インビジブル・ラブ


雑踏2


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Chapter 2-2



「第一班は、家裁の調査に行け。第二班は引き続き、現場周辺の聞き込み」
 捜査会議が終わり、南原署の玄関は、大勢の刑事たちを吐き出していく。
「淳平も、養子縁組詐欺にかかわったことあるの?」
 ほかの刑事たちと現場に向かっている途中に、愛海がそっと訊いてきた。
「そんなこと、一度もねえよ」
 いささかむっとしながら俺は答えた。
 結婚詐欺のほうが上等で、養子縁組詐欺が下等だと言ってるわけじゃない。
 ただ、俺はどうしても老人を騙すことだけはしたくなかった。自分の母親のことを思い出すからかもしれない。
 まだ五十歳そこそこだったのに、心労で身体を壊し、見違えるほど年老いて失意の中で死んでいった俺のおふくろ。
 俺は家族の復讐のために犯罪者になったつもりだった。犯罪を犯して逃げおおせて、それで、父親を無実の罪で殺した警察に復讐しているつもりだった。
 だが、それは、死んだ親を一番悲しませる生き方だったのかもしれない。今ごろになって、やっとそのことがわかる。

 愛海たちは、老婆の自宅周辺を丹念に回って、住民や通行人から何か目ぼしい情報がないかと聞きこんでいた。まったく刑事とは、労多くして報われない仕事だ。
 俺はそのあいだ、家の回りをうろうろしていた。もしかすると俺と同じで、予期せぬ死を遂げた老婆の霊も行き場所がなくなって、そのへんにいるんじゃないかと考えたからだ。
 だが、姿を見かけることはなかった。きっと、さっさと成仏しちまったんだろう。
 その代わり、一匹の太った三毛猫を縁側で見つけた。でぶっとした堂々たる風格で、我が物顔に日向ぼっこしている。
 俺のことをチラリと見ると、興味なさげに目をつぶってしまった。どうも幽霊の俺のことが見えているらしい。
 畜生は人間の感じないものを感じるというが、本当なのだ。
「あ、かわいい」
 聞き込みを終えた愛海が、すっとんきょうな声を上げて駆け寄ってきた。
「なんだか、うちのフーちゃんによく似てる」
 冗談じゃねえ! 俺は今朝、こんなネコと間違えられたのか。
「このネコは、死んだ婆さんの飼い猫だったのか?」
「うん? どうかな。私は初めて見るけど」
 もしかすると、こいつが殺人事件の唯一の目撃者なのではないか、という突飛な考えが、俺の頭をよぎったのだ。
 もっとも、こちらがネコの言葉でもわからない限り、何の役にも立たない。

 夕暮れになり南原署に帰ってさんざん報告書と格闘したあと、愛海はめずらしく定時に帰途に着いた。
「今日は行きたいところがあるの」
 コートのポケットから、例の護符を取り出した。出会った最初のころ、俺と愛海は、この護符の霊力で互いに会話を交わすことができたのだ。
 だが、今の俺たちには不要のものだった。
「霊験あらたかなお守りらしいから、貸してくれた心霊調査事務所に返しに行こうと思って」
 おどろおどろしい看板のかかった扉をくぐると、中にいたのは若い男がひとりだけだった。
「あの、久下所長さんは?」
「久下は今出てる」
 素っ気なく答えると、男は愛海を見て、次に真っ直ぐ俺を見た。
 俺のことが見えているらしい。さすが「心霊」と名がつく事務所の人間だ。
「久下さんにこの御札をお返ししたくて」
「ああ、話は聞いてる。もういいのか?」
「はい」
「本当に? まだ何も解決していないようだが」
 そう言って、また俺をじろりと見る。
「はい、これでいいんです」
「それなら、何も言わない。特に悪いモノでもなさそうだ」
 男は、俺に向かってうっすらと笑った。「生きている間は、どうしようもない悪党だったみたいだが」
「なんで、そんなことがわかるんだ?」
 思わずつぶやく俺に、
「それが仕事だからな」
 と当たり前のように答えた。声まで聞こえているのか。
 太公望も言っていたが、「夜叉追い」というのは、霊界では、とてつもなく強い力を持つ存在らしい。
 それにしても、性格は悪そうだが、おそろしく顔のいいヤツだ。負け惜しみじゃないが、こういうヤツは絶対に結婚詐欺師には向かねえ。

