2008年3月19日

認知症の経過(1)

はた目から見れば、義母が認知症であることは、なかなかわかりません。たぶん初対面では、まったくわからないのではないでしょうか。
アルツハイマーに特徴的な「人格の変化」というのは、義母の場合はまったくないようです。
俗に「まだらボケ」と言われるように、正常な部分と病的な部分が混在しているのです。

たとえば、義母は暗算は得意です。お金を払うときも、多少もたつきますが問題ありません。
住所や電話番号をそらんじたり、書類に書いたりすることもできます。近所を散歩して、迷子になったこともありません。
総じて、夜よりも朝のほうが調子がよく、朝起きるとコーヒーを淹れたり、洗濯機を動かしたり、掃除機で掃除をしたり、それはそれはマメに動いています。
こうしてみれば、まったく日常生活に問題がないと思われても不思議はないでしょう(事実、介護認定では、まったく等級がつきません)。

ところが病的な部分は、家族にしか見えない形で存在します。
日にちの感覚が、あいまいなのです。
今日が何日か、何曜日か、平成何年か。ここまでは、誰でもついド忘れすることも起こりえますが、今が何月か、冬は冬でも、暖かさに向かう時期なのか寒さに向かう時期なのかがわからなくなります。
2月に、冬物を夏物と入れ替えようとしたこともあります。
お友だちと待ち合わせの約束をしても、すっぽかしそうになる。自分では、手帳にきちんと約束した日を書き込んでいるのです。でも、それは去年の手帳でした。
ですから、何か電話で約束ごとをしているときは、家族は必死で耳をすまさなければなりません。

もの忘れがひどくなったことは本人も自覚していて、毎日膨大な量のメモを書いていますが、どこに何を書いたのかわからないようです。
そして、もっと厄介なことには、書き留めたことの中に事実ではないことも混じってくるようになったのです。

近所のクリーニング屋さんに洗濯物を持っていったのに返ってこないというので、その店に尋ねに行ったのですが、洗濯物は預かっていないと言われてしまいました。
「あそこは預かっていないと言ってるよ」と話をしたのですが、何月何日に持っていったとちゃんとノートに書いてあるから、絶対に持っていったと主張します。クリーニング屋さんが直接家に来られ、台帳まで見せられたため、納得するしかありません。けれど、また翌日になると、そこに預けたと言い始める。
こういうやりとりが、ほとんど毎日続くと、家族もどうすればよいかわからなくなってしまいます。

2008年3月17日

おいしいコーヒーを

今日はアフィリエイトのご案内です(苦手な方はスキップしてください)。

いつもアマゾンのアフィリエイトのご利用をありがとうございます。
このブログの右横にあるサーチボックスからお買い物をしていただくと、BUTAPENNに3%の還元がある仕組みです。ただし、本人がここから買い物をしても還元はありません。なので、私はお友だちサイトのところへ行って買わせていただいています。
このブログで今までご紹介したアマゾン商品を中心に、「マイベスト」と題したストアのページを新しく作りました。BUTAPENNが好きなもの、欲しいと思っているものをご覧になりたい方は、この右のリンクからどうぞ。

さて、今日はもうひとつ、本館サイトトップに貼ってあるアフィリエイトリンクのご紹介を。
今までバナーを貼っていたのですが、なるべくトップを軽くしようとテキストリンクに切り替えました。
こちらのほうは本人が買っても還元があるので、BUTAPENNもせっせと買っています。私が実際に買って確かめているものばかりなので、安心してお買い物をなさってください。
これからこのブログでは、ひとつずつオススメのリンクを紹介していこうと思っています。

まず今日は、「セブンドリーム・ドットコム」のご紹介から。
ここは、コンビニ「セブンイレブン」のネットショップです。ネットで注文すると、一番近いセブンイレブンの店舗を選んで受け取りに行くことができます。だから送料も無料ですし、店頭で代金引き換えで商品を受け取ることができるので、ネット注文につきものである振込みなどの手間もいりません。
イチオシは、今話題の「ネスカフェ ドルチェ グスト」。

