インビジブル・ラブ


校舎


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Chapter 6-2



「二年二学期の終わり、12月ごろから、急に欠席が多くなるね」
 俺の親父が土建屋を殺した容疑で逮捕されたのが、12月中旬。
 留置場で首をくくったのが、年明けまもなく。
 それ以来、高校に通った記憶はない。
 ああ、一度だけ荷物を取りに行ったっけ。毎日通っていた学校が、自分に無関係な場所に変わったことを、しみじみと感じただけだった。
 誰にも会わないように、わざと春休みの午後を選んだつもりだったのに、クラブや同じクラスの奴らに偶然出会ってしまった。
 みんな、おびえたような目をしていた。無理もない。殺人犯の息子だもんな。俺は顔をそむけたまま通り過ぎ、行く手に立っていた誰かを突き飛ばして校門を出た。
 それが俺の高校生活の、幕切れだ。
 何もかもが腹立たしかった。人間という人間を憎んだ。17歳で心に刻みつけられた憎悪は、結局死ぬまで消えることはなかった。
 あのとき俺は犯罪者になることを決意したんだと、腐りかけた怒りとともに思い出す。
 事務室の天井の蛍光灯がチカチカと瞬いた。
「あれ?」
 事務長が、首を傾げる。「こないだ替えたばかりなのに、もう球切れかな」
 愛海はそれにも気づかず、調べに没頭していた。今度は広報委員会の発行した季刊新聞のバインダーを取り上げた。クラブの成績、季節の行事の様子が写真入りで載せられている。
「あ」
 小さく叫んだ。「これ、淳平じゃない?」
 指差した写真には、確かに俺が写っていた。
 サッカー部が関東大会に出場したときの写真。二回戦で破れはしたものの、弱小チームが創部以来の最高成績を残した年だ。
 ゴールが決まったときの歓喜の情景が頭をよぎり、熱いものが体を駆け巡ったような心地がする。
 俺の最後の試合だった。
「サッカー部の部員名簿はありますか?」
 愛海は何時間もかけて学籍簿や卒業名簿と照らし合わせ、クラス、サッカー部、委員会と、俺の近くにいた生徒をすべてリストアップした。

