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No. 15  心の国境線

  先日わたしの行っている教会で、セミナーが開かれた。
  今プロテスタント教会の中でブームになっている「ヤベツの祈り」(プリズム社)という本を
  書かれた平野耕一牧師を講師としてお迎えした。
  聖書の「歴代誌」に出てくる「ヤベツ」という人の祈りがテーマになった本である。
  ヤベツの祈りとは、こういう祈りだ。

     「私を大いに祝福してください。
      私の地境を広げてください。
      あなたの御手が私とともにありますように。
      わざわいを遠ざけて、私が苦しむことがありませんように。」
                            (第一歴代誌4章9〜10節)

  私がこの中で一番感銘を受けたのは、「私の地境を広げてください」という箇所だ。

  今世界の国境は、どんどんと無くなりつつある。
  テレビなどのマスメディアは言うにおよばず、インターネットの普及によって、双方向のコミュ
  ニケーションが可能になった。
  私のような普通の主婦の書いたものが、ホームページをとおして少数ながらも全国の人に
  読まれる。
  言葉の問題さえ乗り越えれば、アメリカだろうがアジアだろうが、好きな地域の情報が即座
  に手に入り、また送り出すこともできる。
  こんな状況は私の子どものころには想像もできなかった。
  まさに国境のない時代になったのだ。

  しかし、ふりかえってみると、果たして個人の心から国境は取り払われただろうか。
  人とのあいだを隔てる壁は、ますます厚く築き上げられてはいないだろうか。
  そして、個々の人間の「可能性」という地境はますますせばまっていないだろうか。

  「仕事をしているから、PTAをする時間の余裕なんてない」
  「理系じゃないから、機械のことはわからなくて当たり前」
  「この年になって、今さら新しいことに挑戦だなんて」
  最近身の回りで聞いたことば。
  自分で自分の心に言い訳しながら、新しい地平線を拒んでいる。

  もう10年ほど前、アメリカ人の宣教師が20人ほどの小さな集まりで、聖書の話をなさる
  機会があった。
  その席で通訳をしてくれないかと、牧師に頼まれた。
  私は断った。そのときの返答は、
  「私には無理です。信仰が弱い私にそんな力はありません」
  それを聞いたときの、牧師の悲しそうな顔を忘れない。
  そのとき決心した。「できない」とはもう言わないと。
  これからは、「神さまの助けがあれば、できます」と言おうと。
  だが、むずかしい。
  気がつけばいつも、「無理だよ、できないよ」と言い訳している自分がいる。

  神が、私たちの心の地境を広げてくださいますように。




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