斬仏猫
翻訳記録:海仙
→ 後編


 極楽の外れに猫が住んでいると云う。しかも住み着いて千年以上と云う。人の身を経ずに猫がそのまま極楽に来るのは異例のことだ。その彼猫の回想話である。

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   前編

 母猫のそばを離れて探検を重ねること5回。毎日距離を延ばして、その日はとうとう大きな門に辿り着いた。大遠征はお腹が空く。その腹の虫に抗うことなく、ねうねうと鳴いていると、門の中から若い男が2人やってきた。
『おい、ちょっと、あの猫』
『うん、似てるな』
 そう言って、2人で頷きながら微笑んだ。何に似ているが分からないが、本能に従って身構える。知らない者に出会ったら警戒するのは猫のたしなみである。しかも、相手は死人の肉ですら食する連中と云う。10年に1度は必ず襲って来ると言われる飢饉の時は、猫も捕まって食べられてしまそうだ。
『にゃお、にゃお、こっちおいで』
 とって食おうという訳ではなさそうだが、信用はおけない。
『そんな事したって駄目だ、怯えているよ』
『にゃおう、にゃおう、こっちおいで』
 背の低い丸顔の男は、もう一人の言う事を無視して、座ったままにじり寄って来る。人は座ったままでは走れない。しかも、同じ視高となった男の目には懐かしさのような表情が見える。近付かれた所で危険はなさそうだ。
『そうだった、此処に粟がある。よっしゃ、もう一度』
 猫でも粟ぐらい食べる。食べればそれでも滋養になる。鼠やトカゲや小鳥の小動物でタンパク質を補えば、穀類でも結構生きられるのだ。もちろん現代の猫のように10年も15年も生きる事は難しいが、繁殖に必要な年月は大丈夫だ。
『にゃあおう、にゃあおう、ほら、ここに粟があるよ』
 とうとう彼は私の目の前に来た。手には確かに粟がある。座った姿勢で食べ物をくれるぐらいだから、よもや悪意はあるまい。危険なのは網とかでばっさりやる連中だ。
『ほうら、よしよし、いい子だ』
 食べ始めても捕まらない。もう大丈夫だ。
『おまえ、猫をならすのが上手いなあ』
『そりゃ、前に世話をしていたからな』
 相手が撫でようとする気配を察してさっと離れ、それ以上なにも起らない事を確認してはまた食べる。
『ああ、そうだった。あの猫は良く鼠を捕まえてくれたなあ』
『でも、あの猫よりこの猫の方が似ているな』
 粟を食べ終って、もう少しねだる。すきっ腹に少しだけ食べるというのが一番欲求不満になるのだ。そして、そういう時は安全に気を配るのも忘れてしまう。ついつい撫でられるがままになるが、撫でられても粟が出てこない事と知って、未練なく立ち去った。耳に『似ている』という声がいつまでも残る。

