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「びー玉が?」 「ころころと坂をころがっていくんやて?」 俺、井澤怜はひたすら後悔していた。晩秋の町並みの風景をゆっくりと流す電車の車窓に、こめかみを押し付けながら。 ことの起こりは3日前。 下校時刻をとっくに過ぎた、年代物の木造の部室長屋。 その2階の奥にひっそりとある文芸部の窓は、もう何年もほこりがたまって、すりガラス状になっていて、 外の早い夕闇を映す役目よりも、部室の蛍光灯の明かりを反射することを優先させていた。 その隠れ家のような居心地の良さに油断して、俺はつい口をすべらせた。 小さい頃からくりかえし見ている夢の話を。 よりによってその相手が、同じ2年の貫田耕冶と加納亜季。 打ち明け話には最悪の連中だった。 あずき色の電車は、少し傾いたプラットホームで暖かい空気を吐き出しながらドアを開いた。 降りた乗客たちがてきぱきと定期や切符を自動改札機に通して、自分の家や目的地に向かって早足で去っていったあと、俺たちは取り残されたように駅の外に出た。 「イサ、ええ所に住んどったんやなあ」 関西の私鉄沿線の路線価格を知ってでもいるのか、耕冶が少し揶揄の声をあげる。 「こっち」 連れにぶっきらぼうにそう伝えると、俺は先頭を切って歩き出した。 一足ごとに、心もとなさがまとわりつく。 見覚えのある駅前の風景。ほのかに懐かしい匂いがする。 だが何かが違っている。 母親に手を引かれて通った駅前商店街。アイスクリームを買ってもらった和菓子屋も、初めて自分の小遣いでCDを買ったレコード屋も、今はなかった。 17歳の背丈から見る幼いころの景色は、まるで縮尺の合わない地図を頼りにしているよう。 耕冶と亜季のおしゃべりを背中で聞きながら、国道沿いにずっと歩くと、毎日通っていたペンキのはげた歩道橋が見えてきた。その傍らに土曜休業で人影のない小学校がたたずんでいる。 「ここに、イサは5年生まで通ってたんや。ふふふ」 亜季が笑うその頭上で、学校の塀の内側のポプラの木が、黄茶に色づいた葉をはらはら落とす。 「なつかしい?」 「特に」 「ふーん」 3人はまた、歩き出した。 歩道橋を渡ると、古ぼけた市営団地が見えてくる。近道をするときにくぐった団地の柵は、今でもあの頃のまま一本だけ鉄棒がはずれている。 住民たちが思い思いに植えたコスモスやサルビアや、とんでもなく季節外れの朝顔。 団地公園のすべり台や回転ブランコ。 マフラーの毛糸を捜す夢は、ちょうどこんな場所が舞台だった。 「坂道なんて、あらへんなあ。このへん平地ばっかり」 「あっちにもう少し行けば、坂がある」 団地を横切り、喫茶店やパン屋のある一角を過ぎると、松並木に縁取られた上り坂が見えてきた。 坂の上は広い緑地公園になっている。 「この坂が、イサの夢に出てきた坂なんやね」 「さあ」 子どもの頃の俺にとって、この坂はとんでもなく急で、とんでもなく長かった。今眼の前にあるのは、ただのなだらかな坂だ。そのギャップが軽い眩暈を起こさせる。 「わからないな。うすぼんやりしてて。はじめっから何の脈絡もない、ただの夢なんやって言ってるのに」 「でも、何度も見る夢ってのは、ぜったい意味があるに決まってる」 耕冶はすっかり、にわかフロイト主義者になっている。 「しかも、そんな夢が3つもあるって言う。ビー玉がころがっていくのを追いかける夢。マフラーのほつれた毛糸をたぐってたら、いつまでたっても先が見つからない夢。