2008年4月28日

認知症への対処(1)

よく「認知症にならないためには、趣味を持ち、人と交わり、頭を使いましょう」というような予防法が語られるのを見ます。
それならば、数十年ものあいだ地域社会に貢献して、世話好きで友人も多く、いつもいろいろなことに興味を持ち、読んだり書いたりすることが好きで、字もきれいで、指先を使う細かい刺繍を趣味としてきた義母のような人は、普通ならば認知症からは一番遠いはずです。
けれども、病気になってしまった。いつ誰がなっても不思議でないのが、認知症です。

地域のリーダーとして長年務めてきた義母のような人が、尊敬を受けず逆に子ども扱いされるのは、きっとプライドが傷つけられているだろうなと思います。
記憶力が低下して、一分前のことも忘れ、知能的にも小学生程度だなと思うときがあります。しかし、だからと言って、プライドを傷つけることは絶対に禁物です。
家庭において社会において、今でも何かの役割を果たしているという自尊心が満たされることが必要です。

女性の認知症患者は、多く夕方に症状が悪化します。昔は主婦として、夕方の忙しい家事をこなしていた記憶が身体に残っていて、何かしなければならないという焦燥感が、突拍子もない行動となって出てしまうのだそうです。
主婦だった人には、夕方にお風呂掃除や簡単な炊事をやってもらう。男性ならば、計算や事務の仕事をやってもらう。それだけでもずいぶん違うようです。

つい昨日のことです。私の義母がずいぶん立腹している様子で、「晩御飯もいらない」と言い出しました。
よく話を聞いてみると、「今日のお父さんの手術のことを、私には隠して、誰も話してくれなかった」と言うのです。
いつも、手術や病状の説明などの場には、義母もいっしょにいてもらうようにはしているのですが、本人は理解できていなかったようです。
周囲もどうしても、義母ではなく嫁の私を主たる介護者だと見ています。それらのことが苛立ちとなっていたのでしょう。
それに昨日はたまたま、疲れているだろうと午後も早めに病院から戻り、夕方に私だけがもう一度病院に足を運びました。そのことで、爪弾きにされたという疎外感を感じたのかもしれません。

私はもう一度、あらかじめ書いて壁に貼っておいた今までの日程表を見せ、手術は一ヶ月も前に終わったこと、それから一日も欠かさずに病院に見舞いに行っていること。
そして、お義父さんのこれからの世話は、妻であるお義母さんしかできないんだよということを説明しました。
納得した義母は、しばらくして私に「いっしょに住んでくれて、ありがとう」と言ってくれました。

ときどき、私はいったい毎日何をしているんだろうと、やりきれない思いになることがあります。でも、そういう一言をいただくと、関わっていることが報われるような気がするのです。

2008年4月23日

三歩進んで二歩下がる

義父の回復具合のことで、毎日病院に行くたびに一喜一憂しています。
ミキサーでつぶした離乳食もどきの食事から、ようやく通常の食事に移行することができました。
傷の膿もほぼ取れ、発熱もしなくなったし、目の力もことばも、ずいぶん戻ってきたので、これはすごいと喜んでいたら、今日は一転して数日前に戻ったよう。
前日ベッドから車椅子に移るときは、ほとんど自分の力で立てて楽に移動できたのに、今日は恐がって理学療法士の先生にしがみつき、パニックになってしまいました。

高齢者の病後の回復というのは、本当に右肩上がりではない。タイトルのように三歩進んで二歩下がる遅々とした歩みです。それでもICU(集中治療室)で8日間昏睡していた頃から比べると、雲泥の差。
ただ、記憶はまだまだ混乱しているようで、自分がいるのが病院だということも、ときどきわからないときがあるよう。ましてや自分が人工肛門をつけていることは、まだ認識できていません。
この状態で退院して家に戻ったら、私は介護できるのだろうか、と足元をすくわれるような不安に襲われます。
けれど、その分、義母の認知症に付き合うコツがだいぶわかってきたのか、ちょっと楽になってきたような気もします。これも三歩進んで...なのでしょうけど。
人を変えようとしても、思うどおりにならずにイライラするばかり。成長しなければならないのは自分なのだと言い聞かせています。

