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No. 12  メイドのいる風景

  もしあなたが主婦ならば、一度はこんな夢を見たことがあるだろう。
  朝ベッドで目を覚ますと、台所からメイドが働く気配。トントン野菜を切る音。コーヒーの香り。
  あなたは起き上がり、光のあふれる窓外の風景をゆったりと眺める…。
  大金持ちにでもならなければ一生無理、とおっしゃるだろう。
  そんな生活を、普通の主婦である私はバンコクで体験したのだ。

  住みこみのメイドとお抱え運転手のいる生活。
  この文を読む9割以上の人の反感を買うような生活を、私は4年間送った。
  外国からの在タイ駐在員家庭はほとんどがメイドを雇っていた。何故か日本人はメイドの
  ことを「アヤさん」と呼ぶ(語源はわからない。東アジアのほうでは「アマさん」と呼ぶと
  聞いたことがある)。タイ語では、「メーバーン」。「メー」は「お母さん」の意。「バーン」は
  「家」のこと。
  アヤさんになるのは、多くがタイ東北部の貧しい家庭出身の少女たち。給料は住みこみで、
  月4000バーツ(当時1バーツ約3円)前後。
  米代と水(ミネラルウォーター)代、光熱費はこちら持ち。
  但し、赤ちゃんの子守りを夜まで頼んだり、相手の経験(たとえば日本食が作れるなど)に
  応じて相場は変わる。
  欧米人家庭のハウスメイドはその1.5倍もらっていると聞いた。その替わり、子どもはずっと
  メイドに預けっぱなし。たびたびのホームパーティで深夜残業。日本人には到底真似でき
  ないと思った。

  うちにいたアヤさんは、初代はナンさん、2代目はノイさんと言った(タイ人の名前は総じて
  長いため、みんな愛称を使っている。ムー(豚)さんなんて愛称の人もいた)。
  ふたりとも日本食はばっちり。「今日は『肉じゃが』作って」と言えば、ちゃんと肉じゃがが
  出てくる。日曜日やお正月などの休暇を除いて、4年間私は食事の支度、掃除、洗濯や
  アイロンがけをしなかった。

  夢のような生活? 確かにそうだった。
  しかし、同時に悟った。人を使うことは容易ではない。
  海外生活をする人なら誰でも一度は読むことをお勧めする、私の座右の書、犬養道子著
  「日本人が外に出るとき」(中央公論社)に、こういう一節がある。

    『人を使うより、使われる方がずっとらくです。人を使うより、
    人手ナシで困る方がずっとらくです』

  たとえば味噌汁の味が微妙に違う。彼女を使った先代の日本人の奥さんは、味噌汁の
  作り方をそのように教えたのだろう。おまけに彼女は味見をしない。
  不味いわけではないのだが、ただ違う。
  そんなとき、私たち一家は、――ただ黙って食べる。味噌汁ごときで気まずくなりたくは
  ない。何よりも、「こうしてほしい」とタイ語で教える面倒を考えたら、もう黙って食べるしか
  ない。
  『今日は下の子が6時から塾だから、ごはんは5時半にしてね。主人は今晩食べて帰る
  から、ごはんは少なめに炊いて」などとタイ語で言わなくてはいけない。最初の頃は本当に
  自分でやったほうがどれだけラクだろうと思ったものだ。
  家の中にいつも他人がいる風景に慣れるということも大変だ。あまりぐうたらな格好も
  できない。自分の家なのに、いつもどこかで彼女の気配を感じている、芯からリラックスして
  いない感覚。

  それでもふたりはいい娘(こ)たちだった。とても笑顔のかわいい素直な子たちだった。
  私は幸運だったのかもしれない。駐在員の間では、家に泥棒が入ったのを捕まえたら、
  アヤさんが手引きをしていた、とか、アヤさんが靴や食器を少しずつくすねていた、などの
  痛ましい話も聞いたからだ。

  本帰国が決まったある日、私はノイさんにしみじみと言った。
  『日本に帰ったらね、私が毎日食事や掃除や洗濯をやるんだよ。ここの半分くらいの小さな
  家で、私が「メーバーン」になるんだよ』
  彼女は「オオ」と、とても悲しそうな顔をした。

  彼女たちは今ごろどうしているだろう。ナンさんは結婚して東北部の故郷に帰った。ノイさん
  はバンコクでまた別の日本人家庭に住みこみで働き始めたが、すぐクビになったと聞く。
  そして私は今、自分のことばどおり、あの4年間を懐かしみながら、毎日自分の家で
  「アヤさん」をやっている。
 


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