2008年5月15日

認知症への対処(2)

認知症患者への介護で、最も大切なのは、介護者が孤独にならないことです。
身体に障害のある方に対する場合は、こちらも身体を使う介護が主になります。しかし、精神機能に障害がある人への介護は、介護者の精神状態に大きく左右されると思うのです。

不思議なことに、認知症の人と接していると、こちらの精神が揺り動かされるのを感じます。なんでもない場面で、むらむらと怒り、不安、恐怖が湧いてきます。
何度も同じ会話を繰り返すことへの苛立ちと疲労。認知症を患う前と患っている今とのギャップを受け入れられない葛藤。相手を怒ったり、蔑むような行動を取ってしまうことへの罪悪感。合理的な世界が壊れ、不条理にからめとられてしまいそうな恐怖。

だからこそ、介護者はなるべく、患者と一対一にならないようにするべきです。
私が子どもを育てていたときは、夫が働き盛りで話し相手になってくれず、毎日ふたりの幼児とだけ顔を突き合わせていた時期でした。そんなとき、たまに他の大人と話すと、ほっと感じることがありました。
子どもから離れて自分の思考回路を取り戻し、自分が解放される数少ない時間でした。
それと似たところがあるかもしれません。患者以外の人に接する時間を多く持たないと、介護者は精神的に、とても追い詰められた状態になってしまう危険性があるように思います。

もうひとつ、必要なのはユーモアだと思いました。ものごとを客観的に見て、笑うゆとりです。
義母がまだ認知症を発症し始めの頃、毎日、財布がなくなった、カバンがなくなったと大騒ぎして、へとへとになっていたとき、会社に行っている夫とときどき、メールや携帯電話をやりとりしました。
「今日の事件は?」
「引き出しから、なくなっていた三万円が見つかったよ。それと、押入れから化粧水をふたつも発見」
「おお、それはすごい」
「毎日、宝探しの気分だよ」
こうやって、笑いをまじえながらやりとりしていると、気分がすっと楽になります。状況をゆとりをもって見ることができるようになります。
「これは、ブログのネタになるぞ」なんていうプラス思考も、効果があるかも(笑)。

介護者は、孤立してはいけない。どこかで自分を取り戻す場を作らなければなりません。
介護保険を使って、デイケアやショートステイを利用することも可能です。介護者は、わずか数時間といえど、ゆっくり羽を伸ばすことができます。

しかし、その反面、家を離れて介護者の目の届かない場所へ行くと、患者の状態が一時的に悪くなることもあるのです。「結局は、家にいるほうが楽だ」ということになってしまい、「やっぱり自分でなきゃダメだ」という間違った責任感から、ひとりで患者を抱え込んでしまい、そういうチャンスを利用しなくなってしまう場合も出てきます。
老老介護の悲劇といわれる孤立したケースの中には、そういう結果起こったものもあるのではないでしょうか。
患者と介護者が夫婦である場合は特に、引き離さずに一緒にケアする場所を作り、回りから包み込んで支援するような体制作りが必要ではないかと考えます。

2008年4月28日

認知症への対処(1)

よく「認知症にならないためには、趣味を持ち、人と交わり、頭を使いましょう」というような予防法が語られるのを見ます。
それならば、数十年ものあいだ地域社会に貢献して、世話好きで友人も多く、いつもいろいろなことに興味を持ち、読んだり書いたりすることが好きで、字もきれいで、指先を使う細かい刺繍を趣味としてきた義母のような人は、普通ならば認知症からは一番遠いはずです。
けれども、病気になってしまった。いつ誰がなっても不思議でないのが、認知症です。

地域のリーダーとして長年務めてきた義母のような人が、尊敬を受けず逆に子ども扱いされるのは、きっとプライドが傷つけられているだろうなと思います。
記憶力が低下して、一分前のことも忘れ、知能的にも小学生程度だなと思うときがあります。しかし、だからと言って、プライドを傷つけることは絶対に禁物です。
家庭において社会において、今でも何かの役割を果たしているという自尊心が満たされることが必要です。

