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インタビュー ウィズ 円香&ディーター
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すっかり秋風の立つ頃になった。
私、高地瑠璃子は親友の円香とディーター夫妻に会うべく、土日を利用して関西に戻ってきている。 「EWEN」という円香の手記が近ごろ完結したので、今まで円香に発破をかけていた編集人の私は、ほっとしたようにも残念にも思っていたところへ、 読者からふたりの様子を知らせてほしいというリクエストが舞い込んで来たのだった。 私も、ふたりがその後どんな生活をしているのか、とても興味があったので、早速引き受けることにして、彼らにアポをとった。 インタビュー場所は、彼らの暮らす夙川のすぐそば、山手幹線にあるログキャビン風の喫茶店だ。 「瑠璃子!」 扉をくぐるなり、相変わらず元気な大声を上げて、円香が私のもとに駆け寄った。 「久しぶり。産院に見舞いに行って以来やね。聖(ひじり)くんは?」 「2時間の約束で、藤江伯母さんに見てもろてる。だからそんなに長いこといられへんの。ごめん」 「ええよ。そのかわり、帰りにちょっと寄って、抱っこさせてね。それはそうと、円香太った?」 「何言うてんの。この巨乳や、巨乳」 と、得意げに胸をそらせた。確かに薄手のピンクのニットからあふれそうな彼女のバストは、幼い顔立ちには似合わないくらい、人目を引く。 「授乳中のおっぱいってすごいんやねえ」 私は感心して、思わずつつきそうになった。「あんた、一生授乳中でいたほうが、ええんちゃう?」 「ほっといてくれる?」 遅れて入ってきたディーターに挨拶した。 相変わらず、なんと言うか、同じ大学の内海真奈先輩の言葉を借りれば、彼のまわりだけ空気が違う色をしている。 後ろでまとめた長い金髪と翡翠色の瞳。見ているだけでくらくら来そうだ。 黒の綿ジャケと黒のジーンズ。今までの彼とはまったく違う色をしっくりと着こなしている。 やはりどこか、以前とは違う気がした。 もちろん、ただの先入観かもしれない。ディーターの人格とユーウェンの人格が完全に統合されたということを、私はまだ自分の眼で確かめていない。 ジャーナリスト志望の私としては、往復の夜行バス旅行をものともせぬ好奇心に突き動かされて、ここまできたわけなのだ。 「恒輝は?」 ディーターは、にこりともせずに私に問いかけた。 以前の彼なら、私の顔を見たとたん、とろけるような微笑を浮かべてくれたな、と思った。 「あ、どうしても今日は抜けられへんバイトがあるんやて。今回の帰省は急に思い立ったから、連絡が間に合わなくて。今晩は会えると思う」 「あいつ今頃、お釣の計算を間違えまくってるだろうな」 「え?」 「立会い稽古のとき、瑠璃ちゃんの名をささやくだけで、簡単に勝てる。これ以上きみに骨抜きにされるようなら、今度、段位を下げると言っといてくれ」 顔を赤くした私を見て、はじめて表情をゆるめる。 私の反応を探りながら、からかって面白がっているようだ。 このあたりの斜に構えた余裕が、今までの彼のものではないかもしれない。 私たち三人は、窓際の席に座って、コーヒーを注文した。 「今日、来てもろたのは、北条海里さんから紹介してもらった「カップリングなりきり100の質問」(提供サイトさまはこちら) に、ふたりに答えてもらうためやの」 「ふうん、おもしろそう」 円香は乗り気だったが、ディーターは露骨にいやな顔をした。 「そういうの、前にも答えたことなかったっけ」 「あったよ。お正月企画で。今度は別の質問なの。それに、あのときとは状況が違うやん。ディーターの性格もうんと変わってるし」 「自分では、変わってるつもりはないんだけどな」 彼は私から質問用紙を取り上げて、目を走らせるとため息をついた。 「やってもいいよ。そのかわり、この後半の50問は答えない」 「うん、私もそう思ってた。後半はエッチな質問ばかりやから」 「それと、円香が何か変なことを言ったら、すぐオフレコにするからな」 彼は、戒めるように円香のほうを向いた。 「気をつけます」 素直に彼女もうなずく。 あれれ。なんだか夫婦の力関係も、微妙に変わってるみたい。 