番外編(4)  「あるクリーナーロボの奇跡」          BACK | TOP | HOME




 クリンは古洞家でもう4年間働いている、家庭用クリーナーロボである。
 丸い機能的なフォルムに、くりくりした可愛い目。発売された当時は、売り上げナンバーワンを誇ったモデルだ。
 その頃は最新性能だったはずだが、今は中古の部類に入るのだろう。パターン化された簡単な会話しかできないが、彼の型式が画期的だったところは、その家の住人とそうでない者を、顔や声で識別できることである。
 住人に対しては、遠慮する必要はない。特に命令を受けないかぎり、
「シツレシマス」
 と、在室中でも掃除を始めてしまう。
 が、来客がいるときは、
「オ客様、タダ今カラ、コノ部屋ヲ掃除シテ、カマイマセンカ」
 などと聞いた上で、一番静かな吸気音で作動するように、しつけられているのだ。


 古洞家の住人は最初、ふたりだった。
 ひとりは長い髪をした女性で、元気な声でいつも話しかけてくれる。
「クリンちゃん、おはよ!」
「今日は、洗面台のパイプを念入りにやってくれる?」
「ごめんっ、クリンちゃん。遅刻しそうなの。いつものように掃除しといてね」
 などと言いながら、部屋から部屋へと軽やかに動いていた。
 もうひとりは、背の高い男性。あまり家にいないし、いても会話をすることはめったにないのだが、ときたま操作パネルをはずして、中を調節してくれた。
 彼に内部を触られたあと、クリンはとても調子がよくなり、もっとパワーが出るのだった。


 ところがある日突然、その男性の住人は姿を消した。
 古洞家には毎日、ひとりの住人しかいないのだ。残ったその女性も、めっきり声が小さくなってしまった。
「クリンちゃん、おはよう……」
「この部屋は掃除しなくていいわ……。だって、もう使う人がいないんだもの」
 そう言って、顔にクリーナー液のような水滴をこぼしながら、うなだれる。
 クリンには、彼女が悲しんでいることなどわからなかった。そもそも感情というものがないのだ。
 でも、そんな彼女の声を聞くと、どうにも普段の調子が出なくなることだけはわかった。


 何ヶ月か経ったある日、また住人が増えた。茶色い髪の男性だ。
 今度の住人は朝から晩まで家にいて、暇さえあれば、しょっちゅう話しかけてきた。
「おはよう、クリン。調子はどう?」
「すごいロボットだねえ、きみは。いろんなことができるんだね」
「クリン、ゆうべ雨が降ったから、今日は窓を拭いてくれる?」
 彼はほかの人間とちがって、とても機械にわかりやすいことばを使う。まるでロボットのことを知り尽くしているみたいだ。
 背中の操作パネルをはずして内部をきれいにしてくれたとき、クリンはなぜだか、姿も声も違うこの新しい住人が、前の男性と同じ人のような気がした。
 その住人が来てからは、女性の住人も元気を取り戻した。ふたりの笑い声がひびく部屋を、クリンはくるくると動き回って、ゴミを吸い込み続けた。


 ところが、それから一年近く経ったあと、またその新しい住人は姿を消した。
 残された女性は、また声が小さくなった。掃除をするクリンを見ても、いつものように褒めてくれない。何も言ってくれない。
 女性はダイニングテーブルの前に座って、手を目に押し当てて、たくさんの水滴をぽとぽと落とした。
「セフィ、お願い、目を覚まして。やっとわかった、あなたを心から愛しているの」
 もちろん、それを聞くクリンには愛なんてことばは理解できない。
 でも、その住人の様子を見ると、毎日のお決まりの掃除ではなく、特別の作業をしなければならないという警告システムが鳴り始めた。何をすべきかはプログラムされていなかったけれど。
 クリンに理解できたことは、たったひとつ。
 この古洞家には、ふたりの住人が必要なのだ。


 クリンは、ある日家に誰もいないとき、大変なことをしてしまった。定められた場所を掃除しているうちに、古洞家の玄関のドアをくぐりぬけて、外に出てしまったのだ。玄関のロックがかかっていなかったのは、うわの空だった住人の落ち度だろう。
 廊下を進み、たまたま歩いてきたビルの居住者のあとについて、エレベーターに乗る。その人間は、ひとりで歩いている家庭用クリーナーロボを見て、びっくりしたような顔をしていた。
 一階のロビーに出たクリンは、何かを捜し求めるようにうろうろした挙句、半透明のチューブ型の通路をとおって、近隣の商業スペースに向かった。
 何かの目的があるわけではなかった。仮に、ありえないことではあるが、いなくなった住人を捜したいという意志を持って、ここまで来たのだとしよう。だが悲しいことに、彼の小さな人工知能には、この次に何をするかを考えるだけの思考回路がなかったのだ。
 彼ができるのは、ただ掃除をすること。
 クリンは、小さい体をせいいっぱい動かしながら、広い屋内を力の限り、掃除した。ガラス用のクリーナー液はたちまち枯渇し、シャンデリアのぶら下がる高い天井にモップは全然届かなかったが、それでも彼は仕事をやめなかった。
「あれ、こいつ何だよ」
 ホテルの従業員の制服をきた二人組が通りかかり、クリンを見つけて目を丸くした。彼がいたのは、どうもホテルの中だったらしい。
「これって家庭用じゃない。どこから紛れ込んで来たのかしら」
「おおかた、近くの居住スペースから抜け出て、迷子になったんだろうな」
「困ったわね。どうしよう」
「ボディの側面に登録コードがある。クリックして携帯コンピュータで照会すれば、どこの家の所有物か、すぐにわかるさ」


 こうして、クリンは無事に古洞家に連れ戻された。住人の女性はそれを見て驚いたようだった。彼がいなくなったことにさえ気づいていなかったのだ。
 それからまた、たくさんの日が過ぎて、やっとふたりめの住人が戻ってきた。
「ただいま、クリン。帰ったよ」
 彼は真夜中にやって来て、収納庫にいたクリンの丸い頭をなでた。
「長いあいだ、留守にしてごめんね」
 そして、1時間もかけて、汚れていた彼のボディをクロスで丁寧に拭い、クリーナー液や床ワックス液のタンクをいっぱいに満たし、いろいろなパーツを調節してくれた。
 重ねて言うが、クリンには感情はない。
 それでも、そのとき彼の小さな人工知能に浮かんだのは、間違いなく「うれしい」という感情に似た何かだったのだ。
 コノ人ガ帰ッテキテ、ウレシイ。そのことを表わす表情もことばも、彼は持ち合わせてはいなかったが。


 決して戸外に出るように設定されていないクリンが、外に出てしまったこと。人はそれを偶然の産物と呼ぶかもしれない。ただの故障、と言う者もいるだろう。
 けれど、心のないはずの機械が長いあいだ大切に扱われるうちに、やがてそれ自身の感情や意志にしか見えないものが芽生えるという奇跡を、誰が否定することができるだろうか。


 ふたたび、古洞家にはふたりの住人と、その笑い声が戻ってきた。
 そして、そのそばで以前にも増して元気に、クリンは家中を掃除し続けるのである。
   






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とっとさんがクリンのCGを贈ってくださったのに触発されて書いた短編です。とっとさん、ありがとうございました。