§7. 披露宴の日がやってきた。 前の日の晩、京都を中心に震度4の地震があり、一時はどうなるかと思ったけれど(私は阪神大震災以来、極端に地震に弱い。このときもディーターにしがみつき、大騒ぎしてしまった)、交通機関も会場となる料亭の方も、特に滞ることはなく、午後1時の開始に向かって準備は順調に進められた。 覚悟はしていたけれど、撮影所のプロのカメラマン、照明に音響さん、メークさんという錚々たるメンバーを揃えてしまった鹿島さんは、少しやり過ぎだと思う。 芸能人じゃないよ、たかが、一般人の披露宴だよ。 撮影所から借りてきた衣装もすごかった。 私は、顔を真っ白に塗られて、白無垢に、頬かむり。 ディーターも、羽織・袴を無理やり着せられていた。 あのレゲエ頭をどうするのか心配していたが、さすがプロ、ちゃんと沖田総司ばりにカッコよくまとめてくれた。顔は西洋人なのに、金髪で薄い色の目なのに、なんかめちゃくちゃ似合って見える。 「円香。きれい」 「ディーターも、きれいだよ」 私たちは、あまりにも日常とかけ離れてしまったお互いの姿に苦笑しながら、もう開き直る覚悟を決めた。 司会は、仲人の鹿島さんが兼任。 タキシードをバシッと決めて、花嫁の私より色っぽい留袖姿の茜さんとともに、私たちの傍らに立つ。 マイクを持ち、張りのある低音の慣れた口調で、会を進行する。 「新郎のディーターくんは、北アイルランドの出身で、少年の頃から内戦の中で育ち、精神を病み、人を傷つけ、その後、ドイツ・ケルンの葺石教授のもとで治療を受けました」 鹿島さんは、かすかなざわめきをもものともせず、淡々とディーターの過去を紹介した。 何も、隠さないこと。 紹介の文章を作る鹿島さんに、ディーターはそう頼んでいたのだった。 多重人格障害であったこと。多くの罪を犯したこと。精神病院に3年間入院していたこと。 ケルンから昨日駆けつけ、有名人の招待客に混じって席に坐っていた父は、気が気ではなかったろう。 「円香さんは葺石流の師範の家系に生まれ、自分が男として生まれなかったことを悔やみ、自分を置いてドイツに行ってしまった父親を密かに恨んで育ち、自分のことを人を愛せない人間だと思っていました」 でもディーターに会って、彼の心の優しさに触れて、本当に人を愛することを知った。彼とずっと生きていきたいと願ったとき、自分が女として生まれたことを受け入れ、父親とのわだかまりも融けた。 こちらは私が、自分で書いたままの文章だ。 華やかな披露宴には似合わない、ぶっとんだ新郎新婦紹介だった。 普通なら、学歴とか長所とか、口当たりのいいことばっかり言うのが本当だろう。 でも私たちはそうしたくなかったし、鹿島さんたちもそれに賛成してくれた。 人がどう思うかということは、私たちにはどうでもよかった。 「ふたりの純粋な愛情を見ているうちに、仲人を頼まれた私たちも、自分たちの意地とか義理とかそんなことに拘っていたことが、何だか馬鹿らしく思えてきました」 鹿島さんの声が、少し上ずり始めた。 「だから俺たちも、もう我慢はしないことに決めました。俺と茜は、ここに夫婦となることを宣言します」 会場は、大騒動になった。 ディーターと私、鹿島さんと茜さんは、こっそり目配せしあった。 私たち4人が、話し合って決めたこと。 それはこの披露宴を、私たち2組の披露宴とすることだった。 「まったく、ひやひやさせてくれたぜ。心臓が飛び出るかと思った」 父は葺石家に帰ったあと、濡れ縁に坐ってビールを飲みながら、しみじみと言った。 「おもしろかったやろ。あんな披露宴、めったにないよ」 私はビールを、左にいる父と、右にいるディーターのコップに注ぐのに大忙し。 「父をひそかに恨んでいました、か。あれも結構ショックやったなあ」 「あ、あれは、脚色。脚色や。おおげさに言ったほうが、盛り上がるやん」 「ほんま、おまえら2人見てると、おもしろいわ。飽きひん」 「なによ。ベストカップルと言ってくれる? ね、ディーター」 ディーターは私の肩に手を回して、黙って笑っている。 「ディーター。おまえ、強くなったな」 父は彼をじっと見て、感慨深げに呟いた。 「辛いことから目をそらさないで、人に打ち明けることができる。それは、強さなんや」 「はい」 ディーターは、真顔で頷いた。 「円香の、おかげです」 「そうよ。私もディーターのおかげで、強くなった。