緑の申し子


 一人殺せば犯罪者、百万殺せば英雄。
 余りにも有名なチャーリー・チャップリンの台詞は、彼の死から100年経った今もなお真実として世に残っている。

「つまりは、そういうことなのよね」
「何の話だ」
「アレク・アイスナーが人殺しじゃなくて英雄視される理由」
 無言で突き上げられた。痛たたたた……。女の子(と言える歳でもないが)はもうちょっと丁寧に扱ってよ、このロクデナシ亭主。言っても逆効果だろうから言わないけど。
 黙ってたら下腹部の内部に断続的な衝撃が……しかもだんだん強く揺すぶられて……ちょっと待てぇぇぇぇ!
「きゃあぁぁぁぁぁっ!」
 何しやがるこの色狂い! サディスト! 淫乱! ケダモノ! それから……えーとえーと、駄目だ、これ以上のボキャブラリーは脳内に存在しない。私はノーマルなごく普通の乙女ですから、うん。
 でも残念なことに夫はそうじゃない。血の気が多くてお盛んで、ついでにサド気がもんのすごく強い。蹴って殴って青痣だらけにした女が、赤く腫れた顔で泣いて許しを請えば勃つタイプの男だ。よく考えると最低なヤツと結婚したな、私。
 でもその性癖はどちらかと言えば遺伝……いや、血筋? だしなあ。何もこの男が全面的に悪いわけ……で、はっ……!
「痛ぁ!」
 まずい! 声に出してしまった。こういうの聞くとこいつは余計に興奮するのに。
「そりゃ悪かったな。別のことを考える余裕があるなら、もっとご奉仕してやろうと思ったんだが」
「いらんわ!」
 この笑顔……こいつ、絶対悪いなんぞと思っちゃいない。賭けてもいい、嫌がらせだ。この根性悪!
「遠慮するな。どうやら出征中に寂しい思いをさせたようだしな、今日は存分に相手をしてやる」
 だからいらないって! 寂しくなんか……なかったとは言わないけど! でもこの3ヶ月間天国だったから! 確かに全然顔も見られないっていうのはちょっと嫌だったけど……けど! 断じてラヴメイキングが出来なかったから寂しかったわけではない! 誰が好き好んでこんな真っ昼間から情事を望むもんか、物事にはそれにふさわしい時間帯が――
「あ――あーあぁあぁぁあっ!」
 しかし文句を言う暇も隙もなく、理性やら思考やらは官能と苦痛の波にどんぶらこ、と押し流されて――
 ――ブラックアウト。

(数時間の空白)