 こうして、丸顔の男に何かしら食べ物を貰う日々が始まった。始めは門の近くだったが、すぐに、彼の住んでいると思しき長家まで行って餌を貰うようになる。外と違って門の中は広々としており、その広大な空間で比較的建物の密集している所が彼の長家だ。密集と云っても、外の世界に比べれば遥かにゆったりしている。それは、塀の上から内外の世界の違いを見比べると一目瞭然だった。長家にはかなりの数の人間が住んでいた。その前に行ってねうねうと鳴くと、彼が長家から出て来て、必ず隣の建物の入口で食べさせてくれる。その建物は長家と違って風通しが良い造りだが、その割に人の住んでいる気配は無かった。
 初めて長家に行った時の事を今でもはっきり覚えている。貧乏臭い若者たちが10人近く、遠まきにこっちを見ながら話をするのが聞こえた。
『いい猫が見つかったねえ』
『そっくりじゃないか』
『きっと鼠も捕ってくれるろう』
『餌を与えすぎるなよ。満腹すると捕ってくれないからね』
 最後の言葉は、長家の長らしき年配の男のものだ。一見腹立たしい内容だが、今にして思うと、お陰で鼠や雀などの蛋白源を多く食べるようになって、健康を保てたと思う。菜食の彼らから与えられる食事に、肉類は全く無い。
 餌を貰う日々が続くにつれ、いつしか、風通しの良い建物の中に敷いて貰った藁の上で昼寝するようにさえなる。そのように皆が可愛がってくれるのに反比例して、母親の愛情は冷めて行くように感じられ、とうとう完全に彼等の元に塒を移した。母猫から一人立ちしたのである。
『どうだい、鼠は捕るか?』
『良く取る。このあいだの斑猫よりも上手いようだ』
『間違っても倭には送るなよ』
『そんな勿体ない事が出来るか』
『でも使者の言うには、今度新しい都…平安とかいう名前だそうだ…に移ったから、その記念に猫を是非とも連れ帰りたいとの話だぜ』
『そのときは、鼠を捕れない駄猫でも身替わりに立てるさ』
 腹の足しになる程度には捕ったものの、誉められるほどに捕ったとは思えない。恐らくは、そこに住んでいるというだけで鼠が住まなくなるという事情もあるのだろう。というのも、そこには鼠が喜んで食べるようなものは何も置いていないからだ。代わりに綴じ本が沢山並んでいる。朝になると誰彼がここにやってきて、本を丸ごと写すという作業を行なっていた。外に出ている時は可愛がってくれる彼らも、いったんこの作業を始めると人が変わり、近付くと『紙がよごれる』とか云われて邪険に扱われる。それは、毎日餌をくれる、かの丸顔男ですらそうだ。仕方ないので、昼間は入口の廂で寝そべるようにしていた。
 長家に近いから、書庫の入口の廂からでも、住人たちが雑談が聞こえる。そんな会話に彼等の生い立ちを知る機会も得る。
『それにしても、君は猫が好きだねえ』
『実家に家畜がいっぱいいたからな。動物を見ると思い出すんだ』
『そりゃ裕福そうな家じゃないか。どうしてこんな所に差し出される事になったんだい』
 そういえば、丸顔男だけは他の連中と違って、あまり貧乏臭く見えない。
『たまたま長兄と次兄が2年続けて事故で死んだんだ。その時、お経をあげてくれたお坊さんが仰るには、この悪縁は仏様の力でないと断ち切れない、仏様の力を得るには、子供を一人出家させるのが一番良く、そうしたら一家三代に渡って仏様も御利益がある、と云う事だったんだ。それで、6男の僕がそのお寺に預けられる事になってね。五歳になったばかりだったと思う』
『ふうん、それで始めから読み書きが出来たのか。不思議に思っていたんだ』
 のちに聞き知った所によると、市井の子弟の癖に文字の読み書きが出来ると云うのは大変な事だそうだ。文字は史大夫の連中の特権であって、他に知っているのは商人ぐらいだったという。
『いや、そんなには読めなかったね。だって、たった五歳の子供だよ。本格的に勉強したのは、そのお寺にいた時さ』
『君がここに来た時はかなり小さかったぜ』
『七歳さ』
『七歳か。それであれだけ読み書きできれば充分だ。だから、絶対に僕達と生まれが違うって思ってたんだ。だって、此処にいる連中、たいては貧乏な家庭に生まれて、口過ぎの為に出家させられただろう。僕だってそうさ』
『仏の元では皆平等だよ。少なくとも此処ではね』
『平等なんてあり得ないよ、僕が帝と同じに見えるかい?』
『仏って、そんな意味じゃあないさ』
『閻魔様の前に出る時ですら前世の身分が効くじゃあないか、僕達が幾ら功徳を積んだ所で来世に大臣になんか決してなれない、せめて君みたいな裕福な農家に生まれるぐらいさ』
『だから、言ってるだろう、仏ってそういう意味じゃあ無いって』
『じゃあ、何だ? おまえ、知っているのか』
『知っている訳じゃあないけど、そんなもので無い事だけは分かるよ』
『なんだ、知らないじゃないか』
『まあ、そうだけどさあ……』

