2008年6月21日

メリー・ウィドウ

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今日は夏至ですが、みなさま、「百万人のキャンドル・ナイト」してらっしゃるでしょうか。
去年のペンギンフェスタのときの教えていただいたのですが、もうあれから一年経ったのですねえ。でもテレビつけてエアコンつけて、PCでブログ書いてるようじゃ、灯りを消しても意味ないです(汗)、

今日は、兵庫県立芸術文化センターで、「メリー・ウィドウ」の初日を観てきました。
監督の佐渡裕氏は、このごろ日曜朝の「題名のない音楽会」の司会を務めていらっしゃるので、ごぞんじの方も多いでしょう。
この方の「蝶々夫人」も最高に感動したのですが、今日のオペレッタも期待を裏切られませんでした。
会場と一体になった演出、佐藤しのぶさん、大山大輔さん、並河寿美さん、ジョン・健・ヌッツォさん、それに桂ざこばさんという配役の妙、背景や衣装や群舞シーンの華やかさ。
最後の最後まで息を抜かない構成に鳴り止まないスタンディング・オベーションとなり、とても楽しいときを過ごすことができました。
7月6日まで公演がありますので(ただしダブルキャスト)、お近くの方はぜひ。

観劇のあとは、同じセンター内にあるレストラン「イグレックテアトル」で、一月遅れの26周年の結婚記念日を祝いました。劇に合わせたコース料理もおいしかったけど、ワイン(「ピノ・ノワール種のロワール産)と、チーズの盛り合わせが美味でした。

このところの病院通いの毎日で貯まったストレスを返済して、借金するほどの豪華な一日でした。

2008年6月17日

初夏の六甲山

昨日は、近くの六甲山へ山歩きに行ってきました。

いつもの山歩きの友人たちとともに、アメリカからの宣教師たち、カリフォルニアの大学生旅行者ふたりとともに、国際的なメンバーとなりました。
ルートは、六甲ケーブル下駅から徒歩で出発、六甲登山の最短ルートと言われる油コブシ登山道を経由、ケーブル山上駅の近くの天覧台で昼食、アイスロードを通って帰ってきました。

アイスロードとは面白い名前ですが、もともとは、明治から昭和初期の商人たちが、山上の貯水池で作った氷を切り出し、大八車に乗せて運び降ろすための道だったそうです。渓流に沿って、せせらぎの音を聞きながらの下山は、とても癒される......と言いたいところですが、今の時期は足元が見えないほど草が生い茂っていて、景色をのんびり楽しむゆとりはありませんでした。

  5k1lmfqj9.jpg コアジサイ   5k1lmfqjo.jpg シデザクラ(采振木)

けれど、山頂はとても涼しく、さすがに避暑地六甲。
あじさいの見ごろはまだまだこれからですが、途中で野生のさくらんぼをもいで食べたり、楽しいハイクでした。
すでに、ふくらはぎが痛いのですが、この歳になると、本格的に痛くなるのは明日でしょう(笑)。

5k1lmfqk4.jpg 野生のさくらんぼ   5k1lmfqkz.jpg 下山途中の道

2008年6月12日

ツバメも飛び立った

ふと見たら、ブログのカレンダーが5月のままでした。6月も中旬だというのに、いったいどれだけサボっていたのでしょう。
前回の記事でご紹介したツバメも、もう巣立ってしまったらしく、巣はからっぽです。

特筆することもないので、まさに「身辺雑記」という形で書き散らかしてみます。
義父の退院で少し気が抜けた感じです。退院しても病院と縁が切れたわけではなく、最初のうちは土日も毎日通院、このごろは二日に一度は手術痕のガーゼ交換に通っています。
外科病棟でよく顔をみかけたみなさんも、やはりガーゼ交換に通っていらして、今でも顔を合わせて会釈しています。同病の患者さんたち、やはり戦友ですよね。

実は、退院してきた最初の真夜中と次の日の夕方の二度、義父はトイレに行ってバランスを崩して転び、動けなくなってしまいました。義母と私のふたりがかりでも抱き起こすことができません。やはり、退院したのが早すぎたのかと後悔しました。二度とも息子たちに手伝ってもらいましたが、こういうとき男手は欠かせません。

