猫の秘密〜異世界の姫君アスリア
岡野 なおみ

(13) ラミル、その変貌三

 太郎丸を、さんざんたぶらかせて、自分の存在意義に疑問を吹き込んだラミルは、美子に見つかるのを嫌ってそのまま、庭から出て行ってしまった。
 すると、美子の家の垣根の向こうから、後を追いかけてくる一匹の猫。チュチュである。
「ラミルさん、ラミルさん」
 すると今までの話を、この垣根から聞いていたのだろう。ラミルはそっぽをむいて顔をしかめてみせた。猫は嫌いだった。特に、この猫のように醜い猫は。
「判ってるんだよ、あんた異世界の人間なんだろ、ほんとは」
 チュチュは、かぶせるように言った。ラミルは驚き、慌てて背後を振り返った。太郎丸は、自分の中にひきこもっているし、アスリアは美子の部屋の方にひきかえしつつあるところだ。
「どうして判ったのさ」
 ラミルは、当然の疑問を口にした。
「あんたが、金属製の色した穴から出てきたからねえ」
 チュチュは、にやりと笑った。
「太郎丸を苦しめて、アスリアのやつを落ち込ませるなんて、あたしには思いつけなかったよ。ふん! アスリアなんて、いなくなればいいんだ」
 どうやら、アスリアに対してあまりいい感情を持っていないようだ。ラミルは、じっくりチュチュを検分した。
相変わらず可愛くない、いや、かなり醜い中年猫だ。毛並みはつやつやして灰色。頭の所の毛は黒かったが、ちりちりしている。
「美子やアスリアのために人肌ぬぐなんて、くだらないことだと思いますでしょ、ラミルさん」
 チュチュは、咳き込むように言った。
「あたしも、異世界に連れていってくれないかい。そこには、猫の天国があるんだろ」
 ラミルは、少し身を引いてチュチュを見つめた。いぶかしげになったのを勘違いしたらしく、チュチュは必死で言った。
「わかってるって、あたしがあのアスリアと同じ猫だから、警戒していることくらい。だけどあたしゃあんたの味方だよ。
 あのアスリアって子が来てから、カイもマイケルも、夢見たいなことばかり言っているんだ。王女と近づきになれるのは光栄だとかなんとか。男というのは、どうしてああも現実的じゃないのかねえ。あいつの目を覚まさせる意味でも、アスリアには消えてもらわなくちゃいけないとおもうんだよね」
 ラミルは、興味深く、そのチュチュの言い分を聞いている。
「それじゃ、アスリアをもっと苦しめる方法を知っているのかい」
 とラミルが言うと、
「それはあたしにも思いつけない。だけど、できるだけの協力はするよ。なんでもいいつけてちょうだい」 
 ご厚意はありがたく受け取るとして、ラミルはノガルの姿を捜した。たったいま、思いついたアイデアがあるのだ。
 ノガルが、フラクタル模様の穴から出てくると、ラミルはノガルに案内させて、ゲハジのいる公園ベンチにやってきた。胸に、ある計画を温めて。
 
「アローテ様を甦らせる……?」
 ゲハジは、驚きのあまりベンチから転がり落ちた。魔族は動物の言葉も理解できるが、ラミルの言葉は理解の範疇を超えていた。相手が犬だから、ではなく――アローテを、死霊使いの自分が操るなんて、ルギドが聞いたらどんな目にあわされることか!」
「アローテ様は、水晶の力で甦らせることになっているはず」
 ゲハジは、うろたえて言った。
「黙ってりゃ、わからないわよ」
 ラミルは、こともなげに、
「死霊使いなんだから、できないことはないはずよねえ」
「しかし、ただの操り死霊として甦ったと知られたら、俺の命も危ない」
 ゲハジは、胴震いした。
「それじゃ、あたしがアローテになりきるわ」 ラミルは、じれったげに言った。
「どうやって」
「わたしは妖魔の血も混じってるのよ。姿を変えるくらい、わけないわよ」
「犬に変わるのとは違うぞ。アローテさまそのものになるには、アローテさまの体の一部が必要になる」
「あなた、持ってるじゃないの」
 ぎくり、とゲハジは体を震わせた。
「エネルギーが充ちた水晶に捧げるために、アローテさまの体の一部を、あなたは持っているはず。私にそれを頂戴」
 と言うと、ラミルは色っぽく笑った。

