2005年12月31日

ゲド戦記

スタジオジブリが、アーシュラ・K.ル・グウィンの「ゲド戦記」のアニメ映画制作を発表した二週間前、思わず小躍りしたのは私だけではないでしょう。
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ファンタジーの中で何が好きかと聞かれれば、もちろん「ナルニア国物語」は絶対に外せないし、「指輪物語」も「ハリーポッター」もすばらしいのですが、私は今まで知名度のやや低かった、この「ゲド戦記」を一押ししたいと思います。
強大な魔力を持つゆえに禁断の呪文を使ってしまう少年ゲドの冒険に満ちた一生と、アースシー世界の光と影の戦いを描く壮大なドラマです。

ゲド戦記?.こわれた腕環 今年最後のおススメとなるのは、全6巻(外伝含む)の「ゲド戦記」シリーズの中でも、私が一番鮮烈な印象を得た

「ゲド戦記?・こわれた腕環」

墓所の地下迷宮の暗闇の、既視感さえともなうリアルさ。その中を自分の世界として生きるひとりの少女巫女の、自由を求める心の成長の軌跡は、まさにファンタジーの王道の醍醐味を味わえます。

アニメ化決定をチャンスにぜひ、「ゲド戦記」のすばらしい作品世界に触れてみてください。
私もこのお正月、久しぶりにもう一度読み直してみたいと思っています。

2005年12月17日

ヒーリングミュージック(1)

今日のおすすめは、BUTAPENNの執筆時のBGMとして、日ごろからお世話になっているヒーリングミュージックの中から、テレビのBGMなどでよく聞く有名なものを集めてみました。

〈COLEZO!〉アンドレ・ギャニオン・ベスト 〈COLEZO!〉アンドレ・ギャニオン・ベスト
数々の映画やドラマのサントラを手がけているピアニスト、アンドレ・ギャニオンのアルバム。テレビ・ドラマ「Age35」の主題歌「めぐりあい」をはじめ、聞き覚えのある曲がずらり。テレビのドキュメンタリーや報道番組で使われているのを耳にすることが多いです。透明感あふれる切ないメロディ。ラブストーリーのワンシーンがほうふつと浮かんでくるようなドラマ性を持っています。 寝る前のリラックスタイムに聞くのもおすすめ。まさにヒーリングミュージックの定番です。



透明な音楽 by S.E.N.S 透明な音楽 by S.E.N.S
テレビで耳にすることが多い曲といえば、S.E.N.Sの右に出るものはいないでしょう。TVドラマ「あすなろ白書」、「青い鳥」や、最近では韓国ドラマ「美しき日々」のテーマ曲(Remembering Me)を手がけています。インストゥルメンタルに女性の透明感のあるヴォーカルが重なり、切なくてしかも大草原や大空にさあっと羽ばたいていけるような空間の広がりさえ感じるメロディラインを作り出しています。和風を感じる曲も多いので、「夜叉往来」を書くときにもお世話になりました。


NIGHTFALL by David Lanz NIGHTFALL by David Lanz
この人のピアノを聞いていると、朝もやの中、海沿いの道で車を駆っているような、あるいは静謐な森の中をあてもなく歩いているような、そんな気分になるのです。シンプルなメロディながらイマジネーションがかきたてられるリラクシングミュージック。試聴があるのでぜひ聞いてみてください。どこかで聞いたことがあるという曲があるはずです。 この人のアルバムでは他に、Christfori's Dreamもおすすめです。

2005年12月10日

聖書は持ってますか?

「おすすめ」第一弾は、クリスマスも近いという理由で、「聖書」にしました。
みなさんは聖書を持っていらっしゃいますか?

「学校でもらった」「ホテルの引き出しに入っているのを見た」という方もおられるでしょう。「ギデオン聖書協会」という団体が無料で聖書を配布しているのです。会員の浄財や教会からの献金をもとに、ミッションスクールや看護学校、ホテルなどに寄贈しています。キリスト教会に置いてある場合もありますので、欲しい方はお近くで問い合わせてみてください。

でも、もっと本格的に聖書を読みたいという方は、やはり自分で購入することをおすすめします。ふところが痛むほうが、読み始めても途中でギブアップする可能性が減るし(笑)、もしあなたが小説や戯曲を書かれる方でしたら、聖書を引用したり参考にする場面は、いつか必ず出てくるでしょう。

