伯爵家の秘密


第7章「変革」


(4)

「ナタリア。ジョゼ。ちょっと来てくれ」
 若旦那さまの大声に、ふたりの部屋づきメイドは何ごとかと、控えの間から飛び出した。
「どれがいいと思う?」
 テーブルの上には絹の服地見本が、ところ狭しと広げられていた。
 昨日訪れた織物商人が、大量に置いて行ったものだ。さまざまな色と柄が、部屋全体を染め上げている。
 絹は少女なら誰でもあこがれるもの。ジョゼとナタリアはうっとりとそれらの生地を見つめた。
「なあ、きみたちなら、どれを選ぶ?」
 重ねて問われて、メイドたちはぶるぶると首を振った。
「そんな、私たちが選ぶなんて畏れ多い。こういうものは、きちんとミルドレッドさまにお見せして選んでいただかないと」
「あ、そうじゃねえよ。全然違うって」
 婚約者への贈り物と誤解されたことに気づき、エドゥアールは照れたように笑った。
「絹について、今いろいろ研究してるところなんだ。ここには、輸入・国産とりまぜて、あらゆる地方の絹織物を集めてある。女性がドレスに仕立てたいと思う絹はどれなのか、教えてほしい」
「そういうことなら、では失礼して」
 と、ふたりのメイドは慣れた手つきで絹地を手に取った。
 確かに彼女たちの身分では、絹のドレスを着た経験はないだろう。だが、メイドとして絹を扱ったことは多いはず。洗濯し、ブラシやアイロンをかけ、繕う。歳月による風合いの変化も知り尽くしている。そんな彼女たちの選択は、的を射たものだとエドゥアールは思っている。
「わたしなら、これがいいですわ」
「あ、わたしも」
「そうかな。こっちのほうが、色も鮮やかで、光沢があると思うけど」
「でも、これは生地が厚く、皺になりやすいんです。くっきりと座り皺が寄ってしまっては、せっかくのドレスがだいなしです」
「そうそう。これなら、軽くてふんわりして、羽根のように広がるわ」
「軽くて、しなやかで、皺になりにくい生地が、ドレスにはいいんだな」
「はい」
「わかった。ありがとう」
 エドゥアールは彼女たちが選んだ生地見本を小さく畳んでポケットに突っ込み、ぶらっと部屋の外に出た。
 廊下を歩くと、美しく磨かれた窓ガラスを通して、透き通った木漏れ日が舞い落ちる。
 この数日は快晴が続き、冬播き小麦の刈り入れは、早い畑では昨日から始まっていた。
 収穫は、初めてにしては上々の出来だった。来週には、あちこちの村で収穫祭をもよおし、挽いた粉でパンを焼いてふるまうことになっている。品質の良さを誰もが認めれば、来年から畑の半分以上を冬播き小麦に切り換える計画だった。
 厨房を覗くと、午後のこの時間は人もまばらで静かだった。コック長のシモンが、今夜のソースの仕込みをしている。
 「あ、若旦那さま」と、鍋をみがいていたメイドのひとりが、あわてて立ちあがった。
「腹減った」
 昼食からわずか二時間後である。だが、シモンは顔色も変えずに振り向いた。「何を召しあがられます」
「マルベリージャムがいい」
 配膳台に頬杖をついて待っていると、たちまちのあいだに焼き立てのクロワッサンにマルベリージャムを添えたものが出てきた。まるでエドゥアールが来ることを予見していたとしか思えない。
 つややかな黒紫色のジャムは、甘酸っぱい夏の香りがした。
「シモン、このジャムは手作りなんだろ」
「もちろんでございます」
「材料は」
 シモンは、すっと勝手口の外を指さした。「いくらでも、そのへんに生っております」
 指先の向こうにそびえているのは、東のシャテニエ山地。夏山は濃い緑に彩られている。
「なるほど。あれが全部マルベリーの木か」
 パンをたいらげたエドゥアールは庭園に出て、木々の間をめぐりながら葉をちぎったり、匂いを嗅いだりし始めた。
「何をしておいでです」
 家令のオリヴィエが、不審げな顔で近寄ってきた。「あなたさまが、そういう胡散くさいことを始められると、わたくしの経験上ろくなことになりません」
「暇なんだよ。王宮からは、いまだに召喚状も来ないしな」