 腰が立たない。
「もー、明日学校行けない……」
 コトが済んだあと、起き上がるどころか着替える気力も体力もなかった私は、全裸のまま大和撫子らしからぬはしたなさでベッドに横たわっていた。
「夏休みだろうが」
 対して夫は元気である。短パン一丁で部屋中の観葉植物に水をやって回っている。
「卒論書くの……図書館行って資料あたらなきゃいけないのに……」
 あんたのせいだ、と目に怨みを込めて睨みつけてやる。いっこうにこたえた様子がない、畜生。
「ソツロン?」
「…… “graduation thesis”」
 夫の名はアレクシス・アレクサンダー・ニクラウス・アイスナー。愛称アレックス。私だけがアレクと呼ぶ。ドイツとイギリスのハーフで、現在はアメリカ国籍である。母語は当然英語とドイツ語で、日本語はここ数年でマスターしたもの。とてもそうは思えないほど自在に日本語を話すが(俗語もほぼ完璧)、それでもまだ略語は苦手らしい。
 卒論で思い出した。この絶倫亭主に頼まなきゃいけないことがあったんだ。うわー、気が滅入る。
「アレク」
「んあ?」
「あの……ね、お願いがあるんだけど……」
 アレクは一瞬動きを止め、それから短い赤毛が風で倒れるほど勢いよく振り返った。鳩が豆鉄砲を食らったような表情を浮かべていた彫りの深い顔は、やがて嫌ぁーな感じのする笑みをその上に載せる。
 この顔! この嬉しそうな顔! アレクがこんな顔をするときは、たいていその前後で血が流れる。彼の職場でも『上機嫌のアイスナー=流血沙汰』の公式は、夕焼けの翌日が晴れであるごとくに確立されている。私の破瓜のときだってこんな顔をしていた。あー、今思い出しても腹が立つ。何せ無理矢理だったのだ。
「珍しいこともあるもんだな。お前が俺に頼み事? 言ってみろ、聞くだけ聞いてやる」
 足取り軽く近づいてきてアレクはベッドに腰掛ける。そのジョウロどこかに置いといてよ、シーツが濡れるぞ。
 あーあ、アレクにだけは借りを作りたくなかったんだけどなぁ。あとで何を要求されるやら、想像がついてしまうだけに気分が重い。しかし背に腹は変えられない、これも卒業のため、学士号のため、大学院に行くため……よし、深呼吸ひとつ。
「私の卒論のテーマね、『緑の申し子』なんだけど……」
「ははん。そいつはまた」
 アレクの笑みが深くなる。私の論文に彼の協力が必要不可欠であることを早くも嗅ぎ取ったらしい。
 『緑の申し子』とは、21世紀の忌み子とも称される、心理学上の新用語でもあればここ半世紀にわたって各国が頭を悩ませている社会問題でもある。ことは今から約70年前、西暦2007年の夏に端を発する。アメリカ合衆国アーカンソー州のフォレストシティで、当時37歳だったジョーイ・グリーンバーグという男が近隣の森へ入ってゆくのを目撃されたのを最後に行方不明になった。それだけなら特に珍しいことでもなかったのだが、彼は10ヵ月後にひょっこり戻ってきた。腕に一人の赤子を抱いて。
 驚きその赤ん坊はどうしたと尋ねる人々に、ジョーイが返した言葉は非常に珍妙なものだった。森のニンフとの間に出来た子だと。自分は森で美しい妖精に出会い、彼女と心を通わせて愛を交わしたのだと。当然そんな御伽噺を真に受ける人間はいなかった。しかし赤ん坊はどこからか誘拐されてきた様子でもなかったし、ジョーイは森のニンフ云々を別にすればその言動はまったく正常であったので、一応監察付きではあるが赤ん坊はジョーイの子として育てられることになった。
 その騒ぎが世界に広まったのはそれから一年後。一年の間に、似たような事件が世界中で続発した。あるドイツ人男性曰く、植物採集のため森に入ったところ淫魔に襲われて出来た子供を押し付けられた。ある日本人女性曰く、山にトレッキングに行ったところ天狗に強姦されて孕んだ。ある中国人男性曰く、紅葉狩りに行ったら狐に化かされて気がついたら赤ん坊が出来ていた。エトセトラエトセトラ、民族性の垣間見える多少のヴァリエーションはあれど、本質的にはどれも同じ話である。そのおかげで2010年代はオカルトブームが湧き起こった。
 それが社会問題にまで発展したのは、今から半世紀前の2030年のことである。2020年代後半からアーカンソー州では殺人事件が多発していた。手口から警察は同一犯の犯行と断定、連続殺人事件として捜査されたがいっこうに成果はあがらなかった。数年を経て2030年に逮捕された犯人の名は、ジェイミー・ジェレミー・グリーンバーグ。かのジョーイ・グリーンバーグと森のニンフの子である。
 裁判でのジェイミー・グリーンバーグの態度は最低の一言に尽きた。反省の姿勢など欠片も見せず、罪悪感は微塵もなかった。それどころか殺人への衝動と快感を堂々と告白し、殺さずにいられなかった、断末魔の叫びを聴くのは楽しくてたまらなかった、とぬけぬけと言ってのけたのである。
 ジェイミー・グリーンバーグは死刑に処されたが、惨劇はそれで終わらなかった。彼と同じような生まれの『緑の申し子』――森の妖精やら悪魔やら天狗やら狐やら狸やらの子供達が、高い確率で殺人衝動を持ち、かつ殺人に対する罪悪感が欠如していることが明らかになったのだ。『緑の申し子』という言葉は、広い意味では緑の申し子達とその子孫に加えて、彼らの性癖や、彼らが引き起こした惨劇、それにまつわる騒動など一連を指す。
