Ignition イグニッション



03(終)



 朝からポン、ポンと花火の音が聞こえて、うるさいったらありゃしない。
 僕は、窓から外を覗いた。
 ゆうべ雨乞いの踊りを踊ったにもかかわらず、快晴。
 今日は、エーテン・セヴンス社の開発した自動車の試乗発表会だ。昨日は美女軍団が目抜き通りを練り歩き、賑々しい宣伝を繰り広げたおかげで、入場券が完売の盛況ぶりらしい。
 シグルト社長から渡された封筒には、工房全員の分だけ招待券が入っていた。
「あのモヤシ眼鏡野郎のドヤ顔を見るくらいなら、便所掃除でもしてたほうがマシだ。絶対に行かないよ、私は!」
 シア社長は、すんでのところで封筒ごと拳で粉砕しそうになったので、あわてて四人がかりで止めた。
「じゃあ、僕とミルッヒだけで見に行っていいですか」
「勝手におし!」
 商会の扉を出てすぐ、窓に張りついて中の様子をうかがうと、シア社長がボソボソとつぶやいている。「……とは言え、敵情偵察も大切だからな」
 なんだかんだ言って、やっぱり見に来るつもりだな、社長も。
 王宮広場の外でミルッヒと待ち合わせてから、会場に入った。屋根付きの桟敷席には、王族や貴族などの貴賓たちがずらりと威儀を正し、一般庶民たちも、広場に思い思いに敷布を広げている。
「あ」
 会場を見渡していたミルッヒは、息をのんだ。
「どうした」
「いえ、ドゥマさまの姿がちらっと見えたような気がして。でも、まさかね」
 僕たちは、顔を見合わせた。
 魔法使いたちに風車村から出ることさえ禁じていた長老が、わざわざ自分から、こんな会場に出向くだろうか。それに彼は、機械や技師を目の敵にしていたはずだ。
 なんとなく嫌な予感がする。
 落ち着かない気持ちで、僕たちは席についた。
 華々しいファンファーレが鳴り響き、シグルト社長が美女軍団を従えて壇上に登り、手を振る。
「お集まりの紳士淑女のみなさま。あちらを、ごらんください。エーテン・セヴンス社が自信を持ってお送りする新型自動車、『エターニア』号です!」
 高らかなクラクションの音とともに、黒塗りのオープンカーが姿を現した。
 会場は、おおっという歓声と拍手で埋め尽くされた。『エターニア』号はゆっくりと演壇のまわりを一周する。
 美女の一人が後部座席に乗り込み、背もたれの上に腰かけた。片手でささげ持ったお盆に、なみなみとシャンパンを注いだグラスを乗せる。
 車は静かに走り出し、右、左とうねうね蛇行する。しかし、シャンペンの表面はほとんど波立たない。
 正直言って、エンジンもステアリングも、これほどの性能だとは思わなかった。完璧だ。悔しくて、ねたましくて、目の前が赤くなるような心地だ。
「ベル」
 心配そうなミルッヒの声に、僕はようやく気を取り直し、うなずいてみせた。
「すばらしい自動車だよ。エーテン社の技師はきっと、いくつものアイディアを出し、試作品を作り、何度もテストを繰り返しては、一からやり直してきたんだと思う。僕たちも懸命にがんばってきたつもりだったけど、きっと何かが足りなかった」
「その通りだ、ベル」
 いつのまにか、僕たちの後ろに、ずらりとグレニッツ商会の技師たちが並んでいた。シア社長は太陽のように大らかな、さばさばした笑みを浮かべていた。
「みんな、素直に負けを認めよう。そして明日から新しい気持ちで、飛行機の完成を目指して全力を尽くすんだ」
「はいっ!」
 自動車の成功を祝う万雷の拍手に、僕たちも加わった。
 しかし、そのとき。
 ばりばりという恐ろしい破裂音と、どーんという地響きが会場を襲った。
 会場の隅に設置されていた整備用のテントが火柱を上げて燃えていた。
 まさか、ガソリンの樽に引火したのか。
 シグルト社長は、一瞬ぼう然としていたが、すぐに我に返り、壇上から叫んだ。
「みなさん、すみやかな退避を!」
 たちまち、人々のあいだから、耳をつんざく悲鳴と怒号が沸き起こる。
「みんな、落ち着け!」
 シア社長は、作業服さえ破るというたくましい胸筋を震わせて、雷鳴のような声で怒鳴った。
「クルト、おまえの班は会場を囲む板塀を壊して、出口を広げろ。ゲオ、足の速いやつらを連れて、うちの倉庫から防火布をありったけ持ってきな。残りの連中はわたしといっしょに、女子どもを助けて避難を誘導」
「はい!」
 シグルト社長のほうも、自分の部下たちに矢継ぎ早に指図を送りながら、シア社長に感謝のウィンクを送る。こんなときにもウィンクを忘れないというのが腹立つけど、昔からふたりは互いを好敵手と認め合っているのだ。
「ミルッヒ、僕たちも――」
 と隣を見ると、さっきまでそばにいたはずのミルッヒがいない。
 出口へと殺到する群衆に逆らうように、テントへと走り出す彼女の背中が見える。
「ミルッヒ!」
 僕も、人の波をかきわけながら、彼女を追った。熱風が吹きつけ、黒煙がもうもうとあたりに立ちこめて視界を奪う。鼻の奥がつんとし、たちまち涙と汗でぐしょぐしょになる。
 燃えさかるテントの前に、あの風車村で会った白髪の男が立っていた。
「長老さま」
