2008年8月 6日

行ってきます

明日朝、二泊三日の教会学校キャンプに出発します。
場所は近場の六甲山。下界より数度涼しいので、テントで寝るのが楽しみです。
去年は台風が直撃して、テントが飛びそうになるというハプニングに見舞われましたが、今年は台風はなさそうです。キャンプファイアのとき夕立になりませんように。

あれこれ悩んでいた留守中の義父の介護ですが、朝晩の二回、訪問看護師さんに来てもらえることになりました。朝は便の排出、夕方にパウチの交換を行なってくださいます。
問題は、夜中にときどきストマの袋がはずれてしまうことです。今まで三回ほどありました。トイレに立つ際、寝ぼけて引っ張ってしまうようです。夏は特に、接着している皮膚に汗をかくことも災いしているかもしれません。
そうなったら、シャワーで汚れを洗い流してもらい、とりあえず夫に、むちゃくちゃでいいから装着を頼み、あとは看護師さんの訪問を寝ながら待つということになりました。
義父の大腸がんの手術後、私のはじめての外泊になります。留守をうまく乗り切ってほしいです。

「約束したから」の短期連載ですが、帰ってからすぐに更新したいと思います。携帯サイトのほうは、木曜の更新をお休みします。

2008年7月10日

落雷注意

CIMG1240.JPGこのところ、兵庫県南東部では、毎日のように雷雨があります。
それも、私が買い物に出ているときに限って(笑)。
昨日も滝のような雨の中を足元ずぶぬれになって帰ってきて、夕飯の支度を終えた6時半ごろ、突然、バスンという音がしたかと思うと、家中の電気が消えてしまいました。
不思議なことに、裏の家は煌々と灯りがついています。うちの家の通りだけが停電になってしまったのです。こんな局地的な停電ははじめてです。
近所の人の目撃証言によれば、通りの向こう側の電柱の変圧器が煙を上げて燃え上がったそうです。

そのとき、雨も小降りになり、雷も鳴っていませんでした。
落雷とは、遠くに去ってしまっても油断はできないという怖さがありますね。関電の人がサイレンを鳴らして駆けつけ、電柱に登って修理してくださり、一時間半後の8時ごろに復旧しました。

おりしも夕食どき。停電になると、電気もテレビもエアコンも点かないだけではなく、電気ポットのお湯も出ないし、ガス風呂さえも沸かないのです。冷蔵庫も、停電時にはドアも開かないことがわかりました(手動では開けられますが)。
うちはオール電化ではないのですが、いかに、生活のすべてが電気に依存しているか思い知らされました。
幸いにして炊飯器のご飯は炊けていたので、ヤカンでお茶を沸かし、ロウソクの明かりの中でキャンドルナイトディナー(笑)と相成りました。地球温暖化防止のためにちょっぴり貢献できたかな。
幸い、パソコンも復旧し、書きかけの小説のデータも無事でしたが、もしやと思って肝が冷えました。落雷の多い夏、皆様も大事なデータのバックアップだけは、くれぐれもきちんと取っておかれますように。

小説の更新がやや遅れております。もちろん、雷のせいではありません(笑)。なんとか今週中には更新したいと思っていますので、しばらくお待ち下さい。

私信
Pさんへ
「500文字の心臓」の次回のテーマが決まりました。「ノイズレス」です。〆切は7月21日。お仕事お忙しくなければ、参加お待ちしています。

2008年7月 2日

ヨメの値打ち

結婚26周年ということは、嫁歴も26年ということです。
その26年のうち、主人の実家で義父母と同居しているのは、正味14年ほど。
このごろ頓に、嫁である私の発言権が増していることを、しみじみと感じます。ま、うんと傲慢な言い方をしてしまえば、私がいなければ、一日だってこの家は回っていかない。
義父のストマの袋を交換しながら、もしダンナが浮気でもしたら、私はさっさと出て行って、この家はウ○コまみれになるんだろうなと空想しながら、ひそかに溜飲をさげています(ヤな嫁だねー)。

