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ギャラクシー・オデュッセイ 10
〜 Galaxy Odyssey 10〜









 もちろん、宇宙地図には銀河連邦の境界線など引かれていない。その理由は、境界を主張し合う相手がいないからだ。
 だから、もし境界があるとすれば、それは惑星間の双方向通信ネットワークが途絶するエリアに他ならない。
 地球からの声が届かぬ領域。それが、銀河連邦の【外】なのだ。
 もうこれから何年も、地球とはわずかなメールしかやりとりすることはできない。最後の中継基地エリアを抜け出ようとする今、乗組員たちは、ひとり五分ずつカメラの前に座り、家族や友人に宛てたビデオレターを撮影した。
『オリバー、元気でな。今度帰るときは、きっと初孫を抱けることを楽しみにしている』
 故郷なる星、そこに住む愛する人々へ向けて、彼らは涙ながらに、万感の思いをこめて語りかけた――。


「なあ、泣けるか。泣けただろ。これが今から百年前、火星やサテライトベースへと向かう移民シップの上で、実際に見られた光景なんだ」
 メカニック・チーフ、コウ・スギタが、白けた表情の若いクルー相手に弁舌をふるっている。
「ところが今は、こういうグッとくる感動の名場面は見たくとも見られない。公転軌道上のラグランジュ点に設置済みのハブステーションのおかげで、すでに惑星間インターネットが構築されている。木星地球間においては平均40分のタイムラグは存在するものの、隣町の友人に送るように動画などの大量データを送信することも可能だ。そして、ここが大事なとこだが、地球との長い外合の時期にも、通信は途絶することがない」
 会議室の後ろで、どさりと砂袋が落下したような音がした。誰かまたひとり、居眠りをして椅子からころげ落ちたのだ。起きている連中は、笑いをかみ殺すのに必死だ。
「したがって、来週火曜に行われる【激励会】も、アウターに突入するという悲壮感はどこにもない、ひたすら楽しいダンスパーティになる予定だ」
 スギタはにやりと口角を上げて、部下たちを見渡した。「いいか。メカニックチームの威信にかけて、今度のパーティは彼女同伴でないと参加禁止」
「えーっ」
 それこそ、悲壮感ただよう悲鳴があがった。


「まったくスギタさんも、あの長話さえなければ、いいチーフなんだけどな」
「暇すぎるんだ。あの人に暇を与えちゃダメなんだよ」
 あくびまじりに、ぞろぞろと廊下を歩くのは、バッジオ、ドミンゴ、ジュードのメカニック独身三人衆だ。
 確かにメカニッククルーは最近、暇をもてあましていた。重要な日課だった磁気プラズマセイルの調整も、太陽風が出発時の十%程度に弱まってしまった今となっては、その必要もない。つい先ごろまで小惑星プシケの誘導やロボットの改造作業にてんてこまいだった日々が嘘のようだ。
「それより、パーティに誰を誘う、バッジオ?」
「俺はチェソンでも誘うかなあ」
「誰だよ、それ」
「航宙力学のホン博士の五歳の娘さ。おまえは?」
「あー。俺はセディに協力させて、内海少佐にアタックしてみようかな。背負い投げを喰らって壁までふっ飛ばされそうだけど」
「俺ら、とことん女に関しては望みねえよな」
「おまえはどうする、ドミンゴ」
 小太りのメキシコ人青年は、たった今遠くから帰ってきたばかりのような目をして、「あ、ああ」と生返事をした。
「えっと、もう誘っ……た女が、いるんだけど」
「ええーっ」