 心霊事務所を出たあと、俺たちはそのまま帰宅した。
「また、コンビニ弁当か。ちゃんと食べないと美容に悪いぞ」
「だって、もうくたくたなんだもん。ふくらはぎがパンパンに腫れてるよー」
 愛海より一足先に部屋に戻って鍵を開け、明かりをつけ、風呂のスイッチを入れる。
 愛海が風呂に入っているあいだに、電気ポットの湯を沸かす。
 トイレと風呂の中だけは、絶対に俺が立ち入れないオフリミット地帯だ。この約束を破ったら、幽霊と人間の奇妙な同居生活は、たちまち解消だ。愛海にそう宣言されている。
「淳平。足もんでぇ」
 夕飯を食い終わって、ベッドにクタッとうつ伏せになったとたん、愛海は俺を呼んだ。
「そこまで俺に要求するか」
「だって、幽霊は疲れないんでしょ。それにこないだ、ふくらはぎ触ってくれたの、すっごい気持よかった」
「しかたねえな」
 俺は霊指の力を注意深く配分して、愛海のむちっとした両脚を痛くないようにさすった。
 愛海は、耐えかねたように満足の吐息を吐き出す。
「淳平。愛してるよ」
「うそつけ。フーちゃんの次に、だろう」
 目下の俺の目標は、愛海を本気にさせることだ。本気で、俺なしには生きていけないと言わせてやる。
 今までの俺なら、相手の心を捕らえたとたんに興味を失った。だが、愛海の場合は多分そうはならない気がする。それどころか、もっともっと強く好きになってほしいと望むんだろう。
「ふわーん、気持いいよぅ」
「もっと気持よくしてやろうか」
 愛海のふくらはぎを往復していた俺の『指』は、さらに上のひそやかな場所めがけて、そろそろと移動を始めた。
「ひゃん、えっち!」
 愛海は俺を思い切り叩こうとして、すかっとベッドから落ちた。
 まったく、いつまでたっても学習しない女だ。

 そのあくる日も愛海の班は、地道なローラー作戦の聞き込みを続けていた。
 俺もしばらくは愛海のそばで、その様子をながめていたが、だんだんと退屈になってきた。
 殺された老婆の家にでも、行ってみるか。
 「現場百回」が、愛海の上司の口ぐせらしいが、殺害現場の家には、事件後になって、被害者の養女である相楽ゆき子が住みついてしまったのだ。警察もおいそれとは、中に入れてもらえないらしい。
 幽霊の俺なら、自由に入り込める。何か証拠になるものでも発見できれば、それは愛海の手柄になる。
 男社会の警察で、女が刑事になるということは、かなりのプレッシャーだろう。実際、失敗ばかりの愛海が、回りから受けているイジメは相当なものだ。
 せめて、影から助けてやることで愛海がラクになるなら、俺は何でもする。
 ここまで想ってやっているのに、あいつときたら、俺のことをフーちゃん程度にしか思っていないんだからな。
 まったく、ため息が出る。ため息をつく肺なんて、とっくにないけれど。
 一軒家の敷地に入ると、縁側であの三毛猫がひなたぼっこしていた。
「おい、フー公」
 と、呼びかける。
 三毛猫は99%がメスというから、『フー公』というより、『フー子』なのかもしれないが。
 ネコは薄目を開けて俺を見ると、またつまらないものを見たと言いたげに目をつぶってしまった。
 俺はイタズラ心を出して、霊指の力で鼻の頭を軽くひっかいてやった。
「ふぎゃあっ!」
 ネコは世にも恨めしげな叫びを上げると、俺に向かって噛みつこうとして、すかっと縁側から落ちやがった。
 愛海とネコの行動パターンがまったく同じだというのも、笑える。
 そのとき、縁側の障子つきの窓をふと見た俺は、ぎょっとした。
 相楽ゆき子が家の中から、おびえたような表情で俺のほうを見ていたのだ。
 しかも、なにやらブツブツ言っている。
「……なんでもないわ。ネコがいきなり騒ぎ始めただけ」
 俺が窓ガラスをすりぬけて中に入ると、相楽ゆき子の声は続いていた。驚きのあとの、少し放心したような声だ。
 耳にはケータイを当てている。そうか、俺に話しかけていると思ったのは早とちりだったか。
 しかし、あの瞬間、確かにこの女の目は、俺のいるあたりに注がれていた。もしそうでないとすれば、何もない宙を見つめていたことになる。
 いわゆる「目が据わった」という状態だ。ゆき子という女、もしかすると、相当神経がまいっているのかもしれない。
「もう、ダメ。限界よ。いったいいつまでここにいればいいの?」
 やはり、思ったとおりだ。普通の度胸の女なら、人が殺された家には、ひとりでいたくないだろう。まして、自分が殺害に関わったなら、なおさらだ。
「警察だって怪しんで、あちこち聞きまわっている」
 しばし口をつぐみ、相手の言葉に聞き入っている。
「……だから、散々探したわよ。でも、見つからないんだもの」
 ふたたびの沈黙。
「私ばっかり、責めないでよ。あのババア、そんなものを書く頭があるなんて、思わないじゃない」
 だいぶ事情が読めてきた。
 相楽ゆき子が、老婆の死後この家に居座り始めたのは、遺言状か何か、ヤツにとってマズいものがどこかに隠されていると知ったからだろう。
 それにしても、このケータイの相手はいったい誰だろう。共犯者であることは、間違いないのだが。
 そう思ったとたん、俺の霊体は形をなくし始めた。
 この感覚は、覚えがある。『霊指』の波動が電波に共鳴して、ケータイの相手側に転送されてしまうのだ。