もうひとつ、このところ感じているのは、嫁という立場の人間がひとり一家にいるかいないかの違いは、大きいということです。
たとえば、病気。入院や手術。たとえば、葬式。
血を分けた家族たちが、情がからむゆえにオロオロとする中で、ただひとり冷静に、客観的に、またある意味、非情にものごとを決断し、進めていけるのは、血のつながりのない嫁だけではないかと思うこともあるのです。

もちろん一方では、血のつながりのないゆえに、疎外感をたっぷり感じるでしょう。
そうか、やっぱり私は、何年たっても他人なんだな、と。
けれど、私はこの家族のために、非常時に備えて遣わされているのだと考えれば、孤独な嫁の立場もなかなか悪くありません。

2008年6月21日

メリー・ウィドウ

topics-team6.jpg

今日は夏至ですが、みなさま、「百万人のキャンドル・ナイト」してらっしゃるでしょうか。
去年のペンギンフェスタのときの教えていただいたのですが、もうあれから一年経ったのですねえ。でもテレビつけてエアコンつけて、PCでブログ書いてるようじゃ、灯りを消しても意味ないです(汗)、

今日は、兵庫県立芸術文化センターで、「メリー・ウィドウ」の初日を観てきました。
監督の佐渡裕氏は、このごろ日曜朝の「題名のない音楽会」の司会を務めていらっしゃるので、ごぞんじの方も多いでしょう。
この方の「蝶々夫人」も最高に感動したのですが、今日のオペレッタも期待を裏切られませんでした。
会場と一体になった演出、佐藤しのぶさん、大山大輔さん、並河寿美さん、ジョン・健・ヌッツォさん、それに桂ざこばさんという配役の妙、背景や衣装や群舞シーンの華やかさ。
最後の最後まで息を抜かない構成に鳴り止まないスタンディング・オベーションとなり、とても楽しいときを過ごすことができました。
7月6日まで公演がありますので(ただしダブルキャスト)、お近くの方はぜひ。

観劇のあとは、同じセンター内にあるレストラン「イグレックテアトル」で、一月遅れの26周年の結婚記念日を祝いました。劇に合わせたコース料理もおいしかったけど、ワイン(「ピノ・ノワール種のロワール産)と、チーズの盛り合わせが美味でした。

このところの病院通いの毎日で貯まったストレスを返済して、借金するほどの豪華な一日でした。

2008年6月17日

初夏の六甲山

昨日は、近くの六甲山へ山歩きに行ってきました。

いつもの山歩きの友人たちとともに、アメリカからの宣教師たち、カリフォルニアの大学生旅行者ふたりとともに、国際的なメンバーとなりました。
ルートは、六甲ケーブル下駅から徒歩で出発、六甲登山の最短ルートと言われる油コブシ登山道を経由、ケーブル山上駅の近くの天覧台で昼食、アイスロードを通って帰ってきました。

アイスロードとは面白い名前ですが、もともとは、明治から昭和初期の商人たちが、山上の貯水池で作った氷を切り出し、大八車に乗せて運び降ろすための道だったそうです。渓流に沿って、せせらぎの音を聞きながらの下山は、とても癒される......と言いたいところですが、今の時期は足元が見えないほど草が生い茂っていて、景色をのんびり楽しむゆとりはありませんでした。

  5k1lmfqj9.jpg コアジサイ   5k1lmfqjo.jpg シデザクラ(采振木)

けれど、山頂はとても涼しく、さすがに避暑地六甲。
あじさいの見ごろはまだまだこれからですが、途中で野生のさくらんぼをもいで食べたり、楽しいハイクでした。
すでに、ふくらはぎが痛いのですが、この歳になると、本格的に痛くなるのは明日でしょう(笑)。

5k1lmfqk4.jpg 野生のさくらんぼ   5k1lmfqkz.jpg 下山途中の道

2008年6月12日

ツバメも飛び立った

ふと見たら、ブログのカレンダーが5月のままでした。6月も中旬だというのに、いったいどれだけサボっていたのでしょう。
前回の記事でご紹介したツバメも、もう巣立ってしまったらしく、巣はからっぽです。