 寺の中を探検するにつれて、色々な様子が分かって来る。裏には菜園も畜舎もあり、牛・馬・山羊・驢馬・家鴨・鶏などの動物がわめき回っている。あの丸顔男はこんな環境で育ったのだろう。その点はここも農家も変わらない。但し農家は税を納め、寺は喜捨を貰う。
 一方、寝起きしている書庫から見て、僧坊…長家の事だ…とは反対側に、一連の大きな建物があり、その中でも一番大きな建物には、金ぴかの像が置いてあって、そこでは四六時中頭を丸めた薄汚い連中が目を瞑ってあぐらを組んでいる。
 その隣の建物には応接室らしき部屋があり、画書の掛け軸がいくつか掛けられているが、その中に険しい山の畔で、沢山の巻軸の横に坊主と寺男と馬が寝ている絵があった。馬の反対側では猫が鼠を追い掛けている様子が描かれ、その猫の白黒斑の模様は我が身のものと同じだ。なるほど、皆が似ている似ていると騒ぐ筈だとこの時はじめて合点した。書庫に住まわせたがる筈だ。
 応接室の奥に一番上等な部屋を見つけた時、中で人の良さそうな爺さんが30歳ぐらいの男と話をしていた。様子を覗くと爺さんが気付く。
『ほう、猫か、ええのう』
『また始まった、囚われの心が無いから仏性だって話ですか。同じ話の繰り返しは悟りの敵じゃないですかあ』
『確かに先代に叱られるな。自らの言を記すなかれ、か。おぬしなら将来何というか楽しみじゃ』
『その頃にはこの寺は潰れてますよ』
『潰れて困るかな? その為に先代は多くの弟子を独立させたんじゃろうて。本山なんて1つ残れば十分じゃからな』
『残るとなれば…懐海老師のところですかあ?』
 後で知った事だが、懐海とは、この爺さんの兄弟弟子らしい。爺さんは普願という。そして、この30歳ぐらいの男は趙州という。
『1つに絞らねば、たとい規律の厳しい教団を作ったところとて、神秀の所のように潰れされてしまおう。わしはがんじがらめの組織より、生きた道を残すわ』
 神秀とは、その昔、この普願爺さんの3代前の坊主と大本山の後継を争った相手で、その後、則天武后に優遇された人だそうだ。しかし、その流派は普願の大叔父弟子にあたる人に誹謗されて潰れてしまった。そして、その潰した張本人の流派もこれまた潰れたという。中国禅創成期の戦国時代であった。
『でも、せめてもう少し指導して頂かないと、ここの坊主どもは何も分かっちゃいません』
『捜す事すら出来ないのに教える事なぞ尚できん。まさに平常心で、体で示すだけじゃ』
『言葉で悟りを語る事は出来なくとも、その入口を示す事は出来るのではありませんか?』
『おぬしなら、機智に富んだ言葉を残す事が出来るかもしれんな』
 何を言っているのか皆目分からないが、どうも、この趙州という精悍の男を、普願爺さんが高く買っているらしい。後日、僧坊の連中が談話していた内容に拠れば、趙州は極めて機智に富むらしく、彼が18歳の時に普願老師に入門した際、老師に何処から来たのかと尋ねられたのに答えて、出身を答えずに
   『仏像の所から来ました』
 と答え、続けて、その仏像を見たかとの問いには
   『仏像は見ませんでしたが、目の前にころんだ如来様を見ております』
 と答えたという逸話が今でも語り継がれている。その時、老師は確かにもたれ掛かるように横になっていたそうだ。頓智はその後も続いたそうだが、そんなものは伝記か何かに書いてあるに決まっているから、わざわざ語る必要もないだろう。