ところが、こういった苦労もリハビリになるのでしょうね。めきめき体力が回復し、今では家の中でほとんど何も持たずに歩いています。外出も、車椅子のお世話にならずに数十メートルも杖で歩けるようになりました。食欲も病院とはみちがえるほどです。

前回記したように、ストマ(人工肛門)の袋交換は三日に一度。便やガスの排出は一日一、二回というところです。
まだ私が初心者なので、朝起きたら、袋がはずれていたなんていう修羅場もありました。ストマについてのサイトをみても、みなさん苦労されているようですね。

参考サイトさまのひとつです。とても詳しく図説されています。

確かに大変なのですが、体が思うように動かなくてもトイレに立つ必要がないので、考えようによってはお年を召した方には楽なのかもしれません。
大腸手術で、「袋だけは絶対にイヤだ」と言い続けていた義父。まさかこういう結果になるとは思っていなかったのでショックだろうし、息子の嫁の私に世話してもらう状況を心苦しく思っているのがわかるのです。

でも、慣れてしまえば、ストマ生活は想像していたほど悲惨なものではありません。ある程度年配の患者さんならば、大腸がん手術の選択肢のひとつとして、癒着を引き起こす恐れがある縫合よりも、ストマの生成をもっと積極的に考えてもよいのではないかと思いました。

ただ、ひとつだけ困ったことは、今のままでは私以外に処理が出来る人がおらず、家を空けることができないこと。私は八月に三日の外泊をすることが決まっているので、それまでに、認知症の義母が手順を覚えてくれるか、福祉介護サービスでストマの処理ができる派遣看護師さんを紹介してもらえるとよいのですが。

腱鞘炎のほうは、ずいぶん良くなり、今では痛みもほとんど感じません。
小説の執筆のほうも、ぼちぼちというところで、週一本の割合で書いて、週ひとつ更新する、という状態です。
昨日、ひとことメールで、「三年ぶりにサイトを訪れた」という読者さまがおられました。ありがとうございます。長くやっていると、こういう喜びがありますね。

2008年5月31日

ツバメの引っ越し

去年の5月、このブログで近所にあるツバメの巣を紹介しました。

「ツバメのお宿」

今年もツバメが巣をかけたのですが、今度は少し違う場所なのです。

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ケータイで写したので、画像が悪くて申し訳ありません。
去年の巣が後ろにあるのが見えますでしょうか。今年のツバメ夫婦たちは、去年の巣には見向きもせず、ライトの上のごくごく狭い場所に巣をかけたのです。あまりに狭い場所なので、今年は三羽しかヒナが入れません(去年は五羽だったのに)。

果たして、築二十年の古巣を捨てて、新しい家に移った理由やいかに。
「いくら広くても、あんな古い家はメンテが大変。新築が一番だよ」
「餌代もかさむし、どうせ五羽も育てられないわ。子どもは少ないほうがいいの」
なんてね。
もしかすると、人間の少子化の波が、ツバメ界にも訪れたのかもしれません。

2008年5月28日

いよいよ退院します

義父が明日の朝、退院します。
最後のニ週間は、医者や看護師さんたちもびっくりするほどの回復ぶりで、たぶん車椅子を使わなくても、歩いて家の玄関をくぐれるはず。
ところがです。
三日前の真夜中、ひとりでトイレに行って、帰りに転んでしまい、しばらく動けなかったそうです。ようやく這うようにして、ナースコールボタンのところまでたどりつきましたが、腰を強打してしまいました。
打ったところはまだ痛むようですが、幸い大事には至らず、下手をすると骨折や捻挫などで、また退院が延びるところでした。回復しかけの頃がもっとも危険です。家に帰っても気をつけねばなりません。