特筆することもないので、まさに「身辺雑記」という形で書き散らかしてみます。
義父の退院で少し気が抜けた感じです。退院しても病院と縁が切れたわけではなく、最初のうちは土日も毎日通院、このごろは二日に一度は手術痕のガーゼ交換に通っています。
外科病棟でよく顔をみかけたみなさんも、やはりガーゼ交換に通っていらして、今でも顔を合わせて会釈しています。同病の患者さんたち、やはり戦友ですよね。

実は、退院してきた最初の真夜中と次の日の夕方の二度、義父はトイレに行ってバランスを崩して転び、動けなくなってしまいました。義母と私のふたりがかりでも抱き起こすことができません。やはり、退院したのが早すぎたのかと後悔しました。二度とも息子たちに手伝ってもらいましたが、こういうとき男手は欠かせません。

ところが、こういった苦労もリハビリになるのでしょうね。めきめき体力が回復し、今では家の中でほとんど何も持たずに歩いています。外出も、車椅子のお世話にならずに数十メートルも杖で歩けるようになりました。食欲も病院とはみちがえるほどです。

前回記したように、ストマ(人工肛門)の袋交換は三日に一度。便やガスの排出は一日一、二回というところです。
まだ私が初心者なので、朝起きたら、袋がはずれていたなんていう修羅場もありました。ストマについてのサイトをみても、みなさん苦労されているようですね。

参考サイトさまのひとつです。とても詳しく図説されています。

確かに大変なのですが、体が思うように動かなくてもトイレに立つ必要がないので、考えようによってはお年を召した方には楽なのかもしれません。
大腸手術で、「袋だけは絶対にイヤだ」と言い続けていた義父。まさかこういう結果になるとは思っていなかったのでショックだろうし、息子の嫁の私に世話してもらう状況を心苦しく思っているのがわかるのです。

でも、慣れてしまえば、ストマ生活は想像していたほど悲惨なものではありません。ある程度年配の患者さんならば、大腸がん手術の選択肢のひとつとして、癒着を引き起こす恐れがある縫合よりも、ストマの生成をもっと積極的に考えてもよいのではないかと思いました。

ただ、ひとつだけ困ったことは、今のままでは私以外に処理が出来る人がおらず、家を空けることができないこと。私は八月に三日の外泊をすることが決まっているので、それまでに、認知症の義母が手順を覚えてくれるか、福祉介護サービスでストマの処理ができる派遣看護師さんを紹介してもらえるとよいのですが。

腱鞘炎のほうは、ずいぶん良くなり、今では痛みもほとんど感じません。
小説の執筆のほうも、ぼちぼちというところで、週一本の割合で書いて、週ひとつ更新する、という状態です。
昨日、ひとことメールで、「三年ぶりにサイトを訪れた」という読者さまがおられました。ありがとうございます。長くやっていると、こういう喜びがありますね。

2008年5月31日

ツバメの引っ越し

去年の5月、このブログで近所にあるツバメの巣を紹介しました。

「ツバメのお宿」

今年もツバメが巣をかけたのですが、今度は少し違う場所なのです。

200805311659001.jpg

ケータイで写したので、画像が悪くて申し訳ありません。
去年の巣が後ろにあるのが見えますでしょうか。今年のツバメ夫婦たちは、去年の巣には見向きもせず、ライトの上のごくごく狭い場所に巣をかけたのです。あまりに狭い場所なので、今年は三羽しかヒナが入れません(去年は五羽だったのに)。

果たして、築二十年の古巣を捨てて、新しい家に移った理由やいかに。
「いくら広くても、あんな古い家はメンテが大変。新築が一番だよ」
「餌代もかさむし、どうせ五羽も育てられないわ。子どもは少ないほうがいいの」
なんてね。
もしかすると、人間の少子化の波が、ツバメ界にも訪れたのかもしれません。