この手のエスプレッソマシーンは、ポッドをわざわざ購入した店に買いに行ったり、通信販売で注文しなければならないわずらわしさがありますが、これなら近くの店でカプセルをいつでも買えるのが魅力です。
実はコーヒー中毒のBUTAPENNは、これが欲しくて、このアフィリエイトと提携したようなもので(笑)。
手間なのは、会員になるために住所氏名の入力が必要だということですが、これはしかたないですね。

「セブンドリーム・ドットコム」には、ほかにもいろいろなオススメがありますので、覗くだけでも、覗いてご覧になってください。

このアフィリエイトで得られた収入は、サイト存続のため、また小説を書く資料を購入するために使わせていただいています。ご不快に感じる方もおられると思いますが、ご協力をよろしくお願いします。

2008年3月11日

春の到来

 

暖かいです。ようやく寒かった冬のトンネルを抜けた感じです。cosmos 003.jpg
去年はずっと暖冬で、3月の半ばにわが家の鉢植えのツツジが咲いてしまい、ブログの記事にした覚えがありますが、あのツツジ、実は枯れてしまったんです。季節はずれに花をつけたのが良くなかったんでしょうか。
さびしくなった玄関先に、エニシダの鉢植えを買いました。千円なり。鮮やかな黄色がとても綺麗です。


隣にあるのは、クリスマスに買ったシクラメン。例年なら3月になると花が咲かなくなるのですが、今年はまだつぼみをつけています。
こちらは、寒かったのがよかったのでしょう。

今日は義父の付き添いで、内視鏡検査です。いよいよ来週入院。桜が満開になるころに退院できればよいのですが。

2008年3月10日

認知症の発症(2)

前回の続きです。

義母の様子が何かおかしいなと感じ始めたのは、足の手術が終わって退院してから、しばらくしてからでした。
「委員をしていたときの書類やノートをまとめて、引継いでくれた人に渡さなければならない」
と、毎日せっせと整理をしている様子なのですが、書類の山がいっこうに減らないのです。いつ見ても押し入れやタンスをごそごそ探しています。
何回も同じ話をする、かかってきた電話の内容を覚えていない、今が何曜日かを失念するということも起こりました。しかし、ここまでは、年齢を召した人ならよくあることです。

決定的になったのは、三年前のこと。
財布がないと言いはじめたのです。そのたびに家族総出で探して見つけるのですが、それが箪笥の上であったり、カバンの中であったり、いつも置き場所が変わります。
そして、電話の内容はおろか、電話がかかってきたという事実も忘れてしまうようになったのです。
あれほど寸暇を惜しんでしていた趣味の刺繍も、いつのまにか、やらなくなっていました。
かかりつけの医師に相談し、脳神経科を紹介してもらって、MRIと認知症簡易診断を受けました。

認知症チェックシートについてのサイト

認知症診断は、「今は何年何月ですか」や、「住所、郵便番号、電話番号」と言った質問から始まり、はさみやシャーペン、眼鏡といった品々を三つ、目の前に置いて覚えてもらい、それをいったん隠します。
数分してから、さっき見たものが何だったかを尋ねるのです。
義母はみごとに、三つとも別のものの名前を答えていました。
日付も言えません。しかし、住所や電話番号は、きちんと覚えています。

人間には、短期記憶、中期記憶、長期記憶の三種類の記憶があると、私は学生時代に心理学で学びましたが、義母の場合は、この長期記憶はしっかりしているものの、他の記憶(特に中期記憶)に不具合が起こってきているようなのです。
医師はこのことを、だいたい次のように説明してくれました。
脳になんらかの障害が起こったとき、ある情報に至る回路が損なわれるということが起こる。しかし、普通は別の迂回路(シナプス)を作って、その情報に至る道を取り戻すことができる。けれど、義母の場合は、その迂回路を作る機能が衰えてきているのだと。

