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No. 14  いじめられっ子の涙

  小学校4年のとき、私はいじめられっ子だった。

  兄弟がなく大人の中でちやほやされて育った私は、とんでもなく引っ込み思案で、自分の
  意見を人前でいうこともできず、たったひとりの友人といっしょにマンガを描くのが大好きで、
  そのくせ成績が良いので大人受けするという、どこから見ても鼻持ちならない子どもだった。

  3学期、掃除当番でいっしょの班になったのは、クラスで人気のあるT子とその取り巻きたち
  だった。
  彼女たちは初め、私を仲間に入れようとしていたが、私がそれを好まないとわかると、たった
  ひとりの友人と引き離そうとして、彼女としゃべると罰を与えるという決まりを勝手に作った。
  それ以来、私が友人と仲良くすると、T子たちはトイレに私を連れ込んで、叩いた。
  初めは冗談半分だったし、私も怖いとは思わなかった。
  それがたびかさなるうちに、彼らは理由はどうでもよく、とにかく私をトイレでかわるがわる
  叩くのを楽しみとするようになった。

  次第にそれが狂気の色を帯びるに連れて、私も正常ではいられなくなった。
  彼らが教室で私の背後に立ち、「行こう」と言うと、恐怖にわななきながらも、卑屈な微笑みを
  浮かべて黙ってついて行くしかなかった。今考えたら不思議なことなのだが、私には選択肢は
  なかったのだ。
  今やエスカレートした彼らの行為はむき出しの憎悪そのものであり、狭い個室で私が泣き
  叫ぶと、トイレットペーパーが口に押し込まれた。

  日曜の夜は、明日から学校だと思うと地獄のように辛かった。
  朝は食事も喉を通らず、涙ぐみながら家を出る。さすがに母が私の異常に気づいたが、私は
  決して口を開こうとしなかった。
  親に心配をかけたくないという優しい気持ちからではない。自分がこんな惨めな人間である
  ことを、自分の口で自分の心に認めたくなかった。

  しかし、我慢は限界だった。あまりに不条理な暴力は、10歳の女の子の体には受け止め切れ
  なかった。ある日、私はトイレリンチのあと、廊下の下駄箱の前で泣き伏した。
  私の小さな泣き声は、廊下1メートル四方しか響かなかっただろうが、その事実はクラスじゅう
  に広まった。

  ただ机で泣き続ける私の周りで、犯人探しが始まった。
  「いじめた奴の名前を言え。しかえししてやる」と、正義感の強い男の子たちが息巻いて言った
  (つくづく、良い時代だったと思う)。
  その騒ぎを聞きつけて、クラス担任のM先生が教室に飛び込んできた。

  先生は事情を聞くと、私に質問することもなく、ただ「仕返しは絶対にするな」と、クラスに
  大声で命令した。
  私は驚いた。
  T子たちを罰してくれたらよいのに。なぜ先生は、私の受けた苦しみをわかってくれないの。

  M先生は数日して、授業中にクラス全員の前で私にこう言った。
  「Iちゃん。きみは人前で自分の意見を言う練習をしなさい。その練習のために、先生は
  これからIちゃんをいじめるよ」

  いじめはやんだ。ほどなくクラス替えが行われ、いじめっ子グループとはばらばらになった。
  中学に入ると、私は演劇部に入り、大勢の前で話すことを全く苦としなくなった。
  今私のまわりの人に、私がいじめを受けていたことを話すと、みんな信じられないと言う。

  数十年たってこのことを思い出すと、すべてに絶望していたあのときの自分に、タイムマシン
  で戻って行って、こう言ってあげたくなる。
  「あなたの受けた苦しみは、すべてあなたの人生にプラスになった。M先生。マンガ友だち。
  正義感の強い男の子たち。T子たちグループ。
  すべて、神さまが備えてくださった人たちだった」と。

  会社勤めをしている頃、西梅田の喫茶店で十数年ぶりにT子に再会した。彼女は屈託なく
  私に話しかけてきた。
  (彼女は忘れているんだ。あんなに私を苦しめたことを)
  私は内心そう思いながら、彼女と談笑して別れた。

  でも今は、こう思う。
  彼女が忘れていてくれますように。
  いじめを受けた側は、それを糧として成長することができるが、いじめた側には、暗い罪の
  意識しか残らない。
  願わくば、あのことは忘れていてほしい。
  あの、卑屈な微笑を浮かべていた10歳の私の姿とともに。



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