(14) ラミル、その変貌四

「しかし、よりによってアローテ様になるとは――」
 ゲハジは口ごもった。
「あなたはアローテさまの骨を持ち歩いているはず。私がそれを飲み込んで、アローテさまになりきるわ」
 ゲハジは、思いとどまるよう口を極めて説得したが、ラミルはガンとして聞こうとしない。仕方なしに、ゲハジは、自分のペンダントの先の小瓶に入った小さな骨を、ラミルに渡した。ラミルは重々しくそれを受け取ると、一気に骨を飲み込んだ。ざらざらとした口触り。ラミルは咳き込んだ。
「水が必要なのではないか」
「余計なお世話よ!」
 ラミルは唾を飲み込んで、アローテの骨を完全に飲み込んだ。
 その直後、頭の奥の方で、なにかがひらめいた。
 ――ルギド、ルギド。
 聞き覚えのある声。たおやかな女性の声である。アローテの声だった。
 ラミルは慌てた。こころの中に、アローテが小さく存在する! アローテの記憶が、彼女の中にまで侵入する! まるで、はじめからそういう記憶があったかのように。
 ――しっかりしなくちゃ。私はラミルよ。 ラミルは、必死で自分に言い聞かせた。が、アローテの声は――そして意識は、どんどん強くなっていく。ラミルは必死で、アローテの意識と戦った。が、暖かい、優しい気持ちが、じわじわと彼女のこころを浸した。
 ――ルギド、ルギド。ルギドはどこ?
 アローテの意識が、ラミルのこころを支配した。ラミルはアローテになっていく自分を意識した。屈服するわけにはいかない。
 ――アローテ。アスリアよ、アスリアのところへ行くのよ。
 気持ちをしっかり引き締めて、アローテの意識に命じる。アローテの意識は戸惑ったようだが、もともと素直な性格だったので、
 ――そこでルギドに会えるのね。
 とつぶやいて、ラミルの導くほうへと歩み出した。

ちょうど、アスリアが太郎丸に、色々と話しかけているところである。
「あんな、事情もよく知らない人のいうことなんか、いちいち気にしてちゃだめよ」
 アスリアは、落ち込んでいる太郎丸に言っている声が聞こえる。ラミルは、にやりと笑った――というか、笑いたかった。
 ところが、である。ちっとも面白くないのである。アスリアが苦しむことで、ルギドが喜ぶと思っていいはずなのに、そんな気持ちなどまったくないどころか、アスリアに対する同情の気持ちがふつふつとわいてくる。
 ――アローテに浸食されているせいだわ。
 アローテは、敵にすら情けをかける天使だった。ルギドはそういう彼女のおかげで、長い間苦しめられていたこころの痛みが癒されたと言っていた。自分がどんなにひどい目にあわされても、敵の妹に対して怒りや憎しみをぶつけないアローテ。ラミルは必死で抵抗したが、アローテはこともなげにそれを超えると、アスリアに近づいていった。
姿は、アローテになってしまっていたので、
「ふーっ!」
 とアスリアは毛を逆立てた。悲しそうにアローテは言った。
「アスリアさん。こんにちわ。というより、はじめまして、と言うべきかしら」
 アローテは軽く頭を下げて、アスリアに手を差しのばした。無警戒な様子に、アスリアは少し心を開いた。
「私の名前はアローテっていうの。よろしくね」
 アスリアは、首をかしげた。
「アローテ。聞いたことがあるわ」
「ルギドの妻よ」
「えっ」
 アスリアは、さっと身を強ばらせた。
「じゃ、お兄さんが『魔族に寝返った裏切り者」というのは、あなたのことなの」
「それは誤解よ。魔族はそんなに悪いひとたちばかりじゃない。価値観が人と違うからって、そんな風に言うものじゃないわ」
 アスリアはラミルを――アローテを見つめた。
「お兄さんは、あなたにひどいことをしたって、召使いたちから聞いてるわ。なのにあなたは私に、なにも害意を持たないのね」
 声が潤んでいた。
「ちょっと意地悪されただけよ」
 アローテは、肩を少しすくませた。
「ちょっと意地悪、どころじゃないのに……」
 アスリアは、感動したように呟いた。
ラミルも少し驚いていた。アローテはなにをするつもりなのだろうか。意識を探ってみるが、アローテは無視している。
 まさか、アスリアを赦すつもりじゃ……。
 そんなことになったら、今までの苦労はどうなる。ラミルは焦った。なんのために妖魔の血を受け入れたのか……。
 だが、アローテは穏やかに微笑んでいるばかりだ。