 ミルッヒが喉をつまらせながら、叫ぶ。「あなたなのですか」
 ドゥマは煤だらけの顔に、目だけをぎらぎら輝かせながら、僕たちを見た。
「機械など、この国には必要ない」
「だからと言って、こんなことは赦されません」
「赦されん? この国は、われわれ魔法使いが何百年も命を賭して守ってきたのだ。それなのに、たった一度の事故を起こしたからと言って、まるでモノのように切り捨てるなど、あっていいことなのか。人をないがしろにし、機械をあがめる王国など、滅びてしまえばよいのだ!」
「まさか、あんたは……」
 僕が言い終わる前に、二回目の爆発が起きた。
 火柱は、まるで生き物のように水なし堀の乾いた枯れ草に次々と燃え移り、周辺の家屋をまきこみ、王宮を囲む城壁に近づいていく。
 まさか、ドゥマは王宮を狙っているのか?
 そのとき、シグルト社長が駆け寄ってきた。
「やはり、そうでしたか」
 社長の顔に浮かんでいる表情は、押し殺した怒りにも、静かなあきらめにも見えた。
「わが社が、魔法使いを殺しているという噂がたったとき、あなたじゃないかと思っていましたよ――兄さん」
「兄さん?」
 僕とミルッヒは、異口同音に叫んだ。
「それほどまでに、僕たちが憎かったのですか。母は生きているとき、あなたのために祈ることを忘れた日は、一日とてなかったのに」
 何度も交互に、ふたりの顔を比べる。歳は倍ほども違うように見えるのに、アイスブルーの目は、同じ色だ。
 見れば見るほど、ふたりは瓜二つだった。
「うるさい! おまえなどにわからぬ。両親の愛情を一身に受けたおまえなどに、ひとり引き離されて、眠れぬ夜に孤独をなめるしかなかったわたしの気持ちが」
「ほんとうに、自分は愛されていなかったとお思いか! むしろ愛されていなかったのは――」
 血を吐くような叫びとともに、シグルト社長は地面に何かを放り投げ、くるりと踵を返して城壁のほうに駆けだした。
 王立消防隊がようやく到着し、放水を始めたのだ。だが、水なし堀や城壁にまかれているのがガソリンだとすれば、なまじっかの放水は、ますます火災を押し広げてしまう。
 そのあいだに、火は反対方向へも広がり、次々と家屋に燃え移っていく。
「これは……」
 ドゥマ長老はシグルトが放り投げた物を拾い上げ、がっくりと地面に膝をついた。
 それは、シグルト社長がいつもポケットから覗かせていた、銀の鎖だった。その先には写真入れがついている。
 長老は、震える手でその写真入れを開き、「ああ」と悔恨のうめきを上げた。
「ミルッヒ、危ない!」
 僕は、長老に駆け寄ろうとする彼女をぐいと引き戻した。無理やりに、彼女の手を引っ張って、走り出す。
「工房へ行って、防火布を運ぶのを手伝おう」
 王宮広場から工房への道は、逃げ出そうとする住民で、思うように走ることすらできなかった。強風にあおられた火はすでに、広場周辺の市街地を掌中におさめようとしている。火の粉は容赦なく、僕たちの上にも降り注いだ。
 工房の倉庫につくと、技師仲間たちが次々とロール状に巻かれたままの防火布を担ぎ出していた。
「とても、無理だ。手が足りねえ!」
 ひとりが絶望して、へたりこんでいる。
「この布で、類焼しそうな家を覆うだけでいい。あきらめるな」
「これだけ燃え広がっちゃ、打つ手がない」
 王都消防隊は、王宮の方向に火が近づくのを防ぐだけで手いっぱいだ。このままでは、王都全体が火に包まれてしまう。
「ミルッヒ。こっちだ」
 僕たちは、作業場の裏に回った。原っぱに面した大扉をがらがらと開ける。
 扉の中には、試作中の飛行機が格納されていた。塗装もしていないむき出しの武骨な機体は、陽光を反射して鈍い銀色にきらめいた。
「これには、まだエンジンがついていない。きみの移動の魔法でこれを空に飛ばしてくれないか――空飛ぶ馬車のように」
「ええっ」
 ミルッヒは一歩後ずさり、首を振った。
「無理……私、もう何年も移動の魔法を使っていない。それに、こんな大きくて重い物」
「無理じゃない、きっとできる。飛行機は馬車よりずっと軽いし、翼に風を受けて揚力で飛ぶこともできるんだ。いったん空中に浮かんだら、あとは僕が操縦する。防火布を空からまいて、少しでも火の勢いを弱めれば、それだけ消火活動もしやすくなる」
「だめ、もし途中で落ちたらどうするの。死んじゃうんだよ」
「そんなことにはならないよ」
 震えているミルッヒの両手をぎゅっと握った。思いが伝わるように。
「僕は、みんなで作ったこの飛行機を信じている。父さんの発明した防火布の力も信じている。魔法使いが魔法の力を信じられないで、どうするんだ」
「ベル……」
「僕がついている。きっとだいじょうぶ」
 ミルッヒは、深くうなずいた。
 僕たちは機体底部のハッチから防火布を積み込んだ。ゴーグルつきの航空帽をかぶり、万が一のためにパラシュートも背負った。梯子を伝って僕が操縦席に、ミルッヒが後部座席に乗り込む。
 イグニッションキーを回し、操縦桿をニュートラルに入れる。
「用意できた。ミルッヒ」
 呼吸を整えていたミルッヒは、両手を上に掲げ、軽やかな声で呪文を紡ぎだした。