女性の認知症患者は、多く夕方に症状が悪化します。昔は主婦として、夕方の忙しい家事をこなしていた記憶が身体に残っていて、何かしなければならないという焦燥感が、突拍子もない行動となって出てしまうのだそうです。
主婦だった人には、夕方にお風呂掃除や簡単な炊事をやってもらう。男性ならば、計算や事務の仕事をやってもらう。それだけでもずいぶん違うようです。

つい昨日のことです。私の義母がずいぶん立腹している様子で、「晩御飯もいらない」と言い出しました。
よく話を聞いてみると、「今日のお父さんの手術のことを、私には隠して、誰も話してくれなかった」と言うのです。
いつも、手術や病状の説明などの場には、義母もいっしょにいてもらうようにはしているのですが、本人は理解できていなかったようです。
周囲もどうしても、義母ではなく嫁の私を主たる介護者だと見ています。それらのことが苛立ちとなっていたのでしょう。
それに昨日はたまたま、疲れているだろうと午後も早めに病院から戻り、夕方に私だけがもう一度病院に足を運びました。そのことで、爪弾きにされたという疎外感を感じたのかもしれません。

私はもう一度、あらかじめ書いて壁に貼っておいた今までの日程表を見せ、手術は一ヶ月も前に終わったこと、それから一日も欠かさずに病院に見舞いに行っていること。
そして、お義父さんのこれからの世話は、妻であるお義母さんしかできないんだよということを説明しました。
納得した義母は、しばらくして私に「いっしょに住んでくれて、ありがとう」と言ってくれました。

ときどき、私はいったい毎日何をしているんだろうと、やりきれない思いになることがあります。でも、そういう一言をいただくと、関わっていることが報われるような気がするのです。

2008年4月10日

認知症の経過(2)

いろいろありましたが、義父が昨日ようやくICUを出て、一般病棟に移りました。まだ意識が定まっていないので、ずっとそばに付き添って話しかけています。
ときどきはっきりしたことも言えるようになってきました。付き添いの私たちが昼ごはんを食べに行って帰ってきたら、「薄情やな」と文句を言ったり、「コーヒー高いな」などと最新の世情にも強いところを見せています(笑)。
あとは、少しずつでも、ものが食べられるようになってくれたら良いのですが。

さて、このごろ認知症の妻の将来を悲観して、病気の夫が妻を殺害...という事件が立て続けに起こっていますね。「半落ち」という小説も、警察官の夫が認知症の妻を殺すお話でした。
あれを聞いて、私はなんだか、とても他人事には思えないのです。
義父の再手術が決まったとき、同じことがうちの家でも起こりうるかもしれないと思い、朝に義父母の部屋を見るのが恐いと思ったこともありました。
何も殺さなくても、残していく妻を安心して福祉の手に委ねることはできなかったのかと思う方もおられるでしょう。
しかし実際のところ認知症という病気は、家族でないと扱えない側面があります。そして同時に、家族だから耐えられないという別の側面もあるのです。

認知症とひとくちに言っても、うちの義母のように、毎日の掃除や洗濯、簡単な食事の支度など、日常生活はしっかり送れている場合が多いのです。
しかしそれでも、何かを伝えても、一度でわかってもらえることが、だんだん少なくなりつつあります。一時間ほどすると、短いときは五分ほどすると、話をしたことすら、きれいに忘れている。
極端なときは、ひとつづきの会話の中で、延々と同じことばを繰り返す羽目になります。

私は先日、認知症の定義をひとことで言い表わしているのではないかと思うような体験をしました。それは、
「かぼちゃの煮物を作ってくださいと頼むと、上手な味付けでおいしく作ってくれる。しかし、煮物を作ったことを忘れてしまう。そして、『このかぼちゃ、おいしいね』と、嫁の私をほめてくれる」
という笑い話のような実話です。

