第4章 「誇りある生き方」(5)                   BACK | TOP | HOME




 あくる日の【園外学習】も、とどこおりなく行なわれた。自由研究は午前で終わり、午後は遊園地と、子ども向けのショーを楽しむという趣向になっていた。
 午後は付き添い役を免除されたセフィロトは、こっそりとショーの会場から抜け出し、カジノエリアに向かった。
 柏所長から彼に課せられた任務は、【ユエ・コンツェルン】のコンピュータの端末のひとつにたどり着き、システムに侵入すること。そして、コンツェルンそのものがクーデタ計画について関わっているという証拠を見つけること。
 ハッキングについては過去にも、プロ並みの腕を持つ犬槙博士から手ほどきを受けている。大企業のコンピュータ・システムとは言え、応用科学研究所の【テルマ】より、構造はずっと簡単なはずだった。
 セフィロトは、昨日の「スタッフオンリー」の通路にそっと身体をすべりこませると、奥の部屋に向かった。
 昨日の時点で、監視カメラの位置についてはわかっている。セフィロトの口が軽いハミング音を立てると、監視カメラは過去の映像を繰り返して再生した。そのあいだに堂々と通り抜ける。
 昨日は三人の男がいた奥の部屋からは、今は赤外線反応がない。誰かがいたときのための対策をあれこれ考えてきたセフィロトは、とりあえずほっと安堵した。
 扉の電子キーの解除もスムーズに行った。開閉ボタンを押してドアを開く。
 その瞬間、腰に何か触れるものがあって、セフィロトは飛び上がった。
「あ、あ、アラタくん」
「今まで気づかないなんて、よっぽどパニクってんな」
 木暮アラタくんが、にやりと笑った。
「ペンギンのペン太くんショーはどうしたんですか?」
「あんな子ども向きのショーは、退屈でね」
「あなただって、ほんとうは五歳の子どもなんです。正常な情緒の発達のためには、自分の中の子どもを否定してはいけません」
「それより」
 アラタくんはおとなびた仕草で、セフィロトの背中をぽんと押した。
「外で見張っててやるよ。誰か来たら、また迷子になったふりをして注意をひきつけてやるから、安心して仕事しな」
「な、なぜそのことを?」
「昨日からのおまえを見てたら、それくらいわかるだろ」
「でも、そんなことをアラタくんに頼むのは、危険です」
「ぐずぐずしてる間に済むって。そら」
 セフィロトは、しばし躊躇した。
 教師として、教え子をこんな危険な状態に巻き込んでしまっていいのだろうか。今すぐ中止して、【すずかけの家】のみんなのところに、戻るべきではないだろうか。
 だが、気持とは裏腹に、身体はコンピュータの端末に駆け寄っていた。
 今しかない。もう二度とこんな絶好のチャンスは訪れないだろう。
 ロボットであることを、誇りに思えるようになりたい。柏所長に認められたい。あの未亡人に惚れる資格がない、などと言わせないくらいに。
 三分あれば、システムに侵入できる。自信はある。
 セフィロトは口を開け、デジタル音声で大量の命令を注入し始めた。ハッキングの第一歩である。
 すぐに、端末はオーバーフローを起こした。そこから一気にシステム本体に侵入する。
 第一バリア解除。第二バリア解除。もっと深く、深く。
 核心に近づくにつれて、セフィロトの瞳はめまぐるしい速度で金色の点滅を始めた。
 膨大な容量の情報の中から、関連があると思われるものに超高速でアクセスしていく。それは、夢の中で次々に、記憶を連想で追っていくのに似ていた。検索というより、むしろ人間の勘に近い。
 求めるものを探し当てたとき、セフィロトは小さな快哉を叫んだ。
 しかし、その詳細に至る前に、外の廊下からアラタくんの大声が聞こえてきた。
「ボク、迷子に……なっちゃったんだ。ここにいたら……先生が見つけてくれると思って」
 半泣きになった、あどけない幼児の演技をしている。
 セフィロトは一瞬ですべての情報をクローズして、コンピュータから離れた。
 ドアぎわの壁に張りついて、聴力を研ぎ澄ます。
「じゃあ、先生たちのところへ連れて行ってあげようね」
 やさしい男の声がしたかと思うと、ふたりの靴音が通路の向こうへと遠ざかっていく。アラタくんがうまく一味の男を誘導して、ここから引き離してくれたのだ。
 数十秒ほどして、まったく物音が聞こえなくなると、セフィロトは迷った。肝心の情報まであと少しなのだ。今のうちにもう一度、コンピュータへの侵入を再開すべきだろうか。
 だが、いさぎよく諦めることにした。これ以上はやめておこう。アラタくんのことも心配だ。
 ドアを開けて、そっと通路に出た。
 急いで歩き始めたセフィロトの前方に、人影が躍り出た。
 ダークスーツの男が、片方の腕にアラタくんを抱きかかえ、その頭に光線銃を突きつけていたのだ。
「しまった――!」