 ブリッジの扉が開き、思いつめた表情の黒髪の若い女性が肩をいからせて入ってきた。
「私を、ここで降ろして!」
 叫びながら主操縦席に突進しようとする彼女は、見えないエアカーテンにはじき返された。総務のミゲルのとっさの判断だ。
 通信士のレフと副パイロットのヨーゼフ・クリューガーに両側から取り押さえられると、彼女はありったけの金切り声を上げた。
「離して! 今すぐ地球に帰るんだから」
 その騒ぎのさなか、操縦席からキャプテン・三神が立ち上がった。
「お嬢さん」
 コンソールで点滅する蒼い光を浴びたシルエットは、エトルリアの死の巨神オルクスさながらの威圧感だった。
「ここは木星までの行程のやっと半分を過ぎたところ、地球からすでに四億キロ離れてる。途中下車するのは、あんたの勝手だが、ひとり用の救命カプセルには、最低限の生命維持システムしかない。無音の暗黒の中をひとりで、何週間も、何ヶ月も漂って帰ってもらうことになるが、それでもいいか」
 その声には真実の持つ凄みが含まれている。女性はへたへたと座り込んで、すすり泣き始めた。
「ユナ、ドクターを呼んでくれ」
「もう呼びました。私も医務室まで付き添います」
 通信士チーフは、女性の肩にそっと手を置くと、助けて立ち上がらせた。
 廊下には、ドクター・ナクラと看護師のエヴァが待機していた。そして、その後方に、メカニックの若者たちが立っていた。
「シエラ」
 ドミンゴの呆然としたつぶやきに、同僚たちはすぐに察した。「あの娘が、おまえが誘ったという女か」
 力なく、うなずく。
「シエラは、ライブラリの司書なんだ」
「ライブラリ? てめえ、それでこの頃、こむずかしい本を小脇に抱えてやがったのか」
「ち、違う。あれは本当に読みたかった本で……」
 彼は小さな目をしょぼしょぼと瞬かせた。
「もともとは同じ高校の出身なんだ――俺のほうが年上だから一年しかかぶってないけど。偶然ダイニングで同席したとき、ネームタグを見て思い出した。それ以来、会えば挨拶を交わしてはいたけど……先週、本を返しに言ったら……母親が入院したって知らせがあったって、泣いてたんだ」
「ああ、そうか。そう言えばレフが今朝、誰かの訃報が届いたと言ってたな」
 バッジオは額に手を当てて、天井を仰いだ。「お母さん、ダメだったのか」
「それは辛いな。葬式に帰りたくても帰れないし」
 ジュードが押し殺した声で同意する。
「俺、なんとか彼女を力づけたくて、パーティに誘ってたんだけど」
 ドミンゴは、右の手にきつく拳を結んだ。「今となってはもう、どうやって慰めたらいいのか、わからないよ」


