2006年11月20日

顔が覚えられない

「顔オンチ」。
そんなことばはないでしょうが、とにかく昔から人の顔をおぼえるのが苦手です。
どれくらい苦手かというと、俳優の高橋克典をテレビで見たとき、「この人、江口洋介だよね」と信じて疑わなかったという恥ずかしい過去があります。
今は、サッカー解説者の中西哲生と、子だくさん弁護士の橋下徹がそっくりに見えてしょうがない。

どうも記憶力の問題ではないようで、その方面の認識能力が極度に欠如しているらしいです。ついでに言えば、今日会った人がどんな服装をしていたかなどもさっぱり思い出せない。実際に、脳血管障害などの原因による「相貌失認」という病気はあるそうですが、私の場合はただの注意力欠如が原因のようです。

でもですよ。まだ、それくらいなら笑い話ですみますが、この頃本当に困っているのが、若い女性の顔が全部同じに見えることです。
お化粧のしかたがそっくりなのでしょうか、みんな同じ髪型をして、同じ眉で同じ目元で同じ服装。いやもう、はっきり言って全員同一人物に見えてしまって、知り合いのお嬢さんでも声をかけることができない。
今はロボットでさえ人の顔を認識するようになりつつある時代なので、私はすでにロボット以下。
「覚えなければならない状況になれば必死で覚える」らしいのですが、そこまで追いつめられなくても人の顔を見分けるコツってありませんかねえ。

2006年10月28日

献血ができない

今日は図書館の本を返却しに行った帰りに、西宮北口の献血センターに寄ってきました。
今、輸血用の血液が足りないという報道を聞いたので、B型の血をちょびっとでも提供したいと思ったのです。

でも、この数年私は献血に成功していません。いつも事前検査で「比重が足りない」と言われます。理由は子宮筋腫があるせいらしいのですが、婦人科で検査をしたところ、特に問題のないレベルの貧血だと言われました。つまり、日常生活に悪影響のあるほどひどくはないものの、人様に差し上げるほどの余裕はないということらしくて。
それ以来、せっせと鉄分のサプリメントを飲んで、関西人には天敵である納豆も毎日食し(「しそ海苔だれ納豆」はおいしいですよ)、万全を期して臨んだはずなのに、結果はまたもお断りされてしまいました。なんだかすごく悔しいです。

これほど科学が発達しても、今のところ、血液は代用品が作り出されていません。
ましてや今は、変異型クロイツフェルト・ヤコブ病の関連で、ある期間ヨーロッパ、特に英国に滞在した経歴のある人は、献血できないことになっています(私もアメリカとタイに在住したことを書いたら、該当地域ではないものの、一応滞在期間を聞かれました)。海外から帰国して4週間以内の人もだめだそうです。
B型・C型肝炎などのキャリア、輸血や臓器移植をしたことのある人も献血できません。70歳以上の高齢者も。

くわしい条件については、こちら

こうしてみると、献血ができる人は、本当にごくごく限られた幸運な人だということになりますね。
自分の幸運と健康に感謝する意味で、ぜひ多くの方が献血に行ってほしいなと思います。
私も今度こそ献血できるように、貧血を治すべく努力します。

2006年10月16日

ちょっと宣伝

また記事の間隔が空いてしまった。油断すると、一週間くらいあっという間に経ってしまいますね。なんなんでしょう。この月日の流れる速さは。
この十日ほど、夫と私の「真ん中バースデー」をしたり、リビングルームの大々的な模様替えをしたりと、忙しく過ごしていました。

さて、ここでちょっと宣伝。
阪神間では、プロテスタント教会が宗派を超えて協力するという集まりを30年以上にわたって続けていますが、秋は定例の女性の集いが西宮アミティホールで行われます。
私も聖歌隊の一員として歌いますので、もしBUTAPENNの素顔が見たいという人がいらしたら(笑)、ぜひお出かけください。
黒のロングスカート、薄いミントグリーンのブラウスを着て、向かって右のほうにいるはずです。縁なしの眼鏡かけてます。