そんなこんなで、週一更新を堅持するはずだったわがサイトも、更新の遅れが続いています。
読者さまには、ご心配をかけております。
「新ティトス戦記」、数章書いてからアップと言い続けてきましたが、いよいよこの週末、冒頭の一章しか書けていない状態で見切り発車し、第三部をスタートすることにしたいと思います。それまでになんとか、少しでも次章以降を書き進めることにします。
その次は、「ギャラクシー・ヴァカンス」の(4)を更新する予定。
当分は、こういう具合に「新ティトス」「ギャラクシー」「魔王ゼファー」の三本立てで行きたいと思っています。

アンケート部屋の人気投票も、いつもありがとうございます。今回は「手編みのマフラー」の票が意外に伸びているので、これはなんとかせねばと思案中。本編に出てきた新キャラも登場させたいなあ。
「夜叉往来」の番外編を、とのリクエストもぼちぼちいただいていますし、「満賢の魔鏡」とはまったく違った軽いユーモラスなタッチのシリーズでも書けたらな、なんていう希望だけはあるのです。希望だけは(苦笑)。
長い目で見守っていただけたら、幸いです。WEB拍手の楽しいコメントにも励まされています。

2008年4月18日

ネット限定ワッフル

今日はおすすめ商品の紹介です。苦手な方はご注意ください。


ワッフルケーキ20個入り

ネットで買い物をするのは、便利なようで、わずらわしいときがあります。配達のとき家にいなければならないことや、支払いを代引きにすると手数料がかかるし、かと言ってコンビニ決済は面倒くさい。
やはり、それだけのメリットがないと、「えいっ」とカートに入れることはできません。
その点、「ネット限定」という文字には食指が動きます。

今日ご紹介する、神戸ワッフルケーキの専門店「エール・エル」は、神戸の地元では有名な店です。
私の家のすぐ近くの、西宮北口駅前のモールにも、店舗が入っています。では、なぜわざわざネット購入をするか?
実は、ネットショップでしか買えない、「ネット限定商品」があるからなのです。

おすすめは、

【送料無料】お試し!神戸ワッフルセット 

ここには、さまざまな種類のネット限定のロールタイプのワッフルや、季節限定のワッフルがセットになっています。送料無料なのも、かなりポイントが高いです。

冒頭に紹介した「ワッフルケーキ20個入り」セットは、「エール・エル」の創業以来の看板商品のワッフルケーキを、月替わりの新作の味とともに楽しめます。4月の今は、主に「いちごホワイトチョコ」などのストロベリー系が充実しています。
ケーキやシュークリームは、お皿とフォークを使わなければ食べられなかったり、手が汚れたりしますが、ここのワッフルケーキは、仕事をしながら片手でつまめるところが、非常に手軽で食べやすいです。

実はBUTAPENNがイチオシなのはワッフルではなくて、「神戸ワッフルセットL」に入っているネット限定のチーズケーキです。これはかなり美味い。おすすめです。「ぷちおあじみセット」にもチーズケーキが入っています。

今は、バラの花束とセットになった「母の日セット」のキャンペーン中です。
また「おあじみ会」という新作ワッフルのモニター募集もありますので、ぜひのぞいてみてください。

2008年4月10日

認知症の経過(2)

いろいろありましたが、義父が昨日ようやくICUを出て、一般病棟に移りました。まだ意識が定まっていないので、ずっとそばに付き添って話しかけています。
ときどきはっきりしたことも言えるようになってきました。付き添いの私たちが昼ごはんを食べに行って帰ってきたら、「薄情やな」と文句を言ったり、「コーヒー高いな」などと最新の世情にも強いところを見せています(笑)。
あとは、少しずつでも、ものが食べられるようになってくれたら良いのですが。

さて、このごろ認知症の妻の将来を悲観して、病気の夫が妻を殺害...という事件が立て続けに起こっていますね。「半落ち」という小説も、警察官の夫が認知症の妻を殺すお話でした。
あれを聞いて、私はなんだか、とても他人事には思えないのです。
義父の再手術が決まったとき、同じことがうちの家でも起こりうるかもしれないと思い、朝に義父母の部屋を見るのが恐いと思ったこともありました。
何も殺さなくても、残していく妻を安心して福祉の手に委ねることはできなかったのかと思う方もおられるでしょう。
しかし実際のところ認知症という病気は、家族でないと扱えない側面があります。そして同時に、家族だから耐えられないという別の側面もあるのです。

