We Will Rock You ウィ ウィル ロック ユー


           (2)


「循環器系の内臓を生体機械に取り替える。血管と筋肉はナノマシンの注入で補強する。それだけで火星の低重力や急激な気圧の変化の中でも、正常に暮らすことが可能になる」
 さも当然のことのように紡がれることばに、一同は声もでない。
「だが」
 レイが真っ先に自分を取り戻した。「事故による損傷や重い臓器不全の病気以外の理由で、人工臓器を移植することは、連邦法で固く禁じられているはずだ」
「そんなことは知っている」
 クリフォトは冷たく答えた。「だから、俺は【グラナトゥス】を創ったんだ」
 22世紀後半に成立した法律、いわゆる【サイボーグ禁止法】――健康な臓器を人工臓器と取り換えてはならない――によって、人工臓器移植手術は、銀河連邦政府の厳重な管理下に置かれた。
 不老長寿を望む人々が、体の大部分を機械に替えてしまうことを危惧したのだ。
 ところが、火星に居住する者全てに人工臓器を提供してくれる組織が火星にあるとすれば、魅力的な誘いだ。これまで健康上の理由で移民が困難だった人々、特に女性にとっても朗報だろう。
 噂が広まるだけで、移民の大きな呼び水になる。だが、それは銀河連邦の方針に真っ向から反抗することだ。
「きみは間違っている」
 恐ろしいほど威圧的な声に振り向くと、セフィロトが彼をにらみつけていた。
 表情は平静を保っているが、金色を帯びた瞳に乗せられた憤怒はすさまじい。気の弱い人間ならば心臓を射抜かれてしまいそうだ。
「きみのやっていることは、地球の長い歴史の中で培われてきた生命そのものを汚すことだ」
「ここは地球ではない。火星なんだ」
 クリフォトは動じた気配もなく、答える。「地球で暮らすための体しか持たない人間が、この惑星に適応するために体を人工的に改造して何が悪い。宇宙では地球の倫理観など通用しない」
「けれど、それでは人間という生物の在り方を根本から変えてしまう。地球の人類と火星の人類は分かり合えなくなり、いつか敵対するようになる」
「もうとっくに敵対している。銀河連邦の専制と抑圧に対して反感を抱く住民は、日ましに増えているんだ」
 ふたりのロボットが、人類の有りようについて議論する不思議な光景を、ほかの人間たちはただ呆然と見ている。
「じゃあ、おまえは目の前で死んでいく人間を見て、運命だと達観していられるのか」
 クリフォトは野獣が挑みかかるように言った。「もしできることなら、どんな手段を使ってでも死なないでほしい、一日でも長く生きてほしいと望むはずだ。そうじゃないのか。セフィロト!」
 セフィロトは、ただじっと弟の顔を見つめていた。そして、静かに答えた。
「でも、胡桃なら――そうは望まなかったと思うよ」

 火星標準時の夜が更ける。
 人通りの絶えた地下の貧民街を歩いていたクリフォトは、ぴたりと立ち止まって、振り向かずに言った。「なぜ、ついてくる」
 マルギットは、首を縮めながら、おずおずと言った。「だって行くところ、ないもの」
「【ポンチセ】のマスターに、今夜泊まる場所を頼んでおいたはずだ」
「だって、あんたが」
 一語ずつ切って、答える。「あんたのことが、心配なんだもん」
 クリフォトは、何も言わずに歩幅を広げた。マルギットはほとんど競争のようにして追いかける。
 ようやく彼の部屋に着いたとき、中は真っ暗だった。部屋の照明はコンピュータが管理している。クリフォトがわざと点灯を命じないのだろう。
 暗がりの中、マルギットは手さぐりでキッチンに向かい、ようやく調理装置を点けた。
「あれ?」
 それが作り出した小さな赤い明かりの中に、ひとつの点がぼんやりと浮かび上がる。近寄ると、テーブルの上に一粒の蛍光チェリーが置いてあった。【ポンチセ】の名物、青いカクテルの中に入っているチェリーだ。
「そのチェリーは、【第一次調査移民団】の仲間が作り出したものだ」
 クリフォトが背中を見せたまま、誰に聞かせるでもなく呟いた。
「移民を成功させるためには、火星にしかない特産品を作らなければダメだと言って、朝も夜もなく、新種の栽培に力を注いだ。気づいたときには、もう遅かった。肺を侵され、酸素を取り込めなくなって、苦しみもだえながら死んだ」
 マルギットは、彼の上着のポケットに入っていた古い写真を思い出した。クリフォトの隣で肩を組んで笑っていた青年。
 クリフォトが抱えている怒りの正体が、ようやくわかった。
「だから、あんたは、人工臓器を火星に住む人たちに移植しようとしているんだね」
「……」
「だから、あんたは、人間の食べ物は口にしないくせに、【ブルーサンセット】だけは飲むんだね」
 蛍光チェリーを発明した仲間の死を悼むために。そして、あのとき何もできなかった自分を責めるために。
「あんたは」
 マルギットは、すっと腕を伸ばしてクリフォトの首に回した。「不器用な人だね」