 で、それで何で夫の協力が必要かと言うと――何のことはない、アレクも『緑の申し子』であるのだ。母方の祖父がインキュバス(淫魔)で、父方の祖母がバンシー(ケルトの妖精)なんだとか。両親とも緑の申し子であるという純血種(?)である。
もちろん殺人の経験もある。それなのに彼が逮捕もされず職場では「エース」などと呼ばれて尊敬を勝ち取っているのは、アレクが軍人だからだ。今のところ戦場での戦闘で行われた殺人を罰する法律はない。チャップリンが嘆くだろうなぁ。
「でね、ちょっと統計を取りたいからアンケートをお願いしたいの。アレクも回答するだけじゃなくて、知り合いの『緑の申し子』にアンケートを配って調査を手伝ってほしいんだけど……」
 アレクの笑みはますます深くなり、顔に墨汁で「してやったり」と書いてあるのがはっきりと読み取れる。あーあ、こりゃ3日じゃすまないなぁ。一週間は覚悟決めなきゃいけないかなぁ。
「俺も忙しいんだが」
 休暇中でしょうが、何に忙しいんだ。――いや、疑問を持った私が馬鹿だった。そんなもん決まっとる。
 10日分の覚悟を決めて、私は口を開いた。
「私の出来る範囲でお礼はするから」
 イヴに林檎を食べさせることに成功した蛇がこんな顔をしていたかもしれない。ヨハネの首を手に入れたサロメはこんな風に笑ったかもしれない。今のアレクの笑顔は迷える子羊を陥れる悪魔そのもの――と言っては悪魔に失礼なほど邪悪だった。怖いよ旦那さまぁ。
「何をしてくれるんだ?」
 今の私はアレクの完全なる扶養家族である。生活費はもちろん大学の学費だってアレクに出してもらっている。当然私個人の財産なんて無きに等しいし、象牙の塔に住まう身分では人脈も乏しい。人生経験だってたかが21年。そんな私がアレクに差し出せるものなんて、文字通りこの身ひとつ。それを分かっててアレクはわざとそんな質問をする。
「……私に出来ることだったら、アレクの言うことひとつ何でもきく。アレクの頼み事、ひとつだけ何でもやる」
 我が意を得たり、と言うようにアレクは頷いた。
「Deal!」
 ディール――取引成立、である。あーあ、都合の悪いことに昨日生理が終わったばっかりだ。まさか三週間まるまる……なんてことはない、と、思うけど……。
「ダンケ・シェーン。じゃあ早速これお願い」
 半ば自棄になってベッドの横のキャビネットから紙の束を取り出し、アレクに手渡した。
「今時紙かよ」
「メールフォームも電話での音声入力システムも準備してあるよ。そっちはアレクの携帯にもう送信済み。だけど紙が一番回収率高いのよねー、何故か。金はかかるのに」
「……お前、何枚刷った?」
「一応1000枚」
「全部俺に配らせるつもりか?」
 ……あ、ばれた。
 だって、『緑の申し子』ってその性癖のせいでアウトローな方々がほとんどなんだもん。マフィアやらヤクザやら殺し屋やら。まともな職業でも軍人とかガードマンとか。そんな人達に会いに行ってなおかつアンケートお願いしてくるなんて怖いじゃん。第一そんなツテもないし。
「よろしくお願いしまーす」
 類は友を呼ぶという言葉のとおり、アレクにはその手の知り合いが多い。ついでに言うとアレクは尋常でなく強い。身体能力も精神力も強靭という言葉では足りない。軍隊で訓練を受けた以上ある程度の強さは当然だが、アレクは「ある程度」なんてレヴェルを軽く凌駕していた。武装したギャング20人を素手で半殺しにした上自分は無傷だった、という話はもはや伝説である。しかもその時足手まといを一人連れていたのに、彼女にも傷ひとつつけさせなかった――足手まといとは私のことだ、あの時はほんとに死ぬかと思った。ゆえに裏社会からも一目置かれ、時折マフィアから勧誘の電話がかかってきたりする。あれの応対するのすっごく怖いんだけど。将を射んとせばまず馬を、みたいなノリで私から口説こうって人もいるしなぁ……あれやめてほしいんだけど。話がそれたが、つまりアレクが一声かければ直接面識がなくても人は寄ってくる。アレクの尋常ならざる強さはもはやカリスマの域だから。
 ……怖いよアレク、お願い睨まないで。ここでアレクの機嫌を損ねては元も子もないので、ちょっと下手に出ることにした。上半身を起こして両腕を夫の首に絡ませ、ちゅ、と触れるだけのキスをする。
「――!?」
 ところがアレクはそのまま私の唇に咬みつき、舌を入れてきた。絡みつく。アレクは私の舌を強く吸い上げると――がりっ、と躊躇なく噛んだ。
「ん――――――っ!」
 痛いっ! とてつもなくイーターイー! 抵抗して暴れればさらに力が加わる。千切れる、冗談じゃなく舌噛み切られるっ! いーやーっ、まだ死ぬのは勘弁! 口の中に鉄の味がぁっ……
 あまりの痛みに視界が滲む。ぽろっと熱が頬をすべり落ちた。その時やっとアレクの歯が離れて、私は大仰に咳き込んだ。
「げほっ、ごほっ…………酷いよ、アレク……しばらく熱いもの食べらんないじゃない……」
「食い物の心配より自分の頭を心配しろ。虫が良すぎるぞ」
「……だって……」
 怒気をはらむ声に思わず俯き、上目遣いで夫を窺う。緑の瞳が怖い。知らず、体がふるふると震えていた。
 ぽろり、ともう一粒熱が頬を伝って落ちる。それを見て――アレクがふっと破顔した。
「アレク……? きゃあっ!?」
 押し倒されて、枕がぼすん、と音を立てる。
「もう一度だ」
「――へ? いや、ちょっと冗談っ!」
「でなきゃ頼み事はなしだ」
「……何卒、お手柔らかにお頼み申します……」
 ――盛りのついた狼だって、これほどじゃあるまい……