実際、義母は私にいつも感謝してくれます。「同居してくれて、助かっている、ありがたい」と口癖のように言うので、面映いくらいなのです。こういうとき、人間は記憶を忘れてしまっても、その人の本質や美点は残るのだなあと感激することもあるのです。
しかし、その逆の体験をすることもあります。人間のエゴが覆い隠すことなく現われるときがあり、そのときは、情けなく哀しい思いをしてしまうのです。

人は年老いると、自分が昔のようではないということを、ときどき認めることができません。
だから、何か大事なことを忘れても、自分の中であらゆる理由づけをします。「ちゃんと聞いていなかった」「声が小さいから聞こえなかった」「そのとき、別の部屋にいたから聞いていなかった」という言い訳が、とっさに出てしまうのです。

今回の入院でも、義父が入院して手術したという事実さえ、忘れ去られるときがありました。
デイケアで外出して家に帰ってくると、「お父さんどこへ行ったの?」という具合です。
一回目の手術が終わって数日したときも、「お父さんはいつ手術するの?」と訊かれました。
「もう月曜日に手術は終わったよ。6時間もずっと病室で待っていたでしょ」
と答えると、「そうだったか」とびっくりしたように言い、
「毎日考えることがいっぱいあるから、つい忘れてしまった」
と弁解したのです。

その時私は、怒ってもしょうがないと思いつつも怒りを止めることができませんでした。
「他のことは全部忘れてもいいけど、お義母さんにとって一番考えなければならないのは、お義父さんのことでしょう」
と怒鳴ってしまったのです。
怒鳴りながら、本気で怒ってしまった自分が情けなくてたまらなくなりました。
そう言わせているのは病気のせいなのに。見えすいた言い訳させているのは、人間のなけなしのプライドなのに。
後で、そのことを夫に打ち明けたところ、夫は私を責めずに、「息子の僕でさえ、本気で腹が立つことがあるよ」と慰めてくれたのです。
そのことを思い出すと、今でも泣けてしかたがありません。

ちょっと暗い話になってしまいました。次回は認知症の明るい側面について語りたいと思います。

2008年3月19日

認知症の経過(1)

はた目から見れば、義母が認知症であることは、なかなかわかりません。たぶん初対面では、まったくわからないのではないでしょうか。
アルツハイマーに特徴的な「人格の変化」というのは、義母の場合はまったくないようです。
俗に「まだらボケ」と言われるように、正常な部分と病的な部分が混在しているのです。

たとえば、義母は暗算は得意です。お金を払うときも、多少もたつきますが問題ありません。
住所や電話番号をそらんじたり、書類に書いたりすることもできます。近所を散歩して、迷子になったこともありません。
総じて、夜よりも朝のほうが調子がよく、朝起きるとコーヒーを淹れたり、洗濯機を動かしたり、掃除機で掃除をしたり、それはそれはマメに動いています。
こうしてみれば、まったく日常生活に問題がないと思われても不思議はないでしょう(事実、介護認定では、まったく等級がつきません)。

ところが病的な部分は、家族にしか見えない形で存在します。
日にちの感覚が、あいまいなのです。
今日が何日か、何曜日か、平成何年か。ここまでは、誰でもついド忘れすることも起こりえますが、今が何月か、冬は冬でも、暖かさに向かう時期なのか寒さに向かう時期なのかがわからなくなります。
2月に、冬物を夏物と入れ替えようとしたこともあります。
お友だちと待ち合わせの約束をしても、すっぽかしそうになる。自分では、手帳にきちんと約束した日を書き込んでいるのです。でも、それは去年の手帳でした。
ですから、何か電話で約束ごとをしているときは、家族は必死で耳をすまさなければなりません。

もの忘れがひどくなったことは本人も自覚していて、毎日膨大な量のメモを書いていますが、どこに何を書いたのかわからないようです。
そして、もっと厄介なことには、書き留めたことの中に事実ではないことも混じってくるようになったのです。

