吾輩ハねこまつり
世界で最も毒舌な猫の生誕百年を記念して   2004/10/23〜12/31
ここは、2004秋から暮れにかけて開催された「吾輩ハねこまつり」第一会場の参加作品をHTML化したものです。著作権は、それぞれの参加者に帰属します。
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趣意書
2004年晩秋

 日本でもっともポピュラーな作家と言えば『吾輩ハ猫デアル』の著者であろう。このデビュー作、大抵の日本人なら、たとい読んだ事はなくとも名前は知っている筈だ。というのも、内容が素晴らしいだけでなく、スタイルが新鮮だからである。ゆえに『吾輩ハ猫デアル』は、古事記、万葉集、源氏物語、今昔物語、平家物語、などと並ぶ、日本文学史上の大事件と言っても差し支えない。かくてこの書の著者に関して多くの人々が研究し、その生い立ちをつまびらかにしている。その名は夏目金之助と言い、江戸幕府最後の年に江戸で生まれて云々云々……。
 ちょいと待った、『吾輩ハ猫デアル』の著者には2人いる。いや、一人と一匹というべきか。そう、語り手である毒舌猫と、彼猫の難解なネコ語を翻訳した夏目漱石である。人間である名目上の著者は非常に尊敬されているのに、肝心の毒舌猫への関心は低い。この毒舌猫がいなくば、文豪夏目漱石はありえず、それ故に日本の文学史もすっかり違っていた筈にもかかわらずである。日本文学史にかくも影響を与えた動物が他にいるであろうか? なるほど、浦島太郎の亀や、桃太郎の犬猿雉は重要な文学史的動物ではあるが、小説の語り手では無い。それ程重要な歴史的猫物というのに、悲しいかな、その誕生日すら知られていないのだ。嘘だと思ったらネットを検索するが良い。全く引っ掛からない筈だ。今年がかの偉大な毒舌猫の生誕百年であるにもかかわらず。

 かの毒舌猫の生まれたのは今から丁度百年前、1904年10月と思われる。それは以下の事情から推定できる。

 まず歴史的事実から考察しよう。『吾輩ハ猫デアル』の第1回がこの世に現れたのは、1904年12月の文章会「山会」に於いてである。それが多少の手直しを経て「ホトトギス」の1905年1月号に掲載された。従って今年の暮から正月にかけてが、この歴史的文書の百周年と言う事になる。掲載の詳しい事情はネットで検索すればいくらでも出てくる(例えば http://www.library.tohoku.ac.jp/collect/soseki/novelI.html )。かの偉大な猫の手記の発表が1904年末というのであれば、彼猫の生年はそれ以前だ。
 次に『吾輩ハ猫デアル』の内容を吟味しよう。まず第2回の記述から、その冒頭に正月の話があり、続いて中学教師が受け取った一枚目の年賀状に書かれてある猫の肖像画に対して、この教師は『今年は征露の第二年目だから大方熊の絵だろう』と言っている。更に、この直後、弟子の理学士が来た時に『旅順が落ちたので』と言っているから、ここでいう征露とは日露戦争の事であり、その2年目と言う事は1905年である事を意味している。従って第2回は1905年正月の記述以外にありえない。
 これだけでは猫の生い立ちの情報として不十分だが、話は下って、第6回冒頭に土用の後の猛暑の話があり、その次の第7回に猫自身の『当年とって一歳』『一歳何ヶ月に足らぬ我輩』という記述がある。という事は、かの毒舌猫は1905年正月の段階で一歳未満、即ち1904年に生まれた事が確定する。
 第1回の記述によると、毒舌猫は『寒さは寒い』なかを中学教師の家に辿り着いたとあり、その記述内容は尽く初冬(『小春』『十二月』『寒い』)である。かくも多弁な猫が夏の記述をしないのはおかしいから、かの毒舌猫が中学教師の家に強引に住み着いたのは、夏以降の『寒い』日でなければならない。一方、くだんの中学教師が絵を習うくだりに於いて、『我輩の住み込んでから一月ばかり後のある月の給料日』に水彩絵具を買ってきて、数日後に自称美学者にアンドレア・デ・サルトの捏造話を聞かされ、その更に後に『近頃に至っては到底水彩画に於いて望のない事を悟ったと見えて』自省の日記を書いているが、これが12月1日である。これから逆算するに、かの毒舌猫が中学教師から居候許可を貰ったのは、遅くとも10月下旬でなければならない。これに、夏以降の『寒い』日の条件を加えると、10月である可能性が高い。
 では、肝心の生月は? これが結構難しい。第1回の記述からすると、『始めて人間と言うものを見た』その日に池端に捨てられ、その夜には中学教師の家に住み込んでいる。しかも、それまでは『薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いて居た事』しか記憶していない。これらから、中学教師の家に押し掛けたのは生後数週間以内としか考えられない。これに、猫の産期が春と晩秋・初冬の2回だけという事実を考慮すると、かの猫の生誕月は10月という事になろう。ところが、第7回には『一歳何ヶ月に足らぬ我輩』という表現と共に銭湯の記述があるが、その銭湯の帰りをかの猫は『初秋の日は暮るるになんなんとして』と表現している。これを額面通りに取ると、かの毒舌猫は秋ではなく春の産期に生まれた事になってしまう。
 どちらを取るべきか? ここで、第1回の冒頭にある『何処で生まれたか頓と見当がつかぬ』という記述から、生月を正確に記憶していない事を推定して、彼猫の好きな漢字の当て字同様、一歳何ヶ月というのは数ヶ月分サバを読んだ数字であると解釈することは可能であろう。しかしながら、春説を取るか秋説を取るかは、原則として読者の自由だと思われる。というのも、かのネコ猫語翻訳家夏目漱石ならそう言うに違いないからだ。
 ここは、原点に立返って考えようではないか。問題は、日本文学史上もっとも重要な猫の誕生である。となれば、彼猫が人間の観察を始めた時が相応しい。生物学的な猫の誕生月はともかく、彼猫が単なる猫を脱皮して毒舌猫に変身したのは1904年10月に間違いない。即ち、今こそ、その丁度百年後という事になる。