(再び、数時間の空白)

 私、一生歩けないかもしれない。
「い、一度って……これ、何をもって1回と数えるの……?」
 少なくとも挿入の回数でも達した回数でもあるまい。せっかく決めた10日分の覚悟は根こそぎ持っていかれた。それでもアレクのほうは余裕綽々でワインなんぞをあおっている。何でだ? 何で私のほうが若いのに向こうのほうが性欲盛んなわけ? あー、酒臭い……。
「俺の言うことを何でもきくと言ったな?」
「言ったよぉ……私に出来ることならって……」
「よし、忘れるなよ。代価は高いぞ。まったく、面倒な仕事を頼まれたもんだ」
「え……? それじゃあ……」
「頼まれてやる。ありがたく思え」
「ありがとう! ……痛っ」
 大声出した途端に腹筋が動き、その振動が内部まで伝わって痛覚を刺激した。アレクは私の様子を面白そうに眺めながら――根性悪――ペンを取り、アンケート用紙に向かう。
 始めのほうの質問は大したものじゃない。これまでの研究者がさんざん議論したことの確認程度だ。
 
 人を殺したことはありますか? ――イエス
 殺人に罪悪感はありますか? ――ノー
 殺人行為に快感を覚えますか? ――イエス
 殺人衝動・破壊衝動はありますか? ――イエス

 『緑の申し子』なら何度も尋ねられた質問だ。回答するアレクの手に迷いはなかった。

 動物を殺したことはありますか? ――イエス
 動物を殺すことに罪悪感はありますか? ――イエス
 動物を殺すことに快感を覚えますか? ――ノー

「……やっぱりね」
 もともと『緑の申し子』に関する私の仮説は、アレクの行動から思いついたものだ。だからアレクの回答が予想通りなのは当たり前といっちゃ当たり前。

 どちらかと言えば、サディストですか、マゾヒストですか? ――サディスト

 そんなこったろうと思ったよ。この質問はお遊びだ。私の研究には関係ない。関係ないが、自覚があるかどうか知っておきたかったんだもん。
 アレクは真性のサディストだ。マルキ・ド・サドはサディストであると同時にマゾヒストでもあったらしいけど、アレクにはマゾヒズムのMの字もない。私にもその趣味はないんだけど……いや、言うだけ無駄だ。

 次に挙げる異なったタイプの相手に対し、抱く殺害欲求が強い順に番号を振ってください。 老人 妊婦 乳幼児 青年 中年

 アレクのつけた順位は、1.老人 2.中年 3.青年 4.乳幼児 5.妊婦
 予想通りとは言え、他の『緑の申し子』もこうなら、これはちょっとしたニュースになる。これまで彼らは、強く抵抗する相手を痛めつける時に最も興奮するとされていた。反面弱い者虐めはあまり行わないとも。  だがアレクが筆頭に挙げたのは老人。これが何を意味するか――いや、結論を出すのは一定数以上のデータを取り終えてからだ。
 その後もどんなタイプが被害者になりやすいのかを尋ねる質問を並べてある。男性と女性なら? 病人と健康な人間なら? ヘテロセクシャルとホモセクシャルなら?
 アレクは考え込む様子もなくすらすらとペンを動かす。物騒な旦那さまだよ、ほんとに。人殺しに関することなら打てば響くようにすぐ答えが返ってくるんだから。
 だが質問の後半――私にとってのメインテーマにさしかかると、アレクに戸惑いが出てきた。

