2007年3月12日

春の息吹

今ごろになって全国的に寒さが戻り、せっかくの春の息吹が、そのまま瞬間凍結してしまった感がありますが、今日は山歩きをしてきました。山と言っても、うちから一番近い甲山ですが。

中性脂肪撃退とスリム化を目指すオバさん同盟で、
阪急仁川駅 → 仁川ピクニックロード →五ヶ池 → 甲山森林公園 → 甲陽園
というルートを通ってきました。
しかし、最後に甲陽園のツマガリ二階の喫茶店で食べたケーキが、余分なおニクになっただけという結果に(笑)。

小雪のちらつく中でしたが、いい空気とたくさんの春と、ついでにイノシシに出会うことができました。


生まれてはじめて見たサカキの花
 仏花でおなじみのサカキ。
 花を見たのは生まれてはじめてでした。

仁川の川岸
 クレソン摘みの人がいた、
 陽光あふれる仁川の川岸。

梅一輪 一輪ほどの…寒いっ
 「梅一輪 一輪ほどのあたたかさ」と言いますが、
 …寒いっ。
 午後は雪もちらついていました。 

ひなたぼっこする猫
 日向ぼっこする猫がたくさん。

甲山名物イノシシ
 このあたりでは、住宅街にまで出てくることで有名なイノシシ。
 人をこわがらずに餌をねだりに寄ってくる。

2007年2月14日

バレンタイン今と昔

私の近くから、「この頃ブログの話題がむずかしくてわからない」というおことばをもらったので、今日はバレンタインの話でも。

アメリカの小学校では、バレンタインの日にクラスの子どもたち同士でカードを贈り合う習慣がありました。そのために、ミシン線で切り取って使うミニカードがたくさん売られていました。クラス全員の分を書いて、それぞれが持参したボックスに入れていくのです。固いハート型のラムネ菓子がいっしょについていることもありました。
恋人たちの日というより、みんなで仲良くしましょうという雰囲気の日であったような気がします。

さて、与太話をもうひとつ。
私が初めてバレンタインなるチョコレート購買運動のことを知ったのは、小学校六年のときです。
友だちとふたりで、後に東大に入った同じクラスの秀才くんにチョコレートをあげた覚えがあります。まあ、好きとかどうとか言うより、誰でもいいからあげたかったんでしょうな。
1970年昭和45年といえば、高度成長期のピーク。中高生・小学生が大人の流行を真似て、ブームに底上げするという風潮の下地が出来てきた時代でした。
好きな子に本気でチョコを渡したのは、中学2年のときであります。やはり同じクラスの子で、秋野太作似のファニーフェイスの男の子でした(BUTAPENNは実はあまり面食いではないようです)。
直接渡せなくて、親友を通してサッカー部の男子からその子に渡してもらったという、とっても遠回りなルートでした。
そこで一句。
『数人の 手垢がついた チョコレート』

で、結局その子は他に好きな子がいたことが判明し、4月にはクラス替え、顔を合わすこともあまりなくなってしまいました。
それから23歳で見合い話が出るまで、アニメの主人公に恋したり、自分の書いた小説の主人公に恋したりするだけのヲタク街道まっしぐら。トキメキとは無縁の青春を送りました。
いやあ、これで恋愛小説サイトマスターだなどと、どのツラ下げて言っておるのやら。
そのかわり遅ればせながらも、ダンナさま相手にさんざん泣いたり笑ったり、ひととおりの恋愛ジェットコースターは味わわせていただきましたけど。

私が子どもの頃の日本には、好きな男性に好きと言えないシャイな女の子が、まだごろごろしておりました。バレンタインデーは彼女たちにとって一年に一度の、運命を懸けた神聖なお祭りだったわけです。
それが、今はどうじゃ。三倍返しだと? チョコレートは高価なお返しを釣る、ただの餌と化しておるようですな。
女性が自立し精神的にも強くなった今は、女性から男性へのプレゼントの日、という位置づけはいい加減に止めて、お互いに好きなものを贈り合ったり、日ごろ地道に社会のためにつくしている人々をねぎらう日にしたらいいと思います。
それこそが、聖者バレンタインの精神にふさわしい。