 気がつくと、俺は事務所の一室にいた。
 男がひとり机に腰かけて、声を荒げている。
 貧相な顔の真ん中で、ワシ鼻だけがえらく目立つ男だった。
 ビルの外向きの窓に貼られた一文字ずつの看板には、「酒井弁護士事務所」と書いてある。
 それを見て、俺にはそいつの正体がわかった。
 「蛇の道はヘビ」と言うが、裏の世界には裏の情報網というものがある。
 詐欺師なら、誰でもヤバい状況に陥るときがあって、そういうときに頼らざるを得ないのが、裏稼業専門の弁護士だ。
 言っておくが、俺自身は、そんなヘマをしたことは一度もないからな。だが、酒井弁護士の噂は聞いたことがあった。
 詐欺がバレて訴えられそうになったときや、よその領域(しま)を侵してしまったとき。法律を逆手にとって相手を脅したり、違法スレスレの仲裁をするという噂だった。ただし、ふんだくられる謝礼もハンパじゃない。
「とにかく、おまえさえ黙っていれば、何も恐がることはない。ヨシムラとのつながりは誰も気づくはずがないからな」
 『ヨシムラ』という名前を、俺はしっかり記憶した。
 こういうズル賢い輩は、最後まで自分の手だけは汚さないものだ。もし、誰かを手にかけなければならない状況に陥ったときは、そういう仕事専門のヤツにやらせる。
 『ヨシムラ』というのが、老婆殺害の実行犯なのかもしれない。
 酒井は、ケータイの声に耳をそばだてると、突然笑い出した。
「ネコがおまえをにらんでるだって……、何をバカなことを言ってる。ネコなんかに何ができるってんだ」
 と、いきなり前触れもなく、通話を切った。
 くそ、電波が切れたら、俺は元の場所に戻れなくなるじゃないか。
 しかたなく俺は、この世とあの世をつなぐ『はざまの世界』に、いったん帰ることにした。

「ほう、久しぶりだの」
 太公望は相変わらず、霊泉の水面に釣り糸を垂れていた。
 ほんとうに、こんな場所に魚が住んでるのか? ヤツが魚を釣り上げているのを、俺は一度も見たことがない。
「まったく、薄情な男だ。好きな女ができたら、地上に行ったまま寄りつきもしない。そういう人間を日本語では、『恩知らず』と言うのだぞ」
「別に寄りつかなかったわけじゃない。霊力を補給しに戻ってくる必要がなくなっただけだ」
 と言いながら、俺は太公望が背負っている駕籠から桃を取ってかじり始めた。
 こいつは万病を治す薬桃だそうで、まあ、俺にとっては、まずくもなければ美味しくもないシロモノだ。
 見渡すかぎりだだっぴろい空間の、何にもない世界だが、ここに来ると、まがりなりにも自分の体の存在を感じることができる。まるで故郷に帰ったような、妙に落ち着いた気分になるのだった。
「それはそうと、面白いことに首をつっこんでおるではないか」
 こいつは水面を鏡にして、俺のことを時々のぞいているらしい。まったくどこの世界でも、年寄りというのはお節介が多い。
「殺人の主犯をつきとめたのはお手柄だったが、さてどうする。幽霊のおまえの証言など誰も聞いてはくれぬぞ。ネコがいくら犯人を目撃していても、話せないのといっしょだ」
「愛海を通して、なんとかするさ」
「どうやって? 相手は、そう簡単に尻尾を出すようなヤカラではないぞ」
「まあ、見てろ」
 俺は薬桃を丸飲みしてしまうと、にやりと笑った。
 久しぶりに、詐欺師としての俺の腕の見せどころだ。臓物がたぎるような興奮が、ここちよく身体の底から駆け上がってくる。





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