独断エッセー 『ソウセキとソウセッキン』
著:山仙
 

 「吾輩は猫である」においては、「鼻」の一派が主人たちの敵役として各種の事件を引き起こしている。それだけでは飽き足らず、主人に近い自称美学者に至っては「鼻」に関する長大な講義を2度に分けて行なっている。そのくらい鼻への執着には念が入っている。
 この「吾輩は猫である」の書かれた頃における文学上最大の鼻と云えば、ロスタンのベルジュラックを措いて他に無い。この劇によって二百年以上に渡る不遇から掘り出されたベルジュラックは、そのグロテスクな天狗鼻をもって1897年12月27日のパリ初演以来一世を風靡し、今でも文学上のヒーローとしてフランスで最も人気のある男となっている。
 ところがである。「吾輩は猫である」は、このタイムリーな鼻のヒーロー、ベルジュラックについての記事を欠いて、大きな穴がぽっかり空いている。一言も言及していないのだ。漱石ともあろう者がこんな恰好の「鼻」材料を見逃す筈はないから、知らなかったに決まっている。少々不思議だ。彼が「猫」を書いた時分にはベルジュラックの初演から7〜8年経っているし、その間には2年以上ものロンドンに留学している。パリですっかり話題になってしまった劇について聞き及んでいなかった筈は無かろうが、小説「猫」を読む限り漱石がベルジュラックを知らなかったとしか思えない進行になっている。   

 どうやら漱石を買い被ったようだ。いくら彼が天才でも、世界中の情報を全部が全部知っているとは限るまい。外国語といえばせいぜい漢文と英語ぐらいしか読まない人間が、あしたにフランス文学を読み、ゆうべにロシア文学を読むといった真似は、今のように世界各国の文芸が翻訳された時代なればこそ、百年の昔には考えも及ばなかったろう。彼はあくまで漢日英の文学者であって、それで精一杯だったに違いない。そもそも、全然性質の違う3ヶ国語に渡って原語による文芸専門家になれると云うのは、それだけでも大変な事なのだ。そう、3ヶ国である。英語と日本語のみに非ず。
 漱石が中国古典に詳しかった事は良く知れ渡っているが、その技法が彼の作品にどれほど活かされているかについては余り知られていない(全く、どうして武田泰淳や石川淳は漱石論を書いてくれなかったんだ…)。小品と呼ばれる作品では確かに英文学の影響を受けて心理作用が語られているが、代表作「猫」「草枕」は全然違う世界だ。猫について、トリストラム・シャンデーの影響のみを語る人が多いが、それは金瓶梅・紅楼夢を知らない人間の偏狭な考えではあるまいか。そもそも漱石はイギリスを全然誉めていない。「近代が人間に表裏を作る」とすら評している。彼の尊敬の対象はあくまで東洋であって東洋文学である。にもかかわらず、漱石の研究家に中国文学を良くする人は殆どいない。英文学か日本文学専門か、まあそんなところ。中国文学を知らずに、針の中から天を覗くついでに漱石を語るなど、身の程知らずも良い所だ。しかも相手は天才漱石である。天才は天才(に近い人間)にしか語れない。これは何も僕が言っているのでは無い。大天才の湯川秀樹や小林秀雄がそうおっしゃっているのだ。

 漱石と云う名前の由来は晋書の漱石枕流の誤謬の故事に基づくと云う通説になっているが、間の抜けた解説である。漱石がこの言葉を採用した動機を殆ど説明しない。天才の通例として、回りの崇拝者たちが彼に関してどのように誤った解釈をしようと漱石は笑って見ているばかりだったに違いなく(則天去私なぞその好例だろう)、かくて漱石の名目上の語源ばかりが伝えられて百年近くが過ぎているが、「猫」に書かれている思想や技法から類推するに、ソウセキの本当の語源は、石頭記の作者ソウセッキン(曹雪芹)のような気がしてならない。
 石頭記、又の名を「紅楼夢」と云う中国のベストセラーは、「猫」の技法を尽く内在し、「紅楼夢」の後なら「猫」の様な小説も自然発生しておかしくない(その紅楼夢も金瓶梅の後なら、これまた成程と思われる)。しかも、この1715年生まれの不遇な詩人・曹雪芹は画家でもあって石を好んで描いた。漱「石」の石だ。彼の多才・博識ぶりは芸術のみならず医学・工学にも及び、彼の大成した凧の造り方は今なお中国で伝えられている。それでいて、生涯死ぬまで貧困のうちに暮らしていたのだから、天才漱石が尊敬して然るべき大天才といえよう。僕如きが彼についてとやかく云うのは不遜の限りではある。不遜を承知で推測するなら、曹雪芹への尊敬が彼の念頭にあったからこそ、十分な実力を持たずにそれを口に出すのが不敬または敗北であるとして(名前に負けるというような感覚ではなくて)憚られたのではないか。これはいかにも有り得そうな事だ。
 