「第25回阪神女性の集い」
とき  10月18日(水) 午前10:15?正午
ところ 西宮市民会館アミティホール(阪神西宮駅すぐ)
講師 森 祐理さん(うたとおはなし)

2006年8月26日

夏も終わり

このブログもずいぶんサボってしまいました。
しかし、暑い。ほんとうに暑い。今年の関西の暑さってば殺人的です。8月も終わりなのに、35度があたりまえというのは、どうなってるんでしょう。9月もこの暑さは残るそうですから、ここへ来てヘバりぎみです。

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さて、この暑さの中、深夜までハマっていたのが、サウンドノベルゲームの「かまいたちの夜×3(トリプル)」
いい歳をして、何をやってるんだとお思いでしょうが、好きなんですよ。この手の分岐型ゲーム。
それに、TERUさんのサイト「Script1」のゲーム企画にも一枚噛んでいるので、これはプレイしてサウンドノベルの書き方を研究しておかないと……ねえ?(笑)
というわけで、昨夜ついに全エンディングを制覇して「金のしおり」を出しました。

スーファミ版の「かまいたちの夜」が発売されたのが1994年だそうですが(うちの息子まだ小学生だったもんなあ)、12年かかって、ようやく今回が完結編になる模様です。
その記念という意味もあるのか、今回は、その第一作「ペンション『シュプール』編」と、2年前プレステ2で発売された「かまいたちの夜2 監獄島のわらべ唄」のメインシナリオも同梱されています。
完結編と名がつくものの宿命なのか、「1」のときに感じたインパクトにも、「2」のときのボリュームにも劣っているように思えて、やや物足りなさが残るものの、さすがに「金のしおり」を出したあとのおまけエンディングを見ると、しんみりしてしまいました。
いつもの透や真理といった主要メンバーともこれでお別れです。

さてさて、そんなことばかりしてるから、さだめしBUTAPENNの小説執筆はすっかり滞っているだろうと思っているそこのあなた、スルドい!!(笑)
いや、「新ティトス戦記」はなんとか第7回まで書けているのですよ。これで今年いっぱいの更新(毎月2回更新を予定)分のストックはできました。コラボ企画の最終回も、ほぼメドがつきました。
ただし、「セフィロト2」と「ギャラクシーシリーズ」は、まったく一行も書けていません。ロマンススキーの常連さまたちに怒られそう。とほほ。いよいよ自転車操業へと、お尻に火がついてきたなあ。

そんな状態で逃げるわけじゃないのですが、来週早々旅行に行ってきます。♪るんるん
顛末については、またこのブログで報告しますね。
数日留守をしますので、メールや掲示板のレスができなくなりますが、ご容赦ください。

2006年8月15日

父の終戦

暑いですね。みなさまいかがお過ごしですか。

きょう私は実家で、「純情きらり」のお昼の再放送を、私の両親と見ました。主人公は、婚約者を戦地に送り、今また弟をも送り出そうとしています。弟の専攻の物理の本を、夜なべで一文字一文字紙に書き写し、「千人針の代わりだから」と言って持たせている場面がありました。
千人針って若い人はご存じないかも(と言って、私も見たことありませんが)。戦地に行く家族のために、妻や母が街頭に立ち、道行く人に一針ずつ祈りをこめて縫ってもらって、その布を出征する兵士に持たせるのです。
「千人針はなあ。シラミがたかるから、捨てさせられるんや」と、父が言いました。