近所のクリーニング屋さんに洗濯物を持っていったのに返ってこないというので、その店に尋ねに行ったのですが、洗濯物は預かっていないと言われてしまいました。
「あそこは預かっていないと言ってるよ」と話をしたのですが、何月何日に持っていったとちゃんとノートに書いてあるから、絶対に持っていったと主張します。クリーニング屋さんが直接家に来られ、台帳まで見せられたため、納得するしかありません。けれど、また翌日になると、そこに預けたと言い始める。
こういうやりとりが、ほとんど毎日続くと、家族もどうすればよいかわからなくなってしまいます。

2008年3月10日

認知症の発症(2)

前回の続きです。

義母の様子が何かおかしいなと感じ始めたのは、足の手術が終わって退院してから、しばらくしてからでした。
「委員をしていたときの書類やノートをまとめて、引継いでくれた人に渡さなければならない」
と、毎日せっせと整理をしている様子なのですが、書類の山がいっこうに減らないのです。いつ見ても押し入れやタンスをごそごそ探しています。
何回も同じ話をする、かかってきた電話の内容を覚えていない、今が何曜日かを失念するということも起こりました。しかし、ここまでは、年齢を召した人ならよくあることです。

決定的になったのは、三年前のこと。
財布がないと言いはじめたのです。そのたびに家族総出で探して見つけるのですが、それが箪笥の上であったり、カバンの中であったり、いつも置き場所が変わります。
そして、電話の内容はおろか、電話がかかってきたという事実も忘れてしまうようになったのです。
あれほど寸暇を惜しんでしていた趣味の刺繍も、いつのまにか、やらなくなっていました。
かかりつけの医師に相談し、脳神経科を紹介してもらって、MRIと認知症簡易診断を受けました。

認知症チェックシートについてのサイト

認知症診断は、「今は何年何月ですか」や、「住所、郵便番号、電話番号」と言った質問から始まり、はさみやシャーペン、眼鏡といった品々を三つ、目の前に置いて覚えてもらい、それをいったん隠します。
数分してから、さっき見たものが何だったかを尋ねるのです。
義母はみごとに、三つとも別のものの名前を答えていました。
日付も言えません。しかし、住所や電話番号は、きちんと覚えています。

人間には、短期記憶、中期記憶、長期記憶の三種類の記憶があると、私は学生時代に心理学で学びましたが、義母の場合は、この長期記憶はしっかりしているものの、他の記憶(特に中期記憶)に不具合が起こってきているようなのです。
医師はこのことを、だいたい次のように説明してくれました。
脳になんらかの障害が起こったとき、ある情報に至る回路が損なわれるということが起こる。しかし、普通は別の迂回路(シナプス)を作って、その情報に至る道を取り戻すことができる。けれど、義母の場合は、その迂回路を作る機能が衰えてきているのだと。

病名は、「脳血管性認知症」と診断されました。

2008年3月 3日

認知症の発症(1)

義母は、70歳代前半まで、とても活発な人でした。
地域の役員や委員など、とにかく私がお嫁に来たときから家にいない人で、午前と午後ふたつの会議をかけもちするなど、そばで見ていても、その精力的な毎日には感心するほどだったのです。
私たち一家がアメリカに駐在生活を送っていたときは、ラジオで英会話を勉強してから訪ねてきて、隣のアメリカ人の男の子の言っていることがわかるほどでした。
そういう進取の気性を持つ人ですから、わが家は嫁姑の確執もなく、うまく同居できたのかもしれません。

ところが、今から5年前、足の手術を受けて一ヶ月半ほど入院したときから生活が一変しました。
年齢のこともあって、引き受けていた役もほとんど辞め、入院に臨んだのですが、手術の前夜、看護師さんから電話があり、「とても取り乱しておられるので、家族の方に来てほしい」というのです。
あれほどしっかりした義母が、錯乱するなど信じられませんでした。
急いで駆けつけたところ、うそのように平常にしており、もしかして何かの間違いではないかと思ったものです。
今から考えれば、それが認知症発症の引き金であったのかもしれません。