消えかけたたき火にくべる落ち葉を、いっしょうけんめい拾い集めてる夢」 「それが全部、小さい頃暮らしてた、このあたりの景色やったんやろ」 亜季がメモ帳までとりだして、俺の言ったことを確認する。 「だから、きっとここにその夢の意味を解く鍵があるにちがいないって、そういう結論に達したんやないの」 「結論に達したのは、おまえら2人だけや」 うらみがましい目で、彼らをにらんだ。 「せっかくの休みの土曜日を、こんなことにつき合わせて」 「逆、ぎゃく。俺たちはおまえのために付き合ってやっとるんや。俺はな、おまえのその暗い性格の鍵が、そこにあると推理してるんや」 耕冶は眼鏡の奥をキラリと光らせて、ぬはははと不気味な笑い声を立てる。 「3つの夢はたぶんな、おまえが子どもの頃目撃した殺人事件の記憶を暗示してる夢なんや。ビー球は眼球、マフラーは首に巻きつけられた紐で、たき火は死体を焼く焼却炉の炎やった」 「はあ」 「私はね、イサは忘れているけど、きっと初恋の思い出やと思う。かわいいマフラーをした髪の毛の長い女の子。公園の管理人の娘で、よく落ち葉拾いを手伝ったの。引越しのお別れのときに泣きながら、 ビー玉をくれたんやと思うな」 「はいはい。勝手に、人の人生をネタにして遊んでくれ」 サイコホラーばかり書いている耕冶と、恋愛小説専科の亜季。ここにSF担当の祐樹が加わったら、府立西野高校文芸部・能天気集団のできあがりだ。 「あそこのベンチで、昼飯にしよか」 耕冶がポンと手を叩いた。「墓場の隣やし、雰囲気出るやんか」 「あのなあ」 「さっきのパン屋で適当になんか買うてくるわ。そのへんで待っててや」 彼は騒々しい人間グライダーになって、来た坂を駆け下りていった。 残された俺たちは黙り込んだ。 亜季は手持ち無沙汰に松の一本にもたれかかると、そっぽ向いている俺の顔をじっと見上げた。 「なんだか、今日は楽しいよ。コウとイサとで出かけるのって、夏休みの蒜山高原の合宿以来やもんね」 「ああ」 「変な言い方やけど」 「うん?」 「ビー玉の話を聞いて思ったんや。イサの書く小説って、まるでビー玉みたい。いつも感情を抑えて、ぎゅっと濃縮されたエッセンスをいっぱい詰め込んで、 何かの結晶みたいにきれいで完璧で。そして、本物のイサもそんな感じ。自分の気持ちを絶対話さなくて、大人でいつも冷静で、毎日会ってるくせに、ときどきすごく遠くにいるって感じることがあるよ。 だから私、イサが他愛もない夢の話にしろ、自分のことを話してくれて、うれしかってん」 俺は何と答えていいかわからず、「ごめん」とつぶやいた。 「あやまることなんかあらへん。私、ぜんぜん諦めてないから。自分の書く小説の主人公みたいに、とことん諦めへん元気キャラやから。気にせんといて」 亜季は、唇を少しおどけた形にして、にんまり笑った。 やがて、耕冶がパンの入った紙袋を抱えて帰ってくる。 「どうや。気をきかせてやったんやで」 彼はイヒヒと笑って、俺の首に手を巻きつけた。 「アキと、ちゃんと話せたか」 「おまえは少し、気をきかせすぎなんや」 そして心の中で声にならないことばを続けた。おまえこそ、今でもアキのことを好きなくせに。 3人はまた坂を降りて、ひと気のない住宅街に入った。 落ち葉がすっかり掃き清められた通りは静かで、どこかの飼い犬だけが寒そうに吠えていた。 俺は一瞬立ち止まった。 確かに、夢の中のたき火はここだった。 ここはあの頃、クローバーの白い花が咲く空き地だったのに。 こっちには塀の代わりに柘植の生垣があったのに。 記憶の中にある風景と目の前の現実と。 2枚のパッチワークを、痛くて太い針がちくちく、心に縫いとめていくようだ。 進みたくないのに、足が勝手に進んでいく。 