 ちょいと待て。何故、かくも簡単な語呂合わせが見逃されてきたのか?
 それは、「紅楼夢」が恋愛小説の雄だからだと思われる。日本で云えば源氏物語と同じ地位を占めるこの物語の大筋は、漱石の書いた作品とあまりにもかけ離れている。それ故に、両者の関連性が無視されてきたのだ。だが、僕はここで疑問を呈したい。本当に漱石の世界からかけ離れているのか、と。
 「吾輩は猫である」の日本文学史上で特質すべき事項は、形式上の語り手が猫であり、しかも極めて写生的である事、それから、小説の筋と云うものがほとんど存在せず、小さな事件の寄せ集めとして成立している事であろう。少なくともこの2点に関しては、多くの漱石研究者が一致していると思う。そして、この2点を見る限り「紅楼夢」はその先輩だ。というのも、「紅楼夢」の語り手は崑崙山脈の麓の霊石であって、その描写は極めて写実的であり、しかも、本筋の恋愛話は所々に出て来る程度で、実際の物語の内容は、それこそ短編小説と呼んで良い小さな物語の寄せ集めだからだ。当然の事ながら、両者とも、いわゆる主題というものはない。主題のようなちっぽけな目標に向かって書かれた小説ではないのだ。主題の無い小説、それは、真に古典と呼ぶに相応しい。書きたい事があって書いたのでは無く、書きたい宇宙があって書いたからこそ、このような書が成立する。
 共通点はそれだけではない。両者とも文学や詩の理論にまで言及している。娯楽の書であるべき小説の中で、哲学ならぬ文芸論が出てくると云うのも当時としては異色である。この精神は「草枕」にも引き継がれており、お陰で、僕にとって「紅楼夢」は最良の漢詩の解説書であり、「草枕」は最良の俳句の解説書となっている。批判精神の噴出も共通点の一つだ。その批判はありきたりのものと異なり、当時の常識や社会通念に対する批判を加えている。これも当時の小説としては珍しい。他にも色々と技術的共通点は多いが、そういうものは専門家に任せるとしよう。

 かように共通点は多いものの、20年の歳月をかけて書かれた、自己の分身のようは小説と、短い期間に書かれた小説とでは、自ずから出来上がりが違って来るのは否めない。半生をたった1つの小説に費やすなど、漱石はおろか、近代日本の文豪がどんなに逆立ちしても物理的・経済的に不可能である。才能のある者は直ぐにどこかの陣営に登用される。曹雪芹の如く、才能が在野に埋もれる事はありがたい。だからこそ、中国でも18世紀の「紅楼夢」「儒林外史」以来、それらに及ぶ小説が現れていないのだ。従って、この点において漱石の曹雪芹に及ばない事を責めても無意味だろう。
 但し、漱石がどうしても真似出来なかった要素もある。その1つが音楽だ。例えば和声の技法。これは一つの物語の類似を重ねあわせて記述する手法で、例えば紅楼夢の場合だと賈宝玉と林黛玉のまどろっこしさに対比させて、世慣れした賈芸と林紅玉の合理性を描いて妙であるが、こういう和声的な文章は漱石にはついぞ現れない。彼自身「草枕」で告白しているように漱石は耳の人ではなかった。対する曹雪芹は音楽にも造詣が深い。紅楼夢を読むと音楽を感ずる。フラクタル状に織りなす長調と短調、和音から不協和音への進展、前奏曲、強烈なメロディーとその変奏やフーガ。それらは小説全体が古今まれに見る緊密な構成をしている事とも関係あろう。岩波文庫で12冊という大長編で、しかも現代小説並みの緊密性と密度を持つ、そんな小説をたった一人で書き上げたのだから(もっとも彼が書いたのは3分の2だけだが)漱石ですら「敵わない」と思ったに違いない。
 しかし、全てにおいて漱石が及ばなかったかと云うとそういう事は決して無い。それは理論と徹底である。寺田寅彦が証言するように、漱石は理数系にも強かった。そして、その論理性は文芸理論にも見られる。だからこそ、猫や草枕では、語り手が理知的な批評・批判を繰り返す。紅楼夢の底流にも辛らつな批評・批判はあるが、漱石ほど理知的には攻めていない。徹底の違いは語り手にもあらわれる。紅楼夢は無機的な石であって、その記述も当然普通の3人称になりがちだが、猫では1人称に徹している。そして、こういった徹底さが「吾輩は猫である」に独特な面白さを与えている。さらに紅楼夢の特徴の一つである緊密さであるが、これにしても漱石は猫のあとに虞美人草でスパイラス構造と称して挑戦している。
 かくて、日本でもっともポピュラーな小説家は、中国で最もポピュラーな小説家の系譜をしっかりと受け継いだ。ソウセキは確かにソウセッキンの後継なのである。 …そうではないか?