これはおもしろくなってきたわ。 私は、嬉々としてテープレコーダーの録音スイッチを入れた。 1 あなたの名前を教えてください 円: 円香・グリュンヴァルト。旧姓葺石。 デ: ディーター・グリュンヴァルト。 2 年齢は? 円: 10月14日で21歳。 デ: もうすぐ24歳。 3 性別は? 円: 女です。 デ: 男。 4 貴方の性格は? 瑠: さあ、ここが今回、一番聞きたいことやで。じっくり答えてね。 円: 私は……。 瑠: あんたは、もうええわ。知り尽くしてるから。 円:(がっくりして)知っててもいいから、聞いてよ〜。 瑠: わかったわかった。何? 円: 我慢強い、耐える女。 瑠: ……うそつき。 円: うそやないって。ラストエピソード読んだ人に、けなげだって評判やってんから。 瑠: 自分で、そう言うてしもたところが、もうけなげと違う。はい、「明るく、能天気」と。 (さっさと取材ノートに書き込む) 次、ディーターね。 デ: すごいな、ふたりのトークだけで紙面が埋まる。俺は必要ないな。 瑠: って、誤魔化さんといて。新しい性格って、自分ではどう思う? デ: 前より多少は、楽に生きられるようになったかな。 瑠: 楽? デ: 気に食わないことを、気に食わないと言えるようになった。無理にがまんしなく なったし、人を傷つけるやりかたでなければ、拒否してもいいと思ってる。 瑠: うーん。なんか、大人になったって感じやね。 5 相手の性格は? 瑠: はい、まず円香から、ディーターの性格について。特に以前と変わったところは? 円: 基本的には変わってないんやけど、でもちょびっと強引になったかな。 瑠: 夜のほうも? 円: うん、夜のほうも……(言いかけて、ディーターがにらんでるのに気づく)、 あはは、何のことかしらね。 瑠: ほかには? 円: 意地悪。私をますます子ども扱いする。めっちゃきつい皮肉言う。テレビのアニメ 見せてくれない。家の中でドイツ語を使えって強要する。それから、それから……。 瑠: それから?(身をのりだす) 円: ……でも、聖にはいいパパだし、私にも……うふふ。 瑠: なんや、いつものノロケやん。ちぇっ。じゃあ、ディーター、円香の性格を。 デ: 聞くまでもないんじゃないですか? 瑠: はい、聞くまでもないです。 6 二人の出会いはいつ? どこで? 瑠: 私がかわりに答えるね。ふたりの最初の出会いは、1999年4月。ドイツから ディーターが葺石道場に入門しに日本に来て、ふたりは葺石家の門のところで 出会いました。 円: すごい、さすが手記の編集者(パチパチと拍手する)。 7 相手の第一印象は? 円: ぞっとするくらい冷たい人やと思った。あのとき、ユーウェンの人格やったからね。 そのあと、おじいちゃんの部屋で話したときには、正反対の印象で、狐につままれた ようだった。 デ: 円香のことはドクトル・フキから聞かされていたけど、最初見たときは16歳とは 思えなかった。てっきり小学生かな、と。 円:(頬をふくらませて)また、そういうことを言う。 8 相手のどんなところが好き? 円: 正〜直に言うね。……最初は外見だった。こんな綺麗な人いるのかなって。 瑠: あんた、昔から面食いやもんね。 円: でも、そんなことどうでもよくなるくらい、ディーターの優しさに惹かれていった。 今でもそうだよ。表面は少し怖くなったけど、中身はとっても優しい。 デ: 俺は、円香の明るさにいつも救われてきた。彼女が「だいじょうぶ」って言うと、 本当にだいじょうぶだと思える。 瑠:(円香の中には子どもっぽさと母性が共存してる。ディーターはきっとその両方に 救われていたのだろう。手記を編集しながら、私なりに分析した結論だ) 9 相手のどんなところが嫌い? 円: 子ども扱いするのは、やめてほしいです。私かて、もうお母さんやねんから。 デ:(笑いをこらえながら)「弟さんの子守? えらいね」、なんて知らないおばさんに 言われないようにね。 瑠: そんなことあったんや(テーブルを叩いて、大笑い)。で、ディーターは円香のどこが 嫌い? デ: 声の質がよく通るから、こっそり話してるつもりでも、まわりの人間にみんな聞こえ てるらしい。ときどき恥ずかしい思いをする。 