BACK | TOP | HOME





No. 11  とんでもない誤解

  少しややこしい話なので、我慢してほしい。

  バンコクにいるとき、私にはA子という親しい友人がいた。
  しかし、彼女はある日突然、私たちから離れていってしまった。彼女がB江という人との人間
  関係のあつれきに悩んでいたことを知っていたので、B江が原因であると思った。
  私は憤慨した。義憤というヤツだ。
  B江に対して冷ややかな思いを抱いた。別の友人とB江について語るときは、一応クリス
  チャンらしく、やんわりと批判した(神の前には、口汚い罵りも、やんわりした批判も区別は
  ないのだが)。
  私の日本への帰国の2日前というとき、A子と最後の食事をした。
  その席で、A子は私がフリーズするような打ち明け話をしてくれた。
  彼女が私たちから去っていったのは、B江が原因なのではなく、実は私の一番親しい友だち
  C美が原因だったことを。

  私は混乱した。悔恨にことばを失った。
  なんで、なんで。あと2日でこの国を離れなければならない、こんなときに。
  私とC美の仲をおもんばかって、A子が今まで言い出せなかったのであろうことは理解できた。
  でも、もうB江と仲直りすることも、償うこともできない。
  私のできた精一杯のことは、バンコクの空港で「ごめんなさい」というB江宛のはがきを投函
  することだけだった。

  人間はすべてのことを知っているわけではない。だから、性急に人を非難してはならない。
  人間はいつも正しい判断をするわけではない。だから、自分の正義で人を断罪してはならない。
  頭ではわかっているこんな簡単なことを、なんと愚かに私は繰り返すのか。

  先日、久しぶりにB江が日本に来て、私たちは再会を果たした。
  彼女はバンコクにいたときの私の過ちを赦し、これからも会おうねと約束してくれた。
  人は、自分が赦されなければならない者であると知ったとき、正義をふりかざすことはもう
  できない。

  聖書には、小説の題名にもなった『復讐するは我にあり』という、有名なことばがある。

   自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてある
  からです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」
                                       (ローマ12:19)


  同時多発テロへのアメリカによる報復攻撃が、他国へも拡大しようとしている。
  彼らがこの聖書のことばを思い出し、果てしない復讐劇に自ら幕を引いてくれるよう祈りたい。



Copyright (c) 2002 BUTAPENN.

NEXT | TOP | HOME