日本には大きく分けて、文語訳、口語訳、新改訳、新共同訳の4種類の聖書があります。このほかにもカトリック訳や、「私訳」と呼ばれる個人訳の聖書があります。すべて原典(旧約はヘブル語、新約はギリシャ語)から直接、忠実に訳されたものです。逆に言えば、原典から直接訳されていない聖書は、「聖典」と呼ばれる価値はありません。
この中で一番新しいのは、新共同訳聖書 旧新約です。
カトリックとプロテスタントの背景を持つ聖書学者70人からなるチームが18年の歳月をかけて、まさに名の通り「共同」で翻訳した聖書です。三位一体の「御霊」を”霊”と訳すなど、従来の訳に慣れた者からすると、「どうしてこんな訳しちゃったの?」というような部分もあるのですが、宗派を超えて今一番多くの教会やミッションスクールで用いられている「定番」の聖書といえば、これでしょう。

「聖書はどうもわかりづらくて」という方には、平易な日常の文にパラフレーズ(意訳)されたリビングバイブル 旧新約がおすすめです。
一例をあげれば、マタイによる福音書第6章31?34節は、新共同訳ではこうなっています。

だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。 それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。 だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。

これがリビングバイブルではこうなっています。

ですから、食べ物や着物のことは、何も心配しなくていいのです。 ほんとうの神様を信じない人たちのまねをしてはいけません。彼らは、このような物がたくさんあることを鼻にかけ、そうした物に心を奪われています。しかし、天の父は、それらがあなたがたに必要なことは、よくご存じです。 神様を第一とし、神様が望まれるとおりの生活をしなさい。そうすれば、必要なものはすべて、神様が与えてくださいます。 明日のことを心配するのはやめなさい。神様は明日のことも心にかけてくださるのだから。一日一日を力いっぱい生き抜きなさい。

かなり会話文に近い、わかりやすい文章になっています。「これなら聖書を読める」という人が多いのも納得できます。ただし個人的には、イエスが「やれやれ、どうなるのかね」と言ったりするのは、ちょっと威厳がなさすぎだと思うのですが……。
それから、もうひとつ、この「リビングバイブル」は原典からではなく、英語の「The Living Bible」を日本語に訳したものです。そういう意味で、これは聖典として教会で朗読することはできません。あくまで参考書としての利用にとどめておくべきものです。

私の子どもの頃あたりまでは、文語訳聖書が使われていました。「元始に神天と地を創りたまへり」(創世記1章1節)という文章が綿々と並んでいて、ほとんど古文の世界。読んでもさっぱり意味がわかりませんでした。
たとえば有名な詩篇19編の冒頭は、こういう訳です。

もろもろの天は神のえいくわう(栄光)をあらはし、穹蒼(おほぞら)はその手のわざをしめす この日ことばをかの日につたへ このよ知識をかの夜におくる 語らずいはずその声きこえざるに  そのひびきは全地にあまねく そのことばは地のはてにまでおよぶ


4820232185.09._OU09_PE0_SCMZZZZZZZ_.jpg 昔は、文語訳の聖書をすらすらと暗唱しながらお祈りするおばあちゃんが、教会にはたくさんいました。 そう、ことばは難しいけれど、この訳は韻がよく、崇高で暗唱に向いているのです。 今でもたとえば、「復讐するは我にあり」「人の生くるはパンのみによるにあらず」など、巷で聞かれる聖書の引用は、この文語訳が多いのです。 「門前の小僧習わぬ経を読む」と言いますが、私も教会へ通っているうちに、わからないながらもいくつか暗唱できるようになり、高校の古文の文法などは自然と身についていて、とても助かった覚えがあります。今も小説を書くときの、文章の基盤となっているかもしれません。 旧新約あわせたものだと5000円以上しますが、新約聖書と、旧約の至宝である「詩篇」が併せられた文語訳 小型新約聖書 詩篇附 は、リーズナブルで携帯にも便利です。

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コテコテ大阪弁訳「聖書」
最後に、関西弁の聖書を見つけました。
私も読んだことはありませんが、『イエスはんは言わはった。「ええか、耳かっぽじってよう聞けよ。…」』という感じの文章だということで、笑ってしまいます。
イエス自身、都の人々から蔑まれていた田舎のガリラヤ出身ですので、こういう方言を使った聖書翻訳の試みはおもしろいです。
ただし、載っているのは新約聖書の「マタイによる福音書」だけです。