2008年5月28日

いよいよ退院します

義父が明日の朝、退院します。
最後のニ週間は、医者や看護師さんたちもびっくりするほどの回復ぶりで、たぶん車椅子を使わなくても、歩いて家の玄関をくぐれるはず。
ところがです。
三日前の真夜中、ひとりでトイレに行って、帰りに転んでしまい、しばらく動けなかったそうです。ようやく這うようにして、ナースコールボタンのところまでたどりつきましたが、腰を強打してしまいました。
打ったところはまだ痛むようですが、幸い大事には至らず、下手をすると骨折や捻挫などで、また退院が延びるところでした。回復しかけの頃がもっとも危険です。家に帰っても気をつけねばなりません。

ただ退院と言っても、当分は傷口のガーゼ交換のため、土日も含めて毎日通院しなければならないそうです。
それに加えて、三日に一度のストマ(人工肛門)の袋交換。日に1、2回の便やガス抜き。一応私が主介護者になるので、慣れるまでは大変かもしれません。
この数週間、疲れが出たのか、ひどい五十肩と腱鞘炎に悩まされていました。ハサミも持てないほど痛かったのが、今朝起きたら、ほとんど痛みが取れていました。
ハサミはストマの袋装着には、絶対になくてはならない作業です。明日が退院という今、神さまは、実にタイミングのよいことをなさるものです。

2008年5月12日

トンネルを抜けた

三月の末からずっと心配をおかけし、またクリスチャンの方には篤いお祈りをいただいておりました義父の手術後の状況ですが、どうも長いトンネルを抜けたようです。

大腸の二回の手術を経て、8日間のICUでの集中治療後、意識が朦朧とすることが続き、身体もぐにゃぐにゃで、座ることもできないままでした。
傷そのものも快復に向かっているのに、ときおり意識が定まらず、自分が病院にいることもわからない状態が続いたときは、もうずっとこのままなのかと暗澹とした気分に陥ったこともあります。
大手術の後の「術後精神症状」と言われる状態です。
私の参考にしたサイトでは、肝移植手術の術後症状について解説していますが、「抑うつ、見当識障害、退行、意識混濁、妄想、幻視幻聴、不安、昏迷」という症状がみごとに全部、義父に当てはまりました。表情が幼児のものとなるときがあり、特に、「どうなってもいい」「死んでもいい」という投げやりな発言にはほとほと困りました。

それが、一週間ほど前、本人が突然、「自分が病院にいることが、やっとわかった」と叫んだのです。びっくりするような話ですが、それ以来、意識の状態がみるみる良くなっていくのが、そばにいてわかりました。
主治医の先生によると、手術後のある時期は、記憶が「ロックされた状態」なのだそうです。そのロックが解除された瞬間、記憶が鮮明になり、「なぜ自分がこういう状態なのか」がわかり、意欲も回復したのでしょう。

意識レベルは正常に戻ったものの、その後は「立てない、歩けない、座れない」自分を受け入れるのに時間がかかりました。リハビリの先生とケンカして追い返してしまったこともあり、悲しむべきか、大正生まれの義父の本来の頑固さが戻ってきたと喜ぶべきなのか。

この数日は、「早く退院したい」とリハビリルームに行くのを待ちかねているような状態です。今日も平行棒をニ往復してきました。この調子では、来週には退院になるのではないかと思います。
退院すればしたで、人工肛門の世話や身の回りの介護で、家族は当分、別の忙しさに襲われそうですが、それでも、日常へ復帰できることが何より嬉しいのです。

読者のみなさまの、お祈りとお心遣いをありがとうございました。

2008年5月 4日

ジャスミンの香り

暑い季節になると、タイに住んでいたときのことを思い出しますが、今日はジャスミンの甘く濃厚な香りに、さらに思い出を誘われました。

タイの女の子は大きくなると、ジャスミンのレイ作りとフルーツカーヴィング(果物の飾り切り)を、花嫁修行として習うそうです。うちで働いていたアヤさん(住み込みのメイドさん)も、きれいなレイを作ったり、お客さんを招いたときは、カーヴィングをしたスイカを出してくれました。

jasmin.jpgうちの近所に咲いていたジャスミンです(羽衣ジャスミンという種類だと思います)。