 セフィロトは立ち尽くした。敵の方が一枚上手だった。アラタくんの演技を見破って捕らえ、部屋の中にいるセフィロトが出てくるのを、待ち伏せしていたのだ。
「その中で何をしていた? 何が目的だ」
 敵は冷たい声で問いかけた。もちろん、答えるはずもない。
 セフィロトは黙して立ちながら、自分から敵までの間合い、相手の脈拍、アラタくんに向ける銃の角度などを何度も計測した。
「言え。誰の命令だ?」
 降伏したと言わんばかりに、セフィロトは少しずつ両手を上げた。それにしたがって、視線もゆっくりと天井に向ける。
 その誘うような仕草は、男にわずかな影響をもたらした。男もそれにつられて、上を見上げる。
 セフィロトはその瞬間を見逃さず、腰をかがめて走り出した。
 もちろん、人間が対応できる動きではない。瞬きさえも許さぬ間に、もう男の腕に組みつき、アラタくんの上におおいかぶさった。
 男はそれでもなお、銃の引き金を引いた。
 セフィロトはアラタくんを男の手からもぎとると、拳を男の腹にぶちこんだ。
 男は1メートルも後ろに吹っ飛び、うめきももらさずに長々と床にのびた。
「セフィ」
 アラタくんの半泣きは、今度こそ本物だった。顔をくしゃくしゃにしてセフィロトにむしゃぶりつき、震えている。やはり何と言っても、彼は五歳児なのだ。
「だいじょうぶでしたか」
「うん」
 セフィロトはアラタくんをしっかりと抱きしめると、立ち入り禁止区域から飛び出し、小走りにまっすぐロビーに向かった。
 二階からの大階段を、ちょうど栂野先生があわただしく降りてくるところだった。ショーの会場からアラタくんの姿が消えているのに気づき、あわてて探しにきたのだろう。
「副園長先生」
 セフィロトは、アラタくんをかかえたまま、階段に走りよった。
「ご心配かけました。アラタくんはここにいます」
「せ、せ、セフィ先生」
 栂野はアラタくんには目もくれずに、セフィロトの顔を指差して、口をぱくぱくさせている。
「え?」
「おい、セフィ」
 アラタくんも目を見開いている。「そのおでこ……」
「おでこ?」
 セフィロトは、ようやく気づいたというように額に手を当てた。「ああ、そう言えば、さっきからなんだか痛いと思いました」
 彼の眉間には、光線銃で撃たれた黒い焦げ跡が、くっきりとついていたのだ。
「セフィ先生、あなたは――」
 栂野の声もまったく聞こえない様子で、セフィロトは途方に暮れてつぶやいた。
「犬槙博士になんと言い訳しましょう。人工皮膚の修復は高くつくんですよね……」


 ショーが終わり、園外学習のすべての日程を終えて、彼らは【すずかけの家】に戻ってきた。
 カジノ【スリースター】のスタッフたちは、何ごともなかったかのように玄関に整列して、にこやかに「また来年も来てください」と子どもたちに手を振っていた。もちろん、大多数の無関係な従業員は【ユエ・コンツェルン】の裏の顔など何も知らされていないはずだ。
 堂々と出て行くセフィロトを見ながら、内心は地団駄を踏む者たちも混じっていただろうが、ここで騒ぎを起こすことは、彼らとて好まないはずだった。
 しかし、全員無事に帰ってきたからと言って、すべてが丸く収まったというわけではない。
 騒動は、【すずかけの家】に帰ってから持ち上がった。
「セフィ先生、園長室にいらしてください」
 栂野副園長が、寺院の門の両脇に立つ風神雷神みたいな顔をして、セフィロトを呼んだのだ。
 額の破損箇所にとりあえず絆創膏を貼っただけのセフィロトは、しょげかえった様子で園長室に向かった。
「セフィ先生が本当はロボットだってことが、バレちゃったんだ」
 子どもたちは、ひそひそと心配そうに言い交わしている。
「やっぱり辞めさせられるのかな」
「そんな。絶対にイヤだよ」
 部屋に入ると、水木園長が窓際に所在なげに立っており、栂野副園長が、セフィロトを正面から睨みつけていた。
「すみませんでした」
 開口一番に、セフィロトは謝った。
「今のは、どういう意味の謝罪です?」
 栂野先生が、一本調子に問い返す。
「アラタくんを、あんな目に会わせてしまったからです。それに――」
 セフィロトは、床に視線を這わせた。
「わたしが本当はロボットだということを、長い間隠していました」
「そのことは、今は差し置きましょう」
 少し怒りに震えた声だった。
「それより説明してもらえませんか。いったい何故、このような発砲騒ぎになったのです」
「それは――きわめて個人的な事情だとしか、申し上げられません」
「そんな個人的な事情のために、生徒のひとりを危険にさらしたのですか」
「……」
 本当は、クーデタの主謀者を暴くという大切な任務だったと言いたかった。柏所長の緊迫した表情を見たら、どうしても断れなかったのだと言いたかった。しかし、どうしても、それは言えないのだ。
「しかも、銃でぴったりとアラタくんを狙っていた相手に、組みついたというじゃありませんか。どうしてそんな無謀なことができるんです」
