伯爵家の秘密


第8章「王の資質」


(5)

 ウィレム親方の奥方が出産した女の子は、三日も経つと髪が黒々として、肌も白くふっくらとしてきた。
 エドゥアールとミルドレッドは毎日ウィレム親方のもとに通い、母の腕に抱かれる赤子をうっとりと眺めた。
「見るたびに、可愛くなってくる」
「女の子を授かるのが幸福な夫婦ということわざは本当ですわ」
「じゃあ、最初は女の子がいいな」
 ふたりは水路沿いの路地を歩きながら、老夫婦の幸せそうに寄り添う姿に自分たちの未来を重ねた。
「俺たちも早く、赤ちゃんがほしいーっ」
「エ、エドゥアールさまったら」
 橋の下から男たちの爆笑が響いてきた。ウィレムの店から羊毛を積んだ舟が橋の下を通り過ぎ、エドゥアールの大声を聞きつけたのだ。「おふたりさん、がんばれよ」と舟の男たちは手を振って通り過ぎていった。
 「そう言えば」とエドゥアールは水路を見下ろしながら、笑った。「俺の親は、生まれた赤ん坊が男だとわかって、たいそうがっかりしたらしい」
「そうでしょうね」
 がっかりしたという生易しいものではなかっただろう。女の子なら、安心して手元に置くことができる。だが、男ならば命がけで隠さねばならない。ラヴァレ伯爵夫妻にとって、子どもの性別は天と地との運命の差があったはずだ。
「一瞬、女装させて育てようかと思ったと言ってた」
「まあ、女装」
「笑うな」
 エドゥアールは怒ったふりをして、そっと恋人を両腕にからめとった。
「やっぱり男に生まれてよかった。そうでなければ、きみとこうやって抱き合えない」
「わたくしも、女に生まれたことを神に感謝します」
「どうしよう。もう待てない」
 ささやきの息が耳に触れただけで、ミルドレッドの体がせつなげによじれる。
「たったのひと月の辛抱ですわ」
 それは、彼を慰めることばでも、自分に言い聞かせることばでもあった。
 一ヶ月後に王都の大聖堂で、彼らの結婚式が執り行われることが正式に決まったのだ。それまでの日々を、彼らはそれぞれ一日刻みの忙しさの中で過ごさねばならない。
 今日からまたしばらく、その準備のための別離が待っている。ミルドレッドは王都に、エドゥアールはラヴァレ領にいったん戻る必要があった。
「あとひと月。それからは毎日いっしょにいられるんだな。一生のあいだ」
「あなたさえ、そうお望みなら」
「命を懸けて、望む。それさえ叶えられたら、他には何もいらない」
 娼館に帰ると、ジルやトマがあわただしく出発の支度をしていた。
「ほら、道中のサンドイッチだ」
 コックのガストンが、大きなバスケットをふたつエドゥアールに差しだした。
「魚介は、北ではなかなか手に入らないだろう。エビと卵、サーモンとクリームチーズ、オイルサーディンとトマトの三種だ」
「うわあ。すげえ」
「シモンは、昔から魚を使った料理が苦手だ。俺の味をしっかりと伝授してやってくれ」
「……あれえ、知ってたのか。シモンが領館にいること」
「この世界はな、意外に狭いんだよ」
 ガストンはにやりと笑った。「言っといてくれ。まずい魚料理を晩餐にお出ししたら、いつでもラヴァレ家のコック長を代わってやると」
「お嬢さま。あたしの刺繍したハンカチーフです」
 ネネットは餞別にと、繊細なバラの模様のハンカチーフをミルドレッドに差し出した。
「ありがとう。これを、あなたが?」
 イサドラの店の娼婦たちは、客待ちのとき、たいてい刺繍やレース編みに精を出している。いつしか玄人並みの腕まえになり、借金を返し終えて自由の身となったとき、それで生計を立てていく者もいる。貴族の令嬢のたしなみである刺繍を、娼婦に教え込んだイサドラの心意気がわかるような気がする。
「それから、これを……お嬢さまからお渡しくださいますか」
 もう一枚、そっと差し出した。見れば、ラヴァレ伯爵家の紋章、谷ユリの刺繍をほどこしたハンカチーフだ。
「あら、すぐそばにいらっしゃるのに。ご自分で渡したら?」
「え、で、でも……」
 ネネットは、伏せた顔をあからめる。ミルドレッドはいたずらっぽく微笑むと、彼女の背中をぽんと押した。「さあ、早く」
「エ、エディ。あの……」
「えっ。俺にくれるのか」
 ふたりのやりとりを横目で見ながら、自分の恋心を必死で押し殺しそうと努めるネネットのことが、いとおしいような不安なような、ちょっぴり複雑な心境だ。
(しっかりしなきゃ。たぶん、わたくしはエドゥアールさまに近づく女性のことで、こうやって一生ヤキモキさせられるんだわ)
 いよいよ、別れのときがやってきた。
 エドゥアールは伯爵家の馬車の駕籠に、子爵令嬢とその侍女を乗せると、扉から手を差し入れた。
「用がすんだら、すぐに王都に駆けつける」
「お待ちしておりますわ」
 恋人たちは名残惜しげに指をからませ、そして離した。次に会えるのは半月後だ。
「ジョルジュ。あとは頼む」
「おまかせください」
 騎士は自分の馬で馬車に随行し、従者のトマは御者の隣に座った。
 トマが乗って来た美しい栗毛の牡馬は、エドゥアールがラヴァレ領への帰路に使うことになっていた。
 馬車を見送ると、エドゥアールは、見送りに並んでいたイサドラたちに向き直った。
「ミストレス。長いあいだ世話になったな」
「何言ってるんだい、他人行儀な」
「おにいちゃん、また来るよね」
 フレッド坊やはテオドールとゾーイにはさまれて、袖で目元をおおいながら、しゃくりあげている。
「ああ、すぐに来る。約束する」
 その約束は嘘ではない。
 リオニア共和国とクライン王国の不戦協定の調印式が、ポルタンスの港で行われることが、ほぼ決まりかけているのだ。ラウロ・マルディーニから託されたリオニア首相の書状は、ユベールの手でフレデリク三世のもとに、すでに送り届けられた。フレデリク国王が、それに対してどんな決断をするか。まだ行く先は不透明なままだ。
 この大陸全体に、戦争の不安のない時代が来ようとしている。ここでしくじるわけにはいかなかった。
「じゃあな。みんな」
 上質の乗馬服に身を包んだエドゥアールは、裏路地を名残惜しげにぐるりと見渡してから、歩き始めた。
「エディ、さよなら」
「また来てくれよ」
「エディ伯爵さま!」
 ポルタンスの住民たちは、通りから、建物の窓から、運河の舟上から、大きな歓声をもって彼を見送った。
 広場では、黒衣の騎士が二頭の馬を引いて彼を待っていた。
「俺がゆっくりしてる間に、忙しい目をさせたな」
 主の労わりのことばに、「わたくしの務めですから」と微笑み返しながら、手綱をエドゥアールの手に渡す。
「ご苦労ついでに、少し寄り道に付き合ってくれるかな」
「どこでしょう」
「アルマ婆さんのところだ」
 ユベールは眉をひそめる。「あの森の小屋ですか?」
「イサドラが月に一度、様子を見に行ってくれてるが、こないだ少し具合が悪そうだったようなんだ。本人は自分の作った薬で治すと言い張ってるそうだが」
「それなら、よろしいではありませんか」
 もう一頭の手綱を手に歩き始める近侍の灰緑色の瞳には、はっきり反対の意志が見て取れた。
「冷たい男だな」
「わたしは、若さまが伯領にお戻りになられた二年前、アルマに固く誓わされたのです。もう二度と若さまをこの森に近づけないと」
「初耳だ」
「どうせ若さまのことだから、隙あらば様子を見に来ようとするに違いない、全力でお止めしろと言われました」
「そう言われると、全力で突破したくなるなあ」
「やれるものなら、やってごらんなさい」
「ああ、やってやるよ」
 次の瞬間、広場を歩いていた市民たちは、猛然と土煙をあげて走り始めた二頭の駿馬に腰を抜かしそうになった。