 自宅で使用する空調設備をすべてお答えください。

 ちらりとアレクがこっちを見た。真夏の酷暑の最中でも、アレクはエアコンを使わない。私が暑いと文句を言えば窓を開ける。それで真っ昼間からコトに及ぶんだから……周知、じゃなかった羞恥プレイの一種か? と一時期は本気で夫の趣味を疑った。
 結局アレクがチェックしたのは「団扇・扇子類」と「扇風機」の二つだけ。2080年にもなって扇風機よ、信じられる? しかも当人は扇風機だってろくに使わない。使ってるのは私だ。エアコンを入れてくれと泣きついた私への妥協案として、ゴミ捨て場から拾ってきてくれた。
 冬も暖房器具一切使わないしなぁ……寒いと言えば即ベッドイン。押しくら饅頭なんて可愛いもんじゃないよ?

 通勤・通学の際の交通手段は何ですか?

 答えを見るまでもない。アレクは酸性雨が降ってようが紫外線が降ってようが歩く。ちょっと距離があれば自転車だ。電動自転車なんかじゃなく、自分の足だけでこぐやつ。いいトレーニングになるんだってさ。軍の正規の訓練だけじゃ物足りないって言うんだから、ほんと元気な奴。三十路に手が届くってのにそこいらのティーンエイジャーより足が速い。短距離でも長距離でも。
 で、長距離の移動になるとリニアモーターカー。自分は空軍で「エース」なんて呼ばれてるのに、あまり飛行機には乗らない。アメリカ随一の戦闘機乗りが何を考えているのか、妻の私にも分かんない。

 園芸の趣味はありますか?

「何だこりゃ?」 「ちょっと、ね。『緑の申し子』に関する私の仮説を証明するために必要な項目なの」
 アレクは訝しげな表情を浮かべて、“yes”にチェックした。家の中は観葉植物であふれている。ベランダなんかちょっとした花園だ。全部アレクの趣味で、手入れもアレクか彼の手配した業者がやっている。以前私が手伝おうと思って水を遣ったら、加減を間違えたらしく鉢をひとつ枯らしてしまった。以来アレクは私には決してプランターに手を触れさせない。

 どれくらい寄付を行いますか? 一年あたりの寄付額と、差し支えなければ寄付先をお答えください。

 アレクは毎年森林保護や環境保護のためにいくらか寄付を行っている。女一人養って、大学の学費も出してやって、その上に結構な金額を寄付するんだから驚きだ。軍人ってそんなに儲かったっけ?
 そのあとは生活環境に関する質問だ。年収はいくらか。何人暮らしか。月々の電気代・ガス代・水道代は? あと、性的嗜好に関する質問も入れておいた。アレクは当然男性ヘテロセクシャルにチェックすると思ったら、意外にもバイセクシャルと答えていた。そうかー、こいつ男もいけたのか……。「攻め」ですか、「受け」ですか? なんて質問もある。80年前のフジョシブンガクが生み出した用語は、もう立派に一般用語だ。同性同士の場合、役割を把握しておかないと調査の意味がないので。
「出来たぞ」
「どーもありがとうゴザイマス……。うーん、やっぱりほとんど予想通りか……」
 ナイスだ、アレク。これで他のアンケート結果もこの調子だと仮説撤回しないですむ。仮説立てて捨てて仮説立てて捨てて……この繰り返しは結構精神的に疲れるものがあるのだ。好きでやってる研究が大嫌いになってしまうほどに。だから出来れば1回か2回で終わらせたい。卒論だけじゃなくて大学院入試の準備もしなきゃいけないし。
「で、何が知りたいんだお前は? 質問の意図がまったく掴めんのだが」
「あー……アンケート全部配って回収終わったら教える。まだ秘密にさせといて」
 というわけで、ご協力よろしくね? にっこり微笑んでそう言ったら、バスルームに連行された。そこで行われたことについては今更言及するまでもあるまい。ねー、ここは汗を流す場所のはずデスヨー……