ただ退院と言っても、当分は傷口のガーゼ交換のため、土日も含めて毎日通院しなければならないそうです。
それに加えて、三日に一度のストマ(人工肛門)の袋交換。日に1、2回の便やガス抜き。一応私が主介護者になるので、慣れるまでは大変かもしれません。
この数週間、疲れが出たのか、ひどい五十肩と腱鞘炎に悩まされていました。ハサミも持てないほど痛かったのが、今朝起きたら、ほとんど痛みが取れていました。
ハサミはストマの袋装着には、絶対になくてはならない作業です。明日が退院という今、神さまは、実にタイミングのよいことをなさるものです。

2008年5月12日

トンネルを抜けた

三月の末からずっと心配をおかけし、またクリスチャンの方には篤いお祈りをいただいておりました義父の手術後の状況ですが、どうも長いトンネルを抜けたようです。

大腸の二回の手術を経て、8日間のICUでの集中治療後、意識が朦朧とすることが続き、身体もぐにゃぐにゃで、座ることもできないままでした。
傷そのものも快復に向かっているのに、ときおり意識が定まらず、自分が病院にいることもわからない状態が続いたときは、もうずっとこのままなのかと暗澹とした気分に陥ったこともあります。
大手術の後の「術後精神症状」と言われる状態です。
私の参考にしたサイトでは、肝移植手術の術後症状について解説していますが、「抑うつ、見当識障害、退行、意識混濁、妄想、幻視幻聴、不安、昏迷」という症状がみごとに全部、義父に当てはまりました。表情が幼児のものとなるときがあり、特に、「どうなってもいい」「死んでもいい」という投げやりな発言にはほとほと困りました。

それが、一週間ほど前、本人が突然、「自分が病院にいることが、やっとわかった」と叫んだのです。びっくりするような話ですが、それ以来、意識の状態がみるみる良くなっていくのが、そばにいてわかりました。
主治医の先生によると、手術後のある時期は、記憶が「ロックされた状態」なのだそうです。そのロックが解除された瞬間、記憶が鮮明になり、「なぜ自分がこういう状態なのか」がわかり、意欲も回復したのでしょう。

意識レベルは正常に戻ったものの、その後は「立てない、歩けない、座れない」自分を受け入れるのに時間がかかりました。リハビリの先生とケンカして追い返してしまったこともあり、悲しむべきか、大正生まれの義父の本来の頑固さが戻ってきたと喜ぶべきなのか。

この数日は、「早く退院したい」とリハビリルームに行くのを待ちかねているような状態です。今日も平行棒をニ往復してきました。この調子では、来週には退院になるのではないかと思います。
退院すればしたで、人工肛門の世話や身の回りの介護で、家族は当分、別の忙しさに襲われそうですが、それでも、日常へ復帰できることが何より嬉しいのです。

読者のみなさまの、お祈りとお心遣いをありがとうございました。

2008年5月 4日

ジャスミンの香り

暑い季節になると、タイに住んでいたときのことを思い出しますが、今日はジャスミンの甘く濃厚な香りに、さらに思い出を誘われました。

タイの女の子は大きくなると、ジャスミンのレイ作りとフルーツカーヴィング(果物の飾り切り)を、花嫁修行として習うそうです。うちで働いていたアヤさん(住み込みのメイドさん)も、きれいなレイを作ったり、お客さんを招いたときは、カーヴィングをしたスイカを出してくれました。

jasmin.jpgうちの近所に咲いていたジャスミンです(羽衣ジャスミンという種類だと思います)。

2008年4月23日

三歩進んで二歩下がる

義父の回復具合のことで、毎日病院に行くたびに一喜一憂しています。
ミキサーでつぶした離乳食もどきの食事から、ようやく通常の食事に移行することができました。
傷の膿もほぼ取れ、発熱もしなくなったし、目の力もことばも、ずいぶん戻ってきたので、これはすごいと喜んでいたら、今日は一転して数日前に戻ったよう。
前日ベッドから車椅子に移るときは、ほとんど自分の力で立てて楽に移動できたのに、今日は恐がって理学療法士の先生にしがみつき、パニックになってしまいました。

