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【お断り】
この短編は、BL(ボーイズラブ)=「男性の同性愛」的な題材をあつかっています。
もし万が一BLに嫌悪感を感じる方がいらしたら、お読みにならないでください。
若干の性的描写がありますが、18禁ではありません。



Platonic Rendez-vous(プラトニックランデブー)


「古来、人間には手が4本、足が4本あった」
「ほへ?」
「プラトンの「饗宴」に出てくる話さ」
 いきなり何を言い出すんだと思うだろうが、こいつはそんなヤツなのだ。ハンバーガーショップで男と向かい合って、古代ギリシア哲学を熱っぽく語るような。
「ところが、ある日神々の不興を買って、まっぷたつにされてしまうんだ、こんなふうにね」
 と持っていたハンバーガーをふたつに割る。ピクルスが断面から飛び出ているのが、なんともグロテスク。
「ほう」
「そのため人間は、かつて自分がつながっていた片割れを捜し求めてさまようわけなんだ。それがベターハーフの語源」
 ぱくりとその半分を口の中に放り込む。
「ふむふむ」
 負けずに俺も、フライドポテトをざくざくかじる。
「大部分はその片割れは異性なんだが、たまに男性同士、女性同士というのもいた。それは、割れる前のもともとの姿がそうだったからなんだ」
「なるほど」
「で、僕も自分の片割れをずっと捜してて、やっと見つけたんだ。誰だと思う」
「知らね」
 ヤツは、シェイクをずずっとストローですする。
「おまえだよ」
「ほほお」
 俺もコーラの蓋を取ると、中の氷ごとじゃりじゃりと飲み下す。

 街路樹の銀杏の緑の葉の下を、並んで歩いた。
 俺たちの高校の制服は、いまだに時代遅れの詰襟。
 それを着ているふたりは、誰がどう見ても男同士だ。
「なんか、しゃべれよ」
「しゃべれるか。人の決死の愛の告白を「ほほお」なんて言葉でうっちゃりやがって」
「やっぱり、あれは愛の告白ってやつか」
「ピンと来ないなら、もう一度言ってやる」
 ヤツは、いきなり俺の行く手に立ちふさがって、睨みつけた。
「シン。おまえのことが、好きだ」
 直球で勝負してきた。かわせない。
「おまえは、どうなんだ?」
「どうって……」
 この言葉も。まっすぐな視線も。
 全身で受け止めて、投げ返さなければならないのだろう。
「トシのことは好きだよ。だけど」
 そういう意味じゃない気がする。
 4月の初めに、同じクラスになって。
 委員決めのことで大いにモメていたロングホームルームで、すっくと立ってイニシアチブを取った学年一の秀才。
 すげえと思った。
 俺は適当に回りに調子を合わす人間だから。自分のまわりだけ平和なら、あとはどうでもいいという主義だったから。
 間違いは間違いと断じ、大局に立ってものごとを考えられるヤツの潔さがうらやましかった。
 あこがれた。
 部活が全然ちがうのに、こうして待ち合わせていっしょに帰るようになったのも、ヤツといる時間が俺には何よりも楽しかったからだ。
「いつから、俺のことをそんなふうに?」
「2ヶ月くらい前かな。おまえの夢を見た。それで目が覚めたときはっきりわかったよ。僕はおまえが好きなんだって」
「俺のどこが?」
「顔」
「おい」
「冗談だよ。おまえの人間としての包容力。男でも女でも教師でも自分の回りにいる人間と打ち解け合える。どんなに考えの違う相手でも、いつのまにか味方にできる力に惚れた。僕には絶対にそういうことはできないから」
 自分で一番キライな部分を好きだと言ってくれる。買いかぶりすぎだけど、悪い気はしない。
 ヤツも俺と同様、自分にないものを求めていたということだろう。
 でもそれは、男が男の意気に感ずるというやつではないのか。
 「三国志」でも、日本の戦国時代の武将たちでも、互いに魅かれあう男たちはいた。でもそれは恋愛感情だったのだろうか。
「俺には正直、……よくわからん」
「そうだろうな」
「友情と恋愛の違いっていうのが、よくわからん。要は身体が結びついているかどうかだけだろう? 男同士ならどうせ結びつくはずはないんだし。それなら、今までの友だちづきあいと何が違うんだ」
 ヤツはしばらく、舗道の連続模様を踏みながら押し黙って歩いた。
「……試してみるか」
「え?」
「身体の結びつきってやつを」

 ヤツの部屋は、一軒家の二階の一番奥にある。
「おふくろはスーパーのレジのパートで、7時まで帰ってこない」
 そう言ってドアの鍵をかけるヤツの声が、少し緊張しているのがわかる。
 窓から覗く梅雨晴れの空はまだ昼間の青を残しているのに、俺たちのまわりの空気に何か隠微な後ろめたさが漂い始めた。
「お、おい、ちょっと待て」
 近づこうとするヤツを制止する。
「結びつくって、つまりお互いのモノを慰めあうんだろう」
「違う。知らないのか」
 ヤツは、ちょっと唇をゆがめるように笑いながら、男同士の方法を解説する。プラトンのイデアを論じたその同じ唇で。
 それを聞いて、驚愕した。
「い、いくらなんでも無理だろ。それは」
「そのための道具とかもあるみたいだけど、要するに「慣れ」だそうだ」
 俺は頭をかかえてうずくまった。でも、ここまで来て臆病風に吹かれるのもシャクだ。
 認めたくはないが、興味がないわけではない。
「服は脱ぐのか」
「一応、上だけ脱ごう」
 ヤツも、心配なのだ。いつでも後戻りができる道は、確保したいらしい。
 俺たちはベッドに並んで座って、シャツを脱いだ。まるで学校の健康診断。
「どこでそんな知識を仕入れたんだ」
 沈黙が痛くて、そんなどうでもいいことをしゃべった。
「インターネット。男同士に関するサイトがごまんとある」
「ほお、秀才。勉強する合間にそんなもの見てるんだ」
 ヤツは少しムッとしたように自分の眼鏡をむしりとると、俺におおいかぶさってきた。
 他人の目をそんなに間近で見たのは、初めてだった。意外と男のくせに睫毛が密集している。
 日本人は黒目と言われるけど、本当は虹彩って茶色なんだな。
 そんなものに目を奪われているうちに、ヤツの唇が俺の唇に重なるのを感じた。