 本堂の向こう側に、今住んでいる書庫と僧坊にそっくりの建物がある。東堂と言うらしい。寝起きしている処は西堂だ。木々の陰を伝って東堂に近付くと、鼠の臭いがする。多い。
『おい、猫だ』
『有難い、捕まえよう』
『そんな事をしたら逃げるぞ』
『じゃあ、どうするんだ』
『餌で慣らすに決まっている。そこらへんに餌があるだろう』
 西堂で穀類は貰っているので、もはや餌ごときではつられない。様子もなんだか罠のように感ずる。だが、肉を断つ寺において、鼠の気配は魅力的だ。勝手は分かっているのだから、夜にねずみ取りに来る事にして引き上げた。

 東堂へは毎晩出かけ、毎晩鼠を捕る。鼠が多いのは、乾飯や野菜を弁当代わりに持ってきて、写室で食べる老僧がいるからだ。大抵、彼が一番遅くまで残って写経をしている。だから彼が帰るのを待ってからようやく鼠を追う。捕れば確実に満腹になる。そうして、満腹の気持ち良さに、そのまま屋根裏でうたた寝して、一番鶏が鳴きだす前に西堂に帰るのが日課となった。
 そんな日々を五日ほど過ごした或る日、とうとう寝過ごして気が付いたら朝になっていた。書庫を開ける音で目を覚ます。
『今日は気晴らしに玄奘の書いた旅行記でも写してみるか』
『大般若経は終ったのかい?』
『ああ、昨日な』
『でも、この寺に大唐西域記があったかなあ?』
『ほら、これだよ、このあいだ偶然見つけたんんだ』
そう言って一人の僧が巻き物を見せる。
『ちょっと見せてくれ』
という声に促されて、巻き物を開くと、大きく破損している。
『あっ、鼠にかじられている!』
『これは酷い』
『猫が欲しいな』
『西堂ではすばしっこい奴を見つけたって話だぜ』
『悔しいなあ』
『全くだ』
『そういえば、この前、猫を見かけたって話があったじゃないか?』
『そうだった、そうだった。でも粟に見向きもしなかったって話だから、飼い主が干魚でも食わせているんじゃないか』
 どうやら、姿を現わしても危険はなさそうだ。ねうねうと鳴いてみて、更に彼等の反応をみる
『猫だ!』
『ここにいたのか!』
 2人の声を聞いて、東堂の連中が集まって来る。中には水や粟を持って来る者もいる。人込みは苦手だが、好奇心がてらに天井に登って様子を見る。
 やがて明るくなって来ると、誰彼となしに例の掛軸画と比べ始めた。
『似てる似てる』
『寺に縁があるのだから、きっと、あの猫の生まれ代わりだ』
『手なずけようぜ』
『それなら山羊の乳だ、あれを持って来いや』
 すぐに山羊の乳が腕に入れられて、書庫の入口に置かれた。懐かしい匂いだ。人々は腕から3間ほど離れている。安全を確かめながら山羊の乳を飲み、飲み終るや、人垣に逃げ道を塞がれないうちに帰った。遠くから連中の声が聞こえる
『ありゃ、西堂の猫だな。あっちの連中には秘密だぞ』
『もちろんだ』