 で、数週間後。
「すごーい、回収率97パーセント!」
 私は大満足だった。アレクはサディストで横暴で傲慢だけど、何だかんだで結局私には甘い。今回も私のために骨折ってくれた。服役中の『緑の申し子』にもアンケート送りつけたりインタビューに行ったりしたけど、それもアレクの協力なしには成功しなかった。男子刑務所って怖いよ……アレクがバックについてなきゃ(文字通り後ろに立って睨みをきかせてくれていた)卑猥な冗談の二つ三つで追い返されていただろう。愛されてるなぁ、と思う瞬間である。
 殺人に対する意識はほぼ99%がアレクと同じ。冗談抜きに危ない連中だわ。でも動物に対する殺害衝動となると、意見が分かれた。
「経験あり、罪悪感あり、快感なし……これも同じ、これも……あ、こっちは全部あり。罪悪感なし、快感あり……動物虐待見っけ。一般人のデータと比べてみるか」
 特に対象を限定しないで同じ質問で統計を取ったデータが、確か動物愛護協会のほうにあった。多少の誤差はあるものの、回答分布はほとんど同じ。
「あらら……ちょっと当てが外れたなぁ。自然のヒーロー説はなしか」
 私の仮説はひとつゴミ箱行き。まあメインテーマじゃないから構わないけど。
「何だその『自然のヒーロー』ってのは」
「うーん、アレクって人殺しでサディストで乱暴者で生まれついての破壊者だけど……」
「腕の二三本へし折ってやろうか?」
「腕は二本しかないよ。でも動物には結構優しいでしょ? 人間は殴るのに犬猫には絶対手をあげないって、結構特殊なケースだと思うの。その原因が『緑の申し子』であることそのものに帰結するなら面白いことになったんだけど……ハズレね」
 まあいいや。次……
「……『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』」
「何だ、いきなり」
「いや、ちょっと自分の行く末を……」
 ついドナスィヤン・アルフォーンス・フランソワ・ド・サド侯爵の著書のタイトルを口走ってしまった。こいつら……皆してサディストでやんの。一人もマゾヒストがいないってどうかしてない? 1000人以上にアンケートばらまいたのに。
「最も被害者になりやすいのは……あちゃー、票が割れたなぁ」
 これは結構痛い。ほぼ均等で特徴がない。
「そりゃそうだろ。俺だって『人』より『殺し』に関心があるね」
「うーん……質問の仕方が悪かったかなぁ」
 相手じゃなく、求めるのは行為そのもの。こいつが平気で爆弾落としてこれる理由が分かったよ。卒論は柱二本立てにしようと思ってたんだけど、一本がこれで消えた。
 頼みの綱はもう一本。自宅で使用する空調設備……やった、ドンピシャ! そろいもそろって前世紀でも立派に生きてけるような奴ばっかり! ガーデニングの趣味……ほぼ八割! うわー、こりゃすごいや。とりあえず家の観葉植物に頭を下げておく。アイディアの源泉は君らだ、ありがとう名もなき葉っぱたち! 寄付を行う人間の割合はほぼ九割、しかも寄付先はたいがい環境関連。年収も合わせて考えると、こいつらの環境問題に対する意識は半端じゃない。ついでに家族構成と光熱費・水道代を照らし合わせてみると……
「ハラショー! いぇい、私って天才!」
「頭のネジが吹っ飛んだか? ぶっ叩いて直してやろうか」
「結構よ。ふふーん、こりゃ一大センセーションになるかも! 何で今まで誰も気づかなかったんだろ」
「……何の話だ、分かるように言え」
 がしっと頭を掴まれた。痛い痛い、頭蓋骨割れる!
「はーなーしーてー! つ、つまりね、あんたたちは正しく『緑の申し子』なんだってこと!」
 ぷるぷるぷる、と頭を振って叫ぶ。見て! とアンケート結果が映し出された端末を指さした。
「光熱費・水道代が大幅に抑えられてるでしょ? 私の大学に一人暮らしの友達がいるけど、彼女の月々の光熱費うちより高いよ。こっちは二人なのにね。でも『緑の申し子』の中じゃこれが普通。ねえ、どう思う?」
 ふと、アレクの顔が真剣みを帯びた。端末をいじって他の項目もチェックし始める。……間違ってデータ消さないでね、お願いだから。
「……お前、最初からこれが目当てだったのか?」
「当たり前でしょー。私の専攻は犯罪心理学じゃないし、第一そんな手垢のついた分野、誰が好き好んで研究するかっての」