(15) ラミルの死

 こんなはずではなかった。ラミルは、アローテがどんどんアスリアと仲良くなるのを、意識の底の方で感じながら、必死になって自分のからだを取り戻そうとしているが、アローテはまったく意にも介していない。普通、人間は動物とは話せないのだが、今はラミルの体を使っているためか、すんなりとお互いに話ができる。ますますアスリアに、親しげに、
「太郎丸さんにご挨拶してきますわ」
 というと、しゃきしゃきと歩いていく。一緒にアスリアもついてきた。疑っているのも多少はあるが、好奇心がわいてきたのであろう。ラミルは、体を取り戻そうと意識を集中している。
「わたしを甦らせてくれたのは、ゲハジなの」
 アローテは、しっかりした声で言った。
「だから、ほんとうならゲハジの言うなりになっているはずなんだけど、ラミルって人が、かわりにゲハジを説得してくれて、体を使わせてもらえるようにしてくれたの。だから、このアローテは、ほんとうはラミルさんなの」
「そうだったの」
 アスリアは、親しげなアスリアの言葉に、かなり警戒心を解いたようだった。
「太郎丸さんを力づけたら、わたし、ルギドのそばに帰ろうと思うの」
 アローテは言った。
「アスリアさんを苦しめるのを、やめさせたいのよ……憎しみは、なにも生まないわ」
 そんなことになっては困る、とラミルは慌てた。アスリアと仲良くなるなんて、計算外だった。アローテが敵をゆるしていると知ったら、ルギドは世界征服の野望を棄てるだろう。そんなことになっては、このラミルの活躍の場がなくなる!
 ラミルは必死に念じた。私が、私こそが、ルギドさまのご寵愛を受けるべき人間。アローテは邪魔なのよ!
 突然、アローテの全てが憎くなった。自分の思い通りに動かない人間。敵を赦す人間。そんな人間が、魔族にいるなんて!
 ラミルが体の自由を奪い取ろうと必死になっているにもかかわらず、アローテは太郎丸に近づくと、
「太郎丸。あなたは今、落ち込んでるんでしょうけど、あなたは尊い仕事をしているのよ」
 と彼の毛をなでた。
「尊い仕事……?」
 太郎丸は、不思議そうに言った。相当落ち込んでいるらしく、顔を上げない。
「今まで当然と思っていたかも知れないけれど、他人のためになにかと世話をするのは、人間にはなかなかできないことだと思うわ」
 アローテは言った。
「あなたにあんなことを言った柴犬だって、あなたほどの活躍はできないわ!」
 俯いていた太郎丸は、顔を上げた。目が再び輝いている。
「それじゃ、ドレイじゃないんだね、僕は」
「ドレイどころか、天使じゃないかしら」
 アローテはきっぱり言った。アスリアは、少し妬けてきた。私には、こんなふうに太郎丸さんを力づけることができなかったわ。
そう思ったアスリアは、そっとアローテのそばに立って、アローテに言った。
「至らない私のかわりに、太郎丸に勇気をくれて、ありがとう。魔女だと思っていた私を赦してほしいの。私の兄のことまで赦してくれるなんて、普通はできないことだわ。太郎丸さんが天使なら、あなたも天使だと思うの」
 アスリアがそう言うと、すうっと光がアスリア全体を覆い尽くした。ラミルがぎょっとして身を引こうとするが、アローテはたちつくしたままだ。
 ――古代の魔法だ。
 ラミルは、必死で体をよじろうとした。
 ――古代ティトスの魔法が、アスリアの体内から発せられている! 
 聖書の書かれた時代に存在した、古代ティトス語は、聖書と同じくらい神聖な言葉であった。その言葉のひとつが、アスリアの額にくっきりと浮き出ていたのだ。
 ――あれは……。
 ラミルは、体が硬直するのを感じた。
 ――あれは、最上位の魔法使いがつけた刻印だわ……。あの文字が何を意味しているのか判れば――この光から逃げ出すことも出来るはず。
 だが、ラミルは近づくことはおろか、逃げることも出来なかった。アローテの長い髪の毛がぱちぱちとはぜていく。アローテがどんなに善良でも、死霊にはこの聖なる光は耐えられなかった。
 善良ではないラミルは、なおさらだ。
 唖然としている太郎丸とアスリアを残して、アローテは悲しそうに微笑んだ。
「ごめんなさいね。わたしには、あなたたちを守るだけの力がない。だけど忘れないで。あなたのその聖なる光こそが、全てを解決する力になることを」
 こうしてアローテは、光に飲み込まれて消えていったのであった。