 この日の事件が西堂に伝わったのは三日後だった。
『聞いたか、猫の件』
『ああ、こいつったら夜な夜な東堂に行って、あっちの鼠を捕っているそうだ』
『それどころか、あっちの連中ときたら、山羊の乳で手なずけようとしてるって話だぜ』
『こっちが見つけた猫じゃあないか、それを奪うなんて厚かましいにも程がある』
 大騒ぎする坊主どもをよそに、ひとり例の丸顔男だけが沈思している。
『あっちに行かせなけりゃ好い』
『こっちも山羊の乳を出すか』
『馬鹿言え、満腹にさせたんじゃ鼠を捕らなくなるじゃないか』
『じゃあ、談判だ』
『そうだそうだ。山羊の乳を与えるのを止めさせようぜ』
 連中が出掛けているうちに、丸顔男が心配そうな表情で語りかける…人の言葉を解さなくてもいいから、という態で。
『おまえ、東堂に行ったんだな。あそこは鼠が多いから行きたいのは分かるが、それでもめ事が起らないか心配だ。それにお前の身にもな』
理由は分からないが、不安を掻き立てる口調だ。
 やがて先ほど談判に出掛けた連中がカリカリになって帰ってきた。剣呑なので近付かないようにする。その夜、不安を感じながらも東堂に行くと、いつものように朝に山羊の乳が出てきた。

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   後編

 山羊の乳を入れた腕には多くの視線が注がれている。しかし人影はない。いつものざわつきすら無い。ただただ、視線を感ずるのみ。耳をそばだたせながら、おそるおそる乳を飲む。
 何事もないままに山羊の乳を飲み終え、ただならぬ雰囲気にさっさと東堂を離れた。
 本堂まで戻ってくると、例の丸顔男が趙州に相談しているのが聞こえる。
『師兄なら解決策があるんじゃないかと思ったんだが』
『囚われの心を捨てよ、だぜ』
『解決策を考えなくて良いというのかい』
『連中が学ばなければならないのは、自己救済じゃあないのか? 君の知ったことじゃあない』
『でも、とばっちりを受けるのが猫なんだ』
『それが囚われ心の元、即ち幻そのものだとは悟らないのかね、君は猫に心を奪われている』
そう言われた丸顔男は暫く考えていたが
『でも、生き物を慈しまずして、全ての不幸を幻だと言ったところで、私には一文の価値もありません』
『一人の不幸に囚われて百人を殺す事がある、一人を殺して百人が幸福になる事がある』
彼は再び黙り込む。趙州は分かれ際に
『僕は今から托鉢に出る。君の事は君が考えろ』
残された丸顔男は相変わらず深刻そうな顔だ。その雰囲気に近付く気にもなれずに、見捨てて西堂に帰る。

 見るところ、普段と同じ書庫・僧坊に普段と同じ人の動きが見える。違うのは餌腕は空だという事だけ。丸顔男が忘れたらしい。あの深刻そうな様子では無理も無い。そして、それを除けは極普通の光景だ。もちろん、全く緊張を感じないでもない。だが、東堂で結局何事もなく、こっちも見た目は平常通りなのだ。丸顔男から伝わる不安は、きっと取り越し苦労なのだろう。そう思った途端に、今まで全身を覆っていた緊張感が薄れて行く。如何に猫といえども四六時中神経を張り詰める訳にはいかない。気を緩めて、廂の昼寝場所に腰をおろす。
 ひとしきり昼寝を済ませると、小坊主が粟を持って来る。例の丸顔男はまだ帰っていないらしい。やりかたが分からないのか、入口のところで、おいでおいでをしている。慣習とは良く言ったもので、例の丸顔男の仲間ぐらいに考えて、廂を降り、彼のすぐそばまで行って食べはじめる。
 と、いきなり首筋を掴まれた。
『でかしだ、小僧』
『縄だ縄だ』
昨日騒いだ連中が出てきて歓喜している。小坊主は安心させる為のカモフラージュだったのだ。こうして縄がつけられた。あの丸顔男が告げてくれた不安は、こういう形で我が身を縛る事になった。ひとしきり脱出を試みたものの、もがいても所詮無理だ。もっとも、鼠捕りの邪魔にならないようにとの事からか、縄は長い。だから自由は効く。のみならず屋根に登る事すら出来る。夜歩きが出来なくなったばかりだ。その程度なら天運と諦めるしかない。結局、その日はそれ以上に悪い事も起こらず、いつしか我が身の束縛も忘れて書庫で寝入った。鼠はいない。