2007年2月 2日

結婚指輪が抜けないの

とんでもないタイトルで、パソコンの前でコーヒーを吹いた方がいないように祈ります。

今朝、なにげなく机回りを整理していたら、往年の結婚指輪が出てきました。
今年の五月で結婚25周年を迎える私たち夫婦。当然25年前に作った指輪です。
「ち、小っちゃい?」
私はこんなお人形さんのアイテムのようなものをはめていたのか。
15年前のアメリカ生活でアメリカ人並みの体格になったとき、指輪が指にボンレスハムのように食い込み、泣く泣くはずして以来はめたことがなかったのです。
夫は夫で、会社の上司に「結婚指輪みたいなチャラチャラしたものを会社にしてくるな」みたいなことを言われ、それ以来つけていません。まだそんなオヤジの横暴が通用する時代だったのですな。

裏に結婚した日付と、ふたりのイニシャルが刻まれた指輪。
感慨にふけりながら、ながめてるうちに、
「あれ、もしかすると、今なら入るんじゃないかな?」と思いつきました。
実は、一昨年のダイエット(納豆ダイエットでもキャベツダイエットでもありませんよ)で11キロ痩せて、今はほぼ結婚当初の体重に戻った私。
軽い気持で、左手の薬指にはめたところ、
「お?、入る入る。やっぱり痩せたんだ」
と喜んだのも、つかのま。
「いててて、抜けない!」
確かに指全体は細くなっていたのです。でも、関節が太すぎた。関節のあたりでひっかかってしまった挙句、引き抜こうとしても関節回りの皮膚のたるみが邪魔して引き抜くことができません。

いやー、エライ目に会いました。液体せっけんをぬりつけて、ようやく外すことができたのですが。
「節くれだった指」と言いますが、まさに年を重ねた体は、節々が太くなるのだなと知りました。

おばさんからの教訓:
結婚指輪を一生はめるつもりなら、少しゆとりを持ったサイズで作りませう。

2007年1月26日

満足でがんす

今頃になって、やっと念願の「武士の一分」を見てきました。去年の10月から騒いでいたのに……。
原作に流れている、人の思いに耳をすませるような情感は、残念ながらなかったものの、短い原作に肉付けされた箇所もなかなか面白く、映像もきれいでした。「……でがんす」という庄内弁も味があって、やはり方言はいいですね。
館内はシニアのカップルが多く、ほのぼのとしたムードに包まれていました。

ところで、上映前の予告編で、私の目を釘付けにしたのは、なんとペンギン(笑)。
「ハッピーフィート」というCGアニメで、キモカワゆいペンギンたちが歌いまくり、ダンスしまくっていました。
3月公開だそうです。これも、見に行くべきだろうか…。悩みます。

2007年1月15日

歌舞伎初体験

きのうは、なんばの大阪松竹座で、歌舞伎を見てきました。
なにを隠そう、これだけ何十年も生きてきて、私が歌舞伎に行ったのは実は初めて。それに比べてわが夫は学生時代の友人と歌舞伎に行くことが多く、大学のときは、大向こうのあの「成駒屋!」「音羽屋!」という掛け声を無謀にもやっちまったとか(あれは、はっきり言って一般人には無理だと思ふ)。きのうもその友人カップルのお誘いでした。

大阪松竹座  大阪松竹座の玄関


昨日の夜の部の演目は、「毛抜」、「仮名手本忠臣蔵」九段目「山科閑居」、踊り「藤娘」と「供奴」という、休憩も入れると全部で四時間の演目。
今回の舞台は、上方歌舞伎の坂田藤十郎と江戸歌舞伎の市川團十郎という東西の名跡が、歌舞伎史上初の競演をするのだと聞かされましたが、もちろんそのありがたさもわからぬド素人であります。
けれど、いいお席を取っていただいたこともあって、俳優さんの表情からその息遣いまで感じることのできる、勿体無いほど恵まれたひとときとなりました。

