トップにおいてあるミニアンケート「ぷち投票」ですが、今日新しい質問に変更しました。
そろそろネタ切れになってきたなと思ってはいるのですが、実は今回の項目は、ひそかに一番知りたかったことだったりします。

あ、その前に、前回の「当サイトを訪れる頻度は?」という質問の集計結果をしるしておきますね。

  ほぼ毎日      59   (48.8%)
  週1?2回     26    (21.5%)
  月1?2回      5   (4.1%)
  ときたま       11   (9.1%)
  今日がはじめて  20   (16.5%)

週一回以上訪れてくださるお客様がおよそ7割を占めるというのは、ありがたいことです。もちろん、今日初めて訪問してくださった方がこれほどいらっしゃり、またアンケートに協力してくださったということも、とても感謝です。
みなさま、本当にご協力ありがとうございました。

で、第6回のぷち投票は「当地を訪れたきっかけは?」というものです。
こちらであれこれと想像して項目をひねりだしたら、やたらと多くなってしまいました。
事前予想では、他サイトさまのリンクをたどっていらっしゃる方が一番多いのではないかと思っておりますが、どうでしょうか。
いつものように、おひとりさま一票でお願いします。
「ぷち投票」は、これが最終回になるかもしれませんので、今回は期限を決めることはせず、数字が動かなくなったらそこで終了としたいと思います。

2005年10月 5日

国勢調査

くわしい事情を書くのは差し控えますが、本年度の国勢調査に関係している人が私の身近にいます。
国勢調査は10月1日から全国一斉に行われているので、もうすでに書いたという人も、いやまだ手元にあるという人もいるでしょう。開封が原則ですが、個人情報保護の高まりを受けて、今回は自分の手でシールを貼って封入することもできるようになりました。
質問項目は、名前・生年月日などのほかに、家の床面積、勤務先・通学先、勤務時間などを尋ねる項目もあるのはご存知の通り。

国勢調査員の選出方法は地方や自治体によってもさまざまで、中には公募するところもあると聞いていますが、うちの地域はだいたいその地区の自治会にかかわりを持つ人で、地域に長く住んでいる人、民生委員などの経験者が推薦されることがほとんどです。
自治会などに代表される日本の自治組織はかつては、ご近所のどこにどんな家族が住んでいるか、お年寄りが何人いるかなど把握している場合がほとんどでした。

しかし、今年の国勢調査は5年前、10年前とはまったく様変わりしているらしい。
近所の情報がほとんど調査員の手元に入ってこないのです。特にうちの周辺地域は、阪神淡路大震災で住居図が大きく塗り替えられ、マンションが次々と建っています。新しく越してきた住民の中には、集合ポストに名前を書かず、表札も掲げない人が驚くほど多く、空家との区別がつきません。日中ほとんど家にいない家庭には、夜の8時、9時になってようやく会うことができる有様。もちろん、回収にもう一度来なければなりません。報道などによると、平然と居留守を使う家もあるといいます。
調査員は老齢の人も多く、マンションの階段を毎日何度となく登らなければならないは、不備を指摘されて怒鳴られるはで、へとへとになってしまっているようです。

国は国勢調査の必要性を強くうたっています。私はそれに反対するつもりはありませんが、これだけの綿密な調査を、臨時の国家公務員とは言え何の力もない、ほとんど善意の民間人にゆだねるのは、もう限界に来ています。他人に関わりたくない関わってほしくないという今のプライバシー主義の傾向がますます強くなっていけば、これから国勢調査というものが、この委託方式で存続していけるとはとても思えないのです。

電話やインターネットの利用も考えられますが、私は全部郵送にすればよいと思っています。どこに人が住んでいるかを一番把握しているのは、普段から各戸に郵便を配達している郵便局職員であるはず。国が郵便局に委託して、彼らに配布・回収にあたってもらうのが、もっとも効率がよいやり方ではないでしょうか。郵政民営化が実現する可能性が大である今、郵便事業にも収益の確実な新事業が生まれることにもなります。

2005年10月 3日

サイト運営はマラソン

リンク先の十六夜月世(いざよいつきせ)さんのサイト「エリア五拾壱」が活動を再開しました。よかったよかった。
月世さんとはサイトオープン直後からのお付き合い。このまま会えなくなるのかと心配していました。
このところ私の知っている小説サイトが、休眠から脱して次々と活動を始めています。うれしいことです。しかし一方で、うちのリンク先の中には、もう1年も2年も音信不通のサイトもあるのです。

ネット社会の中では、1年は大昔。開設3年半の我がサイトなども、大古株の部類になってきました。その期間を通じて長いおつきあいをさせていただいているサイト様がなくなるのは、ひたすら寂しい。これまでと同じ年月を、これからも一緒に分かち合っていきたいのです。
たとえ日記や掲示板のレスだけでもいいから、サイトを存続していてほしい。それが、そこの小説を好きでいてくれる読者さまや、日々苦闘している回りのサイトオーナーの励みになっているのです。

オンライン作家が、自分の執筆意欲、モティベーションを維持するのは大変です。内から湧き上がるものがない、書くことが大好きと言えなくなってきた、という日は必ず来ます。時には、自分に鞭打ちながらPCに向かうときもあり、いったい何のために私は書いているのだろうと自問自答したくなることもあります。
月世さんが日記でいみじくもおっしゃっているように、「更新のために執筆する」のではなく、サイトと「のんびりと向き合っていく」姿勢が大事だなと思います。ええ、もちろんそんなことは無理ですけど(笑)。

今日、「ギャラクシー・シリーズ」の短編をアップしました。
これからの予定ですが、「ひとことメール」の送信完了ページでお約束したとおりに、「ギャラクシー」のあとは「ティトス戦記」の掌編をアップします。
それから、「夜叉往来」の第九話を最初の3回分だけ連載したいと思っています。あと3回で、今悲惨な状況にある主人公たちがいったん落ち着く予定なのです。ヤキモキしてくださっている読者さまが多いと聞いていますし、そこまで終了しておかないと私も死ぬに死ねません(笑)。
そのあと「セフィロト」第2部第2章(2)をアップしてから、予告していたクロスオーバー企画「手編みのマフラー」(全4回)を連載します。「夜叉往来」第九話の残り部分はその後アップします。
変則的な更新ではありますが、ご理解をお願いします。連載作品が多すぎるのが問題なのだろうなと、自分でもわかってはいるのですが……。頭がいよいよ混乱してきたら、更新方法を少し整理するかもしれません。

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