もう何にだって負けない」 「おまえたちは、俺の自慢の息子と、娘だよ」 父は、鼻の頭を掻くふりをして、涙をふいていた。 「あーあ。久しぶりに夏に帰ってきて、俺も里心がついたかな。なんかこのまま、日本にいたくなったよ」 9月になり、私は大学に戻った。 しばらくは、忙しいけれど平穏な生活が続いた。 だが。 9月11日夜10時。 マンションに帰り、テレビでニュースを見ていた私たちの目は、悲惨な、戦争の中継のような画面に釘付けになった。 ニューヨークの世界貿易センタービル、そしてワシントンの国防総省への同時多発テロ。 ディーターは、黙り込んだ。心なしか青ざめていた。 アラブの過激派組織の犯行であることに、すぐ思いが及んだのだと思う。 ユーウェンが中東やアフガニスタンの組織の幹部とも接触していたのは、前に書いたとおりだ。 その日一晩中、私たちは電気を消し、何も言わず、テレビの前でしっかりと手を握り合っていた。 人間の憎しみが世界を崩壊させていく映像。 いつまで、そしてどこまで行けば、この世から憎悪は消え去るのだろうか。 結婚してよかった。 ひとりでこの悪夢のような光景を見ているのでなくて、よかった。 彼の左手の暖かみを感じながら、私はそう思った。 次の日の早朝6時半ごろ、玄関のドアホンが鳴った。 私服の警察官だった。 すぐ上の満池谷(まんちだに)や苦楽園にある、アメリカ総領事館の職員官舎に厳戒態勢を敷いているという。 丁重な物言いだったが、テロリストとして書類送検された過去のあるディーターのことを調べに来たのは明らかだった。 彼は落ち着いて応対していたが、私は腹が立ってたまらなかった。 だって、あれは不起訴になったんだよ。ディーターは、命を賭けて彼らと戦ったんだよ。 わめいたりすれば彼の立場がよけい悪くなるので、我慢していたが。 結局、容疑は晴れ、警察も納得して帰った。 あとで祖父にそのことを話したら、さっそく警察に電話して怒鳴っていた。 うちの大事な孫に、なんてことしてくれるんや。 祖父には珍しい、家中響き渡るほどのそのあまりの大声に、私たちは苦笑した。 辛い一日だっただけに、祖父の剣幕がディーターには嬉しかったと思う。 また、いつもの毎日が戻ってきた。 マンション住まいになってから、私たちの朝食はパンになった。 18年間、朝・昼・晩と和食一辺倒だった葺石家で育った私は、涙の出るほどクロワッサンやフランスパンの朝食に憧れていた。夙川界隈は、おいしいパン屋さんの宝庫なのだ。 私が毎日大学に行っているあいだ、ディーターは家でプログラムを組んでいる。 船便でドイツから送っていたワークステーション一式がやっと届いて、奥の部屋の私の机の隣に据え付けてからは、仕事も順調にはかどっているようだ。 コンピューターに向かっているときの彼は、本当におもしろい。 何だか、目の前にいる人間にしゃべりかけているように見えるのだ。 小首をかしげたり、頷いたり、怒ってみたり、時には英語でぶつぶつ話しかけてみたり。 プログラムを組むのは、素人目から見ても、神経をすりへらす作業だと思う。 月に2回ぐらいの割で、鹿島さんの買ってくれたスーツを着て、大阪や東京のクライアントのところに打ち合わせに行くことも必要になった。 お互い連絡がとれないことが多くなった私たちは、ついに携帯を買った。 その携帯が最初に役に立ったのは、忘れもしない、10月の初めの昼下がりだった。 「鹿島さんが、どうしても今すぐ木刀が必要で、太秦まで持ってきてほしいって」 ディーターの着信を、私はキャンパスで受けた。 「木刀? 何で、そんなのが要るの?」 「わからない。でも、できるだけ早く。だから俺、聡さんの車を借りて行って来る。円香は、どうする?」 「私も、行く! ディーター、迎えに来て」 校門の前で彼の運転する車に乗りこんで、私たちは国道171号線を、京都に向かった。 撮影所の門では、前にもお会いした守衛の酒井さんが、私たちを覚えていてくれた。 「鹿島さんなら、第5スタジオや。そこを左に曲がって一番奥」 ディーターはこのとき、酒井さんの意味ありげににこにこした顔を見て、鹿島さんの真意を悟ったと後で言っていた。 スタジオに入るとセットがすでに組まれていて、その真中で鹿島さんが、助監督や俳優さんと、台本の打ち合わせをしている。 スタッフの人たちが入ってきたディーターを一斉に見たその興味津々のまなざしで、私にも鹿島さんが木刀を持ってきてくれと、わざわざ連絡をよこした意味がやっとわかった。 