「毛抜」というのは、歌舞伎十八番の中のひとつだそうです。
で、ストーリーというのが、現代風に言うならばコミカルな探偵もの。
市川海老蔵扮する文屋家の家臣・弾正が、主の許嫁に決まっている小野家の姫のもとを訪れる。実は姫の輿入れがあまりに遅いので様子を探りに来たのだが、姫は髪の毛が逆立つという奇病に冒されていた。実はそれは家老のお家乗っ取りの陰謀の一環で、弾正はその陰謀を推理して見破る。
待たされている弾正が、若衆(♂)にちょっかい出したり、腰元を口説いたりのプレイボーイぶりを発揮するのですが、海老蔵が若くてハンサムで、見得を切るポーズなんか、まるでガンダムみたいにかっこいい(謎)。

「仮名手本忠臣蔵・山科閑居」は、主の切腹のためお家断絶になった家老・大星由良之介(團十郎)のわび住まいのもとに、息子の許嫁である娘と母(母役が藤十郎)が訪れる。ところが彼女の父・加古川本蔵は、主君が刃傷沙汰のときに引き止めた人物であり、主の本懐を遂げさせず他家の家老におさまった本蔵は、いわば由良之介にとって敵。由良之介の妻に離縁を申し渡された母娘は庭で自害して果てようとする。
その母娘の情愛の描写に続いて、由良之介と本蔵の武士としての気概と和解が描かれます。ふりしきる雪を背景として、娘の着る白無垢、母の着る赤、由良之介の妻の黒がくっきりときわだって、色彩的にも一幅の絵を見るような、しっとりと胸を打つ舞台でした。

2007年1月10日

いまごろ年賀状?

勘違いかもしれませんが、どうも今年は年賀状が届くのが遅すぎるような気がします。
たとえば、大晦日に夫が電話で話した人。今書いている最中で、今夜投函すると言っていたのに、その人からの賀状が届いたのは6日でした。しかも隣の芦屋市在住の人です。
今朝も30通くらいを郵便受けに発見。うちから出した賀状の返信ならわかるのですが、出していない人からのものは、遅くとも元旦には投函していると思うのです。それもひとりやふたりではない。この時期に返信しようにも、松の内までに届く保証はないでしょう。寒中見舞いを出すか、電話やメールで挨拶するか。

去年までこういうことはなかったと記憶しています。朝のテレビでもそんな話題が出ていたので、私だけということではないようです。
これが郵政民営化のつけ、ということなのでしょうか。私も年末にあわてて投函したクチで、集配の方のご苦労もわかるのですが、これでは、ますます年賀状離れを加速しているようなもの。
それとも寒中見舞い葉書を大々的に売り出す戦略の第一段階なのかな。

2006年12月30日

よいお正月を

いよいよ今年もあとわずか。
私は、明日が日曜日なので教会に行きます。なので、いつもより一日ずつ早く大掃除やおせち料理の準備をしました。
BUTAPENN家の正月準備で一番重要なのが、黒豆を煮ることです。なんとおせちのお重のひとつ分が、全部黒豆で占められるのです。変わってるでしょ?

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大晦日は気持が急くので、事故や怪我にくれぐれもお気をつけください。
よい新年をお迎えになりますように。

2006年12月26日

朝には紅顔ありて

近くに住む親戚に不幸があって、きのうがお通夜、今日は告別式に行ってきました。

私も主人も50年生きてきて、火葬場に行くのは実は初めてでした。昔は、喪主のほかわずかな者しか、お骨上げには立ち会えなかったような気がします。今は親族がずらりと並んで、長い箸を渡されて立会います。斎場の係の方も、「これが喉仏、これが膝のお皿」と、とても親切丁寧に説明してくださいます。
まず最初に喪主が喉仏と歯を小さな壺に収めた後は、人間の立ち上がる順番のとおりに、つま先から順に骨を壺に収めて行き、最後に頭蓋骨を収めるのだそうです。
これも西日本と東日本では作法が違うそうで、東日本ではすべての骨を骨壷に収めると聞きましたが本当でしょうか。私たちの場合は斎場の係員が選んでくれるごく一部の骨を骨壷に収めました。
焼いた骨というのは、本当に真っ白になるのですね。そして驚くほど軽い。これが三日前の夜まで生きて動いていた人なのです。
私の家に、亡くなられた人から自筆で記した葉書が届いたばかりでした。その葉書を今も手元にして、厳粛な思いに満たされます。