 翌朝、書庫の前が騒がしい。
『猫に縄をつけるとは何事ぞ!』
『仏からの授かり物を一人占めするでない!』
東堂の連中が口々に騒いでいる。西堂の連中も黙っていない。
『我々への授かり物を横取ろうとした奴らが何を言う』
『盗みは五悪の一つだぞ!』
険悪な雰囲気が次第に尖って行く。群集も膨れ、今や、両堂の住人の殆どが集まって来ている。その中には例の丸顔男の姿も見えたが、彼は何も言わない。その事実が、却って不安をあおりたてる。一方、趙州の姿は見えない。今日も托鉢に出掛けているらしい。騒ぎを機智によって収め得る唯一の人間もいないのである。

 騒ぎは本堂の普願老師にも伝わった。寺の中で大声で騒いでいる声が聞こえれば長老として放っておく訳にはいかない。老師は書庫の前に出て来るや、いきなり怒鳴った。

『喝! 修行の者が大声で話をするとは何事か!』

しゅんとなった一同は、恐る恐る説明をした。
『この猫について議論しているのですが…』
 
 いったい、この時の議論を『猫に仏性があるかどうかの議論だったに違いない』と得意げに解説する話が後世には多い。確かにそれは禅問答の解説としては正しいかも知れない。だが、禅問答と歴史は全く別のものだ。
 仏教の入る前の中国では、身分が厳格に決まっており、一番下の人間のその下に動物が位置した。そんな下等な動物に仏性があるなど誰も思っていない。だからこそ、何代か前の大先代…達磨大師の愛弟子だったという…が、その常識を破るような事を言い出した時は大事件だった。それが契機となり、動物に仏性を認める考えは、それだけで悟りの第一歩と言われるようになった。そうして普願禅師の時代には、動物に仏性がある、というのが沙門たちの常識となっていた。
 そういう背景があるからこそ、後日、趙州が寺のあるじ(老師)になった際に、犬には仏性が無い、という反語を出した事が大騒ぎになったのだ。

 般若心経は
『**があるというわけでもなく、ないというわけでもない』
という節の繰り返しからなる。趙州はそれを仏性という言葉に適用したに過ぎない。しかし、これは、それだけで大事件である。というのも、この反語によって、般若心経の意訳が完成したからだ。仏性とは悟りの可能性に他ならない。そして、その悟りという言葉に関して、中国語の般若心経には、サンスクリッド語の原典に無い節が一節だけある。
『悟りというものがあるというわけでもなく、ないというわけでもない』
この節は、今でこそ般若心経の核心と云われているが、それを発明するまでに長い年月がかかっているのだ。そして、その精神は、趙州の反語に如実に顕われている。その趙州をして反語を生まれしめた普願は偉い。

 しかしだ。今の事件は、趙州が反語を発する遥か以前の事である。動物に仏性を認める事が悟りの第一歩と信じられていた時の話だ。そんな時期に、悟りに程遠い修行僧たちが、猫の仏性に疑問を感じて議論していた筈が無い。史実と真理は時にして大きく異なる。

 我が身は普願老師に預けられた。
 この時、逃げようと思えば簡単に逃げられた。というのも西堂の連中が縄を外したからである。老師を前にして当たり前の事だ。逃げようと思えば逃げられる!
 
 だが、どうしても逃げてはいけない気がした。我が身を巡っての不和である。その不和を解決出来る唯一の人間は目の前の老師だけだ。しかも彼の動物を愛する事は余りに有名である。彼に身を預けるしか無い。生かすも彼、殺すも彼。彼の目は深く澄んでいた。我が身は全く動かない、否、動けない。

 それはいきなりだった。
 老師は我が首を掴むや、刃をこの身に当て、大音声で問うたのだ。
『おまえらの言う事が「道」を得ていたら猫を助けてやろう。さもなくば斬ってしまうぞ!』