 キスのあいだ、ずっと何を考えていただろう。
 さっき食べたばかりの、ハンバーガーのソースの味とか。
 ぴちゃぴちゃという、お互いの舌のからむ音。
 そして、海の底をふたりで漂っているような浮遊感。
 そのままずっと、どこまでも溶け合っていける。
 まるで片割れを見つけた人間が元の形に戻ろうとしているみたいに、手足をからませて。
 突然、相手の痩せた背中に必死でしがみついている自分に気がついた。
 何をやってるんだ、俺たちは。
「す、ストップ」
 俺は叫んだ。
 上半身を起こし、大きく息をついた。
「ごめん。俺、やっぱり何にも感じねえわ」
 口走りながら、激しい罪悪感にさいなまれた。
 ヤツの耳たぶは真っ赤で、うるんだ目が俺を見つめ返していたから。
 そして、ヤツのズボンの中はしっかり反応しているのがわかったから。

「いやだったか」
 俺たちは、窓の下の壁に隣り合ってもたれた。頭上では、レースのカーテンがさわさわと揺れ動いている。
「ううん」
 俺は首を横に振った。
「いやじゃなかった。気持ち悪いとか、そういうんじゃなかった。むしろ……」
 あれほど時を忘れた経験は初めてだった。自分が形をなくしてしまいそうな感覚。信じられないほどのなまぬるい居心地よさ。
「でも、やっぱり女が相手のときとは違った」
 内から突き上げる熱い衝動や、身体が痺れるような高揚感や征服感がない。
 何かが足りないのだ、たぶん。
「シン、おまえ、女と寝たことあるのか」
「一回だけ」
「誰と」
「一組の……、どうでもいいだろ、そんなこと!」
 怒鳴りながら、心の奥に冷えた塊を感じた。
 自分に対する、どうしようもない苛立ち。
 俺は臆病者だ。ちっぽけな人間だ。これ以上、先に進むのが怖いのだ。
 世間体や建前や常識などと呼ばれる、この社会の中央ラインからはずれて、異端のレッテルを貼られることの恐怖。
 ヤツだって俺と同じ高校生にすぎない。むしろ優等生だけに、そういうものを誰よりも敏感に感じているはずなのに。
 そんなハードルを、ヤツはしなやかに跳び越えてしまった。
 まっすぐ俺だけを見つめながら。
 その瞳を見るのが苦しい。
 俺は傷つけた。俺のことをたったひとりの片割れと信じてくれていたヤツを、そうじゃないとはねつけた。
 身体の結びつきがなかったら、もうこいつとは友だちではいられないのか。
 俺たちは大切な何かを失ってしまったのか。

「なあ、トシ。聞いていいか」
 俺は半泣きになりそうなのを抑えて、問いかけた。
「うん?」
「俺の夢を見たって言ってたろ。それってどんな夢だったんだ」
「ああ」
 ヤツは、おかしそうにクスクス笑った。
「ロケットに乗ってさ」
「は?」
「宇宙飛行士なんだ、夢の中での僕は。
どこかの星。たぶん月だと思う。たった一人でそこに不時着して、ロケットが大破して、もう地球に帰れないっていう場面だった。
頭の上に大きな地球が見えて、僕はそれをうずくまってながめながら、ずっとおまえのことを考えてる」
 古代ギリシア神殿の円柱のあいだを渡ってくるような、落ち着いた静かな声。
「酸素がなくなったり、食べるものがなくなったりする心配も、夢の中だからしなかった。
十年、二十年と僕はずっと地球を仰ぎながら、おまえのことばかり考えてた。一緒に学校から帰ったことや、好きな音楽について話したことや映画に行ったこと。ふたりで交わした会話をひとつひとつ思い出しながら、たぶん死ぬまでずっとおまえのことを想い続ける。そういう夢だったんだ」
 俺は彼の声を聞いて、ぼろぼろと泣いた。ただ訳もなく涙を流した。

 俺はやっぱりこいつが好きだ。
 常識がどうとか。身体が感じないからどうとか。そんなことどうでもいい。
 たったひとりの片割れ? プラトンの哲学なんかくそくらえ。
 そんな絆に頼らなくても、俺はこいつが好きなんだ。

「シン?」
 冷えた塊が、熱い煮えたぎるような涙で溶かされていく。俺は嗚咽にしゃくりあげながら、言った。
「俺もそのときは地球で、きっとおまえのことを思い出すから。死ぬまでおまえのことばかり考えるから」
 ヤツは、俺の肩に腕をまわした。
「ありがとう」
                      

  

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十六夜月世さんのサイト「欠陥おあしす」(現在は別サイト名に変更)の開設2周年を記念してささげた短編です。月世さんからのリクエストは「高校生のBL小説」。
BL愛読者にとっては、まるでBLを否定しているように感じられるかもしれませんが、そういう意図は全くありません。



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