 ラトゥール河沿いの街道を駆歩(くほ)で走らせれば、ポルタンスからアルマの住む森までは、ほんの一時間だ。
 エドゥアールは、九歳までここで暮らした。人生の基礎を築く大切な期間を、彼は放浪民族のアルマと、騎士のカスティエ父子に育てられたのだ。
 もしアルマだけに育てられたなら、彼は厳格な掟と規律というものを知らぬままになっただろう。もしアンリたちだけなら、人間の平等と自由奔放な生き方を教えられなかっただろう。
 どちらが欠けても、今のエドゥアール・ド・ラヴァレという人間は存在しなかった。
 なつかしい森の小屋に近づいたとき、かすかな異変を彼らは感じ取った。小屋わきの畑の作物が、ことごとく萎れている。絶えず立ち昇っているはずの、かまどの煙がない。
 主従はどちらともなく、走り出した。
 小屋の扉を開け放つと、エドゥアールは叫んだ。「アルマ婆さん!」
 奥の部屋の粗末な寝台の上で、老婆は半分ずり落ちるような格好のまま、ぐったりとしていた。
「エディ」
 アルマは薄眼を開けて、弱々しい声をあげた。「バカだね。あれほどここに戻ってくるなと言ったのに」
「何言ってんだよ、ひどい熱じゃないか」
「そのうちに勝手に治るさ。ほっといておくれ」
 エドゥアールは、無言でアルマの体を抱き上げた。
「何するんだ、お放し」
 若き伯爵は足をばたばたさせて抵抗する老婆を抱いたまま、ユベールが開けた小屋の扉から外に出た。
「わたしはきっと、あんたの邪魔になる。あんたを危ない目に会わせちまうよ」
「いいから、黙ってろ!」
 彼は栗毛の馬の鞍にアルマを軽々と押し上げると、自分はその後ろにまたがった。