 畜生の身に老師の言葉は分からない。だが気迫だけは確かに伝わる。

 沈黙が続く。例の丸顔男すら黙ったままだ。このとき、皆の者が、老師の心の声を聞いただろう。

『まともな事が言える奴はおらんのか?』

『これが最後だぞ!』

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 気がついたら魂だけになっていた。

 事件は「無門関」第14則に簡潔に書かれている。
   南泉和尚因東西堂爭猫兒
   泉乃提起云『大衆道得即救、道不得即斬却也』
   衆無對
   泉遂斬之。

 この「南泉斬猫」の公案は、後談として、この夜に趙州が帰って来た後の2人の問答も伝えているが、魂だけになった我が身に無用の話だろう。囚われの心の代わりに機智に富む趙州は、その心を趙州らしい行動で示した。

 魂は49日この世に留まる。

 数日の後、斬られた猫は観音様の化身だったとする信仰が寺の中で生まれていた。人々を悟りに導く為の仮の姿と云う意味で。その程度ならまだしも、時を経ずして、かの掛軸画すら信仰の対象となってしまった。そうして、少なからぬ者が、掛け軸と云う偶像に囚われてしまった。煩悩は実体のある象徴を渇望する。それが如何に禅の教えに反していようとも。火は新たに燃え始めたのだ。
 こうなっては是非も無い。仕方なく普願老師は猫の絵を燃やしてしまった。煩悩を生む画は寺には不要のもの、猫ともども斬らねばならぬ。たとい猫を斬った意義がほとんど無かったにしても。
 かくて猫の画は永遠に失われた。
 しかるに、これほどの事をしても、なお、観音様の化身だったとする信仰は長らく消えない。そういう考えが断ち切られたのは、ずっと後世の、この事件が公案という形で流布した時の事という。

 そういう風潮の中、猫に囚われなかった趙州と、猫を救わなかった丸顔男だけは、確かに新しい確信を得た。当人が悟るだけでは駄目である事を。他人への働きかけが問題である事を。
 問題意識を持った丸顔男が、事件の1ヶ月後に寺を去って長い托鉢の旅に出た時、彼は趙州にだけ別れを告げた。
『やっぱり出て行くのか』
『はい、此処に居たら確かに自己救済はできますが、救済を求めている人々を救う事は出来ません』
『教えるなんて所詮不可能だぞ』
『わかっています』
『僕なら、入口を示す方便を考えるがな』
『私はそれでも満足できません。自ら悟ろうとしない無学の者でも救われなければ』
『まあ、君のやり方でやってみたまえ。僕には僕のやり方がある』
『はい、そのつもりです。救済への道は多ければ多いほど良いわけですから』
『ひとつだけ忠告しておこう。後世に伝えるには一人では駄目だ、寺に拠らなければな。そして、その寺を守る為には、時として他の救済法を駄目だといって攻撃しなければならない事もある。君もその嵐に巻き込まれるに違い無い。その時でも自己を失うなよ』
 趙州と丸顔男はそう言って分かれた。趙州はその後有名になった。一方の丸顔男は歴史の闇に埋もれてしまった。あるいは善導の起こした浄土経に至ったかも知れないが、それは誰も知らない。彼の名前すらも。ただ、これだけははっきりしている。斬られて失われた命は、多くの悟りと多くの救済を生んだという事だ。だからこそ、この時の捨て身の決心により、猫の身ながらも極楽に招待されたのである。

 一連の事件は話として伝えられ、やがて文書になった。その瞬間から、この話は歴史事実と言う枠を越えて禅問答の題という普遍的真実へと昇華した。あたかも三国志や西遊記や水滸伝が荒唐無稽のでっちあげの元に人生の真実を語っているかのように。

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 極楽の猫が語り終った時、中から彼猫と同居している男が出てきた。見ると丸顔の男だった。彼の話によると、普願と趙州は成仏して無に帰したそうである。