 毎月、判で押したように舞い込んでいた国王からの召喚状が、ひと月以上経っても届いていない。
 エルンストとの再会を、フレデリク王はいまだに渋っているのだろう。過去に訣別するためには、まず古い痛みにさいなまれることを覚悟せねばならない。
「おそれながら、なぜ大旦那さまは、国王陛下に謁見を申し込まれたのでございますか」
 オリヴィエは、相手の顔色をうかがうような小狡い目で、そう訊ねた。
 まったく、いつもの彼らしくない。つまり今の質問は、誰かに強要されたものだということだろう。
「どうしても一度お会いして、陛下に無沙汰を詫びたいと言ってるんだ。エレーヌ夫人の葬儀以来お目にかかってないのが心苦しいと」
「そうでございましたか」
「それに――王都を訪れるには、もうひとつ隠れた目的がある」
「と、おっしゃいますと?」
 エドゥアールは、気の進まない口調で続けた。
「ナタンが、商人たちから賄賂や税金を取り、こっそり私腹をこやしていた」
「それは……」
 とりたてて驚いた様子はない。オリヴィエも、なんとはなしに感づいていたのだろう。
「親父がみずからの耳で、ナタンの弁明を聞いて判断をくだしたいと言ってる。家の恥はなるべく表沙汰にはしたくない。このことは、誰にも黙っておいてくれよ」
「承知いたしました」
 家令は、深々と頭を下げる。
 だが、おそらくオリヴィエの手によって、ナタンの不正はすぐにプレンヌ公のもとに伝わるだろう。そのことも織り込み済みだ。
 エドゥアールは憂鬱な気持ちを振り切るように、そばにある大木を見上げた。
「これがマルベリーの木だったんだ」
「さようでございます」
「蚕は、この葉しか食べないそうだな」
「そう申します」
「ラヴァレ領で、絹の生産を始めようと思う」
「絹でございますか?」
 オリヴィエは素っ頓狂な声を上げた。「絹とは、南や東の暖かい地方で産するものとばかり思っておりましたが」
「マルベリーを産するところなら、どこでも絹は作れる。寒い地方では蚕は冬眠するから、温度管理にさえ気をつけてやればいい。それに、冬は適度な湿めり気があるほうが、かえって柔らかい絹糸が作れるそうなんだ。ほら、これも」
 エドゥアールは、ポケットから先ほどの生地見本を取り出した。
「北から輸入された絹だ。雪国で、この谷と気候が似ている。これに似た柔らかくしなやかな絹を作って、ラヴァレの特産にしたい。水車が麦の製粉を終えて遊んでいるときを利用して、糸を紡いで撚る。畑仕事のない冬に、機織りは村人たちのいい収入になる」
 前髪の少々心もとない家令は、額にぴしゃと手を当てた。
「これは、またとんでもなく壮大なことを思いつかれたものですな」
「一朝一夕でできるとは思ってないよ。何年、何十年がかりの計画だ」
 若き伯爵は、木々の合間から覗く、緑したたる豊かな谷の景色を見つめた。
「この国を変える力を持つのは、民衆だ。明日のパンに飢える者がなくなり、誰でも読み書きができ、未来に夢を描くことができる。そうなれば、クラインは変わる」
 オリヴィエはしばらく、目をしばたいて考えこんでいた。
「承知しました。ですが、養蚕は素人が思うほど簡単な事業ではございません。専門家を谷に招かなければ、とうてい無理です。糸撚り機も、品質のよいものは手に入れるのに骨が折れます」
「何かあてがあるのか?」
「南国出身の古い知り合いに、養蚕を生業とする者がいました。とは言え、もう十年以上も昔に会ったきりです。どうなるかはわかりませぬが、何とか連絡を取ってみましょう」
「ありがとう」
 エドゥアールは、心からうれしそうな笑みを見せた。「あんたは、世界じゅうどこを探してもいないような、いい家令だ」
「……」
 主からねぎらいのことばをかけられると、いつも「なんの」と照れ隠しに笑うオリヴィエだが、そのときは肩をこわばらせたまま、黙って頭を下げた。


 騎士ジョルジュとその従者トマは、エドゥアールが領地に戻ってから一週間も経たずに、身の回りの荷物だけを積んで、馬でやってきた。