病名は、「脳血管性認知症」と診断されました。

2008年3月 6日

「満賢の魔鏡」完結

「満賢の魔鏡」完結しました。
2006年の11月から開始したので、足かけ三年ですか。長かったなあ。
資料調べだけは、長編並みに時間をかけました。参考文献を何冊も読んだし、ネットサーフィンもしまくり。執筆のために図書館に通い、歴史学や民俗学の専門書まで漁ったというのは、これが最初で最後の経験でしょう(笑)。

それだけ労力をかけたわりに、ちっとも思ったようなものが書けないで、小説を書くことの苦しさや恐ろしさも味わいました。もう、これ以上書けないんじゃないかと思ったことも一度ではありません。
あげくのはてに公開停止までやらかして、途中まで読まれた方々には本当にご迷惑をかけました。

このお話はきっと、サイトに来てくださるみなさまの読みたい類のお話ではなかったでしょう。でも、どんなに人気がなくても、バッドエンドでも、ペダンチックな自己満足でも、モノカキとして書かなければならない、書きたいと思う気持をとどめることはできませんでした。
最後まで声援を送ってくださった方々、ほんとうにありがとうございました。

これからの予定ですが、まだ次に出せるものがありません。ほったらかしていたほかのお話、「魔王ゼファー」「ギャラクシー」「新ティトス戦記」の順番に構想・執筆中です。携帯サイトの「インビジブル・ラブ」のほうは、かなりのストックがありますので、当分安心です。

三月末は、身内の入院・手術の予定があり、ちょっと更新に間が空くかもしれませんが、できるだけ週一ペースであげていきたいと思ってます。

2008年3月 5日

ムンク展

S「声・夏の夜」1893年.jpg兵庫県立美術館のムンク展に行ってきました。
ムンクというと、「叫び」に代表されるように、不安や絶望を描いた絵画だけが強調されますが、装飾画家としてのムンクを浮き彫りにすることが、今回の展示の中心でした。

一枚一枚の絵を通して全体でひとつのテーマを表わすよう、絵画の並べ方にも腐心した様子が、アトリエを写した写真からも伝わってきます。


子どもや労働者を題材に取るなど、意外に、ムンクの描く絵には生命力にあふれたものが多いことをはじめて知りました。
けれど、子ども部屋のための絵に男女の抱擁シーンを描いて、依頼主から受け取りを拒否されたエピソードや、苦心して描いた壁画がすぐに建物ごと解体されるという不運に見舞われたことなど、芸術家の苦労がしのばれます。
「芸術とは、作家の流した血から生まれるものだ」
とは、ムンクのことばだそうですが、やはり創作とは、自分の身体を削って生まれるのですね。
芸術とは程遠い私の書く小説は、血どころか、一日五杯のコーヒーから生まれていますが(笑)。
ムンク展は、今月末で終了です。まだの方はお早めにどうぞ。

ここのランチがおいしかったですよ。美術館のすぐ近く、阪神岩屋駅そばです。 → リストランテ・ビッビ

2008年3月 3日

認知症の発症(1)

義母は、70歳代前半まで、とても活発な人でした。
地域の役員や委員など、とにかく私がお嫁に来たときから家にいない人で、午前と午後ふたつの会議をかけもちするなど、そばで見ていても、その精力的な毎日には感心するほどだったのです。
私たち一家がアメリカに駐在生活を送っていたときは、ラジオで英会話を勉強してから訪ねてきて、隣のアメリカ人の男の子の言っていることがわかるほどでした。
そういう進取の気性を持つ人ですから、わが家は嫁姑の確執もなく、うまく同居できたのかもしれません。

ところが、今から5年前、足の手術を受けて一ヶ月半ほど入院したときから生活が一変しました。
年齢のこともあって、引き受けていた役もほとんど辞め、入院に臨んだのですが、手術の前夜、看護師さんから電話があり、「とても取り乱しておられるので、家族の方に来てほしい」というのです。
あれほどしっかりした義母が、錯乱するなど信じられませんでした。
急いで駆けつけたところ、うそのように平常にしており、もしかして何かの間違いではないかと思ったものです。
今から考えれば、それが認知症発症の引き金であったのかもしれません。