 ライブラリは、【フロンティア号】の最上階の居住フロア、船尾の一角すべてを占める扇形の空間だ。
 ゴシック調の内装と高い天井。書物でぎっしりと埋め尽くされた壁はすべて、特殊ホログラムでできている。地球のありとあらゆる文化財を収集したノアの箱舟さながらの【フロンティア号】といえど、さすがに古今東西のあらゆる本まで持ち込む余裕はなかったのだ。
 入館者は入り口のコンソールパネルの前に立ち、希望のジャンルを選択する。奥の階段を上がり、柔らかなライトに照らし出された区画をぶらぶらと歩きながら、ホログラムの背表紙を眺める。
 試しに一冊、手に取ってみる。書物はふわりと浮き上がり、空中でぺらぺらと頁をめくりだす。試し読みをして、それが望む本であれば、手元のリモコンの貸し出しボタンを押せばよい。階段から降りるまでには入り口のカウンターに、消去可能な特殊インクで印字された本が、重厚な表紙付きで製本されて置かれているという仕組みだ。
「ここは、リオデジャネイロの幻想図書館を模しているのね」
 ユナはゆっくりと、飴色の柱や天井を見渡した。「ステキな図書館だったわ。何日でも過ごしていたいくらい」
「あなたって、世界じゅう行ってないところはないんじゃない?」
 みごとなプロポーションを薄緑色の制服に包んで、ペルー人のエヴァが後に続いた。
「レイが火星航路に乗り組んでいたときは、寸暇を惜しんであちこち観光していたのよ」
「家で寝てばかりのうちの亭主とえらい違い」
「コウは、あなたの顔さえ見られれば、景色も名所旧跡も眼中にないんだと思うわ」
 くすくすと控えめに笑い合うふたりの女性の視線の先には、泣き腫らした目をして閲覧デスクの前にぼんやりと座っているシエラの姿があった。
「ねえ、シエラ。『ひゃくまいのきもの』って絵本あるかしら」
 エヴァは屈託のない笑顔で問いかける。「小さいころ読んだきりなのよ。結局、ワンダは百枚のドレスを持ってたんだっけ、どうだったかしら」
 シエラは顔を上げると、かすれた声で答えた。「百枚のドレスの絵をクラスの子に送って引っ越していったのよ。どの一枚をとっても一等賞をもらえるくらいのみごとな絵を」
「細かい筋は忘れてしまったというのに、子ども心に強く印象に残っているの。誰が何を言おうとも、自分の友だちは自分で決めるんだという大切な教訓を、私はあの本で学んだわ」
「私も小さいころ、大好きな絵本があったの。教えてもらえる?」
 ユナも勢い込んで、訊ねた。「『I think I can』が口ぐせの機関車の話。おとなになっても、自分に自信がなくなったとき、ときどきふっと思い出したわ」
「『The Little Engine That Could』ね。その本もここにあるわよ」
「すごいわ、シエラ。全部の本のことが頭に入ってるの?」
「そ、そんなことないけど」
 真ん中にシエラをはさんで、三人の女性はまるで高校からのクラスメイトのように並んでベンチに座り、おしゃべりを始めた。
 人生を語るには、本は最高の話題だ。絵本を皮切りに、夜を徹して読みふけったミステリのこと、胸を熱く焦がしたロマンス小説のこと。やがて話題は一巡し、幼い頃に絵本を読んでくれた大切な人に思いは戻る。
「母とは、今も会うたびに大げんかしてるわ」
 小粋に肩をすくめながら、エヴァが言った。「私たち、お互いに似すぎているんでしょうね。ふたりとも離婚を経験してるところなんか、そっくり。自分の一番イヤな部分と向き合っている気になるの。だから、妥協できないし、ひとことだって謝りたくもないのよ」
「私の場合は、そうね、母は子どものころ、女神のようにあこがれの存在だったわ」
 ユナも時空を越えた思い出に、瞳をたゆたわせる。
「暇さえあれば、母の鏡台の引き出しを開けてた。そうすれば、少しでも母に近づけそうな気がしたの。でも、中学のころだったかしら。母の香水のかおりを嫌いだと思ったとたんに、魔法が解けたようだった。……不思議なのよ。今も仲が悪いわけじゃないのに、それ以来母と私は別の人間だし、全部を理解してもらうのは無理だっていう冷めた気持ちが、頭のどこかにあるの」
 シエラはしばらく、しょぼしょぼと瞬きを繰り返していた。
「私、移民団に登録するとき、さんざん母親ともめたの。あんたは馬鹿だ、人生を損してるって罵られた。私はムキになって、反対を押し切ってシップに乗ったの。今思えば、あのとき、母は自分の病が治らないことを知っていたはず」
 脇のふたりの女性の手を背中に感じた彼女は、絶句して、コーヒー色のデスクのつややかな表面に雫を落とした。
「ひとことも言わなかったの。私……なんで気づけなかったんだろう」
「お母さんは、あなたが自分の道を迷わずに進んでほしかったのよ」
「口では文句言っても、ちゃんと娘の夢を大切にしてくれたんだわ」
「母親って、やっぱりすごいわ」
「うん、近くて、でも遠くて、大嫌いで、でも大好きな人」
「最後にひとこと、ごめんなさいって謝りたかった……」
 叡知の殿堂に無言で見守られながら、三人の女性は抱き合って涙を流した。