10 貴方と相手の相性はいいと思う? 円: うん、そりゃもう。 デ: それなりに。 11 相手のことを何で呼んでる? 円: ディーター。この頃、聖の前では、ときどき「ファティ」(ドイツ語でパパ)と呼ぶことも あるよ。 デ: 円香か、聖の前では「ムティ」(ドイツ語でママ)。 12 相手に何て呼ばれたい? 円: 結婚してすぐ、ケルンに短期滞在してたときに、一度だけフランス語で愛を ささやかれたことがあるの。「マ・ベル」とかなんとか。あれ、もう一度言ってほしい。 デ: 絶対にいやだ。 13 相手を動物に例えたら何? 円: なんかね。目が青いから、夜見るとペルシャ猫みたいやなあって思うんだ。それか 豹かな。 瑠: ユーウェンは肉食獣みたいだって、鹿島さんが書いてたことあったね。円香、毎晩 ぱくりって食べられちゃうんや。きゃああ。 円: あんたは何を喜んでんの。ねえねえ、恒輝は犬って感じ、せえへん? 瑠: するする。お預けすると、尻尾振ってるよ。 円: きゃははは。おっかしい。 デ:(ため息をついて、コーヒーを飲んでいる) 14 相手にプレゼントをあげるとしたら何をあげる? 円: 最初の結婚記念日のときは、スーツを買ってあげたけど。それくらいかな。あまり 物を欲しがらないんだよね。 デ: 食べ物。それが一番喜ばれることがわかった。 瑠: ほんまに色気のない奥さんやなあ。 15 プレゼントをもらうとしたら何がほしい? 円: ものをもらうよりも、ふたりっきりでデートしたいな。この頃、聖と三人の生活ばっかり やから。 デ: 同じ意見。 16 相手に対して不満はある? それはどんなこと? 円: あるある。実は、味オンチのユーウェンが入ってるせいか……。 瑠: えっ、まさかセロリとキュウリの区別がつかへんようになったの? デ:(ブスっとして) それくらい、わかる。 円: 食事の時間を粗末にするんだよね。もっと美味しそうに食べてほしいの。それに、 お酒の量が前より増えた。健康のためにも家計のためにも節酒してください。 瑠: 奥さんはこうおっしゃってますが、旦那さん、どないですか……って、何かのテレビ 番組みたいやな。 デ: 善処します。 瑠: じゃあ、ディーターから円香への不満は? デ: 特にない。 円:(喜ぶ) わあ、完璧な奥さんなんや。 デ: 別に、言ったところで変わらないし。 瑠:(ハンカチで目頭をそっと押さえる) 苦労してんねんなー。 17 貴方の癖って何? 円: ラストエピソードでも書いたけど。このごろ全然なんの用事もないのに、ディーターの 名前をしょっちゅう呼んでしまう。いつか、またいなくなってしまうみたいで不安なの かも。 デ:(照れくさそうに)……もういなくならないよ。 円: ほんま? ほんまに? デ: ああ。 瑠: 麗しいシーンやなあ。あまりに幸せそう過ぎて、見てるほうは蹴っ飛ばしたくなる けどな。 デ: そう、それ。 瑠: え? デ: 俺の癖。ときどきものを蹴っ飛ばす。ユーウェンのときの癖が残ってるらしい。 瑠: まさか、「くそったれ」とかも言う? デ: それは、さすがに言わない。 18 相手の癖って何? デ: 円香は絶対俺の右側に座る。ほら、今でも。 瑠: ほんまや。何で? 円: うーん、無意識やから……。 瑠:(もしかすると、左はユーウェンの側だという、かすかな恐怖心が円香にはあるのかも しれない。でも、私はあえてそれを指摘しない。それはふたりが自分たちで気づいて 乗り越える問題だから) 19 相手のすること(癖など)でされて嫌なことは? デ: 髪の毛をいじるのはやめてくれって、何度言ってもやめないんだ。 円: だって、さらさらで気持ちええんやもん。私こそ、子どもに対するみたいに、からかう のをやめてほしい。 デ: だって、おもしろいもん。 瑠: ディーターも言うようになったよね。 20 貴方のすること(癖など)で相手が怒ることは何? 瑠: これは19と同じ答えということで、ええね。 21 二人はどこまでの関係? 円: 子どもがひとりいる結婚3年目の夫婦、という関係です。 22 二人の初デートはどこ? 円: 大阪・梅田の映画館で、リック・テン監督の香港アクション映画を見たのが 初デート。 23 その時の二人の雰囲気は? 