「これ」 俺は大きな門の前に立つと、ため息とともに吐き出した。 「これが、昔俺の住んでた家」 「すっげえお屋敷やな。外国みたいな広い芝生に、バラのアーチまである」 「イサのうちって金持ちやったんやねえ」 「金持ちやった。別荘も持ってた」 「……」 「5年生のとき、父親の会社が倒産したんや。毎日毎日、家に債権者や従業員が、夜中までこの門の外に押しかけてきた。親父はずっと頭を下げていた」 自分で何を言おうとしているのかわからなかった。ただ、うつむいた顔がかっと熱くなって、ビー玉が坂道をころがるみたいに、思い出がどんどんと気持ちを吐き出し続ける。 止まらない。 「この家も競売にかけられて、引っ越した。すごく嫌やったんや、友だちと別れることも、大好きな家から小さなマンションに移ることも何もかも。でも、背中を丸めて坐っている親父を見てたら、何も言われへんかった。 ある日、新しい家にひとりの債権者が来た。親父もおふくろも留守で俺ひとりやった。そいつは、二千いくらかの金額の請求書を持ってた。子どもの俺にも小遣いで払える額やったし、払ってやった。払って家の役に立ったような気がしてた。 その夜、そのことを知った親父は一瞬怒った顔をした。それから泣きそうに口をゆがめて、何も言わずに電話に飛びついた。それがやつらの手やって。一度でも借金を払う既成事実を作ったら、もう駄目なんやて。俺のしたことはみんなをよけい困らせただけなのに、親父はひとことも叱らなかった」 耕冶と亜季がじっと俺を見守っているのを感じる。 「それからしばらくして、俺の描いた読書感想文が全国の賞をとった。親父は久しぶりに嬉しそうに酒を飲んで酔っ払った。「おまえだけが、俺の生きがいや」って何回も繰り返しながら。 そのとき誓った。一生のあいだ絶対に親を悲しませないって。死んでも弱音を吐かない。勉強も何もかも一番をとって、いつも俺を見て親父が喜んでくれるようにって……」 「イサ……」 くるりと振り返ると、俺はふたりを残してずんずん歩き始めた。 夢にくりかえし見るほど焦がれた景色の中で、心の奥に封じ込めていた悲しみが小さな冷たい塊になって、またころころ音を立てる。 俺が涙をうかべているのを、うしろから追いかけてくるふたりはきっと知っている。 知られることは、なんだかほっとする気分だった。 「で、結局なんやったんや」 帰りの電車に並んで腰を落ち着けたとたん、耕冶が不平を鳴らした。 「あの、ビー玉とマフラーとたき火の夢の意味は。結局わからずじまいやないか」 「別に、ええやん。イサの子どもの頃の思い出の場所が見られたし。それだけで意味あったんとちゃう?」 亜季は隣から、ふいうちのように優しい目で微笑んできた。 思わずひきつった笑みを返しかけて、あわてて顔をそらした。 耕冶は亜季の向こうで、まだぶつぶつ言っている。 「納得でけへん! それやったら、オチのない小説みたいなもんや。気色わるうないか? アキも、それにイサも」 「俺は別に」 「相変わらず、おまえらしい投げやりなセリフやな」 「あんねえ。コウ」 亜季は人差し指を立てて、芝居がかった調子でチッチッと左右に振る。 「人間の人生にはね。そもそも、オチなんかないんやで」 「おおっ。けだし名言」 耕冶と俺は、大げさに拍手した。 shionさんのサイト「INNOCENT」の4万ヒット&三十路バースデー記念企画「三題噺」の参加作品です。キリバンを踏まれたとっとさんの発題で、「ビー玉」「マフラー」「たき火」を必ず文中に入れるというもの。 他の方の作品を読みたい方はこちらへぜひどうぞ。 「三題噺」の扉ページ シリーズ化するにあたって、一部を改作しました(2003.2)。 |