 村医者の診立てでは、アルマは風邪から軽い肺炎を起こしかけているということだった。
 村の農家から一軒の小屋を借りると、二日二晩、湯気を立て、薬と湿布で手当した結果、どうにか老婆の顔に赤みが戻り始めた。
「まったく、言うことを聞かない子だね」
 三日目の朝になると、アルマは寝台の上から悪態をつけるまでに回復した。
「頑固な婆さんに育てられたからな」
「カード占いで、三度とも同じ結果が出たのさ」
 節だらけの木の天井を見上げながら、彼女はつぶやいた。「あたしに近づけば、あんたに良くないことが起きる。だからあれほど、森には近づくなと言ってあったのに」
 最後のことばは、背後に立っているユベールに向けられたものだった。さすがの騎士もアルマ婆さんには弱いと見えて、わずかな苦渋を顔に浮かべている。
「あんたは、大勢の領民に責任を持つ伯爵なんだよ。自分の身をまず真っ先に考えないで、何とする」
「たったひとりの人を助けられないで、何が伯爵だよ」
 エドゥアールは老婆の枯れ木のような手を握りしめ、掛布の端に頭を突っ伏した。「そんな爵位なら、今すぐ捨ててやる 」
 彼の切なげにうめく声に、さすがのアルマもことばが継げない。
 扉をノックする音がし、ひとりの若い女が煎じた薬を木の椀に入れて運んできた。小屋を貸してくれた農民のはからいで、その家の娘が食事や水回りの仕事に通ってくれている。
「熱さましの薬をお持ちしました」
「ありがとう。リア」
 ユベールが娘の名を呼んだので、エドゥアールは不思議に思って顔を上げた。
「紹介します。この人はクロエの娘」
「クロエって?」
「あなたの【お母上】のクロエですよ」
 「ええっ」とエドゥアールは目を見張る。「じゃあ、ここは」
「サンレミ村です」
 最初の筋書きでは、エドゥアールはこのサンレミ村で、ラヴァレ伯爵と農家の娘クロエとのあいだに生まれたということになっていた。クロエが実はポルタンスで娼婦であったことを暴いたのは、ほかならぬプレンヌ公の密偵ルネである。
 それが、エドゥアールの第一の秘密であり、第二の秘密を覆い隠す巧妙なヴェールでもあった。
「じゃあ、クロエの娘の出生届を俺のものに書き換えたというのは……」
「私のことでございます。伯爵さま」
 リアは片膝を曲げて、丁寧にお辞儀した。農民の娘とは言え、上流子女の教育を受けているものと見える。
「俺のせいで、迷惑をかけたな」
「いいえ、伯爵さまの長年のお心遣いのおかげで、村は豊かになりました。わたくしたち村人は皆、感謝しております」
 彼女ははじめてラヴァレ伯本人に会う名誉に、頬を紅潮させて答えた。「どうぞ、お婆さまのお世話はわたくしにまかせて、ゆっくりお休みください」
「そのとおりです。若さま。この二日、ほとんど寝ておられないでしょう」
 ユベールは主人を病人のいる部屋から連れだし、手作りのキルトで覆われた質素な長椅子の上に強いて座らせた。
「まさか、サンレミ村に来ているとは思わなかった」
「とっさのことで、ここしか思いつきませんでした」
 同じく一睡もしていないユベールも、向かいの木の椅子に腰を下ろした。
「ここの村人たちなら、ラヴァレ伯爵家のために誠意を尽くしてくれます。アルマの今後の面倒も見てくれるでしょう。あの森でのひとり暮らしは、年から言ってもう無理なのだと思います」
「そのことだけど」
 エドゥアールは寝不足の赤い目をしばたいた。「アルマ婆さんを伯領に連れて帰ることはできないかな」
「なりません」
 そう言いだすことを予想していたのだろう、ユベールは間髪をいれずに答えた。「秘密を守るためには、アルマとの接触はできる限り避けるべきです」
「……」
「短い仮眠を取られたら、すぐに村を出発します。人目につかぬ夜のうちに」
「俺の人生って何なんだろうな、ユベール」
 エドゥアールは長椅子に仰臥して、目を閉じた。「髪を染めて素性を隠し、どこにいても秘密がばれないかと気づかって、人の目を真正面から見ることもできない。恩人に恩を返すことさえできない。いったい俺、こんなにまでして何から逃げなきゃならないんだろう」
 騎士は、その痛々しい問いの答えをさがす必要はなかった。すでに主が深い眠りの中に落ちているのがわかっていたからである。