円: ハンバーガー食べながらやったし、ムードはなかったなあ。ディーターは穴の 開いたTシャツ着てくるし。 24 その時どこまで進んだ? デ: 観覧車のてっぺんまで。 瑠: うまい! 円: でも、あのときはほんまに、キスも手をつなぐことも、一切なかったよ。 25 よく行くデートスポットは? 円: 教会に行った帰りに、夙川沿いをよく散歩する。香櫨園の海のほうまでずっと。 夙川は、桜の季節はとっても綺麗ですよー。 26 相手の誕生日。どう演出する? 円: 私たちの誕生日は4日違いなので、その間の休みの日を選んで、いっしょに バースデーパーティします。もうすぐなので、嬉しいな。 27 告白はどちらから? 円: ディーターからだよね。 デ: 忘れた。 円: えーっ、ひどい! 浴衣着ていっしょに花火したとき、「好きだ」って言ってくれた やん。 デ: 全然覚えてないな。 円: ひっど〜い(めそめそする)。 瑠:(そっと耳打ちする) 円香をからかって、喜んでない? デ: まあね。 28 相手のことを、どれくらい好き? 円: 嫌い、ディーターなんて、もう離婚してやる! 瑠: はいはい。「好きで好きでたまりません」と書いておいてあげる。 29 では、愛してる? 瑠: ああ、聞くまでもなかったわ、こんな質問。アホらしなってきた。 30 言われると弱い相手の一言は? 円: 「愛してるよ」 デ: 「一生のお願い。これから何でもいうこと聞くから」。もう百回は言われてるけど。 31 相手に浮気の疑惑が! どうする? 円: とことん問い詰める。納得がいかないまま疑い続けたくない。 デ: 自分で確かめに行く。 32 浮気を許せる? 円: 「絶対に赦したらあかんで、一匹みかけたらその30倍」って、藤江伯母さんの 口癖。 瑠: まるでゴキブリやな。……ディーターは? デ: 相手を殺す。 瑠: 冗談……だよね? デ: 冗談です。 33 相手がデートに1時間遅れた! どうする? 円: 携帯にかけて、実家に電話して、とにかく心配して、あちこちに連絡とりまくると 思う。 デ: だいたいいつも遅れてくるから、一時間くらいじゃ心配しない。 34 相手の身体の一部で一番好きなのはどこ? 円: やっぱり髪の毛かな。手も指が長くて綺麗だし。目も……、うーん、どこか一ヶ所 選ぶなんて無理。 デ:(意味ありげに笑って) これは、健全な答えを期待してる? 瑠:(どぎまぎしながら) え? ええ、まあ。 デ: じゃあ、目って答えにしとく。 35 相手の色っぽい仕種ってどんなの? 円: 毎朝、うしろで髪の毛をくくるとき、うなじが見えるのが、悔しいけど私より色気が ある。 瑠: ディーターは? デ: ……(腕組みをして、考え込んでいる)。 円: そこまで、答えるのむずかしい? 36 二人でいてドキっとするのはどんな時? 円: 黙ってじっと見つめられたとき、かなあ。 デ: 「今月、もうお金あらへん!」って泣きつかれるとき。 円: それって、ドキッの意味が違うと思う。 37 相手に嘘をつける? 嘘はうまい? デ: 絶対に相手にバレない嘘をつける自信がある。 円: ふふーん。私は嘘ついたのちゃんとわかるもんね。たとえば、この間のも。 デ: そういう誘導尋問にもひっかからないのがプロ。 38 何をしている時が一番幸せ? 円: なんかこの質問、前もあったね。私が「ふたりでいるとき」と答えて、ディーターは 「ひとりでコーヒーを飲んでるとき」って答えたんや。 瑠: おんなじ答えにしとく? デ: それでいい。 円: うわ〜ん。 39 ケンカをしたことがある? 円: そりゃ、何べんでも。 40 どんなケンカをするの? 円: たいてい、私がばあっと、まくしたてて、ディーターは黙って聞いてる。 41 どうやって仲直りするの? 円: たいてい、ディーターが私を抱きしめて、終わり。 瑠: 恒輝にも見習わせたい(号泣)。 42 生まれ変わっても恋人になりたい? 円: うん。 デ: そうだな。 43 「愛されているなぁ」と感じるのはどんな時? 円: キスしてくれるとき。 デ: 聖(ひじり)よりも、俺を優先したとき。 44 「もしかして愛されていないんじゃ・・・」と感じるのはどんな時? 円: キスしてくれないとき。 デ: 俺よりも聖の世話を優先したとき。 