漱石猫の肖像
原作(猫語): 書き猫知らず  人間語翻訳:海仙
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1905年新春

 いつものように吾輩が昼寝をしていると、例によって車屋の黒のでかい声が聞こえる。
『おい、おめえ、アジを一人で食いおったな』
 この近所でアジを食べさせてもらえるような猫は、官吏の家に飼われている虎君と、二弦琴の師匠に飼われている三毛子だけだ。美貌家の三毛子をどやしつけられる雄猫はこの世に一人もいるまいから、今、言い掛かりをつけられたのは虎君に違いない。
『家の中で食べ……主人が心配……怒らな……』
 確かに虎君の声だ。猫の耳をもってしても途切れ途切れにしか聞こえない。恐らく生垣の近くで話をしているのだろう。その向こうの池は本来なら我々の集会場ではあるが、どんなにこっそりと集会を開いても、開始20分後には黒の狩り場になってしまうので、ろくろく集会を開けず、それを良い事にヒトどもが同胞の赤子を捨てる場所と化している。吾輩のように運良く生き延びる例は極めて希だ。
『フン、このオレが魚ごときで怒るかよ』
 怒って無くても怒声をあげるのが黒だ。怒っていても怒ってないと主張するのが黒だ。彼がヒトの大人とほとんど大差のないレベルであることがこの事からも分かるだろう。イジメがあってもそんなものは存在しないと言い、借金で首が回らなくても決して破たんしないと言い、テロの数を増やす行為をしているのにテロ撲滅の為に闘っていると言い、属国であるのに独立国だと言い張る、そんな連中と何ら変わらない。
『…………』
 さすが官吏の家に飼われているだけあって余分な口を利かぬ。黒が次の言葉を発するのを待っている。こんな時は黒に何を言っても機嫌は取れないのだ。吾輩も見習わなければならないが、どうもおしゃべりに生まれついているらしく、ついつい余分な事を口走ってしまう。口は災いの元という。本来の意味とはちと違うが、黒に対応する時にもこの諺は役に立つ。
『オレが怒るなあ、とったネズミを人間に横どりされた時と…』
鼠の話はこの前聞いた。一匹五銭もするネズミを横取りされるのだから飼い鵜よりも分が悪い。それを聞いて、鼠なんぞ捕るまいと決心したものだ。
『…布団からけっとばされた時よ』
 中学教師の家ですら雨漏りだのすきま風だので寒い。ましてや明治の庶民の家が寒くない筈が無い。だが、どうみても可愛いとは思えないこの黒を布団に入れるような殊勝な飼い主は今の世には存在しないだろう。もちろん、猫を布団に入れた方が布団も温かくなるに決まっている。つまりヒトにとっても利益があるのである。しかしながら、黒よりも数段に尊大なヒトは、そういう利益よりも誇りを大切にすると見えて、猫と同衾しようとは思わない。黒い猫でも白い猫でも鼠を捕る猫は良い猫であり、布団を暖める猫は便利な猫である。しかしながら、この真理が人類によって発見されるまで、少なくとも半世紀は待たねばなるまい。
『ああ、人間は酷い!』
 虎君の遠い声も、これだけは感嘆符付きではっきり聞こえる。どうやら彼も布団から蹴飛ばされた経験があると見える。
『おうおう、分かってるじゃねえか…』
黒もたまにはマトモな事を言う。
『…それにひきかえ、なんだ、あの名無し高慢ちきの正月野郎は…』
その、マトモな事を言った同じ舌でこれだ。もっとも、あの黒に何と言われようと痛くも痒くもないが。
『…犬みたいに人間にしっぽを振りおって』
 吾輩が人間ごときを崇める筈はないが、それは措いて、しっぽを振るとは、あの黒にしてはえらく雅な表現だ。悪口を言われたにもかかわらず思わず感心してしまう。こうなると、あの虎君が何と返事するか興味あるので、こっそり近付く。
『先生、まったく、猫の風上にも置けませんね』