「主席国務大臣どのがお見えでございます」
 謁見の間の玉座に座していたフレデリク三世は、軽いため息を吐いた。
 今日こそは、逃げられまい。
 エルヴェ・ダルフォンス公爵は、いつもの速足ではなく、ゆっくりと近づいてきた。暗赤色の正装は、彼の怒りの発露とさえ見える。
「陛下。カルスタンは、もう待てないと使者を送ってきております」
 その日は、朝から低く雲が垂れこめていた。昼間にもかかわらず、広間の燭台にはすでに火が入れられている。ゆらめく炎がプレンヌ公の蒼の双眸に映り込み、逆に底の知れぬ深淵を覗きこんでいるようだ。
「ご署名だけいただければ、あとは万事をこちらで運びます。なにゆえ躊躇なさることがありましょうや」
「セルジュはやはり、そなたそっくりだな」
 国王は頭を傾げ、眠たげな声で言った。「フレデリク大王も、そのような瞳の色であられたと記憶する。してみると、大王に一番よく似ていたのは、わが父ではなく弟のそなたの方だったのかもしれぬな」
 体良く話をかわされたことを知り、眉間に縦じわを寄せたエルヴェだったが、辛抱強く答えた。
「ですが大王は、兄を次の王と指名なさいました」
「そなたがあまりにも似すぎていたのかもしれぬな。もし戦の世であれば、そなたは良き王となれたろう。だが平和な世には、荒れ狂う海よりも、凪いだ湖の水色が似つかわしい」
 プレンヌ公は、きりと歯噛みしたまま答えなかった。
「父は臆病で無能な王であったよ。余と同じくな。それがクライン王国の平和を五十年間守ったことになったとすれば、皮肉だな」
 王は口の端をゆがめて笑った。「心配せずとも、わが血筋はもうすぐ絶える。ふたたび荒れ狂う蒼の時代が戻るだろう」
 公爵は深々と頭を下げ、憤怒の声をあげた。「陛下。カルスタンの使者が待っております」
「署名をすれば、よいのだな」
 侍従のひとりが、しずしずと署名台を運んできた。その上には、羽根ペンとインキがすでに整えられている。
 フレデリク王が玉座を降りると、プレンヌ公は書類の巻き紐をほどき、うやうやしく署名台の上に広げた。
 国王は羽根ペンを取り、インキ瓶に浸しながら言った。
「リオニアとの国境に派兵が行われれば、何十何百の兵士が死ぬ。我が領土に敵が侵入すれば、村と畑は焼かれ、大勢の民衆が 命を落とすだろう」
「それがなにか?」
「貴公は、その者たちのために涙を流すことができるか?」
「なんですと?」
 フレデリクは羽根ペンを台の上に置いた。
「――派兵はせぬ」
「陛下!」
 驚愕のあまり、目が眼孔から飛び出すほどに見開く国務大臣から、マントをひるがえして身をそむけたフレデリク三世は、
「明日、カルスタン大使を呼ぶように伝えよ。余が直々に話をする」
 と言い残して、広間を去った。