 気の遠くなるような作業が終わった頃は、もう放課後だった。
「ああ、お腹すいた」
 夕暮れの空に向かって、うんと伸びをする。愛海はとうとう昼飯も食べずじまいだ。
「さあ、家に帰ったら、このリストをよーく見て思い出してよ。高校の中で誰かから恨みを買ったことがないか」
「そんな前のこと、いちいち覚えてねえ」
「だから、死ぬ気になって思い出すんだってば!」
「もう死んでるから、無理だって」
 事務室を辞し、玄関から校門までの坂道をバカな言い合いをしながら降りていくと、突然、愛海の足が止まった。
 校門のそばの桜の木の下で、ふたりの女生徒が待ち伏せるように立っていたのだ。ショートカットとポニーテール、まじめそうな感じだ。手に持っているバッグには、バドミントンのラケットが覗いている。
「あの」
 思いつめた声で、ショートカットのほうが話しかけてきた。
「実は、警察に相談したいことがあるんですが」
「え?」
 愛海は思わずあたりを見回し、自分の鼻を指差した。「わ、私?」
 当たり前だ。おまえ以外どこに警察のヤツがいる。
 ふたりは顔を近づけて、声を落とした。
「今日は、麻薬のことで来たんですよね?」
「私たち、この学校の生徒が薬をやってるって噂を聞いたんです」
「え、えーっ」
 目をまんまるに見開いてあたふたする愛海は、目の前の女子高生よりも、はるかにガキに見える。
「と、とにかく、ここじゃナニだから、詳しい話を聞かせて」
 バス道の角にある喫茶店で、ふたりの高校生は自分の名前を名乗り、本題に入った。
「二年六組の高木さんという子です。高木アヤカ」
「Y大の彼氏がいて、その子から大麻をもらって吸ってるって」
「本当だよ。見た人いるんだって」
 背中を丸めて小声で話す。告げ口をする後ろめたさがあるのだろう。
「見た人の名前わかる?」
 首を横に振る。
「そのこと、誰から聞いたの?」
 愛海の問いに、女子高生たちは顔を見合わせた。
「誰だっけ」
「二組のチナツじゃなかった?」
「うそ、違うって。三組のユキだよ」
 おいおい。その程度の話なのかよ。
「とにかく、みんなウワサしてるんです」
 ふたりは、バツが悪そうに弁解した。
「いいよ。教えてくれてありがとう」
 愛海は内心の落胆を隠して、にっこり笑った。「ほかに何か知ってることある?」
「いいえ」
「わかった。また話聞くかもしれないから、あなたたちの連絡先を教えてほしいんだけど」
 彼女たちは、うろたえたように手を振った。
 警察から連絡なんか来たら、チクったってことがばれてしまうから困ると言う。
 絶対に秘密は守るからと納得させると、ふたりはしぶしぶと携帯を取り出し、メールアドレスを書き取らせてくれた。
 ところが、その直後に、
「あ、そうだ。刑事さん。いっしょに写メ撮らせてくれません?」
 呆れた。タレントか何かと間違えてやがる。いまどきのガキの考えてることは、全然わからねえ。
 とりあえず写真の件は断り、高校生たちを送り出してから喫茶店を出た。
「どうしよう、淳平」
「なんだか、この話、うさんくさいな」
「どういうこと?」
「あいつら、うれしそうだったんだ。同級生をチクってるにしては」
 愛海の前では深刻そうな顔を見せたが、どことなく芝居じみていた。喫茶店を出たとたんに、互いに目配せしながら走り去っていくのも、俺はしっかり見た。
「嫌いなヤツを陥れるための、大ウソかもしれないな」
「まさか。そこまでして、警察にウソの話をする?」
「今どきの高校生は、大人顔負けだからな」
 確かめる方法がひとつある。
「愛海。さっきのふたりのどちらかのケータイにメールを入れてくれないか」
「え? ああ、わかった」
 愛海は、【さっきはありがとう】とかなんとか、適当な文面のメールを打って送った。その送信の電波といっしょに、俺の霊体も相手のケータイに転送されるというわけだ。
 俺が転送されたのは、ポニーテールのほうの女子高生だった。仲間とはすでに別れたらしいが、帰り道でもずっとメールのやりとりは続いていた。
 俺の34年の一生、プラス1年の幽霊生活の間で、これほど驚いたことはない。
 このふたりと高木アヤカとは、大の仲良し同士だったのだ。
 アヤカという子が最近、Y大の学生と付き合い始めたのは、本当らしい。他のふたりは、それをやっかみ始めた。
 ケータイの履歴をたどってみると、何食わぬ顔を装ってアヤカともメールしながら、その一方でこっそりアヤカの悪口を言い合っている。
【また、カレシの自慢だよ】
【うざいったら、ありゃしない】
 という具合だ。今日の文面はさらに悪魔的だった。
【もう少しの辛抱。クスリをやったってウワサが流れたら、学校に来られなくなるよ】
【今晩、サイトに書き込んじゃおうよ。あの刑事の写真アップしてさ】
【え、うまく撮れたの?】
【うん、足のへんしか写ってないけど、警察の制服だってわかるし、かえってホンモノらしいじゃん】
 根も葉もないウワサをネットに垂れ流して、おまけに隠し撮りした愛海の写真を載せ、警察が捜査に乗り出したとでも書くつもりなのだろう。
 どんなデタラメでも、まことしやかな画像つきで載せられては、誰もが信じてしまう。
 信じた奴らから、この話はあっというまに広がり、アヤカという子は仲間から白い眼で見られるようになる。
【でもさ。ウソだとバレたら、私たちサツに叱られない?】
【だいじょうぶだよ。だからわざわざ、あの刑事にウワサだって強調したんじゃない。聞いたウワサを話してあげただけなんだから、責任なんかないよ】
 そのずる賢さには、犯罪者の俺でさえ戦慄した。なんていう陰湿なガキどもだ。
 こんなイジメに愛海を利用させてたまるか。