私は素人ですので、間違ったことを考えているかもしれませんが、どうも、認知症をわずらうとき、何かとても大きな生活の変化や、ショッキングなできごとが、まず最初に起きているように思います。
以前からよく言われる、「定年退職のあと、ボケた」というのも、生活の劇的な変化が引き金になることを言い表しています。

毎日の仕事の手順を変えただけでミスしてしまったり、誰かに手伝ってもらうと余計に能率が上がらないということは、私たちの日常でもよくありますが、無意識のうちに身体が覚えている行動の流れを完全に堰き止められたとき、人の脳は混乱してしまいます。
それを修正する神経回路を新しく構築できる若い人はよいのですが、年を取ると、それがうまく行かないことが起こる。
義母の認知症は、そうして始まったようにも思うのです。

手術は無事終わり、一ヵ月半の入院を経て、義母が退院してきました。
ただし、今までのようには歩けないため、しばらくは家事もすべて私が引き受けていました。
今まで参加していた地域の行事も旅行も、足が悪いために参加できません。
義母が一日じゅう家の中にいるなどとは、見たことのない光景です。
ところが、だんだんと少しずつ「変だな」と思うことが起き始めたのです。

ここでいったんペンを置きます。

2008年2月26日

認知症について話そう

このところ、テレビやいろいろなメディアで「認知症」についての特集を見聞きします。
実際は興味があるから、目につくだけなのかもしれませんが。
かくいうBUTAPENNの家族にも、認知症と診断された者がおります。打ち明けて言うならば、同居している主人の母です。

まだ症状から言うと、初期の段階です。徘徊もなく、トイレ・食事・風呂など身の回りのことは全部、自分でできます。だから、介護保険の介護度は、「要支援1」の段階です。
けれど、先日見たテレビ番組によれば、家族の葛藤と混乱が一番大きいのは、この初期の段階だと言うのです。
外見ではほとんど変わらないし、人前でもしっかりした物言いをする。けれど、家族が見ていると明らかに異常なことが次々と起こるのです。
一番ショックを受けるのは、長年連れ添ってきた配偶者です。なにしろ五分前に言ったことの記憶が、もうないのですから。
激しい怒りと叱責と、その後に必ず来る自己嫌悪と。
かくいう私も、誰かに質問されたとき、「たいしたことない、大丈夫」と答えるときと、「もう大変」と答えるときの両方があり、自分でも混乱してるなと思います。

今まで認知症は、自分を甘やかして生きてきた人が罹るものだという偏見がありました。
会社ではバリバリ働いても、創造的な趣味もなく、地域との交流もなく、生きがいもない人。そういう人が年老いて罹る病気が、認知症だと思っていました。
けれど、義母は、180度その逆の生き方をしてきた人なのです。
それだけに、こわい。
認知症は、いつ誰が罹っても不思議ではない病気だと、あらためて認識させられました。

それと同時に、いったん認知症に罹ったら絶望だけが待っているのではないことも、また事実だと知りました。
人間の本質に関わる病気だけに、本人にも介護する家族にも、ホンネの生き方が問われるのだろうと思います。
そして家族の協力がなによりも重要なのだと思います。
そう考えると、これは人生の終盤に向かって、やりがいのある戦いなのかもしれません。

このブログで、「認知症」というカテゴリを新しく設けました。
かつては、身内で隠していた病気なのかもしれません。ブログの話題としては重過ぎるのかもしれません。けれど、今は声高に話し合うことが必要だと思うのです。
これまでの経過を書き留めることによって、わたし自身の記憶の整理にもなります。情報の共有の場にもなればよいと思っています。
ただのグチや自己正当化になることも、多々あるかと思いますが、そのときは笑って見逃してやってくださいませ。