 寝衣に着替えた王妃テレーズが、鏡の前で髪を梳かせていると、もうひとりの侍女があたふたと飛び込んできた。
「へ、陛下のお渡りでございます」
「え?」
 思わず立ち上がるのと、ガウン姿の国王が入ってきたのは、ほぼ同時だった。
 湯浴みの直後なのか、王の髪は金色の巻き毛がほどけ、滴が落ちそうなほどに濡れている。嫁いでから六年間、冠を戴いていない王の姿を見たのは初めてだった。
「すまぬ。邪魔をしたか」
「い――いいえ。とんでもございません」
 王妃は、膝をかがめて拝礼した。「うれしゅうございます。そうと存じておりましたら、酒肴など準備させましたものを」
「よい。すぐに帰る」
 王が不快げな視線を走らせると、壁際に並んでいた侍女たちは、あわてて一礼をして退出していった。
 テレーズは、いつもにまして仏頂面をしている夫に微笑みかけた。
「どうなさいました?」
「……今宵は眠れそうにない」
 王はどかりとソファに座り、王妃はその傍らの絨毯に膝をついた。
「今日、カルスタンとの軍事協定への署名を拒否した」
「まあ」
「我ながら、だいそれたことをしたものだ。今ごろになって手の震えが止まらぬ……ふはは」
 うつろな笑い声を上げる夫にさらににじり寄ると、テレーズは彼の手を取った。
「いったいなぜ今、そのようなご決断を」
「余は王として、何をこの世に残せよう。世継ぎも功績も、何も――何もない。それでよいと思っていた。だが何故か、おのれが歯がゆくてたまらぬのだ!」
 彼はせっぱつまった水色の瞳で、王妃を見つめた。「女々しい男だとあきれておろうな」
「いいえ」
 王妃は、静かに首を振った。
「陛下は、わたくしが会った中で、最高の王の資質を備えた御方です」
「余が?」
「はい。ほかの誰が、陛下のように御自分の誇りを押し殺して、国の平和のためにささげることができましょうか」
 王はそれを聞いて、苦き笑いを口元に刻んだ。
「だとしても、今から余に何ができる。どうすれば戦争へと向かう流れを止めることができるのだ」
「わたくしの父も兄も、祖国アルバキアをあげて、あなたのお味方をいたします」
 テレーズは、王の大きな硬い手にそっと唇を押し当てた。「どうぞ、お心にあることを存分になさいませ」
 彼女の柔らかな頬を、フレデリクは両手で包み込んだ。
「そなたは、どうなのだ」
「わたくし?」
「余のことを憎んでおるのだろう。人質同然に祖国から嫁ぎ、ろくにことばも交わしたことがない夫を愛しむことなど、できようはずがない。それでも、そなたは余の味方でいてくれるのか?」
「御存じありませんでしたの?」
 王妃は、驚いたように答えた。「わたくしは、この地上の誰よりも、陛下のお味方のつもりでしたのに」
 王は奇妙な表情を浮かべて、目をしばたいた。
「知らなかった。そなたが、そんな考えでおったとは」
「ご存じなかったのは陛下だけです。ラヴァレ伯爵とミルドレッド嬢には、一目で見抜かれておりました」
「あの、小わっぱめに、してやられた気分だ」
 そして王妃の肩に額を乗せた。
「疲れた。急に眠くなった」
「まあ、陛下。それでは、お部屋にお戻りに――」
 次の瞬間、テレーズ妃は天地が逆さまになったような浮遊感を感じた。フレデリクの腕に体ごと抱きかかえられているのだ。
「そなたの寝台は、寝心地がよさそうだ。一晩借りるぞ」
「……はい、陛下」
 寝具の上にそっと横たえられた王妃の目から、ひとつぶの真珠が流れ落ちた。
 国王は屈みこみ、その真珠をすくい取るように口づけた。
 


          第八章 終


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