【刑事サン。今日は、お時間とらせてすみませんでしたー】
 女の子が打った殊勝な文面の返信メールを利用して、俺は愛海の元へと転送された。
 愛海は南原署の刑事部屋で、大口を開けて特大コンビニ弁当をかっこんでいた。昼飯抜きで、よほど腹が減っていたのだろう。
「あ、淳平。ご苦労さま」
 艶やかな唇の端に飯粒をつけて、にっこり笑った。その顔を見たとたん、なごんだ気分になってしまう。
「まったく、色気がねえ」
 飯粒を取ってやり、ついでに唇に長いキスをした。
「むーふぅ」
 愛海が食べようとしていたカニクリームコロッケが、箸にはさまったまま口に入れないでいる。

 俺は、ことのあらましを愛海に語った。
「友だち同士だったんだね。アヤカちゃんとあのふたりは」
 愛海は悲しそうに溜め息をついた。
「女の友情は、豹変するとすさまじいな」
「とりあえず、このことを少年課の菱坂課長に報告してくるよ」
 立ち上がったとき、ちょうど石崎由香利が入ってきた。
「愛海、今日はお疲れさま」
「何がお疲れよ。ぬいぐるみ着るなんて、聞いてない――」
「はい。ごほうび」
 両手いっぱいのチョコレート菓子を愛海の机に置く。こんなもので、だまされた怒りがご破算にできるものか。
「あら、さすが気が利くわね」
 おい、ご破算にするつもりか。
「それはそうと、由香利、聞きたいことがあるんだ」
 愛海は、さっきの一件を説明した。もちろん俺がケータイを盗み見た部分はうまくボカして。
「ふたりが書き込もうとしているサイトって、心当たりある?」
「それ、いわゆる『学校裏サイト』ってヤツだね」
「裏サイト?」
 リスみたいにポッキーをかじりながら、額をつき合わせて話している。こいつら、これでも同期で無二の親友だ。女の友情ってのは、ほんとにわからねえ。
「ちょっと、少年課まで来てくれる?」
 由香利に案内されて、ふたりは少年課のコンピュータの前に座った。
「これが、『学校非公式サイト』、通称『裏サイト』のひとつ」
 画面に写し出されたのは、よくある巨大掲示板型だ。
 スレッドのひとつを開くと、ひたすら悪意あることばの羅列だった。
『あいつ、うざい』『氏ね氏ね氏ね氏ね』『いなくなりゃいいのに』
 愛海は、早くも潤み始めた目を上げた。「ひどい」
「普段はけっこう真面目な子たちでも、こういうサイトでは人格変わるの」
「少年課で取り締まってるの?」
「名誉毀損とか告発があったら調べるけど、普通はそこまでやらないね。有害情報を削除させても、またすぐ新手が現われるし、イタチごっこなの」
 もはや警察だけでは手が回らないため、都の教育委員会による『サイバーパトロール』の民間委託も始まったそうだ。
 こういう話をしているときのふたりは、さすがに目元もキリッとして、まるで真面目な警察官に見える。
「じゃあ、アヤカちゃんについての悪意の書き込みをやめさせるように、掲示板の管理人に要請することはできる?」
「たぶん無理。K高の裏サイトがどこにあるかわからないし。もし愛海が犯人知ってるんなら、直接その子に警告したほうが早いよ」
「やっぱり、そうかあ」
 帰り道も、愛海はあれこれと迷っていた。
「裏サイトに書き込むのはやめなさい、なんてメールを送ったら、あの子たち、めちゃくちゃ驚くよね」
「まさか、幽霊がケータイを盗聴してるとは、言えないしな」
 結局俺たちは相談して、例のふたりには、あたりさわりのないメールを送ることにした。