「よう。ディーター。遠いところ、すまなかったな」 鹿島さんは手を振って、いたずらっぽく笑った。 ディーターは木刀を、鋭く鹿島さんの手元に放り投げた。 「頼まれた木刀です。もうこれで、用事は終わりですね」 「そんなに、怒るなよ。騙したのは、悪かった」 鹿島さんは、困ったように頭を掻いた。 「どないしてもスタッフのみんなに、俺の考えてる殺陣のイメージを伝えることができないんや。おとつい、おまえと道場で打ち合ったあのイメージ。悪いが、今ちょっとだけ相手になってくれへんか」 「断ります」 ディーターの翡翠色の瞳は、いっぱい食わされたことへの怒りと、大勢の人間に注視されている緊張と、スタジオの煌煌たるライトの反射で、見ている者を魔法にかけるほど光って見えた。 鹿島さんは彼を怒らせ本気にさせるため、わざと嘘をついたのではないかと私は思っている。 「俺はこれからも、この仕事を手伝う気は、ありません」 「だって、おまえ言うたやないか。京都で俺の手伝いしてくれって言ったら、いいって」 「いつ?」 「25万のオーダーメードのスーツを買ってやったときや」 ディーターは天を仰いで、嘆息した。 "Du lieber Himmel ! (なんてことだ)" 「約束は、守ってもらうで」 勝ち誇った鹿島さんに相対して、 「しかたない。何をすれば、いいんですか」 彼はうらめしそうに睨みながら、自分で運んできたばかりの木刀を受け取った。 「おとといの道場の稽古を基本に行く。あとはアドリブ、オッケー。本気でやってくれ。本気で、果し合いのつもりで」 「どっちが、勝つんですか」 「もちろん、俺や。悪いが、おまえは切られて死んでくれ」 ディーターは、不敵な笑みを浮かべた。 「いいえ。俺が勝ちます。死ぬのは、鹿島さん」 そのとき、私はからだの中を、一陣の不吉な嵐が通りすぎたような心地がした。 カメラが回る合図を待って、二人は木刀を構えた。 前にも、こんなことがあった。 あのときは、無人の撮影所。 鹿島さんと殺陣を考えている途中、ディーターは一瞬だが、ユーウェンに変化した。 やめて。 私は、声にならない叫びを心の中であげた。 木刀の破裂するような衝撃音とともに、ふたりは渾身の力をこめて、組み合った。 実現したら、時代劇史上に名場面として残ることは確実な殺陣は終わった。 ふたりは地面に坐りこんで、しばらく喘いでいた。 相打ちだった。 ディーターの木刀は鹿島さんの右肘に、鹿島さんの木刀はディーターの左肩に同時に打ちこまれ、2人は同時に木刀を落としたのだ。 「だいじょうぶか、ディーター」 「脚が痛い……。どこか、義足をはずせるところ、ありますか」 「ああ、ADに控え室に案内させるよ。無理させて悪かった」 ディーターは左足を引きずりながら、スタジオの出口に向かった。心配して駆け寄ろうとする私を、「だいじょうぶ」と微笑んで制止した。 鹿島さんは、もうひとりの助手の人にもらったタオルで首筋の汗をぬぐいながら、私のもとに歩み寄った。 「あいつ、いつの間に両手ききになったんや」 「え?」 「おとついまでは、右手が中心やった。今日は太刀筋が、右からも左からも平均に来た。確かに、左手は握力がまだないけど、その分右足の踏み込みが強いから、バランスがとれている。受ける方からすりゃ、どっちから来るかわからん恐怖を感じる」 左手。まさか。 「ユーウェンになってしもたんと、違うよね」 鹿島さんは、首を振って否定した。 「おとつい練習した稽古から、基本ははずれてなかった。殺気も、冷静に抑えられてた。それにユーウェンなら、逆に右手が使えんようになるはずや」 「でも、今のディーターは……」 「考えられるのは、ディーターがわざとユーウェンであった部分を表に出した、ってことや」 「えっ!」 「ユーウェンは消えたんやなくて、彼の中に吸収された。それをディーターはコントロールして利用し始めている。もし、そうやったとしたら……」 鹿島さんは、大げさに身震いしてみせた。 「俺はもうディーターには、かなわんかもしれん」 秋が深まる気配がする。 ケルンでは、一足飛びに夏から冬になるくらい急激に気候が変化するので、日本の秋を初めて体験するディーターは、このキンと透明で心地よい空気が好きだと言っている。 紅葉の京都も、訪れた。 鹿島さんとディーターのあのとんでもない高度な殺陣は、結局採用されなかった。