|
つくづく、自分は「成功神話」に毒されていると思う。
努力と切磋琢磨で成功を目指すことは、決して悪いことではない。
しかし、成功を求めるあまり、成功できなかった自分には価値がないと思い込む心は、人を病ませる。
クリスチャンになると、いわゆる世の中で珍重されてきたもの(金銭や名声や地位)は風のように過ぎ去るものであることを学び、そういうものに価値を置かないように心がける(それでも、つい他人の賞賛を求めてしまう自分を発見して、ときどきガク然とするのだが)。
また今の大方の日本人ならば、一昔前まで至上の価値を置いていたものが砂上の楼閣のごとく崩れていくのを、目の当たりにしているはずである。
一流大学を卒業したからと言ってなにほどのもの。大企業は一夜にしてその歴史と伝統を地に落とし、上に立つ政治家たちは談合やワイロにうつつを抜かす。
人々はそれらのものに代わる価値を求め始めた。
健康。趣味。心の豊かさ。たいへん素晴らしいことである。
ところが、敵もサルもの。これら新しい価値感にさえ、巧妙に成功神話を植えつけようと襲ってくる。
成功した人生をおくる人が、姑を愛せないのはおかしい。
成功した人生をおくる人が、落ち込んだり心の病にかかったり認知症にかかるはずはない。
成功した人生をおくる人が、他人に迷惑をかけて後ろ指をさされるような人生を送るはずはない。
成功した人生をおくる人が、みじめな死に方をするはずがない。
などなど。
それに惑わされてしまうと、姑を愛せなかったり、落ち込んだりする自分をダメだと思ってしまう。認知症にかかったり、孤独な死を迎える人を、こっそり心の中でさげすんでしまう。
そして富や名声に対しては毅然としていることができたクリスチャンが、この新しい成功神話にまっさきに苦しむことになったのだ。
こんなことになるのは、罪があるからだ、信仰が足りないからだ、祈りが足りないからだと。自分でもそう感じ、自分を切った刀で人をも裁く。その否定的な感情は、与えられた苦しみに輪をかける。
だがそれらは全て、聖書の教えではない。世の中の「成功神話」が形を変えて忍び込んでいただけだった。
重ねて言うが、成功は悪いことではない。
アメリカのキリスト教系慈善団体が、近ごろ日本において大々的な新聞やテレビを使った広告を打ち、「パワーオブリビング」という題の書物を無料配布していることを見聞きした人もいるだろう。
この本の冒頭は、八人の成功した有名人クリスチャンの短い体験談が載っている。彼らは、人生の表面的な成功を越えたところに真の価値を見出したすばらしい人々だ。
しかしながら、皮肉な言い方になって申し訳ないが、成功した人の体験談は、苦しんでいる人の心には届かない。
私が最近読んだ、賛美歌の作者に関する本(「」)には、こんなことが書いてあった。
賛美歌の中でもっとも有名といっても過言ではない「いつくしみ深き」の作詞者だが、ある朝散歩に出て、溝に落ちて死んでいるのを発見された。
生涯に五千曲以上の賛美歌を書いた盲目の女流詩人ファニー・クロスビーは、彼女の才能をねたんだ夫とうまく行かずに別居し、晩年はひとりで暮らした。
私の知っている中には、認知症を患い、知人の顔もわからなくなってしまったクリスチャンもいる。人生の最後の時期にすべての財産を失ってしまったクリスチャンもいる。
だが、彼らに語りかけておられる神のことばは、変わらない。
「わたしの恵みはあなたに十分である。あなたが弱いときこそ、あなたは強いからである」
人生の成功神話から解放されようではないか。
|