「でも、無事に助け出せる自信はありました。十分に飛びかかる時間があると計算して……」
「計算? 計算だって」
 栂野先生はついに激昂して、廊下に響くような声で怒鳴り始めた。
「あなたは計算で、ものごとを決めるのですか。さすがはロボットだ。人間なら――本当の人間なら、かけがえのない生徒の命が危険にさらされているというときに、冷たい計算などできるものか!」
 セフィロトはそれを聞いて、目を見開いた。
「わたしは……」
 栂野は、バンと机を両手で叩いた。
「自分と同じで、人間の命などすぐ修理して取替えが利くとでも思っているんでしょう。あなたには、教師をする資格などありません。セフィ先生。今すぐ、この【すずかけの家】を出て行ってください!」
 水木園長が口を開いた。なだめるように、ゆっくりと、
「栂野先生。待ってください。もっと冷静になりませんか」
 いつもはアーモンドのような目が、少し悲しそうな形にひそめられている。
「いいえ、園長先生。こればかりは、わたくしの副園長としての職を懸けて申しています。彼が辞めるか、わたくしがここを去るか、ふたつにひとつです」
「……いくらなんでも、それは極論なんじゃないでしょうか」
 セフィロトは、ふたりの言い争う様子を見て、もう耐え切れなくなった。
「園長先生、副園長先生。長い間、お世話になりました」
 一礼すると、水木園長が止める間もなく、部屋を飛び出した。
 外の廊下には、教師と子どもたちが鈴生りになっていた。
「セフィ」
 体育の椎名先生と数学の小松先生が、顔をひきつらせて叫んだ。
「セフィ先生」
 子どもたちはみな、目にいっぱい涙を溜めている。
「辞めちゃうの……?」
「はい」
 セフィロトは、にっこりと微笑んだ。
「今日で、退職することになりました。ごめんなさい。学期の途中で辞めるなんて無責任ですね」
「ちょっと待てよ。それはまだ正式な結論じゃないんだろ」
 伊吹織江先生が、詰め寄る。
「じっくり相談する余地はある。セフィ、早まるな」
「そうです。考え直してください。もう一度話し合って」
 北見さくら先生が嗚咽をせきとめるように、手で口を覆った。
「わたしたち、こんな形で先生に辞めてほしくないです」
「おまえが辞めることなんか、ない!」
 ひときわ大きな声で叫んだのは、アラタくんだった。
「こっそりついていったオレが一番悪いんじゃないか。罰を与えるなら、オレにしろ。お願いだから、オレを罰してくれよ」
「いいえ、アラタくん。それは違います」
 セフィロトは静かに答えた。
「悪いのは、このわたしです。本当は、アラタくんがそばに来た時点で、計画を中止するべきだったのです」
「だって、セフィは自分の体を張って、オレを守ってくれたのに……」
「わたしは、ロボットであることを誇りにして生きたいと望んでいました。でも、その代わりに、いつのまにか自分のロボットとしての能力を過信していたのです。誇りと過信は似ているけど、まるで違います。わたしは、大切なアラタくんの命を、計算で量るような真似をしてしまいました」
 セフィロトは、ひとことずつ自分に言い聞かせるような口調で、続けた。
「もしわたしが本当の人間と同じ愛情を持っていたら、いちばん大切なことを優先したでしょう。相手に降伏してでも、アラタくんの命を百パーセント守ること。でも、わたしはそうしませんでした。成功する確率を計算して、自分ならできると思ったのです。やっぱり栂野先生のおっしゃるとおり、わたしは所詮、ロボットでしかありませんでした」
 廊下は重苦しい悲しみに包まれ、静まり返った。
「わたしには、人間の大切な命を預かる資格も、みなさんを教える資格もありません。そのことがわかった以上、もうここにいるわけにはいかないんです」
 彼は最後に、お辞儀をした。
「さようなら。【すずかけの家】のみなさん」
「セフィ先生」
「わたしは、みなさんのことが大好きでした」
 アラタくんがわっと泣き出す声が、聞こえた。
 頭を上げたとき、子どもや教師たちの中で、青ざめた胡桃の顔が真っ先に目に映った。
 セフィロトは、彼らの横をすり抜けて戸外へ出た。
 園舎から森のそばの道を急ぎ足で歩く。
 今までに、何百回、何千回と歩いて通いなれた道だ。だがもう、ここを歩くことはないのだろう。
 セフィロトは、自分の体のどこかが欠けてしまったような気がした。光線銃で撃たれた破損箇所は皮膚だけなのに。
 門をくぐり抜けるとき、最後にもう一度ふりむいて、園の象徴であるすずかけの木を見上げた。
 夏の日差しをいっぱいに浴びて燦然とそびえたつ樹を見たとき、気が遠くなるような深い、深い空洞が自分の中心にうがたれた心地がした。



                   第四章 終



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