私の父は、先の大戦中は上海に留学していました。彼の父親、つまり私の祖父が中国で貿易商をしていたからです。
しかし、やがて敗戦の影が色濃くなり、学徒動員で駆りだされた工場では、友人とふたりでベートーヴェンの「運命」を口ずさみながら作業したといいます。「武士道とは死ぬことと見つけたり」のことばに酔っていた青春でもありました。
食料も不足し始め、近隣の農家に米を徴用に行くのは、大学の上級生の仕事でした。徴用とは体のいいことばですが、要するに略奪してくるのです。農家の人たちが必死で隠している大切な米を、無理矢理取り上げる。中国の人にとっても、日中の架け橋となるという理想に燃えて、ここに来たはずの学生たちにとっても、なんと残酷な行為だったことでしょう。
昭和二十年の2月になって、ついに父にも召集令状が来ました。
入隊してわずか数日で、下着にシラミがつくほど不衛生な状態。飲み水は、井戸の水を汲んで、ミョウバンを放り込んで、さらに上澄みを煮沸してようやく飲むことができるのです。揚子江沿いに進軍しているうちに、父は喉の渇きに耐えられなくなり、ひとくちだけ浅瀬の水をすくって飲みました。それから三ヶ月、父はずっと下痢に苦しみました。
夜は散発的なゲリラの銃弾の音が聞こえてきましたが、結局父は一度も銃を撃つことなく、敗戦の日を迎えました。

軍が現地解散となり、ふたたび上海に戻ったのですが、他の都市と違い上海はいたって平穏だったそうです。
日本人に対する略奪などもここでは起こらず、近隣では日本人の薬屋が相変わらず経営を続けていました。日本人は「倭僑」と記した腕章をつけることを義務付けられましたが、上海の人々は敗戦の後もなお、日本人に非常に好意的だったと言います。

自分の家にたどり着くと、別の都市で貿易をしていた祖父が戻ってきました。「やあ無事か」と喜び合いました。
父が祖父に「金持っとるか」と訊くと、「ある」という答え。
後に祖父は、中国で築いた財産をすべて没収されてしまいますが、そのときはまだ裕福でした。
父はもらった銭で、毎日映画館通いをして、好きな洋画をたっぷり見たそうです。
薬屋の娘との縁談も持ち上がりましたが、やがて復員船の順番が来て、日本に帰りました。

悲惨で残虐だと言われる戦争の直後、上海はこんなのんびりした状態だったことを聞き、驚くばかりです。いまだ戦争の全体像も知らなかった当事者たちは、意外に淡々と隣人たちと日々の暮らしを紡いでいたのかもしれません。
だからと言って、日本人が憎まれるようなことは何もしていないと主張するつもりはありません。米の強制徴用の話からもうかがい知ることができるように、戦争は当事者双方にとって、人間としての信頼と尊厳を踏みにじる残酷な行為だということは、決して間違えようがありません。
謝罪しろ、補償しろ、いや謝罪した、補償した、という話ばかりが声高に聞こえてきますが、人間として一個人として隣人として、もう一度話し合うことはできないものなのでしょうか。

父は80歳になろうとしています。戦争の話が当事者たちから直接聞けるのも、あとわずかかもしれません。
今日は61回目の終戦記念日です。

2006年7月18日

迷惑スパム再燃

掲示板のスパム広告をほぼ駆逐したと喜んでいたのですが、今度はこのブログにもスパムトラックバックが増えてきました。
以前から、ちょこちょこあったのですが、この一週間ほどはそれが一気に300件に増えました。
Movable Typeは「迷惑トラックバック・コメント」を自動的に選別して排除するシステムがあるので、みなさんの目にはまったく触れないのですが、それでも削除する手間が……ぐわあっ(壊)。

スパムは全部英文、専用のスパムソフトによる機械的作業らしく、新しい記事にも古い記事にもまんべんなくトラバされます。
そこで、一ヶ月以上前の古い記事には全部トラックバックもコメントもつけられないようにしてみました。
これで多少でも減ればよし、もし止まない場合は、一時的に全部の記事をトラバ不可にするかもしれません。
こういう作業をさせられるから、ちっとも執筆が進まないんだぁ(←え、責任転嫁?)。