 太鼓を叩いて、先生ときたか。言い草は気に入らないが、まあ、話を合わせるのが黒対策の第一だから、ここは大目に見よう。
『こないだも、おめえ知ってるか』
『なんの事でしょう』
『餅を食って踊ったって話よ』
 これは迂闊だった。我が家で起る事は全て近所のおかみさん連中に筒抜けだから、吾輩の失敗話も同輩たちに筒抜けだ。他の猫がどう思うかはともかく、三毛子に知られたと思うと穴に入りたくなる。
『本当に何を考えているのですかねえ、猫が如何にあるべきか分かってませんよ』
『おお、そうよ、人間にかつ上げされても、鼠を捕り続けるのが猫じゃねえか。天秤棒で叩かれても、やっぱり魚を狙うのが猫じゃねえか』
 吾輩は確かに鼠は捕らぬ。それはそうだが、サンマならちゃんと下女から失敬する。天秤棒で叩かれるような危険な真似をしないだけの事だ。
『まあ、先生、先生の基準では、豪傑以外は猫でなくなってしまいますよ』
 話の流し方が吾輩より数段上手い。虎君だって、天秤棒に叩かれるような真似はするまいから、話頭から逃げたのだ。彼の主人もこうやって役所を泳いでいるのだろう。
『オレが気に入らんのはなあ、あの正月野郎が女ったらしって事よ』
 ちょいとまて、確かに吾輩は三毛子に慕情を抱いてはおるが、それをもって女ったらしと言われては、世の中の全ての男が女ったらしという事になるではないか。三毛子を見て慕情を抱かない方が不自然である。
『全くその通りで。先生に遠慮もせずに、しかも黄灰白の汚らしい斑の癖に、三毛子に近付くとは言語道断』
 さては虎君、三毛子の肘鉄砲を食らったな。それに文脈からすると、三毛子は吾輩に少しは気があると見える。上品な三毛子が黒に惚れる筈が無い。とはいえ、他の猫は黒に遠慮がある。黒なんぞ眼中におかない吾輩だからこそ、三毛子も慕ってくれるのだ。そう思って少しほくそ笑む。
『馬鹿言え、このオレさまが、三毛なんぞに用があるもんか、お高くとまっりやがって、あんなメス、正月野郎に丁度いいってもんよ』
 いやいや、強がりはよしたまえ。見苦しいぞ。
『それに、三毛子ときたらちょっと惚けてますな』
 おい虎君、君までそんな事を言って良いのかい。壁に耳あり、三毛子に告げ口されるかも知れんのだよ。もっとも、吾輩はそんな陰険なマネなしないがな。
『ボケはボケでほっときゃええ、腹立つのは、奴のたらし方よ、主人が教師だか何だか知らねが、だからって自分も先生で、先生だから娘を口説くって、オレのいっちゃん嫌えなやり方だぜ』
 そりゃ確かに三毛子は吾輩の事を先生と呼んでくれるし、そう呼んでくれる理由が専ら主人の職業にあることを知っておる。この点に措いては黒が憤るのは無理もない。だが吾輩は主人の子供達の童話を盗む読みしては三毛子に話して聞かせるのだ。言わば翻訳作業だ。吾輩の主人の仕事だって英語のリーダーだから、吾輩のやっている事と何ら変わらないだろう。書かれてある事が理解できて、その知識を他猫に与えるのだから、吾輩だって先生と言われておかしく無い筈である。虎君が黒の事を先生先生と呼ぶ方が余程おかしいではないか。
『そうですよ、先生みたいに力のあるものこそ先生と呼ばれるべきですよ』
 そう言われてみれば、確かに官吏は代議士の事を先生先生という。官吏だけじゃ無い。皆が皆そうだ。だが、吾輩は、その先生という意味を未だに理解しない。仕事を持って来てくれるとか、金をばらまいてくれるとか、要するに便宜を計ってくれるだけなら、先生では無く親分ではないのか?
『オラあなあ、先生と呼ばれるのもイヤだぜ』
 いかに乱暴者とは言え、この純朴たるところは、黒の愛すべきところである。
『すいません、大親分』
 この言葉に、やっと黒のゴロゴロ鳴らす音が聞こえて来る。そのまま黒は帰って行った。