お通夜とお葬式は、浄土真宗・本願寺派で行われました。参列者に一冊ずつお経の本が渡され、お経とともに開いたのが、「白骨の章」という文章です。
「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」という有名な文は、ここから出ていたと知りました。
私はクリスチャンなので、復活の希望が説かれるキリスト教式の告別式との違いばかり感じていましたが、あのお骨を見ていると、この「白骨の章」の意味がしみじみわかるような気もしました。

亡くなった人は、今年の1月に奥様を亡くしたばかりでした。よほど愛し合っていたのでしょう。
あまりの突然の別れに、喪主である息子さんは挨拶のときにも涙で声が出ませんでした。けれど、本当に辛いのは、家に帰ったときでしょう。ともに暮らしていた家族を失うのは、じわじわと皮膚にしみこむように寂しさが募るものです。
この遺族の上に、また愛する人を失って寂しいお正月を迎えようとしているすべての人に、慰めがあることを祈ってやみません。

2006年12月19日

黒い羊

今朝は久しぶりに涙が出るくらい怒りました。

たまたま見た朝のニュースショーで、静岡地裁で起こされた民事訴訟について報じていたのです。
市に1650万円の損害賠償を求める訴えを起こしたのは17歳の少女。
中学1年のとき担任教諭からいわれのない誹謗中傷を受け、頭を殴られ、理由もないのに会議室での自習を命じられ、卒業まで別室登校に追い込まれ、教育権を侵害されたという。
それでも、昨年3月の卒業のとき、けなげにも寄せ書きを頼んだ少女に対して、その元担任は
"There is a black sheep in every flock"(どの群れにも黒い羊はいる)
ということわざを書きこんだそうです。これは、「どの集団にも厄介者はいる」という意味のことわざだといいます。
元担任は昨年5月に依願退職しました。

ひどいニュースを聞くたびに、絶望とともに思うのです、どの学校にもこういう教師がいるのだなと。まさに「どの群れにも黒羊はいる」ということわざどおり。身を削るようにして教育に情熱を傾けている大多数の教師の努力がこうやって汚されているのです。
学校だけではない、どこの社会でも自分の立場をおびやかすような存在に対して、牙を剥く人々がいるものです。きっとこのお嬢さんは、すばらしい逸材であるのにちがいありません。

私は、学校の二者面談で、「息子さんは将来ロクな大人にならない」と担任教師から言われたことがあります。掃除をサボったりしていたことを指して言われたようです。
親としては平身低頭して聞かざるをえない。けれど、心の中では確信しました。こんな言葉を平気で吐ける教師に対して、息子は戦っているのだなと。

B校でお会いした某先生。あなたのおかげで、私は息子を信じようと決意できました。
あれから10年。彼は思いやりのある、誠実な大人になりました。来春は社会に羽ばたく予定です。

2006年12月11日

落ちた

受験生のみなさまにとっては、まことに不吉なタイトルですが、BUTAPENNがみなさまの代わりに落っこちたと思っておいてください。

なに、たいしたことはないのですが、先週末に椅子から転落いたしました。
12月に入るとすぐに始まるのが、窓が16あるBUTAPENN家の一大恒例行事、カーテン洗濯と窓拭き。で、カーテンをはずしていたところ、いきなり足場にしていた椅子がこけたわけですな。
手をついたところに運悪く息子のCD置き場がありまして、思い切り手のひらをぶつけてしまいました。
一時は打った場所が腫れ上がりましたが、幸い手首や指に痛みはなく、日曜には腫れも引いて、ピアノ伴奏もとどこおりなく、こなすことができました。

そして、しみじみと思ったわけであります。窓が汚くても死にはせん。家がきれいでも健康をそこねたら何にもならん。人間、健康が一番。
ということで、年末の大掃除にはげむ主婦のみなさま。BUTAPENNの轍を踏まぬよう、くれぐれも頑張りすぎないようにご注意くださりませ(なんとかして、サボる口実を見つけようとしている主婦)。