「ずいぶん早かったな。親族との名残はちゃんと惜しんできたのか」
 と訊くと、「騎士たるもの、そんなものは必要ありません」と顔を紅潮させて答えた。
「それより、時間を無駄にはできません。さっそく領館内の警備状況を拝見させていただきとうございます」
「そう急がなくても、まずは部屋で荷ほどきして、ゆっくり休んで」
「ぐずぐずしている間に、敵の来襲があったらどうしますか!」
 せっかちで生真面目な性格ゆえ、一度火がつくと誰にも止められない。
 ジョルジュとトマは、それから数日のあいだ、館内の警備が手薄な場所をくまなく調べあげた。地下から天井裏まで這いずり回り、とんでもないところから、ぬっと顔を出すものだから、ときおりメイドたちが悲鳴を上げている。
 ついで、庭園を丹念に見て回って、垣や塀の破れや土嚢の積み忘れを指摘するので、園丁たちはしばらく大忙しだった。
 領館での仕事がひととおり終わると、今度は騎馬で谷の村々をめぐり始めた。
「ご領主さまの命令だ。この村に自警団組織を作ってもらいたい」
 村の広場に立って呼ばわると、村長や主だった者たちが、のそのそと出てきた。
「はあ。そうはおっしゃいますが、火事や大雨の見張りはちゃんとしておりますので」
「そうではない。外敵から村を守るための備えが必要なのだ」
「外敵って何でございますか?」
 夕方になると、騎士たちはぐったりと疲れて領館に戻ってきた。
「若さま。この谷は150年間、外敵というものを知らずに人々が生活してきたのですよ」
「そうだろうなあ。知らない連中が谷に侵入してきたら、めちゃくちゃ目立つもんな」
 エドゥアールは苦笑しながら、ロジェに命じて、大皿の肉をジョルジュの皿にたっぷりと取り分けさせた。
 着任してから、若い士爵はときおり伯爵父子の食卓に連なった。ユベールも付き合って同席するようになり、領館の晩餐は、わずか一年前までの静けさが想像もつかないほど、にぎやかなものとなった。
「しかし、どこの町や村でも強盗団の出没の噂があって、それなりに警戒しておりますのに。ここには、それがないのですか?」
「うむ。この谷の民の気質というものだろうな」
 大伯爵が言う。「この谷で生まれ育って、外の世界を知らない。ここに住む限り、日々の生活はどうにか満たされていて、あまり財産をためこむ必要を感じないのだよ。適当に働いて適当に休んでしまう」
「たとえ、ひとつの村が火事で焼けても、回りの村々からすぐに救援が来て、たちまち元通りになりますからね」
「都会みたいに極端な金持ちがいないから、強盗に狙われるって状況が、いまいちピンと来ねえんだろな。強盗のほうもわざわざ好きこのんで、こんなところには来ない」
「本当にここは、天国のような谷なのですね」
 ジョルジュが感極まったようにつぶやいた。
「いつまでもこのままならいいと、ときどき俺も思うことがあるんだ」
 エドゥアールはスプーンをくるくる掻き回しながら、コーヒーの黒い渦をじっと見つめた。
 あと一ヶ月で、貴族会議が始まる。この国のありかたが大きく変わっていこうとしているのだ。
 クライン王国を取り巻く国際情勢は、戦争にあとわずかのところまで逼迫(ひっぱく)している。
 そうなれば、この大陸全体が混乱の渦に巻き込まれる。小さなラヴァレ領といえど、無縁でいられない。いつなんどき、平和をおびやかされる事態になるかもしれないのだ。


 プレンヌ公エルヴェ・ダルフォンスは、ことのほか不機嫌だった。
 ナタンが震えながら挨拶を述べようとすると、それをさえぎり、あざける口調で言った。
「今しがたラヴァレ領からオリヴィエの報告が届いた。ついにおまえの数々の不行状が、主人の目に止まったようだな」
「お、お、おそれいりましてございます」
「あれほど気をつけろと言ったのに。娼婦の息子めの小賢しいこと、悪魔のようだ」
 吐き捨てるように言う。それよりも腹が立つのは、エルンストが快癒して、国王に挨拶を申し込んでいるという知らせだ。
