伯爵家の秘密
ご主人の午後のお茶の時間は、雇い人たちにとって貴重なおしゃべりのチャンスだ。
「まったく若様には、呆れるわ」
長年仕えるメイドのひとりが息巻いて言った。「台所にずかずか入ってきて、毎日つまみ食いなさるんだもの」
「髪も梳かず、バルコニーでシャツ一枚の日向ぼっこ」
「ぶらぶら歩き回り、仕事中のメイドに、ちょっかいかけて」
「野蛮な物言い。下品な笑い方」
「あれでは娼館育ちだということが、すぐにバレてしまうわ」
他のメイドたちが、一斉に「しっ」と指を口に当てた。「それは決して他言してはならぬ秘密よ」
「だいたい、納得いかないの。旦那さまは、なぜ町の女などと懇ろになられたのかしら」
彼女らは思い思いに頬杖をつき、吐息を漏らした。
「若様のお生まれになった十七年前と言えば、亡くなった奥さまが死産あそばされた頃。そんな不幸と時同じくして、外にお子を作っておられたなど信じられますか」
「王家の血を引き、気高く、女神のようにお美しかった奥方さま!」
「それなのに、今は娼婦の血を引くお方が、跡継ぎよ」
「ミルドレッドさまもお可哀そう。社交界の花と呼ばれるお方が、学のない下町育ちの若様の許嫁に決まるだなんて」
「ああ、見ていられない。いっそのこと、お暇をいただこうかしら」
「でも」
ほとんど話に加わったことがない、最年少のメイドがおずおずと言った。
「私は、あの……若様はお優しい方だと思うわ」
女たちは、驚いて振り向いた。
「だって、仕事は辛くないかといつも気づかってくださるし」
「下賎の者とは話しやすいからでしょ」
「モップとバケツを抱えていた私のために、ドアを押さえていてくださったの」
「貴族のすることではないわ」
「そう言えば」
ひとりが考え込むように言った。
「若様がお屋敷にいらしてから、仕事がとても楽になったと思わない? 長年壊れていた洗濯場のポンプも修繕されていたし、穴の開いたタライも新調されたわ」
「確かに……屋敷の中をぶらぶらしながら、隅々までご覧になってる」
「バルコニーにおいでのときも」
もうひとりが勢い込んで、言った。「いつも時間をかけて丹念に新聞を読んでいらっしゃるわ。御者がこぼしてるもの、新聞や本をよく買いに行かされるって。それも外国語の本まで!」
「あら、誰かさんは御者と、陰でよろしくやってるみたいね」
「な、なによ、若様のことを学がないと言ったのは誰だったかしら」
険悪な雰囲気になりかけたふたりを、古参のメイドが片手で制した。
「先週、スープを味見されたのよ。あとでコックがあわてて調味料を加えていたわ。あとで私も舐めてみたけど、みごとに美味しくなっていたのよ」
「舌は肥えておられる。学もおありになる。おまけに乗馬の腕も確か」
「それでは、娼館育ちというのは……」
彼らは顔を見合わせて、黙りこんだ。
「ひとつだけ、わかることがあるの」
最初の年若いメイドが、頬を染めてつぶやいた。「若様がいらしてから、わたし毎日がとても楽しいわ」
その純粋なことばは、他のメイドたちに静かな感化をもたらした。
「そうよね。私もそう思ってたわ」
「なに言ってるの。さっきまで若様の悪口言ってたくせに」
そこへ、銀のティーセットをささげ持ったメイド長が入ってきた。
「さあさ、何をしているの。夕方の準備にとりかかるわよ。晩餐に子爵さまご一家がお越しなのを忘れたの」
「まあ、大変。ミルドレッドさまがおいでになるわ」
メイドたちはあわてて立ち上がると、食卓を整えるため、リネン室で洗濯物を畳むため、暖炉や玄関の灯に火を入れるために、それぞれの仕事場に散っていった。
「まったく、おしゃべりな小娘たちと来たら」
嘆息するメイド長の後ろに、白髪の執事が立った。
「また、エドゥアールさまのお噂ですか」
「ええ。いっそ本当のことを教えれば、おとなしくなるのでしょうけど」
「いけませんよ。国のお世継ぎ問題は完全に解決したわけではありません。ことあらば、王家の血筋を狙う輩が現われる。お命をお守りするためにも、真実は絶対に秘密です」
「心得ています」
「若様も今の役柄を気に入っておいでのようですよ。気楽で、自分らしくていいと」
「でも、ちょっと演技過剰ではありませんこと? ミルドレッドさまに嫌われても存じませんよ」
そこへ、ばたんと扉を開けて、ひとりの粗野な若者が入ってきた。
櫛目を入れぬ豊かな黒髪。青空のような水色の瞳がいたずらっぽく輝く。
(小娘たちは、どうして気がつかないのだろう。奥方さまに瓜二つなのに)
執事とメイド長は胸中で苦笑しながら、うやうやしく腰を折った。
若き伯爵は、堂々と配膳室を通り抜け、台所に入った。
そして、コックの目の前でソース鍋の蓋を開け、人差し指を突っ込んだ。
「アニスのリキュールを入れてるな。いけるぜ」
「恐れ入ります」
コックは一礼して、満足げに胸を張った。
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