2006年5月29日

認知症

このところ、メディアで認知症が取り上げられることが多くなっています。先週土曜も3時間の特別番組がありました。50歳代、早い人は30歳で発症する「若年認知症」に対する知識も広まっています。
脳血管障害や過重なストレスが原因のひとつとも言われている認知症は、若い人にとっても決して他人事ではありません。
ひとりの重篤な認知症患者には、三人の介護者が必要だそうです。超高齢化社会の到来する日本社会にとって、これほど重い荷物はないのではないでしょうか。

かくいう私の周囲にも、認知症がおります。幸い、徘徊などを伴わず、身の回りのことも自分でできる程度の、ごく軽い症状ですが、それでも日常接する者にとっては、けっこう辛いものがあります。
朝になると、「○○がない」と言って、探し物を始める。
「とりあえず、代わりのこれがあるから」と納得させますが、次の朝には、まるで昨日のことがなかったかのように、「○○がない」と、また探し物が始まるのです。そのうち、「○○を捨てられた」と話が変わっていきます。
数分前に交わした会話も忘れてしまいます。会話の内容だけではなく、会話をした事実そのものも忘れてしまうのです。一方で、一度インプットされた間違った思い込みは、何度説得しても、容易に捨てようとしません。
いずれも、粘り強く何回も話せばよいのですから、たいした労力ではありません。だが、それが毎日だと、家族はひどく疲れます。
あれほど、しっかり者だったのに。なんでもてきぱきとこなす人だったのにと、悲しくなるのです。
子どもを育てる苦労と比較するとわかります。子どもはやがて成長し、今日できないことも明日できるようになっていきます。だが、認知症患者は、今日できることが明日できなくなるのを、家族は見続けなければならない。

周囲の辛さはそれだけではありません。
物忘れがひどく、今まで簡単にできていたことも滞ってくるのを見ると、表面は穏やかに接しても、心のどこかに、その人に対する嫌悪感や苛立ちが生まれてきます。
「ごはんをこぼしてるよ」という言葉にも、「また」「何度言っても」「だからおまえは」という余計なことばがどんどん付随します。
小ばかにしたような家族の言動を、患者本人は敏感に感じ取って傷ついてしまうのです。感情の起伏が激しくなり、失敗を隠そうとしたり、ごまかしたりするのは、当然のなりゆき。
家族もつい怒鳴ったり、叱ったりしては、あとで非常な後悔に襲われています。優しくできない自分の醜さを、いやと言うほど思い知らされてしまいます。
たぶん来年はもっとひどくなる。そんな先が見えない絶望にとらわれないために、患者も家族も、お互いに一日をせいいっぱい生きるしかないのです。

今年の4月から、市町村の地区別に「統括支援センター」という制度ができました。介護保険で、「要介護」の下に「要支援1」「要支援2」という新しい区分ができ、「介護予防」という点が重視されるようになりました。
病気にもよりますが、認知症はごく初期に適切なリハビリをすれば、進行を食い止めることも、回復さえも不可能ではありません。認知症への認識が進み、従来の介護認定では「自立」とみなされていた初期の認知症患者にも、支援の手が届くようになりつつあります。
患者も家族も、家にばかりいないで、多くの人々と接することが大事なのです。
近所のお店の人に理解してもらうことによって、患者ひとりで買い物にも行けます。多くの目が注がれていれば、徘徊を未然に発見することもできるでしょう。患者との不毛な会話に疲れ果てている家族も、思い切り話を聞いてもらえる場所を必要としています。
お互いが閉じこもらないで、互いの助けを気軽に求められるコミュニティが、今の日本に欠けている理想なのです。

2006年1月11日

認知症の予防になるか

去年の暮れからゲームショップに何度も走っています。といっても、子どものためでなく、両親のため。まさか70代、80代のシルバー世代がゲームをする時代が来ようとは思いませんでした。