私は素人ですので、間違ったことを考えているかもしれませんが、どうも、認知症をわずらうとき、何かとても大きな生活の変化や、ショッキングなできごとが、まず最初に起きているように思います。
以前からよく言われる、「定年退職のあと、ボケた」というのも、生活の劇的な変化が引き金になることを言い表しています。

毎日の仕事の手順を変えただけでミスしてしまったり、誰かに手伝ってもらうと余計に能率が上がらないということは、私たちの日常でもよくありますが、無意識のうちに身体が覚えている行動の流れを完全に堰き止められたとき、人の脳は混乱してしまいます。
それを修正する神経回路を新しく構築できる若い人はよいのですが、年を取ると、それがうまく行かないことが起こる。
義母の認知症は、そうして始まったようにも思うのです。

手術は無事終わり、一ヵ月半の入院を経て、義母が退院してきました。
ただし、今までのようには歩けないため、しばらくは家事もすべて私が引き受けていました。
今まで参加していた地域の行事も旅行も、足が悪いために参加できません。
義母が一日じゅう家の中にいるなどとは、見たことのない光景です。
ところが、だんだんと少しずつ「変だな」と思うことが起き始めたのです。

ここでいったんペンを置きます。

2008年2月29日

投票ありがとうございました

早いもので、二月ももう終わりです。
今月末まで行なわれていた「アルファポリス恋愛小説大賞」に、投票ありがとうございました。
わざわざ市民登録までして投票してくださった方もおられ、また会場から当サイトにお越しになって、ゲストブックに書き込んでくださった方々もいらっしゃいます。
参加してよかった。

何よりも、この参加を機に、「満賢の魔鏡」の改稿が一気に進んだというのが一番の収穫でしょうか。
サイトを持つということは、公に自分の書いたものを堂々とさらしているわけですが、いつのまにか、内にこもっているような気分になってきてしまうのが不思議です。
こういう賞に応募することによって、自分の作品を多くの人に公開しているのだという認識をあらたにし、頑張らねばという思いを持つことができました。

肝心の順位のほうですが、「セフィロト」も「夜叉往来」も、最後は203人中70位あたりをうろうろしていました。まあ私の実力では、こんなものでしょうか。
あ、まだ少し時間がありますので、もしよかったら最後の一票を(笑)。

投票と言えば、「新ティトス戦記」のアンケートも、今日いっぱいでクローズします。
私が設けた項目(上から7つまで)は、すべて第三部で書こうと思っていたものですが、そうですか、ルギドとレイア以外の戦闘シーンは要りませんか(ゼロ票でした。笑)。それでは、なるべく簡潔に行くとしましょう。

8つ目以降の項目は、すべて読者さまが設置してくださったものです。
「ルギドとレイアのLOVE」
「白魔法の復活」
「今の世界の技術すらも受容支配し新世界へ対応」
「よりドロドロした宮廷模様」
このあたりは、ぜひ取り入れたいところですね。
「ルギドが全てを統合進化し魔族の王を超え魔族の神へ」
おいおい、目標がでかすぎるぞ(笑)。
かと思えば、
「女にだらしないルギド」
というのも。つまりは、ルギドに聖俗とも両極端に突き進んでほしいというリクエストだと受け取らせていただきました。
相変わらず、このお話は、作者よりも読者さまのほうがよくご存じだなと思うくらい、みなさまのアイディアには脱帽させられることばかりです。これだから、アンケートはやめられない。

明日あたりアンケートページを新設することにしました。
それにともない、「どの小説がお好きですか」という新しいぷち投票を始めます。
完結した作品が増えたため、それらも含めて、お好きなものをうかがいたいのです。
投票が伸びれば、完結作品でも番外編などの執筆がある......かもしれないです(笑)。
一日一票という制限がありますが、投票お願いします。