瑠: なんだか、単純っていえば単純やな、このふたり。 45 貴方の愛の表現方法はどんなの? 円: えーと、あのね……。 デ:(さえぎって) 「愛してる」ということばから、一部18禁指定を受けるであろう方法 まで、時と場所により千差万別です。 瑠: すごい……。あざやかな即答。 デ: 円香に何を口走られるかわからないから、気が気じゃない。 46 相手に似合う花は? デ: スイートピー。 円: 瑠璃子、ディーターって薔薇が似合うと思わへん? 瑠: 思う思う。ベルばらの世界やな。 47 二人の間に隠し事はある? 円: 基本的には何でも話すようにしてるけど、でも夫婦かて人間やから、全部をさらけ だすわけには行かないと思うよ。 デ: まったく同意見。 48 貴方のコンプレックスは何? 瑠: これも、お正月企画の質問で答えたね。 49 二人の仲は周りの人に公認? 極秘? 円: 秘密どころか、たくさんの人の祝福を受けて結婚しました。 50 二人の愛は永遠だと思う? 円: そうだといいな。 デ: 俺はそう言いきれるほど、自分のことをまだ信じてるわけじゃない。 ……でも、そう言えるようになりたいと思う。 「ごめん、瑠璃子」 ちょうど全部の質問が終わったとき、円香が立ち上がった。 「私、もう行かないと。聖のおっぱいの時間みたい」 「まだ、2時間たってないよ」 「でも、胸が熱くなってきた。聖が泣いてると思うんや。あとでディーターと、ゆっくりうちに来て」 彼女は、あわてて喫茶店を飛び出して、走っていった。 「わかるの? 離れていても、赤ちゃんが泣いてるってこと」 「どうも、そうらしい」 ディーターが答えた。「母子って、神秘的な絆で結ばれてるな、と思う。父親はそういうことは何もわからないし、そばにいても何もできない」 「でも、父親がいて守ってくれるからこそ、母親と子どもは安心して生きているんや。円香を見て、そう思うもん」 テープレコーダーや取材ノートをカバンにしまってるあいだに、彼はレシートを長い指でつまみあげた。 「あ、私が無理を言って、呼び出したのに」 「いいよ、俺が払う」 店の外に出るともう夕方で、あたりは茜色の夕焼けと少しひんやりした空気に包まれていた。 「うちに来る?」 「うん、恒輝との待ち合わせまではまだ間があるし、聖くんにも会いたいし。もう大きくなったでしょ?」 「2ヶ月検診で、6キロを超えたって言ってた。太って、腕に輪ゴムをはめたみたいなくびれができてる」 「ええなあ。私もなんだか、赤ちゃんがほしくなってきた」 「恒輝とは? もう結婚の約束はしたのか?」 「うん。でも、入社後すぐには東京本社への辞令は出ないらしいし。当分まだ、遠距離恋愛かな」 私は東の少し藍色がかった空を見上げた。 恒輝と私の、これからのこと。 いろいろあるだろうな、と思う。ジャーナリスト兼小説家を目指して勉強中の私と、来春から社会の荒波に漕ぎ出そうとしている恒輝。 でも、円香たちみたいな、互いを求め合い、育み合える夫婦になれたらいい。 「瑠璃ちゃん」 「はい?」 「今日は、来てくれてありがとう。円香のあんなにはしゃいでる姿は久しぶりに見た。 長いあいだ、俺のせいで辛い思いをして、そのままずっと出産と育児で大変だったから、きっと嬉しかったんだと思う」 はっとして、ディーターの横顔を見上げた。目を伏せて、舗道を見つめて歩いている。 彼は今でも、円香を苦しめた自分を責め続けているのだろう。 「そんなことないよ。ディーター」 私は答えた。 「円香は、ほんまに幸せそうで、そして綺麗になってた。 ディーターがそばにいたら、あの子はもう、ほかのものは何もいらないんや。ほんとうに、一途な子やからね。 ……だから、だから友だちとして、お願い。もう二度とあの子をひとりにせんといてあげて」 「ああ。約束する」 「もし、その約束やぶったら、恒輝といっしょに、地球の果てまで追っかけていって、引き戻すからね」 「ああ」 彼は、私を向いて少し微笑んだ。 その笑顔を見て、私は確信した。 ディーターが表面はどう変わったにせよ、本質は、円香を愛する気持ちには、何も変わりがないことを。 |
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