『山の頂よ、海に入れ。地の深きところよ、星々の軍勢とともに駆け登れ。水のしずくよ、汝の同胞を引き連れて、舞い踊れ』

 エンジンもなにも積んでいない機体が小刻みに振動を始める。地面の土が、風が、木々や草花が、僕たちを取り巻く自然が、力を貸してくれているようだ。
 すごい。これが魔法の力なのか。
 だが、やがて、すーっと潮が引くように、あたりは静かになった。
「ごめん、ベル」
 ミルッヒは、肩で息をしながら、操縦席の背もたれに額を押しつけた。「やっぱりできない」
「もう一度やってごらんよ。ミルッヒ。途中まで、ちゃんとできていたじゃないか」
「こわいよ。墜落して、ベルを殺してしまうかもしれない。失敗するのがこわいの」
「でも、火事を消さなきゃ、もっとたくさんの人が死ぬ」
「私にとっては、目の前のベルの命のほうが大事なの!」
 ああ、そうか。
 そうだよね。
 僕はベルトをはずし、操縦席から立ち上がって、震えているミルッヒの髪を撫でた。
「僕も同じだったよ。たくさんの人の命を救ったって何度聞かされても、父さんひとりに生きていてほしかった。英雄になんかならなくていい、世界じゅうの人を見殺しにしてもいいから、僕のところに帰ってきてほしかった」
「……ベル」
「でも、やっぱり、父さんのしたことは正しかったと思う。僕は父さんの息子でよかった。今、同じ選択肢が差し出されたら、僕も、父さんと同じことをしたい」
 ミルッヒの見開かれた紅い瞳から、きらきらと宝石がこぼれおちる。彼女は黙ってうなずいた。
「もう一度、やってみる」
「頼む」
 僕が席に戻り、彼女がふたたび魔法を唱えるために手を差し伸べようとしたとき、がしっと、誰かがその腕をつかんだ。
「長老さま!」
 梯子を昇ってぬっと現れた顔。白い髪は焼け焦げ、皮膚は火傷にただれ、どこもかしこも煤で真っ黒に汚れて、壮絶ですらある。
「私も、乗せてほしい」
「なんだって」
「手伝いたい。私の魔法の力を合わせれば、こんな機体、たちどころに空に飛ばせる」
「ほんとうに……?」
「信用できないなら、いつでも突き落とせばいい」
 ドゥマ長老は、有無を言わせずミルッヒの隣に乗り込んだ。
「ミルッヒ、同期しなさい」
「はいっ」
 ふたりの魔法使いは、目を閉じ、声を合わせて呪文を唱え始めた。
 意志を持った風が四方から吹きつけ、飛行機を格納庫から押し出し、ふわりと着陸タイヤが地面から離れた。
 さすがに長老。桁違いの魔力だ。
「……飛ぶ!」
 飛行機は一気に、上昇する風に乗った。
 ぐいっと操縦桿を持って行かれそうになり、僕は全身の力を使って機体を水平に立て直した。
 プロペラが風を受けて回り始める。よし、翼がうまく風をとらえた。
「OK、あとはまかせて!」
 十分に上昇したのを見計らい、操縦桿を右に倒した。シュミレーションどおりに、翼は風を的確に捉えて推力にしている。
 火の燃えさかる、街の中心部へと向かう。
 慎重に旋回しながら、徐々に炎の最前線へと近づく。
「防火布を投下する。ミルッヒ、右側の赤いレバーを手前に引いて」
「わかった。こう?」
 がたんという衝撃音とともに、底部ハッチが開き、積んでいた防火布が下に落ちた。幾十もの防火布のロールは、ひらひらとリボンのように長く伸び、炎に包まれようとしている家屋の屋根や敷地に落ちていった。
「やった!」
 と喜ぶ間もなく、がくんと機首が持ち上がり、バランスを崩した機体は、一転して急降下を始めた。しまった、近づきすぎて、炎の作りだす上昇気流に呑まれてしまった。
 必死で操縦桿を手前に引き戻そうとするが、びくともしない。