2005年12月 5日

始めることにしました

目ざとい人なら、もうお気づきでしょう。数日前からこのブログに、Amazon.co.jpへのサーチリンクを貼っています。
いわゆる「アフィリエイト」というヤツです。
実はブログを始めた一年前から、このことは考えていました。私の夫が自分のブログでアフィリエイトをやってみたいと言い出し、いろいろふたりで調べていたからです。
結果的には、夫が今年転職したこともあり、彼のブログは作る前からザセツしてしまいました。そのまま、話は立ち消えに。アフィリエイトをすることに私も今ひとつ、ふんぎりがつきませんでした。

私は自分が、小説でお金を稼げるようなプロ作家になることは考えていません。きっと私の書いたものが本になることは一生ないでしょう。そんな素人同然の私が自分の楽しみのために書いたものを、わざわざ読みに来てくださる方がいらっしゃる。それだけでも満足だし幸せ、という4年近くを過ごしてきました。
今でもその気持ちは変わりません。これからもそうやって書き続けたい。でも、このところモヤモヤしたもの――サイト運営に対する疲労感に似たものが胸に渦巻いているのも確かなのです。

リンク仲間の姫さんが、その気持ちに答えを出してくれました。先ごろ彼女のサイト「姫様御殿」では、「応援しるぶぷれ!」を始められました。小説を読みに来てくださった方にサイトの応援をお願いする、というものです。
その中で姫さんはこう言っておられます。

ちまたに溢れているオンライン小説のほとんどは、無料で読む事ができます。
それは、読んでいただく事が作者の喜びでもあるからで、黙って読んでも読み逃げしても、私は何とも思いません。
でも『楽しませてくれた事にお礼がしたい』と言われると、今までその方法が投票とか感想をもらう事しかありませんでした。
じゃあ、そんなことしていらないの? と言われたら、欲しいのです。
好きでやっていることとはいえ、それなりの評価と報酬は得て不思議はないくらいの労働はしております。
たかが道楽じゃないの、時間がもったいないからやめなさい……と、世間様に言わせないだけの誇りもあります。
で、作品の対価を求めてもいいんじゃないか?って気持ちになりました。
これは、金を払わないと読めない……って事ではありません。
読んで面白かったら、その度合いに応じて、ご自身のできる範囲で、大道芸人に投げ銭するように、気持ちをくださればいいのです。
できない人は、そのまま通り過ぎてくれても全然かまわないのです。

私が自信を持って小説サイトを運営していくために足りなかったのは、このアマチュア作家なりの「誇り」だったかもしれないと思いました。自分の書いた小説を通して、たとえほんのわずかでも社会に貢献しているという手ごたえが欲しい。その手ごたえのひとつとして、アフィリエイトという手段をお客様にご提供してもよいのかなあと考えるようになりました。

私の選んだのも姫さんと同じ方法。
アマゾンで、お客様に本・CD・DVDなどをオンラインショッピングしていただく、というものです。もしも欲しいものがあるというときは、そのままアマゾンのホームページに飛ぶのではなく、多少面倒ですが、私や姫さんや、そのほかにアフィリエイトの手段を持っているネット小説サイトに飛んで、そこのサーチリンクから購入手続きをしてくださると、わずかですがサイトマスターに紹介料として、ギフト券の形で収入が入ります。それが皆様からのサイト応援の志になるというわけです。
私から特におすすめの本やCDがあるときには、ここのブログで「おすすめ」というサブタイトルで紹介記事を書くこともあります。その題名をクリックして購入してくださってもOKです。でも、欲しくないものを無理に買うことだけは、おやめくださいね。

私はあまり多くを望んでいるわけではありません。でも一応の目標というのがあって、それは、このサイトスペースのレンタル使用料、年間3675円です。これだけの収入が得られれば、専業主婦の私がサイトを運営しても、少なくとも損はしていないという言い訳が立ちます。でも紹介料はほんのわずかなので、たぶん目標達成は難しいだろうなあ、と思います。
もし皆さまの中に、こういう形で商売をすることを快く思わない方がいらしたら、どうぞ右の欄の「Shopping」の文字をそっとクリックして、閉じてしまってください。そして、これからも懲りずにこのサイトを訪れてください。ひとりでも多くの方が小説を読んでくださることが、私の何よりの喜びなのですから。