(16) チュチュとゲハジ

 ラミルが失敗したのを、ゲハジは見つめていた。光があたり一面を覆い尽くし、すっかりそれが消え失せると、アローテの姿はどこにもなかった。
「ちぇっ。ラミルも口ほどにもない」
 魔族同志が消滅したというのに、ゲハジが本当は喜んでいることは、その口元を見れば判る。
 庭を区切っているのは、ただの植え込みだけなので、その影に隠れたゲハジの姿は美子からは見えない。アスリアは、顔に前足を当てている。涙でも浮かべているのだろう。「ちょっと、あんた。あんた!」
 いきなり、背後でおばさんの声がした。
 振り返ると、見知らぬ猫が一匹いる。
「あの女はどうなったんだい? いきなり光に飲み込まれちまったみたいだけど」
「アスリアを甘く見ていたのさ」
 ゲハジは、したり顔で言ったが、内心は反対だった。自分も、下手したらああいう光にやられたかもしれない。それを思うとぞっとする。
「あんたも魔族なんだろ。ラミルと話をしていたから判ってるんだよ」
 そのおばさん猫が言った。
「それがどうした」
 ゲハジはそっぽを向いた。
「なんだか、アスリアを苦しめなければならない理由があるらしいじゃないか」
「おまえには関係のない話だ」
「関係ありますとも。アスリアを苦しめるのなら、その場にいあわせたいのさ」
「なんでそんなにアスリアにこだわるんだ」
「あいつは、運良く美子さんに拾われたから、三度の飯にも、寝るところも充分ある。暖かい部屋にも事欠かない。なのにあたしは、誰にも引き取られない。ガキに石をなげられ、カラスにつつかれ、ハトにあざけられる……。器量がいいってだけで、どうしてこんなに境遇が違うんだい、不公平だよ! だからあんた達に味方するんだ」
 ゲハジは頷いた。
「ノガルにあわせてやるよ。あいつと組めば、あんたの満足のいくように、アスリアに思い知らせてやれる」
「ありがとう」
 
 ゲハジが、ノガルを召喚して事情を説明し、ノガルが、他にも魔族がいて、毒が心配で来れないという話をチュチュにすると、
「解毒剤なら、美子んところの姉が、看護婦をしているから、あそこの病院に行けばいいじゃないか」
 とチュチュは教えた。
「ところで、ノガルはどうして、その邪悪な水晶が必要なのかい」
「あの水晶は、邪悪なエネルギーを貯めて、さまざまな願いをかなえてくれる」
 ノガルは言った。
「私は、兄の行方を水晶に捜してもらいたいのです。兄は生き別れになったまま、どこにいるのか判らないのです」
 ゲハジはノガルのそんな言葉など、どうでも良かった。
 これで、異世界との行き来ができるようになる。ルギド様がこの世界をしやすい状況になりつつある。もちろん、ハガシムも来ることになるだろう。だが、あんな、暴力一辺倒の単細胞になにができるものか。
 このゲハジ様が、ルギド様をこの世界に招き入れ、無警戒なこの国の人々を惨殺しまくり、そして死霊として操る。その日は近い。
 
 一方で、ハガシムの方は、ルギドのいる玉座の間から城内に出ながら考えていた。
 ――ルギド様は、アスリアを苦しめると言うが、ああいう手合いは、早く殺すべきなのだ。
 入り口の警備魔族に預けておいた斧を手に取ると、ハガシムはこころに思った。
 ――あのエンチャント・ジュエルは、なにか不気味な感じがする。人の苦しみを吸って成長する水晶なんて、聞いたことがあるか?
 魔族の誇りまでも、あの水晶が吸い込んでしまう気がした。もちろん、ルギドがあまりにもこの水晶に頼っているために、自分が嫉妬している可能性もある。だが俺は、ルギド様の右に位置して、いつも先陣で戦ってきた。その戦闘本能が、水晶の邪悪さを感じて不安を訴えている。
 いつか、とんでもない裏切りを、あの水晶がするのではないか。
 いや、むしろ、あの水晶が、ルギド様を操っているという可能性も――。
 そんなバカな。ハガシムは、慌てて自分の意識を閉じた。ルギドが、我らの王が、人の都合のいいように動かされているなんて聞いたら、激怒するに決まっていたからだ。