 森の妖精の子だとか、そんな御伽噺は誰も信じちゃいない。だけど夢見る乙女なお年頃の私なんかは、案外真実かもしれないと思ったりする。毎月家計簿見るたびにね。どうよ、このエコロジカル家計! って誰かに見せびらかしたくなるくらい。家みたいなエコ家族なかなかいないと思うよ?
「意識してた?」
「……いや、全く」
 自覚なしだったらしい。とすると、これは生まれついての気質? うわー、ますます興味深い。これまでその残虐性だけが取り沙汰されてきた『緑の申し子』の、新たな一面発見! 心理学・社会学上の私の功績は結構大きいんじゃなかろうか。
「じゃあこの性的嗜好云々は何だ?」
「あー、それは失敗だから気にしないで。皆ヘテロなら期待通りだったんだけど、ホモありレズあり禁欲主義まで結構な割合でいたから当てが外れちゃった」
 殺人の嗜好と連動している質問だったから、こっちもハズレだろうとは見当がついた。皆して『攻め』なのは……まあサドの集まりだから予想はついたけどさ。
 アレクは性欲が非常に異常に無茶苦茶盛んである。どれくらいかと言うと、「頼むから外に何人か愛人作って」と情けないことに妻の私が頼むくらいだ。一人で受け止めきれるもんか! で、コンドームその他の避妊具がお嫌い。ここ100年でのっぴきならない状況になった少子化の反動かとも思ったけど……ここまでホモセクシャルが多いなら『緑の申し子』は関係無いな。職業見ると聖職者とか、ストイックな生活してらっしゃるのも結構いるし。
「私はさ、アレク達の殺人衝動は人類の自浄作用の一種かとも思ったんだよね。少子高齢世界で、にもかかわらず人間は増えすぎた。道徳とか倫理観とか別にすれば、一番効果的な対策は『間引き』でしょ。それも寿命が延びすぎて今や総人口の半分を占める高齢者、まずはもう次世代を生むことも期待できない彼らにいなくなってもらわなきゃ」
「お前もなかなか物騒なこと言うじゃねえか」
 道徳とか倫理観とかを別にすれば、って但し書きを聞いてなかったなこいつ。実際そんな『姥捨て山』みたいなこと誰も出来ないから、100年前から同じ問題引きずってるんでしょうが。年々上がってる自殺率も、人口増加率に歯止めをかけられていない。
「アレクにだけは物騒なんて言われたくない。で、その理論でいくと妊婦や乳幼児には優しいはずなんだけど……これが見事に大ハズレ。それどころか妊婦・乳幼児を殺害欲求ナンバーワンに持ってきた奴も結構いて、『人間なんか滅びてしまえばいいんだ』って言わんばかり。性的嗜好もぜーんぜん未来の礎にならないような……」
 ……いや、待て。待て待て。もしかしてもしかすると――
 端末に新たな条件を入力して、もう一度データをふるいにかけなおしてみた。――いよっしゃ! 二極化した。片っぽはさっき諦めた柱の一本そのもの!
「やったー! やっぱり私って大秀才! この閃きはもう神レヴェル!」
「……今度は何だ、喧しい」
 腕をひねり上げられた。だあ! 折れる伸びきるねじ切れる!
「いやっ、見て、一大ドラマが出来るよこれ! 緑を破壊する人類に対し、ついに復讐を開始した大自然! その使徒たる申し子達! だが彼らの中には片親である人類に牙を向くことを躊躇い、救いの道を模索し始めた者達がいた! 人類の滅亡は不可避であるのか? それとも救済の道は残されているのか!」
 端末の液晶には見事なフタコブラクダが映し出されていた。ヘテロセクシャル――いわゆるノーマルは、どちらかと言えば老人を殺したがり若い世代には優しい。子供の数もアンケートで尋ねたけれど、それを見る限り繁殖能力も非常に高い。家はまだ夫婦二人だけど……近いうちに子持ちになるだろうなぁ、私。無論殺害そのものを好む気質は変わらないから、相手がティーンエイジャーだろうと何だろうと殺すときには殺すし、それに躊躇いは全くないけど。アレクはもろにこのタイプだ。で、アブノーマル――ゲイやレズビアン、あるいは禁欲主義なんかだとどちらかと言うと赤ん坊を殺したがる。こっちはより自然に優しい傾向にある。年収の半分を森林保護のために寄付している殺し屋とか。笑えるね。