(まさかとは思うが、あやつが国王と和解でもすれば、事態はかんばしくない方向に傾かないとも限らない)
 ただでさえ北の大国カルスタンは、リオニアとの戦争を前にしてぴりぴりしているのだ。クライン国内の親リオニア派が息を吹き返すようなことが、断じてあってはならぬ。
「で、ですが若伯爵さまは、わたくしを首にはしないとお約束くださいました」
「ほう?」
 エルヴェは、そのことばに興味を惹かれた。北から取り寄せた火のような蒸留酒をこくりと飲み干す。
「その引き換えの条件はなんだ」
「条件?」
「おまえごとき裏切り者をそのまま雇うというからには、何か相応の条件があるに決まっておるだろう」
 氷柱のようにとがったナタンの顔はたちまち、紙よりも白くなった。
「ご、ご明察でございます」
「して?」
「公爵さまに、自分の命じる情報をわざと流せと――」
 ふいに、プレンヌ公は空気が震えるような大声で笑い始めた。
「やつめ。おまえがわたしの犬だと知っていながら、それを逆手に取ろうというのか」
「そ、そのようでございます。しかし、わたくしは決して公爵さまを裏切って、向こうにつくような真似は……」
 グラスが壁にぶつけられて、粉々に割れた。
「参考までに聞いておこう。何を言えと命じられた?」
「しかし、とても真実とは思えませぬ」
「言え!」
 ナタンは床に頭をすりつけるようにして、しどろもどろで答えた。
「若伯爵さまは領地へ帰る前の夜にわたくしをお呼びになりました。自分がセルジュさまと結託して、次の貴族会議で王国法の改正をもくろんでいると……次に公爵さまに呼ばれたときは、そう耳打ちしろと仰せられたのです」
「なるほど」
 エルヴェ・ダルフォンスの蒼い目が、ねっとりとした光を放った。「おもしろい」
 王宮内部にも、彼の手足として働く者たちがいたるところにいる。エドゥアールがこのところセルジュに急接近しているのは、彼らの報告ですでに知っていた。何をたくらんでいるかと思っていたが……貴族会議? 法の改正だと?
 おそらくは、真実だろう。だが何故わざわざ、おのれの目論見をこちらにばらすような真似をする? 
「誰か、セルジュを呼べ」
 そう従者に命じると、ナタンに振り向き、低く命じた。
「失せろ。当分、そのうっとうしい顔を見せるな」


 嫡子セルジュ・ダルフォンスは気乗りのしないまま、公爵の執務室の扉を叩いた。
 父公は苦い表情で彼を迎えた。何か腹にすえかねている顔だ。今からの会話を思うと、ますますうんざりする。
 いつからセルジュは、父に対してこのような冷やかな気持ちを持つようになったのだろう。生まれたときから、考え得るかぎり最高のものを与えられた。恵まれた容姿も明晰な頭脳も、すべては彼を次の王とするという父の野望が作り上げたものだ。
 プレンヌ公爵は、血統も美貌も申し分のない女性を妻にしたが、なぜか生まれるのは娘ばかりで、一向に男子に恵まれなかった。
 よく子どものころに聞かされたものだ。リオニアの革命の報に王都がざわめく中、エルヴェは二番目の正夫人に離縁状を叩きつけて、三番目の妻をめとったのだと。それがセルジュの母だ。
 待望の長男が生まれたとき、エルヴェはすでに四十歳になろうとしていた。
 セルジュは父の最初で最後の分身だった。正統王家に対する父の復讐心と、王位を奪い取ろうとする野望だけが、彼の存在する意味だった。
「ラヴァレ伯爵の庶子と、何やら良からぬ遊びをしていると聞いた」
 割れたグラスを拾い集めていた従者が部屋を出ていくと、父が口を開いた。
 セルジュは肩をすくめ、とぼけて答える。「なんの話です」
「やつと結託し、秋の貴族会議の席で、皆が驚くような道化芝居を見せてくれるというではないか」
(もう、ばれたか)
 内心は舌打ちをしながら、セルジュは薄い笑みを浮かべた。「そんな根も葉もない噂を、どこから仕入れられたのです」
「あの娼婦の息子が、執事を通して、わたしにそう知らせてきたのだ」
(エドゥアールが?)