実は私の身近に、認知症初期の年寄りが約2名います。
さっき交わした会話の内容をまったく覚えていない、ものをしまいこんだ挙句なくしてしまう、外出すると目的地への道がわからなくなるということが続きました。
身の回りのことは自分でできるので家族の実害はさしたるものでもなく、一日に何回も同じ会話を繰り返したり、探し物につきあったりしていればよいのですが、これも毎日だと、かなりの忍耐を試されます。

元に戻らぬまでも、なんとかこれ以上物忘れが進行しない方法はないか、と情報を集めた結果、たどりついたのが、任天堂の携帯ゲーム機ニンテンドーDSの専用ソフト、「脳を鍛える大人のDSトレーニング」でした。

  
脳を鍛える大人のDSトレーニング 「脳を鍛える大人のDSトレーニング」
東北大学の川島隆太教授の監修になるこのゲームは、簡単な計算問題や文章を声に出して読む訓練が脳を活性化させるという理論にもとづいたものです。 ニンテンドーDSは声を聞き取り、ペンで文字を書けるゲーム機なので、コントローラーをあやつれない年配世代にも扱いやすいのです。さっそく買ってあげたところ、実家の両親(70代と80代)は夫婦ともにハマってしまいました。 周囲にも「家族でやっている」という人が何人もおり、かなり浸透しているようです。

まず、「脳年齢チェック」という項目があり、最初にこれで脳年齢を測定します。画面に出てくる文字の色を声で答えたり、簡単な足し算と掛け算の問題を20問やるというものですが、最初はもたもたして、私なども「脳年齢70歳」と言われてしまいました。

それから、本格的なトレーニングのゲームが始まります。計算問題、文章の朗読、数字を瞬間的に記憶する、家の中に人が出入りして、最後に何人いるかを数える、短文が何文字あるか数える、などのゲームをやっていくと、その速さと正確さによって、「徒歩級」「自転車級」「自動車級」「新幹線級」「飛行機級」「ロケット級」の6段階に判定されます。

面白いのは、それらを毎日やっていると、やり方に慣れてどんどん級が上がっていくのです。そのことが励みになり、また続けてやると、新しいゲームが増えてくるなど、いつまでも飽きない工夫がされています。
物忘れが多くなった当の本人にやってもらうと、たとえば記憶ゲームはだめだが計算は速いなど、脳の働きは一律に衰えているのではないこともわかってきました。

セーブデータも4つ作れるので、夫婦や家族で競い合うこともできます。実際、うちの両親はふたり暮らしですが、競い合ってやっているうちに、毎日に張り合いが生まれたようです。
朝から晩までずっと夫婦で向き合っていると、どんなに仲の良い夫婦でもアラが見えてケンカが多くなってきます。このゲームを始めてからそんなこともなくなり、熟年夫婦の共通の話題作りに恰好のアイテムかもしれません。

昨年暮れには、同じソフトの第二弾、「もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング」 も発売されました。こちらは、漢字書き取りや音楽の演奏など、前回とはまた違ったゲームが収録されています。

さて、このソフトではテストをされているみたいで緊張して楽しめない、という方には、もっとクイズ感覚で楽しめる次のソフトもおすすめです。

  
やわらかあたま塾
「やわらかあたま塾」
これは、記憶、計算、分析などのいくつかのカテゴリーの問題を解いて、その結果のバランスを円グラフにして示してくれ、また級?段位で判定してくれます。アニメ絵がたくさん出てきて、はじめは子どものゲームのようですが、けっこう奥が深い。
実家の両親の場合、テレビを見ながら気軽に遊びたいときはこの「やわらかあたま塾」、真剣に取り組むときは「脳を鍛える大人のDSトレーニング」と、使い分けてやっているようです。

ただし、もうひとりの認知症の家族のほうは、これらのゲームであまり効果は出ていません。何回教えてもやり方を忘れてしまうのです。認知症になる前の予防、またはごく初期段階での訓練という意味でなら、これらのソフトはとても効果があると思います。

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