2006年6月15日

帰ってきました

今週はじめから留守をしておりましたが、ゆうべ遅くに帰ってまいりました。
今回は、夫が丸30年勤めた会社を退職し、出向先に正式に移籍することもあって、その慰安ということと、私たち夫婦の結婚24周年が5月だったので、その祝いも兼ねての二泊三日の旅行でした。
群馬県の尾瀬に行ってきたのですが、ちょうどミズバショウが綺麗な時期に運よく当たって、天候にも恵まれ、よい旅行でした。またぼちぼちと、このブログで旅行記を書きますね。
とりあえず今日は洗濯と片付けと、からっぽの冷蔵庫を何とかせねば(笑)。

そして、留守の間に「ABOUNDING GRACE」が50万ヒットを数えることができました。みなさまの長年のご愛顧を感謝いたします。
「夜叉往来」のアンケートでも、ひとことメールでも、「もう何年も通っています」とおっしゃってくださる方が多いのに、びっくりしています。こういう方たちに支えられて、このサイトは4年以上やってこれたのだなと、あらためて感じます。

切りのよい数字でもあり、感謝をこめて何か特別企画をと思い、みつきさんの4周年リクエスト、「手編みのマフラー」の続編を連載しようと思います。
「きみのそばに…」というタイトルで、聖と雪羽が14歳と13歳になり、アラメキアが舞台の「異世界召還」ものになっています。タイトルとあらすじを少し前にアップしておいたのですが、気がつかれた方はいらっしゃるでしょうか(ノベルトップ→中篇→「手編みのマフラー」から行けます)。
残念ながら、まだ全5回予定の第2回の途中を執筆している途中で、連載開始までしばらく時間をいただくと思いますが、楽しみにお待ちください。

「新ティトス戦記」の構想も、旅行中にだいぶ練れてきました。自然に触れる旅行というのは、ファンタジーの構想にはよいですね……って、何処にいても、やはり小説書きからは離れられないようです(笑)。

2006年5月10日

うざったい!

「うざったい」という言葉は、鬱陶しいときの気持ちを本当によく表わすことばだと思います。
今の若者は「うぜぇ」という短縮形のほうをよく使うでしょうが、この小さな「っ」が鬱陶しさを強調してると思うのですよね。
この「うざったい」ということば、そもそもは江戸時代にあった「うざうざ」という擬態語を語源としているとか。
「うざうざ」は、「うじゃうじゃ」ということばと同じく、小さなもの、つまらないものが多く集まる様子を表しているということです。(「語源由来辞典」)
まさに、そういう憎憎しげな感じが、今の私の気分にぴったり。

何のことかというと、昨日から本館の掲示板にびっしり書き込まれていた英語のスパム書き込みのことなんです。
今までうちのサイトに来たスパム投稿というと、可愛い女の子の名前で「遊びに来てね」系の書き込みがほとんどだったのですが、今回は「ハロー、ナイスサイト」系の英語の書き込み。たくさんのURLを残していくのが特徴です。

実は3月から、このブログのトラックバックにも同じやつがびっしりと入っていたのです。その総計なんと200! まさに「うじゃうじゃ」の極致ですな。
このMovableType3.2のすぐれたところは、そういう迷惑なコメント・TBをフィルタリングして、さっさとゴミ箱に放り込んでくれることなのです。昨日やっと気づきましたが、私自身もそれまで気づかなかったくらいです。
ただし、ゴミ箱から完全に削除するには、一度に20件ずつ。200件あると、10回。ゆうべは夜中に、その「うざったい」作業を延々と繰り返しておりました。とほほ。
ヤフーメールでも、このところまた迷惑メールが増えているみたいです。

しかし毎度思うのですが、彼らスパム業者は何を考えてこういう仕事を引き受けるのか。スパム用の書き込みソフトがあるので、ワンクリックで大量の投稿ができる楽な仕事と思っているのかもしれませんが、削除するほうは手作業です。まさに市井の壁の落書き以下の所業、恥じるところはないのでしょうか。(いや、こんなことを訴えても彼らはまったく見てないでしょうけど)

掲示板のほうは、スパム業者駆逐のために、ごく簡単で効果抜群の策を取ることにしています。もう2回実行して、あと5回は使える方法です。気づいた方はおられるかな。

2006年5月 3日

阪神が阪急になる?