2008年2月26日

認知症について話そう

このところ、テレビやいろいろなメディアで「認知症」についての特集を見聞きします。
実際は興味があるから、目につくだけなのかもしれませんが。
かくいうBUTAPENNの家族にも、認知症と診断された者がおります。打ち明けて言うならば、同居している主人の母です。

まだ症状から言うと、初期の段階です。徘徊もなく、トイレ・食事・風呂など身の回りのことは全部、自分でできます。だから、介護保険の介護度は、「要支援1」の段階です。
けれど、先日見たテレビ番組によれば、家族の葛藤と混乱が一番大きいのは、この初期の段階だと言うのです。
外見ではほとんど変わらないし、人前でもしっかりした物言いをする。けれど、家族が見ていると明らかに異常なことが次々と起こるのです。
一番ショックを受けるのは、長年連れ添ってきた配偶者です。なにしろ五分前に言ったことの記憶が、もうないのですから。
激しい怒りと叱責と、その後に必ず来る自己嫌悪と。
かくいう私も、誰かに質問されたとき、「たいしたことない、大丈夫」と答えるときと、「もう大変」と答えるときの両方があり、自分でも混乱してるなと思います。

今まで認知症は、自分を甘やかして生きてきた人が罹るものだという偏見がありました。
会社ではバリバリ働いても、創造的な趣味もなく、地域との交流もなく、生きがいもない人。そういう人が年老いて罹る病気が、認知症だと思っていました。
けれど、義母は、180度その逆の生き方をしてきた人なのです。
それだけに、こわい。
認知症は、いつ誰が罹っても不思議ではない病気だと、あらためて認識させられました。

それと同時に、いったん認知症に罹ったら絶望だけが待っているのではないことも、また事実だと知りました。
人間の本質に関わる病気だけに、本人にも介護する家族にも、ホンネの生き方が問われるのだろうと思います。
そして家族の協力がなによりも重要なのだと思います。
そう考えると、これは人生の終盤に向かって、やりがいのある戦いなのかもしれません。

このブログで、「認知症」というカテゴリを新しく設けました。
かつては、身内で隠していた病気なのかもしれません。ブログの話題としては重過ぎるのかもしれません。けれど、今は声高に話し合うことが必要だと思うのです。
これまでの経過を書き留めることによって、わたし自身の記憶の整理にもなります。情報の共有の場にもなればよいと思っています。
ただのグチや自己正当化になることも、多々あるかと思いますが、そのときは笑って見逃してやってくださいませ。

2008年2月19日

私はあんたのママじゃない

しょーもないことですが、ひそかに悩んでおるのです。
自分のダンナさまを、これから何と呼ぶか。

小学生のときから同じ教会に通っていた彼のことを、私はずっと「○○くん」(○○は、彼の姓)と呼んでいました。
結婚して自分も同じ姓になると、さすがにこれはマズイということで、「△△さん」(△△は彼のファーストネーム)、または、「あなた」と呼んでおりました。
しかし、これがいかにも照れくさい。呼びにくい。
結婚後わりとすぐに子どもが授かったので、これ幸いと、「パパ」「ママ」と互いに呼び合う習慣に移行しました。だいたい、子どもがいると、互いを名前では呼びにくいものです。子どもにすぐにマネされる。
そして25年を経て、現在に至るわけです。

さすがに、24歳と23歳の息子がいる五十代夫婦が、互いを「パパ」「ママ」と呼ぶのに、違和感を感じ始めています。
夫から「ママ」と呼ばれるたびに感じるのが、今日のタイトル「私はあんたのママじゃない」というわけ(コラボ企画「ビスケット・アンド・ドーナツ」の第二話のネタです)。
私の友人が、家では互いを名前で呼び合っていると聞いて、うらやむことしきり。果てさて、今から25年間続けた「パパ」「ママ」をやめて、互いの名前を呼ぶ習慣はつけられるでしょうか。

ちなみに、私の実家の両親は、いまだに互いのことを「パパ」「ママ」と言っておりますな。さすがにこの年齢まで来ると、むしろ微笑ましいという境地です。