written 2004-12-12
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1905年秋

 その日、吾輩がたまたま天井に登っていると、例によって寒月君がやって来て、いつもの駄弁をはじめた。そうして、やがて
『先生、そういえば、あの猫、居ませんね』
と尋ねた。
 日本語が間違っている。居ないのではない、見当たらないだけだ。もっと正確に言うなら、見つけ切らないだけだ。
『蟷螂でも捕えているんだろう』
 その運動は今朝やったから、今は昼寝の時間だ。
『猫って蟷螂を食べるのかなあ』
 吾輩は数回だけ食べた事があるが、決して美味しいものでは無い。
『そんなこたあ知らんが、とにかく蟷螂の死骸をやたら書斎に持込むので、蟻がたかって困る』
 これは冤罪である。吾輩は1度しか持込んだ事がない。残りの死骸は寿命による往生の筈だ。
『それは、死骸を掃除をしないからですよ』
 正しい意見である。しかるに、めんどくさがり屋の主人が、そんな事をするとは到底思えない。掃除の暇があるくらいなら、本の上で居眠りしているだろう。どう言い訳するだろうかと窺っていると
『掃除はできん』
と答えた。開き直りもここまでくると誉めてやらねばなるまい。
『出来ないって、どうしてです』
 これは余りにも常識的な質問である。しかるにこの家で常識的な質問は意味をなさない。寒月君よ、君はいったい何年主人と付き合っているのだ。
『家内が片付けると、大切な書類の場所が分からなくなるからな』
 大切な? 見事な自惚れだ。散乱した紙は単なる寝床ではないか。主人はいつもその上に涎を垂らしながら鼻提灯をぶら下げている。
『自分ですれば良いじゃ無いですか』
 その答は決っている。
『そのうちにな』
 そして、主人のそのうちは最低で十年後である。

『それで、猫は?』
 ほう、吾輩に用事とは、珍しい事もある。
『猫なら、このあいだ、蝉を捕まえようとして木から落っこちていたぞ。不器用な猫だ』
 木に竹を接ぐような答である。いつもの事ながら、人の質問をマトモに聞かない主人だ。
『それは、きっと、落ちるとは言わずに、素早く降りるというのが運動学的には正しい表現です』
 寒月君も寒月君だ。主人に付き合わなくても宜しい。それに、両者とも表現が間違っている。
『いや、とても降りている風には見えなかった、ずるずると木から滑り落ちていた』
 あれは松滑りという、滑り降りる技術である。けっして滑り落ちたのではない。
『そうですか、今度是非観察してみたいですね』
 よく観察するが良い。それで博士論文が書けないとも限らないから。
『今度でなくても、今からでも庭を捜してみたらどうだ?』
 猫の運動学における、寒月君の誤解を解き、並びに彼をして博士論文を書かせる材料を提供したいのは山々だが、残念ながら今日は木登りの予定はない。
『そうですねえ。まあ、でも、落ちるか降りるかの実験は後日に回して……』
 理学士は何かというと動物実験と称して、こっちの意を無視して理不尽な単純繰り返しを強制するが、吾輩にだって感情というものがあるのを忘れておる。吾輩ばかりか、猫にだって烏にだって、あの馬鹿な蟷螂にだって感情というものがある。木登りは吾輩の運動兼娯楽であって、実験材料ではない。
『……今日は別の趣向で、と思いまして、あの猫を捜しているのですが』
 ちょいと待て。吾輩の許可も得ずに吾輩を実験材料に使う積もりなのか?
『どんな趣向かい?』
 こっちも気になる。
『そんな大した事ではありませんで』
 まさか電気を通したり、暑い部屋に閉じ込めたりしないだろうな。
『まあ、言ってごらん』
 長年教師をやり付けているだけに、聞く気もないくせに相槌だけはしている。
『実は、私の同僚に催眠術の研究をしているのがおりまして、その臨床応用の前に、動物実験をしたいと申しており……』
 催眠術? そんなものが無くても吾輩は1日14時間寝ておる。
『成る程』
 主人は理解できない事にはすべて成る程と答える。
『……いろいろ考えた末、人間に近い動物をと思いまして、先生のところの猫に白羽の矢がたったのです』
 あの下等な人間に一番近いと言われては、誇り高き猫族の一員として非常に不名誉であるが、しかし、それによって人間の知能の上達に寄与するならば、協力してやっても悪くは無い。
『それで、結局なにをやるのかね?』
 やはり主人には全く理解できていないらしい。
『催眠術です』
 催眠術は分かっている。主人ですらかからない奇妙なまやかしである。そんなモノに吾輩がかかるとは思えない。
『どんな暗示をかけるのかい?』
 今日、始めて主人が発したマトモな発言である。吾輩も気になる。
『同僚は、なんでも、百年祭とかいうお祭りの象徴になる夢を見させるとか言っていました』

祝・ねこまつり!

written 2004-10-23