【今日の件は警察が極秘で捜査することにします。あなたたちも絶対に、誰にも話さないでください】
 これを読んだふたりが、裏サイトへの書き込みをやめてくれたらよいのだが。
 だが実際は、そんなに甘くなかった。
【どうする?】
【無視、無視。今晩十時に書き込むよ】
 俺はまた彼女たちのケータイの中に転送されて、やりとりの一部始終を見張っていた。
 内心では、はらわたが煮えくり返るようだ。
 俺の親父は人殺しの冤罪で捕まり、留置場で自殺した。身に覚えのない罪で警察に取り調べられる屈辱と苦痛に、善良な親父は耐えられなかった。
 アヤカという子に会ったことはない。どんな子かも知らない。だが、クスリをやっているというウワサが立てば、親父と同じ苦しみにのたうつことになるのは、確実だった。
 こんな卑怯な手口、絶対に赦せない。
 俺はケータイの中で、ふたりがK高の裏サイトにアクセスするのを、じっと待った。つながった瞬間、俺はサイトの中に入り込み、ありったけの霊指の力を使って、書き込みを片っ端から削除してやる。
 午後十時。
 ケータイがネットに接続し、ひとりが新しいスレッドを立ち上げた。
【A・Tがクスリをやってるってホント?】
 驚くべき速さで、ふたりは次々と書き込みを始めた。
 クラス名とイニシャルしか出てはいないが、同じ学校の生徒ならば、アヤカだと特定するのは簡単なはずだ。
 最後に愛海の画像を添付して、送信ボタンが押された。俺はその電波の流れに乗って、一気にサイトの中に入り込もうとする。
 視界は真っ暗だ。カチカチという電子音だけが鳴り響く。俺は霊指の能力をフルチャージして、待ち構えた。
「えっ」
 驚いたことに、俺の目の前で、何者かによって書き込みすべてが削除されていた。
「だ、誰だ」
 考える暇もなく、俺はその何者かの触手にしがみついた。
 一瞬のまばゆい光と衝撃。
 気がつくと、俺は無人の夜の部屋に転送されていた。
「ここ……は?」
 全身が痺れたような心地で、俺は部屋の天井にふわりと舞い上がった。
 オフィスの一室のような広い部屋だ。コンピュータが何台も並んでいる。
 射しこむ月の光が、室内のものすべてに長い影を落とす。窓の外を見ると、桜の木の葉が夜風にざわざわと、うごめくように揺れていた。
「まさか。K高?」
 この景色には見覚えがある。十六年前には、このあたりに二年の教室があった。窓から同じ桜並木やブロック塀が見えていたのだ。
 今は新校舎に建て替えられ、コンピュータルームとして使われているようだ。
「さっきの書き込みを削除した電波が送られてきたのは、ここからのはずだ」
 俺は部屋を見回した。
 一台のコンピュータのディスプレイが明るい。しかし、もちろんその前に人影はない。
「おい、誰だ」
 俺は有無を言わせぬ口調で怒鳴った。
「隠れても無駄だ。そこにいることはわかってるんだ」
「驚いたね。きみも幽霊か」
 朗々とした男の声が響いた。
 それと同時に、コンピュータの前の椅子に、白いモヤのような塊が現われたかと思うと、それは次第に色と輪郭を帯び、ひとりの人間の後ろ姿になった。
 細身で白髪の、初老の男。その体を通して背後の風景が透けて見える。
 つまり、俺と同じ幽霊。
「はじめまして。わたしは」
 彼は振り返ると、俺に向かって折り目正しく名乗り始めた。
「平石と言う。生きていたときは、この高校の校長をしていた」





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