絵板合作 『食仙銀二郎の冒険』
第37代筆吟+絵師

(これは絵描き掲示板に絵師の皆さんが独自のアピールを持って書いて下さった
絵の数々に対し、別のイマジネーションで絵のアップから数時間以内に
即興物語を付けたものです。絵は絵として、文は文としてお楽しみ下さい)


 昔々、フデのギンジロウという若者がおったそうだ。彼は世界で初めて南北を制覇したもので、彼の冒険物語は、我々南極の者ばかりでなく、北極や赤道付近の住人にも伝わっている。


プチトマト ●●● くえるの?

(1)ペンギン長老の話

 先々代のさらに先々代のあたりの話なので定かではないが、筆の銀二郎は大食で知られていた。御存知のように、ペンギンは魚を沢山捕まえる能力が異性にモテる為の必須条件だが、大食という事はそのまま漁の名人である事も意味していたから、当然人気者だった。しかし、発情期になっても、銀二郎は他の事に気を取られていた。それは大食い早食いを極める事だ。
 現代でこそ早食い大食いがスポーツとして認識され、ハンバーガーとがホットドックとかの極めて健康に悪い食べ物ですら、その早食いの選手権者は「アスリート」としてある種の尊敬を受けているが、銀二郎の生きていた当時、この大食い早食いを「かっこいい」と褒めていたのはペンギンはおろか人間にすら殆どおらず、記録に残っているのは緒八戒と大食い和尚の2人だけだ。その意味では、銀二郎はまさしく流行の最先端と云える。
 しかし、流行を余りにも早く先駆けると、かえって変わり者扱いされて、一般の者からは敬遠される。銀二郎もその例に漏れず、仲間から浮き立って孤独を感じていた。もちろん孤独を感じるような者は銀二郎に限らないが、彼が他の疎外者たちと違っていたのは、大食い早食いを語らう者を求めて世界に旅立った事だ。現代と違い、昔は「世界」という言葉は日常に存在しなかったから、そんな時代に世界を求めた銀二郎がただ者で無い事はわかるだろう。

 もっとも、時代が時代だけに、語らい合える者はなかなか見つからない。だが、旅自体は武者修行として有意義だった。たとえば、蛇を見本に、あごを外して己の胴体よりもはるかに大きい魚を呑み込む技を身につけたのはこの時だ。
 こうして、銀二郎が旅を続けていると、噂に大食いの第一人者として白熊和尚というのがアラスカだかグリーンランドだかにいると聞いた。なんでも今までの挑戦者を全て撥ね付けているそうだから相当な強者である。そこで銀二郎は白熊和尚と多いに語ろうと思い、はるばる北極圏まで行ったそうだ。  普通なら大変な旅であるが、そこは旅慣れた銀二郎の事、南の方に漁に来ていたカナダか何処かのニンゲンに媚びを売って、無賃航海したらしい。その航海について語ると長くなるので端折るが、ともかく彼は白熊和尚に出会う事ができた。

 彼が来訪の旨を告げると、和尚は早速
「じゃあ、お前の大食いというのをやってみ給え」
という。そこで、銀二郎は
『誠に未熟な恥ずかしい技ではございますが』
と前置きした上で、和尚の前で、顎外し魚丸のみをやってみせた。
 さて、日本昔話の大食い和尚は
「そんなお前をわしゃ食った」
と答えて勝ちを誇っていたが、白熊和尚はそんなまどろっこしい事はしない。本物の大食い早食いを相手に体験させるべく、挑戦相手を丸ごと食べてしまうのが習いだった。だから、その時も、銀二郎は白熊和尚に食われる運命であった筈だ。
 しかし、この時は違っていた。和尚はえらく感心してこう云った。
「もしもお前は俺に大食い世界一の挑戦に来たのなら、今頃はお前は俺の腹の中に収まっている筈だ。だがお前は謙虚にも『大食いについて語り合いたい』と云ってきた。漢は漢を知る。だから俺も正直に言うが、お前の技は確かに見事だ。そういうお前には今後南極で頑張って欲しい。それでこそ、大食い早食いの価値が世界に認められるのだからな」
この言葉には銀二郎も感激して、涙を流して
『和尚のお言葉、肝に命じておきます』
と誓ったそうだ。一旦心を開くと白熊和尚はクマが良い。
「そこで忠告するが、他の白熊に見つかる前に南極に帰るがよい」
といって、セイウチとかに見つからない安全な所まで銀二郎を送ってくれたそうだ。
 もっとも、この話は銀二郎が長旅から戻って来た時に彼が語っただけで証人はいないから、真偽の程は分からないがな。