 初耳だった。彼がそんな情報を自分から父に流すとは、何も聞いていない。
(よくもやってくれたな。今ここで下手な返答をすれば、貴族会議の前に法案そのものがつぶされるではないか)
 痺れるような怒りと心地よい緊張感の中で、セルジュは口を開いた。
「それは嘘ではありません。ラヴァレ伯爵と共同で、私的徴税特権に関して、王国法補則の改正を提案するつもりです」
「何を馬鹿なことを。なぜあんな奴とつるむような真似をする」
「彼は下町生まれで下層民衆の動向に詳しい。人心操作のため利用するには、うってつけの男です」
「そんな法案、審議にかけられる前に、議員たちに黙殺されるだけだ」
「わたしが、そんなくだらないものを提出するとお思いですか?」
 父は、「何?」と口の中でつぶやき、嫡男の顔をまじまじと見つめた。
 なまはんかな嘘では、父公を納得させることはできないだろう。ならば、真実の苗床の中に、あざむきという種を巧妙に植えておく。やがて収穫するのは、父が予想しなかった結実だ。
「表向きは、私的徴税特権を廃止する法案。だが、根本のところはまったく違います」
 この法案が通れば、確かに貴族特権は廃止され、一律の物品税が創設される。
 だが徴収の仕事を担当するのは、同じ貴族だ。名目がすりかわるだけ。貴族は国の権威を笠に着て、今までどおり、いや今まで以上の金額を寄こせと商人たちに迫るだろう。支配する者とされる者の構図は、そんなに簡単に変わるものではない。
「つまり、貴族は国庫に決まった額さえ収めれば、残りはいくらでも自分のポケットに入れられることを許される、要するに、ザル法なのです。そうとわかれば、貴族会議で反対する議員は誰もいないでしょう」
 セルジュは、狡猾な笑いを浮かべた。
「貴族には今までどおりの特権が残る。物品税が新しい収入源となって国庫は潤う。民衆は、負担が減るように見えるので、諸手を挙げて歓迎する。何も否決される要素はないではありませんか」
「なるほど」
 エルヴェはまだ疑いをぬぐいきれぬと見えて、あいまいにうなずく。「しかし、なぜそんな回りくどいことを企んだ」
「リオニアと戦争を始めると説明すれば、会議が大混乱に陥るのは目に見えています。十分な軍事費を確保するために、前もってひそかに準備をしておくのは当然でしょう」
「あの共和主義者で反戦論者の伯爵父子が、そんなことに加担するものか」
「エドゥアールには、戦争のことは何も知らせていません。協力するだけさせて、用がすめば切り捨てます」
「では、奴が執事を通して、このことを知らせてきたのはなぜだ」
「おおかた、父上とわたしを仲たがいさせるつもりでしょう。だが、そんなことをすれば奴の思うつぼです」
 父公の口にようやく満足げな笑みが浮かんだとき、「勝った」と思った。父を丸めこむことに成功した。
「もう、ご納得いただけましたか。仕事が山積みなので失礼します」
 公爵の執務室の扉を出るとき、セルジュは自分が父親とはっきり訣別したのを感じた。
(もう、わたしは父の道具ではない)
 彼を突き動かしているのは、父が抱いてきたような私怨でもなければ、エドゥアールの持つ自由や平等の幻想でもない。
 貴族の力を抑え、王に権力を集中し、大国カルスタンを牽制するだけの軍事力を持つ。
(誰のためでもない。わたしがやがて王として治める国を、世界最強の国家にするために)
 





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