 ダンスパーティの夜、メインダイニングに現れたタキシード姿のメカニック独身三人衆は、いつもに比べてひとり欠けていた。
「で、チェソンちゃんには振られたのか」
「『顔がイヤ』とにべもなく断られたよ……。内海少佐は?」
「セディが、承諾される確率は0.00003%だとせせら笑いやがった。背負い投げで壁まで吹っ飛ばしてやったぜ」
「どうする? 踊る相手がいなきゃ、チーフに中に入れてもらえないんだぜ」
「俺、高校んとき、ダンスの授業で女性役やらされたことあるけど?」
「……頼むから、そういうおぞましい画を想像させないでくれ」
 同じころ、【フロンティア】号の排出口から、一機の小型シャトルが静かに宇宙に吐き出された。
 シャトルは慎重に、誘導システムとの同期を終えると、機首を傾けてふわりとシップから離れた。
 遠ざかった【フロンティア】号は、弱い太陽光線を浴びて、夜明けの雪のような白銀色に輝いていた。
「ダンスパーティに誘ったんじゃなかったの?」
 ドレスの代わりに防護服に身を包んで助手席に座るシエラは、とがめるように操縦席を見た。
「俺、踊れないんだ」
 ドミンゴは、とぼけた答えを返した。「それに、きみも今は、そんな気分になれないだろ?」
 シエラは少しの間、黙り込んだ。「ええ、そうね」
「俺、一度だけきみのお袋さんに会ったことがあると思う。覚えてるかい、そのときも高校のダンスパーティだったよ。車に乗れるやつが手分けして、きみたち下級生を順繰りに家に送っていったら、きみのお袋さんは道まで心配そうに出迎えてくれてた。不思議だな。今ごろになって、ようやく思い出すなんて」
「……」
「お袋さんの記念式をしようっていうキャプテンの提案を、きみは固辞したと聞いた」
 彼女は「ごめんなさい」と、消え入るような声で答える。「だって、私にそんなことしてもらう資格ないもの」
「それならば、宇宙でやってあげようって、メカニック全員で話し合ったんだ」
 シャトルはさらに上昇し、【フロンティア】号は視界の隅で、たちまち小さな道標となった。「こわくないよ。このシャトルは木星の衛星を結ぶために開発された頑丈な作りだ。数十時間は飛び続けていられる」
 明るく輝く虚空の彼方を、ドミンゴは指差した。「ほら、あっちが、地球の方角だ」
 平板なメダルのように見える太陽に、シエラはまぶしげに目を凝らした。「地球はどこ?」
「太陽のすぐ右側で、ほとんど見えない。見えないけど、確かにあるから」
「ありがとう、ドミンゴ」
「どういたしまして。さあ、大きな声でお母さんのことを呼んでごらん。ここからなら、きっと届くよ」
「お……さん」
「もっと大声で。俺はいないものだと思って」
「お母さん」
 ドミンゴは操縦レバーをロックし、倒したシートに背中を預けて目を閉じた。
「お母さん――お母さん――お―母―さ―ん!」


 音楽が鳴り止んだメインダイニングホールは、照明が消され、宇宙のただなかに放り込まれたような暗さと静けさに満ちた。
 淡いステージライトが灯され、壇上にプルシアン・ブルーの制服をまとったレイ・三神が立つ。
「【ギャラクシー・フロンティア号】は、銀河標準時で明日未明、航路の中間ポイントに到達する」
 木星への長い旅は、ついに後半へと突入する。【第一次調査移民団】以後、ロボット探査機以外ひとりの人間も訪れたことのない宙域へと、彼らは踏み出すことになるのだ。
「故郷や家族をなつかしく思い出す者もいるだろう。後ろ髪を引かれるような後悔に胸を裂かれている者もいるだろう。それらを捨てろとは言わない。ただ、前に進むために妨げになる物には、しばらく鍵をかけて、しまっておいてほしい。必要ならば、俺が船長室のロッカーで預かろう」
 機関長のタオが大声で叫んだ。
「わしの心残りは、クシロに残してきたグラマーな女なんだがな。キャプテンが預かってくれるかい」
「尻がロッカーに入ればな」
 緊張の面持だった一同は、どっと笑った。
「旅の後半は、前半とはまるで違う。これまでは、誰かが作成した計画表にのっとってやってきた。どこを向いても、多かれ少なかれ誰かの手垢と足跡が印されていた。だが、これ以降は」
 人々の熱い視線を受け、レイの薄茶色の瞳もまた情熱に燃えていた。
「計画表を作るのはわれわれ自身だ。想定も前例も粉々にして忘れてしまえ。俺たちは想定外のことをやり遂げる。前例を作り変える。【ピルグリム】になるのは、俺たちだ!」
「おーっ!」
 割れんばかりの鬨の声と拍手が会場を満たした。
 そして、誰からともなく湧き上がってきたのは、スイス民謡を元にした十九世紀の古い賛美歌だった。


     信仰は、わが足の杖、
     旅人の手にある助け。
     信仰は 勇ましき武具、
     兵卒の頼もしき剣。
     われは進み行かん。
     たとえおじけづき、
     人のことばに惑わされようとも。
     われを妨げる恐れなし。
     巡礼者【ピルグリム】はたゆまず進む。



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讃美歌270番 「信仰こそ旅路を」  原詩:トーマス・リンチ(私訳による)
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