 かくも重要な文学イベントを記念しないのは末世までの恥である。そこで、ここに『吾輩 ハ ねこまつり』を開催する事を提唱する次第である。

主催者一同

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内容/what
第一部:『吾輩は猫である』に何らかのかかわりのある文章。以下に凡例をあげるが、これらはあくまで例に過ぎない(作文例)。
  例1 我らが毒舌猫のポートレート: 例えばかの手記の登場人物(車屋の黒、三毛君、迷亭、寒月など)が、かの猫を描写する
  例2 歴史的猫たちの独白: 例えば歴史/文学に傍役として登場する猫(ポーの黒猫、女三ノ宮の簾をあげた猫など)の立場になって書く
  例3 かの猫が現代に生きていたら: 例えば『溺れたと思ったらタイムマシンだった』とかやって、かの猫が現代に蘇らせて、その毒舌振りを想像する。タイムマシンが可能なら、もちろん分身も可能だから、設定が重なっても構わない
  例4 第2代、第3代、第4代、・・・の系譜: 猫に限らず、かの猫の正当な後継者と思われるキャラを理由付けで推薦する

  注:文学キャラを使う場合、著作権にかかる可能性のある事があるので、その点だけは参加者に留意を促したい

第二部:何でも良いから猫に関係あるもの。文章でも写真でも絵でも漫画でもかまわない。

第三部:図書館。要するに猫に関するサイトや本の紹介。

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時期/when
 我らが毒舌猫の誕生は1904年10月であり、彼猫の手記が翻訳家夏目漱石の手によってネコ語からヒト語に翻訳されたのが同年の年末である。よって、その百年祭は2004年10月下旬から12月下旬までの約2ヶ月が相応しい。

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場所/where
第一会場:Abounding Grace 特別室(メイン会場)

第二会場:喫茶吾眠特別室(ここに吾輩猫がタイムスリップする想定です)

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凡例集/examples

1 吾輩は赤子である。名前はまだ喋れない。
何処で生まれたか頓と見当がつかない。なんでも薄暗いじめじめした部屋でニャーニャー泣いて居た事だけは記憶している。吾輩はここで始めて猫というものを見た。然もあとで聞くとそれは漱石猫という猫中で一番獰悪な種族であったそうだ。此の漱石猫というのは時々我々を捕まえて人を食うと云う話である。

2 吾輩は猫である。名前は着ぐるみという。
時々◎エモンと間違える輩がいる。こんなに美しくしなやかな動物と、あんなに醜くて非健康的な動物の何処が似ているのか分からない。たまにサインをねだられる事があるが、猫にいちいちサインを貰うものかと感心していると、殆どは吾輩をかの動物と思い込んでの事であった。吾輩はあんな輩にも劣るのであろうか?