篁頼征 ●●● ご飯を夢見るセイウチ君。

(2)シロクマ長老の話

 『筆の銀二郎』については、俺は別の話を聞いている。
 その昔、剛毅で知られる大先輩がおった。その剛毅さから、皆からは和尚と呼ばれていたそうだ。その和尚先輩が野苺で満腹になって満足していた時、銀二郎がヒョコヒョコとやって来たそうだ。見た事も無い奇妙な鳥が、恐れも無く真っすぐにやって来るものだから、和尚先輩はびっくりしたらしい。
 俺たちゃ、鳥以上にプライバシーに煩い種族だから、縄張りに一歩でも入って来ようものなら有無を云わさず一発殴ってやるのが普通の挨拶だ。しかし、その時は違っていた。和尚先輩はたまたま満腹だったんだな。美味しい野イチゴで満足している時に、狩りのような手間のかかる事はわざわざやらないし、縄張り云々だって、満腹で気分の時はいい加減になるってものだから、この時は和尚先輩もジンギスカン並みに寛容な気分だった。しかも、ひょこひょこ近づく新顔が、好奇心をそそられる様な姿だ。こりゃあ、まあ、殴る前に、相手を見るのが普通だろうよ。これが銀二郎の一つ目の幸運だな。

 銀二郎の姿かたちを伝説とかと比較すると、一番似ているのは、オオウミガラスだ。これには剛毅者の和尚先輩もさすがに恐れおののいた・・・えっ、オオウミガラスを知らないって? 伝説のペンギンを知らないとは何と恥じさらしな!
 オオウミガラスってのは、今から163年前、和尚先輩の当時からも百年以上前に絶滅したペンギンで、味も極上なら、脂も多くて、俺たち寒い所に住んでいる者には最高の食材だったんだ。ただし、無人島に住んでいたので、俺たちクマには手が届かなかったがな。
 絶滅の理由はお決まり通りでニンゲンだ・・・そうそう、恐ろしく獰猛な連中だ。そのニンゲンが十八番の無差別殺戮って奴でオオウミガラスを捕り尽くし、最後の50羽は食べる為でなく剥製にして飾る為に殺したって云うんだから、殺戮は連中の趣味だな。俺たちも気をつけなけくっちゃならん。
 ともかくだ、100年以上も前に絶滅した鳥にそっくりの奴がヒョコヒョコやって来るんだから、誰が考えたって、ウラメシヤーに決まってる。恨むなら俺たちよりニンゲンやセイウチやシャチを恨めって云うんだが、まあ、俺たちの先祖も漂着した奴を食ってた訳で、身に覚えはあるから、恨まれても文句は云えないな。
 来るだけならまだしも、奴っこさんと来たら食べる話ばかりだ。こりゃ、誰が聞いても、幽霊が絶滅の恨みを皮肉ったとしか考えられない。だから、さすがの和尚先輩だってちょっと腰が引けて、ここは穏便にお引き取り願おうと思ったらしい。
 それにだ、幽霊だって、煽てれば、これほど心強い味方はない。手なずけて、来たるべきニンゲンとの闘いにおいて先鋒になって貰うのが得策というもの。取りあえずは来るべき第863回セイウチ奪略作戦で援護を頼むか、などと思って、銀二郎を歓待したんだな。ま、これが銀二郎の2つ目の幸運だろう。

 えっ、なんでセイウチが出て来るかって? 俺たちゃ、セイウチの子供を時々食う為に、親セイウチとギリシャ対トロイなみの攻防を繰り広げておる。そんな小競り合いを有史以来だけでも862度もやっていれば、セイウチたちの伝説だって伝わってくるというもの。それによると、オオウミガラスほど美味しい食べ物はなかった、といつも嘆いているそうだ。
 って、それじゃ。ニンゲンはオオウミガラスだけじゃなくセイウチの双方の恨みを買っているって事だよな・・・。