演じる俳優さんがいなかったのである。 でもふたりは、全然がっかりしていなかった。 また、やろうな。 「あかね」のカウンターでの鹿島さんの誘いに、ディーターは熱燗の日本酒をすすりながら何も答えなかったが、否定もしない。 けっこう、殺陣の仕事、彼は気に入ってしまったと私は感じ取っている。 10月のなかば、私たちは誕生日を迎えた。 私と彼の誕生日は、なんと4日しか違わなかったのだ。 私たちは、ちょうどその真中にあたる日にワインを買って、ふたりだけでお祝いをした。 ディーターは22歳。私は19歳になった。 私たちはお互いに凭れかかり、ワインを飲みながら、早くもっと大人になりたいねと言った。 私たちの生活には、いろいろな目に見えない重圧がある。 私には。 学生の分際で早すぎた結婚をしたという蔑み。国際結婚に対する、いわれない中傷と好奇の目。 ディーターには。 外国人として日本で生きて行く不利益。身体と精神の障害に対する無理解と偏見。 たいていのことは笑って吹き飛ばし、逆に利用したりするのだが。 時には、へこむ。 早く実力と実績を積み上げて、見返してやりたいとも思う。 でもふたりだからこそ、その悔しさをバネにできる。 チャレンジがある分、ふたりでいるときを幸せだと感ずることができる。 私たちはいつも、そう話し合っている。 ケルンにいる父からは、あまり連絡はない。 ディーターがEメールで付属病院の医師とやりとりした情報によると、父は本気で日本に帰りたがっているようだ。最愛の娘と最愛の義理の息子が日本に行ってしまい、半分ぬけがらみたいになっているというのだ。 病院にも今期かぎりで辞めることを、宣言したようだ。 主治医として多くの患者に責任がある身でもあるので、そう思いどおりになるとは思えないが、順調なら来年の夏に帰ってこれるはずだと言う。 こんな大事なことを娘の私に相談もしないとは、相変わらずひどい。それが父の性格だと諦めてはいるけれど。 父が帰ってくればまた昔のように、葺石家の一室を診療所に、少数の患者と根気よく向き合う治療法を続けていくのだと思う。全然お金にはならない道楽稼業と言われようとも。 ディーターだって父がそばにいれば、精神的にもすごく楽になる。 ところで、これは内緒話だが。 この場合もしかすると、父が名前だけ葺石流を継いで、最弱の師範となる可能性も出てきた。 でも祖父は葺石の血筋には拘らないと言っているから、鹿島さんが14代目になるという気がしている。 ディーターの病気は、まだ完全には治っていない。 月に2回、父から紹介された病院に薬をもらいに行く。 かかさず飲んでいるが、頭痛はまだある。 離人感に襲われたときは、ちょっと見にはわからないが、表情がぼんやりして身体が硬直したようになる。数秒から数分で収まるのだが、本人には辛いらしい。 何かきっかけがあるときもあれば、全く前触れがないこともある。 いっしょに暮らし始めてから今までに1度だけ、病状がひどく悪化したことがあった。 何日間も、全然起き上がれなかった。 私は大学を休み、そばに坐って何も言わずに、ずっと彼の頭を撫でていた。 彼がこんなに苦しんでいるのに、何もしてあげられないのがとても辛かった。 幸い、数日後にはすっかり元に戻ったけれど。 私たちの戦いは、まだ終わらない。 私はだから、毎週日曜にふたりでカトリックのミサに与るときを、とても大切なときだと思う。 人が罪悪感に苦しみのたうちまわるとき、たとえ一生の愛を誓い合った夫婦でさえも、それを助けることも癒すこともできない。 ただ人の内側をすべてしろしめす全知の創造主だけが、彼を救うことができるのだ。 私とディーターは、たとえ死によってさえ私たちを引き離すことのない神の前に立つとき、本当の平安を感ずる。 さて、いよいよ、この手記も筆を置くときが来た。 ハッピーエンド。 これがそうなのかどうか、私にはわからない。 そもそも、私たちの結婚は物語のエンドではなかった。私たちはもっと長い時を、ふたりで過ごしていたいと願った。 それがどんなものになるのかは、長い年月を経てみないとわからないだろう。 ユーウェンが残していった呪いは、まだ容易には解けない。 彼はもしかして一生、私たちふたりに影を投げ落とすかもしれない。 でも、それでも私たちは、勝利を信ずる。 彼の暗い呪縛が、いつか私たちの絆とさえなりうることを、信じている。 |