兵庫県人の今いちばん熱い話題は、例の村上ファンド騒動です。
阪神電鉄グループを経営支配し、切り売りするぞと脅して、持ち株を高く売ろうとしているということですが、こうなると阪神側としては、阪急ホールディングスと統合するしか道はないという気配になってきました。それを聞いた私たち地元住民は、驚きよりも怒りよりも、一様に困惑しているというのが本音ではないでしょうか。

阪神地域とは、六甲連山と瀬戸内の海にはさまれた東西に細長い地域。そこを、ほぼ平行して3本の鉄道が東西に走っています。一番北側が阪急電鉄、そしてその南がJR西日本、一番南が阪神電鉄です。
この三本の線路の間隔は場所によっても違いますが、私の住んでいるところでは、阪急線と阪神線のあいだは、直線距離にして自転車で5分かかりません。うちの家からは阪急、JR、阪神のそれぞれの駅に徒歩15分以内で行けるという便利さです。

それくらい近くにある阪神と阪急が統合するかもしれない。「一気に路線や駅廃止が進むのでは」という心配ももちろんあります。「阪神タイガースがなくなるんちゃうか」などいう笑えない冗談(そんなことになったら暴動が起きるぞ)もありますが、それよりも何よりも、地元住民の抱いている困惑とは、事によると、「ちゃう(違う)やん。阪神と阪急はぜんぜんちゃうやん」という戸惑いなのかもしれません。

相互リンク先さまであるHopeさんのブログ「美ら(ちゅら)島から」で紹介された記事を元にたどったのが、全国の都道府県の噂を集めた「ご当地の噂」という面白いプロジェクトに関するページ。
そこの「兵庫の噂」にも載っている一文が、兵庫県民の実感をよく表しています。

「阪急、JR、阪神はほとんど平行して走っているのに、乗っている人の雰囲気がまるで違う。」

実感としては、阪急の車内は、どこか落ち着いて、上品で静か。それに比べて、阪神の車内はにぎやか、庶民的、気さくというイメージがあるのです。私のように阪急、阪神両方乗る人間は、雰囲気を使い分けているということでしょうか。
沿線の土地柄も、阪急沿線は山側だけあって、文字通り「山の手」風、阪神沿線は浜側で「下町」風とくっきり色分けされているような気がします。
もし、阪神と阪急が統合され、仮に同じ名で呼ばれることになったとすれば、このイメージ分けがすっかり狂って、住民はみんな方向感覚がめちゃくちゃになってしまうかもしれません。

なんとか、この統合はなくなってほしいと思うのですが、村上さんはどうなさるおつもりでしょうか。
昨日乗った阪神タクシーの運転手は、こうおっしゃっていました。
「阪神タイガースが『村上タイガース』なんて名前になったら、困りますなあ。それに、「村上タクシー」なんて、わし、いややで」

2006年4月 9日

やっぱり桜はいい

関西では今年、春の声を聞いてから寒い日が多く、桜の開花が遅かったのです。
で、この週末にまるで合わせたようにちょうど満開。阪神間の桜の名所のひとつ・夙川は晴天に恵まれ、これ以上ないというくらいのお花見びよりでした。
夙川のせまい両岸は、まるで大阪の繁華街と見まごうかのように、すれ違うのも大変な人出となりました。
今日は夙川べりを苦楽園駅まで歩き、そこから満池谷に至る、毎年と同じコースを散策してきました。もちろん苦楽園駅前のローゲンマイヤーでライ麦パンを買うことも忘れません。
Pさん、ディーターと円香はいつもこんなコースを散歩しているのですよ。

夙川  夙川

夙川  shukugawa11.jpg

今日は暑いほどだったので、川に入って水遊びをしている子どもたちもいました。
つくづく思ったのですが、このあたりは本当に外国人が多い。今日夙川べりで10メートルごとに1組は外国人グループがいたのでないでしょうか。日本に住む外国人はこういう種類のイベントが大好きなのかも。