『風の精霊よ、我が盟約に従え!』

 長老の叫びとともに、機体はぎしぎしと悲鳴をあげながら、かろうじて機首を持ち上げた。
 僕たちの乗せた飛行機は、安定した風をとらえて、ふたたびトンビのようにくるくると旋回した。
「助かりました」
 僕は礼を言いながら、操縦席から後ろを振り返ろうとした。
「長老さま!」
 ミルッヒが悲鳴を上げて、彼を抱きかかえていた。
「ベル、早く地上に降りて。さっきのは、最大級の呪文なの。自分の寿命を引き換えにしてしまう――」
「なんだって!」
「ベル……と言ったか」
 ドゥマ長老は、わななく唇から弱々しい声を出した。「おまえの父……防火布を発明した……というのは本当か」
「僕の父は……防火布の発明者アントン・フリーゲルです」
「八年前……森で出会ったのだ。彼は……火にまかれて死にそうになっていたわたしに……自分の着ていたマントを脱いで……着せてくれた」
「……」
「皮肉だな。まさか……やつの犠牲で長らえたあげく、復讐のために王都を焼きつくそうとしたわたしが……最後の最後に、やつの息子に出会うことになろうとは」
 僕は、ぎゅっと拳を固めた。行き場のない怒りが、僕の心を満たした。お父さんは八年前、こいつを救うために焼け死んでしまったのか。
 眼下に、火勢が少しずつ衰えていく様子が、はっきりと見えた。何人かの街の人が、飛行機に向かって大きく手を振っている。
 僕は顎を上げ、まっすぐにフロントガラスの向こうを見つめた。肩の力をゆるめて、操縦桿をやわらかく握りなおした。
「父がもし、ここにいたら――あなたを救ったことを、決して後悔はしないと思います」
 後ろの席から、深く長いため息の音が、僕の耳に届いた。
 飛行機が地上に無事着陸したとき、ミルッヒの腕の中の長老は、穏やかにほほえんでいるようだった。手には銀の鎖のついた写真入れをしっかり握り、その目はもう二度と開くことはなかった。