(17) ハガシムの計画

 ハガシムは、アスリアを殺すべきだと思っている。自室に入り、彼は暖炉の前で斧の刃を研ぎながら、あの邪悪な水晶のことを思い起こす。ラミルは消えた、とゲハジは言っている。なにを言っているのやら。上級魔族が、たかが小娘の魔法などに負けるわけがない。
 アスリアには、なにかがある。あの水晶がなぜ、アスリアの苦しみに反応するのか――それについては、水晶やルギドに質問するにはためらわれる。俺は臆病なのか? 臆病と慎重さは違う。
 ともかく、これ以上アスリアを放っておくことはできない。あの邪悪な水晶に、エネルギーをためることでアローテ様が復活したからと言って、アローテさまは喜ぶだろうか。
 異世界に行って、アスリアを殺す。
 ルギドがこのサルデス国を襲ってからずっと、そのことを考えていた。
 異世界に行くとしても、毒のことが気になる。異世界に行けば、自分は魔法では解けない毒におかされる。だが、ここでたじろいではならない。ルギド様のことをほんとうに思うのなら、あの邪悪な水晶の裏をかかないといけない。
 ジョカルに、異世界への扉を開いてもらおう。彼は思った。そして単身、アスリアのところへ行き、この斧で一息に殺してやる。
 ――それが済むまでは、毒も回らないだろう。
 いや、なんならアスリアと差し違えてもいい。ハガシムは思った。ルギド様が水晶の邪悪さに気付いてくれるのなら、この命を差し出しても構わない――。
 この愚直と言ってもいいほどのまっすぐさこそが、ハガシムの良いところでもあり、悪いところでもあった。
 
 ジョカルの手助けを借りて、ハガシムは異世界「地球」にやってきた。手にしっかりと、斧を持っている。
 当たりに人はいなかった。醜いちりちり頭の猫が一匹いるだけだ。
 胸がむかむかする。毒が回り始めているのだ。だが、斧使いとして体力には自信がある。ハガシムは、一歩先に歩いた。見知らぬ土地ではあったが、水晶を通して、アスリアのいるのがこの近くだということは知っていた。斧がどっしりと、掌のあたりにくいこむようだ。
「アスリアを捜してるのかい」
 いきなり、醜い猫が言った。ぎょっとして、ハガシムはとびあがった。弾みに、もう少しで斧を落とすところだった。
「あんたがじきに来るだろうって、ゲハジさんが言ってたんでね、待ってたんだ」
 ハガシムはじろじろと醜い猫を見つめた。
「あたしはチュチュ。病院に行くかい? それとも、すぐにアスリアのところへ?」
 親しげに言うので、ハガシムは用心深く斧を持ち上げた。
「俺の目的を知っているのか。なぜ俺の味方をする」
「アスリアを殺せば、あたしだけが確実に猫の天国へ行けるからさ!」
 アスリアはきっぱりと言った。
「なるほど」
 猫の天国というのがどういうものかは知らないが、とにかくアスリアはこの猫に嫌われているらしい。助けてくれるというのなら渡りに船だ。というか、それより他に選択肢がなかった。見知らぬ異世界に来ることがこんなに心細いとは思わなかった。

 宮錦家まで、あと百歩だ、とチュチュは言った。猫の足で百歩というとどのくらいなのかは、ハガシムにも判らなかった。
「解毒剤を飲んだ方がいいよ」
 チュチュは、心配そうに言った。
「そんな時間は無い」
 ハガシムは、そっけなく言った。顔色は真っ青だし、なによりやつれてきている。
「ルギド様の許可もなく、この異世界にやってきた。アスリアを殺せば、俺のつとめは終わる。毒で死ぬことになっても、水晶に飲み込まれるルギド様を見るより、ずっといい」
「――ならいいんだけどさ」
 チュチュは、頭を振った。
「ルギドって魔王は、よほど立派な魔族なんだねえ、こんなに忠誠を尽くす部下がいるなんて」
 ハガシムは少し胸を張った。
「ルギド様のために死ぬのは、我ら魔族の誇りだ! 当然であろうが」
「あたしには理解できないよ」
 チュチュは気の毒そうにハガシムを見ていたが、すぐに角を曲がって、宮錦家の前に出た。道ばたに、名もない花が咲いている。
「アスリアはあそこにいる。飼い主の膝の上」
 チュチュは、ねたましそうに言った。
 ハガシムは、斧をすっと持ち上げた。
「飼い主には気の毒だが、一緒にあの世へ行ってもらおう」
 ハガシムは言った。そして、玄関を斧で壊すと、庭に通じる道を駆け抜け、斧を振り上げた。
「アスリア、覚悟!」

(18)につづく