高齢者の病後の回復というのは、本当に右肩上がりではない。タイトルのように三歩進んで二歩下がる遅々とした歩みです。それでもICU(集中治療室)で8日間昏睡していた頃から比べると、雲泥の差。
ただ、記憶はまだまだ混乱しているようで、自分がいるのが病院だということも、ときどきわからないときがあるよう。ましてや自分が人工肛門をつけていることは、まだ認識できていません。
この状態で退院して家に戻ったら、私は介護できるのだろうか、と足元をすくわれるような不安に襲われます。
けれど、その分、義母の認知症に付き合うコツがだいぶわかってきたのか、ちょっと楽になってきたような気もします。これも三歩進んで...なのでしょうけど。
人を変えようとしても、思うどおりにならずにイライラするばかり。成長しなければならないのは自分なのだと言い聞かせています。

そんなこんなで、週一更新を堅持するはずだったわがサイトも、更新の遅れが続いています。
読者さまには、ご心配をかけております。
「新ティトス戦記」、数章書いてからアップと言い続けてきましたが、いよいよこの週末、冒頭の一章しか書けていない状態で見切り発車し、第三部をスタートすることにしたいと思います。それまでになんとか、少しでも次章以降を書き進めることにします。
その次は、「ギャラクシー・ヴァカンス」の(4)を更新する予定。
当分は、こういう具合に「新ティトス」「ギャラクシー」「魔王ゼファー」の三本立てで行きたいと思っています。

アンケート部屋の人気投票も、いつもありがとうございます。今回は「手編みのマフラー」の票が意外に伸びているので、これはなんとかせねばと思案中。本編に出てきた新キャラも登場させたいなあ。
「夜叉往来」の番外編を、とのリクエストもぼちぼちいただいていますし、「満賢の魔鏡」とはまったく違った軽いユーモラスなタッチのシリーズでも書けたらな、なんていう希望だけはあるのです。希望だけは(苦笑)。
長い目で見守っていただけたら、幸いです。WEB拍手の楽しいコメントにも励まされています。

2008年4月 1日

けれど最悪ではない

恐れていた事態が起こってしまいました。
順調に術後の養生をしていたはずの義父が、腸閉塞を起こし、昨日緊急の再手術。夕方から夜中の一時までの七時間あまりの手術の結果、小腸を全部洗浄し、前回の縫合場所も切除し、人工肛門を入れることになってしまいました。
栄養状態も呼吸機能も悪く、当分はICUに入ることになります。
「ポリープを取るだけのはずだったのに、なぜこうなるのか」という衝撃と、ふりかかってきた事態を飲み込むのに、家族一同まだ時間がかかっています。
同時に、身を粉にして七時間もの緊急手術をしてくださった医師の方々の誠意には頭を下げなければと思うのです。

妻である義母にとっては本来なら大ショックのはずですが、昨日の十六時間にわたる病院待機を乗り切って、比較的元気に過ごしています(むしろ私のほうがバテていました)。認知症のため、事態を十分に把握できないでいることが、今に限って言えば幸いしているかもしれません。

腹の底に重りを抱えたような疲労と、神は最善以下のことはなさらないという確信が奇妙に同居する現在。
最悪の事態が起こったと思いつつ、自分の小説でも引用した、『「最悪だ」などと言える間は、まだまだ本当のどん底ではない』というシェークスピアのセリフを思い出しています。
今はただ今日一日を過ごすことを考え、明日に待っている光明に焦点を定めたいと思います。

2008年3月28日

ひにちぐすり

義父はようやく今朝から水が経口で飲めるようになりました。
点滴スタンドを頼りに、病院の廊下を三回歩く練習もしました。
一日一日、目に見えて回復していくのがよくわかります。「日日薬(ひにちぐすり)」とは、よく言ったものです。

昨日までは、やはりICU症候群がひどくて、「天井から誰かが覗いている」「知らない爺さんが入ってきて、部屋のトイレを使っている」と訴えたり、自分のふとんが人の形に見えるらしく、暴れてしまったり。
付き添う側も、病院に何時間もいて病人とそういう会話ばかり交わしていると、「人間のいる世界に戻りたい」と切実に感じます。

それにしても、あの細い看護師さんが、義父の体を軽々と抱き起こすのには驚きました。家族だと、ふたりがかりでやっとなのです。何かコツがあるのでしょうが、本当に大変なお仕事です。