 照明を落としたカウンターの片隅で、セフィロトはひとりで座っていた。
 マスターは調理場で明日の仕込みをしているらしい。20世紀のジャズが深海のような店内に、ときおりさざなみを起こす。
「セフィ」
 ひとりの女性が彼の肩に手を置き、隣に座った。淡い光に包まれているように見えるのは、三十代半ばの美しい女性だ。
「ああ。胡桃」
 セフィロトは、疲れたような微笑を返した。「まいりました。こんなにショックを受けたのは、あなたが死んで以来です」
「クリフも相変わらずね。真面目で意固地で、それだけに傷つきやすくて」
「人間が死ぬのは、避けられない運命なんです」
 セフィロトは瞼を閉じた。「あいつはどうしても、それが受け入れられないんだ」
「責めてはだめ。クリフはクリフなりに、この惑星の未来を誰よりも真剣に思っているのだから」
「わかっています。けれど、火星の住民全員に人工臓器を移植するなんて、どれだけ膨大な資金が必要なことか。実現不可能なことは少し考えればわかるのに」
 彼は目を開いた。「あいつはまだ、もっと重要なことを隠しているような気がします」
 隣にいたはずの女性の姿は、いつのまにか掻き消えていた。
 そして、まるで入れ違いのように、扉からプルシアンブルーの制服を着た航宙士が入ってきた。
「おや。どうなさったんです? ホテルに戻られたはずじゃ」
 店の奥から出てきた髭もじゃのマスターに、レイは笑って答えた。「いったんは帰ったんだけどね。どうにも落ち着かなくて、また降りてきてしまった」
 と言いながら、セフィロトの隣、さっき胡桃が座っていた場所に座る。
「明日の夜、出航なのですね」
「ああ、今から興奮状態が始まってる。我ながらイヤになるよ」
 レイが一本指を立てると、マスターはうなずいて、【ブルーサンセット】を作り始めた。店を訪れるのはまだ三回目なのに、もう馴染み客として受け入れられている。
「さっきまで話し声が聞こえていたようだったが」
「ああ、はい。妻とちょっと」
 レイは、奇妙な表情で彼を見た。
「奥さんは――確か亡くなったはずでは」
「ロボットの便利なところはね」
 セフィロトは片目をつぶった。「妻の声も映像も、いつでも再生ができます。目の前に本当にいるかのようにね。自分の好きな年齢の妻を描くことだってできます。慰めが必要なときは、四十代の母親のように。元気が欲しいときは、はつらつとした二十代の姿で。実際に、その幻影と会話するプログラムを組むこともできます」
「それは……すごいな」
「でもね。だからこそ忘れられない」
 セフィロトはカウンターに屈みこんで、目の前のグラスの縁を指でなぞった。キンとクリスタルの澄んだ音が響く。
「見方を変えれば、ロボットは不幸なのかもしれません。忘れるということができない。いつまでも、愛する人の永遠に鮮明な面影を抱いて生きなければならないのだから」
 レイは「ああ」と答えた。四歳のときにシップの爆発事故で失った両親。すでに彼には、写真や映像以外にその面影を映す手段はない。
「そのことをずっと不幸だと感じていたが――そうではなかったのか」
 セフィロトは、彼を慈しむように微笑んだ。
「忘却こそ、人間に与えられた最大の幸福ですよ」