 後者はまさに真正の『緑の申し子』だ。森林にとっちゃありがたい存在だろう、けれど人類にしてみれば危険極まりない。前者はどちらかと言えば人類寄り。個々の人間として見れば危険人物でしかないけど、人類全体の視点に立てば種の存続に必要不可欠……は、言い過ぎか。このデータじゃまだそこまで立証できない。でも実際そう考えても一応無理は無いだろう。
 いずれにせよ――
「……人類はしばらく血を見るなぁ」
 暗い気分になるのは避けようもなかった。データを保存し、バックアップも複数とって端末の電源を落とす。続きは後日で十分間に合う。
「シャワー浴びてくる」
 水を無駄遣いするな、との夫の声を背に受けて、私はバスルームに入った。じっとりと汗で濡れた体に水流をぶち当てる。不快さを洗い流す冷たさが心地よかった。
 アレクはこれまでに何人殺したやら。数千、下手したら数万でもきかない。死ぬまでに百万くらい屠るだろう。第三次世界大戦はまだ現実のものではないけれど、時間の問題だとも言われている。実際世界各地で小競り合いは断続的に発生している。アレクみたいな戦闘機乗りが大いに活躍する小競り合いが。
 アレクは人殺しだ。それに何も思うところが無いわけじゃない。アレク達はこれからも人を殺し続ける。それが歓迎されるべきじゃないことも分かってる。
 けれども私に出来ることなど、悲しいほどにありはしないのだ。
 どうすれば良いというんだろう? 種としての人類の保存を考えるなら、アレク達のやっていること以上の手段はない。個人としての安全と幸福を考えるなら――
「私は万能じゃない。自分ひとり守ることさえままならない。どうしようもないっ」
 そこらの悪ガキどもにからまれたって、私じゃ何も出来ない。あの時――アレクに初めて会った時だって、抵抗も虚しくあっさりレイプされた。私に出来たことなんて、強姦罪が親告罪なのを利用して告訴か結婚か迫ることだけだった。幸か不幸か怒りは長続きせず、どういうわけかアレクを愛するようになったから、私なりに精いっぱい彼を愛して。有難いことにアレクも私を愛するようになったから、名実共に彼の庇護下におかれて大切にされて。
 だから私は幸福だ。自分で自分を幸福にするだけの器量もないくせに、私は今幸福だ。衣食住が保障されて、大学にも通わせてもらって、好きなこと好きなだけ勉強して。愛する人に愛されて、一緒に暮らして。たとえそれが幾千幾万人の血の海の上に成り立っているものだとしても、どうして手放すことが出来るだろう? アレクは正しい。人類の未来を考えるなら。種の保存のためなら。彼ほど正しく生きている人はいない。
 それを否定することなんて出来ない。アレクを止めることなんて出来ない――したくない。
 私は自分の器くらい知っている。私は無力で何も出来ない。自分の面倒も見切れず、自分の力だけでは尊厳も保てず――自分ひとりでは生きていくことさえ危うい女が、己の幸福と安全だけを追い求めて何が悪い? 他者の安全や幸福など、私の手には負えない。それほどの力は私には無い。
 もしももっと賢ければ。もしももっと強ければ。『緑の申し子』に殺しをやめさせることも出来るだろう、自然も人類も両方守りきることも出来るだろう。
 けれど今の私には無理だ。
 もしももっと歳を重ねたら。このまま勉学を続けて知恵をつけたら。戦争などやめさせることが出来るかもしれない、人を間引く以外に人間と森林の共存の道を見つけられるかもしれない。
 だけど今の私では無理だ。
「アレク」
 体も拭かず、着替えもせずにバスルームから出た。夫が訝しげに私を見る。私の身体を見る。
 今は何も考えたくなかった。考えたところで何が解決するわけでもないのだから。私は愚かだけど、愚かであることの自覚が無いほど救いがたい愚者ではない。己の不足を見つめてそれを補うよう努力することも知っている。
 だからいつかは賢くなれるかもしれない。現実から目を背けずにいられるほどに強くなれるかもしれない。
 けれどそれは遠い『いつか』の話で、今じゃない。
「抱いて」
 今は何も考えずに、すべてを忘れてしまいたかった。たとえ一時の束の間の逃避でも。
 濡れた身体に赤い手が触れる。この人への愛だけを心に抱いて、この人の愛だけを感じて、永遠に愛に溺れてしまうことが出来たら。
 血も緑も人も、何も思い悩むことなど無いのに……。

(――ホワイトアウト)


Copyright(c) 2007 Yuu.
Template by HY