ゲーム編



「胡桃」
 振り返る必要がなかった。その声の持ち主はよく知っている。
 ふわりと私をうしろから包む、長い腕。
「樹」
 それは私の夫、古洞樹だった。
「まだ泣いていたのか」
「いいえ」
 首を横に振って、小さな嘘をついた。
「祖国日本に戻って、私たち三人に看取られて、父は幸せだったと思う。それに一番愛していた母のところに行けたんだもの。あっちでも、ふたりでアツアツぶりを発揮すると思うわ」
「人が死ぬときいつも、信念に反して死後の生命を信じたくなる自分に気づくよ」
 樹は、私の肩を抱き寄せて歩き出す。
「なんだかんだ言って、死ぬのがイヤなんだな」
「死ぬのがイヤじゃない人はいないわ」
「本当なら第12ロット世代の俺は、もうとっくに生きることをあきらめているはずだった。……胡桃に会ったからだ。この世に未練をたっぷり残して、こうしてこの歳まであがいて生きてこれたのは」
「それに、たぶんセフィのおかげよ」
 私はにっこりと彼に微笑みかける。
「セフィがいなければ、私たちはこんなにも生きがいのある人生を送ってはこられなかった」
「ああ、……そうだな」
「お父さん、お母さん」
 葬儀場の庭の向こうから、茶色の髪のすらりとした青年が近づいて来た。
 ロボット工学博士である夫が作った、自律改革型ロボット・セフィロト。
 20年間大切に育ててきた、私たち夫婦の息子。
「だいじょうぶですか。お母さん」
 父を亡くしたばかりの私を気遣って、目をのぞきこむ。自分だってさんざん泣いていたくせに。
「ありがとう。だいじょうぶよ。さあ、手続きももう全部終わったわ。家に帰りましょう」
「じゃあ、帰りは僕が運転します。車を取ってくるから、その入り口で待っていて」
 駐車場のほうに走っていくセフィロトの後姿を見送りながら、樹がぽつりと言った。
「さっき魁人と話していたんだけどな。俺たちもいつか、セフィを置いて逝かなければならないときが来る」
「ええ、……確かにそうね」
 きゅんと胸が詰まるような思いがした。
 ロボットのセフィロトは永遠に生きるさだめ。いつかひとりぼっちになるときが来るのだ。
「だから、あいつのパートナーを作ってやろうと思う」
「えっ?」
「AR8型ロボットの第2号。もちろん女性タイプをね。科学省の予算を取るのはちょっと厳しいが、まあ俺たちの全財産をつぎこんでもいいと思ってる」
 樹は、ちらっと空を見上げながら微笑む。相変わらず不器用な笑顔。
「うれしい。夢みたい。セフィにお嫁さんが来るのね」
「とびきりの美人にするんだって、魁人のやつ、また今まで付き合った女の写真をかき集めてるぞ」
「50歳をとっくに過ぎてるのに相変わらずねえ、犬槙さんも」
 樹にぎゅっとしがみつくと、同じように空をながめた。
「ふたりがいつまでも愛し合う夫婦になるといいわね。私たちみたいに」

 いつか私たちの体が滅んで大気となっても、見つめていたい。
 この青い星の上で、私たちの息子と娘が遥かな未来まで幸せによりそって暮らしていくのを。
 亡くなった私の両親がきっと今、樹と私を見つめてくれているように。

 私はそんな美しい幻を見るために、夫の暖かい腕に体を預けて目を閉じた。



 No.1「樹エンディング」 ―― 初期化する?

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