篁頼征 ●●● 只今日向ぼっこ中。ウミイグアナです。

(3)ガラパゴスでの出来事

 銀二郎の帰り旅の話だ。
 東太平洋ぞいに寒流を下って、最初にたどり着いたのが、とある火山島だった。赤道直下という事で、すっかりバテきっていた銀二郎は精のつく魚を探したが、ここで思い出したのが白熊和尚のアドバイスだ。
 大食いの精進の為には好き嫌い無く食わなければならない、というその内容は、別に大食いの精進でなくても当てはまるが、しかし魚ばかりを食べていた銀二郎には新鮮な意見だった。もっとも、感心はしたものの、この島に着くまでは実行する気にはなれなかった。というのも、苺と魚と肉と蜂蜜を同じぐらいに好む動物といえば、クマの他にはヒトしかおらず、白熊和尚に会う前に長い旅をした銀二郎にとって、ヒトみたいなる事は堕落以外の何ものでもなかったからだ。だが、体調を崩して精のつく食べ物を考えるに至り、銀二郎は考えを変えた。
 薬になりそうな動物を思案するうちに、昔、小耳に挟んだ事を思い出した。それは、イモリやマムシの串焼きが精がつくという、飲んべえの話だった。素面の人間は嘘をつくが、飲んべえならホラはついては嘘はつかないだろう、そう考えた銀二郎は、同じようにグロテスクな両生類や爬虫類なら、今の彼には薬になるだろうと考えた。しかも、それを食べれば、白熊和尚のアドバイスをすら実行した事になる。つまり、今度再び彼に会うときの土産話になる訳だ。そう、銀二郎は修行ののちに再び白熊和尚に会う事を願っていたのだ。・・・もっとも、これらは名目上の理由であって、本当は南極に帰った時に仲間のペンギンに自慢するネタとして、魚以外を食べたかったのだろう。動機はとにかく、銀二郎はこの島で新たな挑戦を考えた。そこで、浜辺に出てみると、そこには、正に彼の必要とする食材がひなたぼっこをしていた。

 だが、その食材には問題があった。まったく恐れる風もなく、銀二郎が食べようとしても、
『僕は喜んでペットになりますよ!』
って顔で銀二郎になついてしまったからだ。これでは食べるに食べられない。
 銀二郎にしてみれば、腹の虫がおさまらない。苦労と精進の挙げ句にたどり着いた島で、いよいよ、己の殻を破って魚以外を食べようとした矢先に冷や水を掛けられたようなものだ。そこで銀二郎は、復讐に
『こんな輩は、ペットボトルに食われて漂流でもさせておけ』
とばかり、ウミイグアナを海に流したとか。ペットはペットボトルへ、って標語がこの時生まれたとか生まれなかったとか・・・

 ・・・ところで、銀二郎の時代にペットボトルがあったのかしらん?



夜野 月 ●●● 夏っぽくな

 イグアナをペット筒で流した銀二郎は、しばらく島に逗留して体調が回復を待った。問題はそこが赤道であるという事。ちょっと歩いただけでを汗をかく気候だ。ましてや元々大食漢だ。一体、世の大食漢は食べても食べても太らないから大食漢を続けられるのであって、彼もペンギンの癖に新陳代謝は非常に良かったのだ。
 かくて銀二郎、すっかり体の脂肪が抜けてしまった。冬型動物・浮力動物としては大問題である。いざ南に向かおうと思ったら、寒いばかりか、そもそも水面浮上に体力を消耗して、南極に帰るのは不可能なように思われた。

 だが、天は彼を見捨てなかった。目の前に日本の捕鯨船が現れたのだ。この船なら、南に行くばかりでなく魚も食べ放題の筈だ。
 銀二郎はさっそく『病気のふり』をして・・・実際ペンギンから脂肪が無くなったら病気には違いない・・・助けを求めたら、そこは可愛いペンギンだから直ぐに船に引き上げれた。乗組員から見ると、ペンギンの癖にやたら痩せているから、これは病気に違いないとさっそく適温の部屋に連れて新鮮な魚を大量に食べさせた。銀二郎の生涯でこの時ほど沢山の魚を毎日毎日食べた日々は無い。
 ところで、乗組員の中にはオバQの熱烈なファンがいた。かれは銀二郎を見るなり、このペンギンにオバQの着ぐるみを着せれば最高の組み合わせだろうと思った。銀二郎は暖かい服を着せられ、船の人気者となった。一体、欧米人なら『動物虐待』といって騒ぐかも知れないが、銀二郎には着ぐるみが有り難かったのだ。
 この服を気に入った銀二郎が気持よさそうに甲板を歩き回っていると、当然の事ながら、写真を撮られ『服を来たペンギン:九次郎』という名前でデビューした。もっとも、捕鯨は只でさえ生物資源とペットとを勘違いしている動物愛護協会の風当たりが強い。その捕鯨船の上で、ペンギン虐待と思われる格好をさせた写真を公開するわけにはいかず、南氷洋のアイドル『九次郎』は北半球にデビューする事は無かった。
 それでも愛らしい写真というのは、決して朽ちる事はない。写真をこっそり見せてもらったデザイナーが感激のあまりギャル服のワンポイントデザインに入れたのだ。このサイトの一部読者というか一部参加者にとって、それは素晴らしい場所だ。もっとも、その場所に宿った銀二郎の遠隔魂が、照れながらも喜んだのか、或いは表面上嬉しそうにしながらも暑苦しく思ったかは定かでない。


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