認知症とひとくちに言っても、うちの義母のように、毎日の掃除や洗濯、簡単な食事の支度など、日常生活はしっかり送れている場合が多いのです。
しかしそれでも、何かを伝えても、一度でわかってもらえることが、だんだん少なくなりつつあります。一時間ほどすると、短いときは五分ほどすると、話をしたことすら、きれいに忘れている。
極端なときは、ひとつづきの会話の中で、延々と同じことばを繰り返す羽目になります。

私は先日、認知症の定義をひとことで言い表わしているのではないかと思うような体験をしました。それは、
「かぼちゃの煮物を作ってくださいと頼むと、上手な味付けでおいしく作ってくれる。しかし、煮物を作ったことを忘れてしまう。そして、『このかぼちゃ、おいしいね』と、嫁の私をほめてくれる」
という笑い話のような実話です。

実際、義母は私にいつも感謝してくれます。「同居してくれて、助かっている、ありがたい」と口癖のように言うので、面映いくらいなのです。こういうとき、人間は記憶を忘れてしまっても、その人の本質や美点は残るのだなあと感激することもあるのです。
しかし、その逆の体験をすることもあります。人間のエゴが覆い隠すことなく現われるときがあり、そのときは、情けなく哀しい思いをしてしまうのです。

人は年老いると、自分が昔のようではないということを、ときどき認めることができません。
だから、何か大事なことを忘れても、自分の中であらゆる理由づけをします。「ちゃんと聞いていなかった」「声が小さいから聞こえなかった」「そのとき、別の部屋にいたから聞いていなかった」という言い訳が、とっさに出てしまうのです。

今回の入院でも、義父が入院して手術したという事実さえ、忘れ去られるときがありました。
デイケアで外出して家に帰ってくると、「お父さんどこへ行ったの?」という具合です。
一回目の手術が終わって数日したときも、「お父さんはいつ手術するの?」と訊かれました。
「もう月曜日に手術は終わったよ。6時間もずっと病室で待っていたでしょ」
と答えると、「そうだったか」とびっくりしたように言い、
「毎日考えることがいっぱいあるから、つい忘れてしまった」
と弁解したのです。

その時私は、怒ってもしょうがないと思いつつも怒りを止めることができませんでした。
「他のことは全部忘れてもいいけど、お義母さんにとって一番考えなければならないのは、お義父さんのことでしょう」
と怒鳴ってしまったのです。
怒鳴りながら、本気で怒ってしまった自分が情けなくてたまらなくなりました。
そう言わせているのは病気のせいなのに。見えすいた言い訳させているのは、人間のなけなしのプライドなのに。
後で、そのことを夫に打ち明けたところ、夫は私を責めずに、「息子の僕でさえ、本気で腹が立つことがあるよ」と慰めてくれたのです。
そのことを思い出すと、今でも泣けてしかたがありません。

ちょっと暗い話になってしまいました。次回は認知症の明るい側面について語りたいと思います。

2008年4月 1日

けれど最悪ではない

恐れていた事態が起こってしまいました。
順調に術後の養生をしていたはずの義父が、腸閉塞を起こし、昨日緊急の再手術。夕方から夜中の一時までの七時間あまりの手術の結果、小腸を全部洗浄し、前回の縫合場所も切除し、人工肛門を入れることになってしまいました。
栄養状態も呼吸機能も悪く、当分はICUに入ることになります。
「ポリープを取るだけのはずだったのに、なぜこうなるのか」という衝撃と、ふりかかってきた事態を飲み込むのに、家族一同まだ時間がかかっています。
同時に、身を粉にして七時間もの緊急手術をしてくださった医師の方々の誠意には頭を下げなければと思うのです。

妻である義母にとっては本来なら大ショックのはずですが、昨日の十六時間にわたる病院待機を乗り切って、比較的元気に過ごしています(むしろ私のほうがバテていました)。認知症のため、事態を十分に把握できないでいることが、今に限って言えば幸いしているかもしれません。

腹の底に重りを抱えたような疲労と、神は最善以下のことはなさらないという確信が奇妙に同居する現在。
最悪の事態が起こったと思いつつ、自分の小説でも引用した、『「最悪だ」などと言える間は、まだまだ本当のどん底ではない』というシェークスピアのセリフを思い出しています。
今はただ今日一日を過ごすことを考え、明日に待っている光明に焦点を定めたいと思います。

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