「EWEN3」のエピソード8を更新して数日ですが、当サイトでウェブ拍手を設置してから最高の数の拍手をいただいております。本当にありがとうございます。
こういう応援をいただくと、ものかきは天にだって昇れるものでございます。調子に乗って、構想だけはちらりとあった「EWEN」最新話をソッコーで書き上げてしまいました。
もちろんお約束どおり、「新ティトス戦記」のほうも忘れずに進めています。それから、「ギャラクシーシリーズ」にも、ボチボチ手をつけ始めました。
絶好調というにはほど遠いですが、できるだけ書けるときには書いておきたいと思っています。
推敲がまだまだですので、これらの更新は連休が終わってからということになります。
さて昨日は、西宮の中央図書館で、念願だったローズマリー・サトクリフの「ともしびをかかげて」(猪熊葉子訳/岩波書店)を借りることができました。この本はサトクリフの最高傑作と呼ばれ(異論も多々ありますが)、イギリスのすぐれた児童文学に与えられるカーネギー賞の受賞作です。
今まで何度図書館に行っても、間が悪いのか、いつも貸し出し中で読めなかったんですよね。なぜかアマゾンでは新刊が手に入らないし。
これでようやく読むことができます。
「ともしびをかかげて」は、サトクリフの歴史小説中の、「ローマン・ブリテン三部作」と呼ばれるシリーズの三作目にあたります。そしてこのシリーズの外伝とも言われ、また第四部とも言われるのが、「辺境のオオカミ」(猪熊葉子訳/岩波書店)です。


今回、この本のあとがきを読んでいて、サトクリフが「スランプ」について書いている文章を見つけました。
以下、あとがきを引用します。
『辺境のオオカミ』は私にとって重要な一冊の本です。なぜなら、私はそれを書き始めるかなり以前から、いわゆる作家の「ゆきづまり」、スランプに悩まされていたからです。でもそれは全くのゆきづまりではありませんでした。私はまだ書くことはできたからです。そして、私はゆっくりではありましたし、非常な努力をしながらも、書き続けてはいたのですが、書くことの喜びの大部分は失せてしまいました。『辺境のオオカミ』を仕上げたことで、私はスランプから抜け出し、著作の喜びも戻ってきたのです。いってみれば、ある意味で、それは深呼吸をし、わたしの作家生活を新たに始めることでした。ですから、この本は私にとって、特別なものなのです。
これは、去年の暮れあたりから私が感じていたことに通じていて、私のようなダメ物書きならともかく、サトクリフのような美しい文章を紡ぎ出す大作家でも、こういうことがあるのだなあと励まされるような思いになります。
書くことのスランプは、苦しくても、書くことでしか脱することはできない、と教えられているような気がしました。
また、このあとがきには、興味深い次のような一節もありました。
書き進んでいくうちに、作中の人物たち、とりわけアレクシオスは私にとって、特別な存在になったことを発見したのです。そして、私は彼らを深く愛するようになりました。
もちろん、彼らに入れこむ度合いが深くなるほど、カステッルムから防壁までのあの酷薄な退却のなかでともに過ごす人物たちのために、私の心を引き裂かれる思いが更にひどくなることを味わいました。しかし、登場人物たちとともに引き裂かれる思いをすることは、奇妙なやりかたでありはしても、彼らの一員になって苦労をともにするために作家が支払わなくてはならない代償なのです。それは、十分に支払う意味のある代償です。
サトクリフの物語の主人公たちはしばしば、家族をすべて失ったり、理不尽なやり方で奴隷に売られたりします。時には読むのがつらくなるほどの過酷な運命をくぐるのですが、そのためにいっそう読者は物語の行方に目を釘づけられ、主人公に共感し、明るさの見える結末(ハッピーエンドで無い場合もあるのですが)に胸を熱くすることになります。
いわば、私にとっては佐渡のお手本のような小説たちです。
サトクリフではなく佐渡クリフ、などと、バカなしゃれで最後をシメてみたり。