 大火災から数週間経った。
 王宮の発表では、防火布の効果や消防隊の活躍のおかげで、失われた人命もなく、家屋の損失も最小限にとどめられたという。再建の槌音があちこちに響き始めた。まもなく街は、もとの活気ある姿に戻るだろう。
 ドゥマ長老が放火の犯人だと噂されたため、一部には、仕返しに風車村を襲撃しようという声もあがったらしい。
 ところが、エーテン・セヴンス社はいち早く、発火は当社の過失であると認め、焼け出された人に見舞い金を送ることを発表したため、暴動は未然に防がれた。
 グレニッツ商会を訪れたシグルト社長は、相変わらず気障なスーツを一分の隙もなく着こなしていたが、さすがに疲れの色は隠せない。
「ドゥマは、僕の実の兄なんだよ」
 と、ポケットから例の写真入れを出して見せてくれた。
 そこには、幼いドゥマとシグルト兄弟、そしてエーテン社の先代社長と亡くなられた奥さまが四人で写っていた。
「母は、魔法使いの長老の娘だったが、まったく魔法が使えず、馬具屋だった父と結婚した。ところが生まれた兄には天与の魔法の才があってね。かたや、僕にはまったくなかった。長老だった祖父は兄を後継ぎとして迎え入れ、僕だけが両親のもとに残ったんだよ。母は、死ぬ間際まで兄の名を呼んでいた――僕ではなく、ね」
 中庭で、僕とミルッヒに問わず語りに話しながら、社長はさびしそうに笑った。
「一方、兄のほうは魔法使いの運命を双肩に担い、押しつぶされそうになっていた。父は事業を発展させ、陰ながら、一部の魔法使いを経済的に支援していたのだが、兄はそのことにも、ひどく誇りを傷つけられていたらしい」
 発展の一途をたどる機械産業の収入で、滅びゆく魔法使いたちが養われる。長老にとっては、耐えられない屈辱だったに違いない。
 おそらく、援助を受けた魔法使いが事故に会うように仕向けて、エーテン社の悪い噂を立て、支援をやめさせようとしたのだ。
「そしてとうとう、試乗会をめちゃめちゃにすることを思いついたわけだ。エーテン社と機械を優遇する文明そのものに復讐したかったんだろうな」
「でも、最後にドゥマさまは、あなたたち家族の深い愛情に気づかれたのだと思います」
 ミルッヒは涙を浮かべ、心をこめて言った。「お願い、ドゥマさまを赦してあげてください」
「もちろん、赦しているよ。人を憎むことは、ひどく苦しいことだからね」
 彼は目じりを下げて、いとおしそうにミルッヒを見た。
「きみは、やさしい子だね。どうだい。グレニッツ商会なんかに出入りするのはやめて、僕の寝室を花で飾ってくれないかい」
「はいはい。お断りします」
「なんで、きみがしゃしゃり出てくるんだ、ベル。僕はミルッヒの返事を聞いているんだよ」
「狐の穴におびきよせられる哀れな子ウサギを救うのは、人として当然のことです」
 シグルト社長は、自分には魔法の才はないと言ったけれど、本当なのかな。よく考えたら、いつも僕の心の声を読んでいたじゃないか。
 今だって僕のミルッヒに対する気持ちを知ってて、わざと嫉妬をかきたてようとしている。おまけに、向こうで知らん顔しているシア社長がチラチラ寄こす視線まで、ちゃんと計算に入れているんだ。
 この男だけは、絶対にあなどれない。
「こんなところでヒマな社長の相手はしてられません。飛行機の実用化の目途が立ち、忙しいんです」
「ほう、エンジンのない飛行機をちょっと魔法で飛ばしたくらいで、いい気になってはいけないね。火災事故のせいでわが社の計画は数歩後退してしまったが、その気になれば、自動車の量産はすぐ手が届くところにあるんだよ」
「勝負は、最後までわかりませんから!」
 僕は格納庫目指して、走り出す。ミルッヒも後を追いかけてくる。
 負けるものか。グレニッツ商会の技師たちの力を合わせ、今度はちゃんとエンジンを積んだ飛行機を飛ばしてみせる。
 そしてミルッヒは、移動の魔法を猛特訓する決意をした。いつか、空飛ぶ馬車をもう一度大空に飛ばすために。
 魔法を過去の遺物なんかにはしない、昔のように、人々の暮らしを支えたい、と。
 長老がいなくなった今、魔法使いは一致団結して、全員で奮起するんだと話してくれた。

 人間は誰しも、どこまでもどこまでも地平の果てへ飛んで行きたいという願いを持っている。
 魔法でも、機械でもいい。大空をもう一度人間の手に取り戻す日が、きっと来る。
 僕らはともに、燃えるようなあこがれを抱きながら――そう信じている。

(了)

  恵陽さま主催企画「Other's plot plan」にて、
「パノラマ二進法」の中井かづき様からいただいたプロットで書かせていただいた作品です。