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寒がりのタマゴ


 彼はまるで冬の大王のように、冷気のマントをまとい、ベッドに飛び込んできた。
「きゃああぁっ」
「ちべてえ。あっためてくれろぉ」
 彼は長い腕で背中から私をすっぽり包み込み、せっかく時間をかけて繁殖させたヌクヌクを奪い去っていく。
「そんなに寒いなら、エアコンつけりゃよかったじゃん」
「オレひとりだけで暖房使うなんて、もったいないことできないよ」
「風邪ひいたほうが、もっとお金かかるよ」
「金じゃなくて、エネルギーの節約。地球温暖化の防止」
 と口では高尚なことを言いながら、彼の両手はさらに暖かい場所を求めて、不埒な登山を始めた。
「やんっ」
 心臓がマヒしそうな冷たさに、身をよじる。さっきまでの心地よい眠りがすっかりふっとんでしまい、私は真っ暗な部屋で目を開けた。
「もう、2時じゃん。こんな時間まで仕事してたの?」
「まあね。明日の会議までに仕上げろって言われたから」
「ひどい。毎晩11時まで働かせておいて、まだそこまで要求するの?」
 彼の勤める会社は、このところ残業が多い。仕事が増えても、人手を増やさないで利益を出すのが、今のやり方だという。
 人にやさしくない社会は、地球にもやさしくない。
 ようやく彼は、はあっと満足そうな吐息をついた。
「ああ、やっと人心地がついた。おまえ、さすがにあったかい」
「今は普通より、体温が高くなるらしいよ」
 冬の大王とヌクヌク女王は、互いの体温を交換して、ちょっぴり真夜中の幸せを噛みしめる。
「息、白くないなあ」
「息?」
「オレが子どもの頃、冬の夜にふとんの中から、はあって息を吐くと、真っ白に見えたんだ」
「あ、私もそれ、やったことあるよ」
「昔の家の中って、今よりずっと寒かったよな」
「それから、朝起きて綿のシャツを着るとき、ストーブに当てて、あっためなかった? そしたら、モワモワッて白い湯気がいっぱい出るの」
「ああ、あったあった」
「洗濯物って冬はなかなか乾かなくてさ。こたつの中に入れて乾かしたよね」
「そうそう、学校から帰ってこたつに入ったら、ひんやりした洗濯物がてんこ盛りで入っててさ。兄貴といっしょに蹴飛ばしまくった」
「昔着てた、あんな分厚い下着、今は誰も着てないね。どこへ行っても、ちゃんと暖房効いてるから。第一、乾燥機で全部ぱりっと乾かしちゃうし」
「オレたちが子どもの頃って、たった20年前なのに、もうなんだか違う国の話だなあ」
 本当に、まるで別世界。
 この二十年くらいで、私たちの社会はバブルとか不景気とか、震災とかリストラとか、いろんなことを経験した。
 けれど、結局はどんどん便利になって、どんどん夜と昼の区別がつかなくなって、どんどん使い捨てることを覚えた二十年だったのかもしれない。
 そしてその分、地球のどこかで何かが壊れていった。
「そんじゃ、右向け右」
 唐突に、彼が言う。
「は?」
「背中だよ、背中がまだ寒いの。だから、今度は反対向いて、背中をあっためて」
 彼が寝返りを打って、私も同じ方向に。
 身体をぎゅうぎゅう押しつけて、腕を思い切り彼の胸に回した。もちろん登山ではなく、広い平原の散歩だけど。
 彼の背中は南極みたいに冷たかった。温めてあげようにも、私のヌクヌクは、もうとっくに債務超過。
「そういえば、こないだ見たテレビのドキュメンタリー、思い出した」
「どんな?」
「ペンギンの群れが冬の寒さの中で、びっしりと集まってお互いを温めあうの。渦巻きっていうか、バウムクーヘンっていうか、おしくらまんじゅうするみたいに。でも、一番外側のペンギンだけが吹雪で真っ白になって、背中が寒そうなの」
「そりゃそうだろ」
「ところが、ペンギンたちは少しずつクルクル回りながら、互いの場所を交換してるらしいんだ。今まで凍えていたペンギンが、今度は温まれるように」
「よくできてるな」
「動物って、えらいよね。もし人間なら、内側にいるヤツは既得権益とかなんとか言って、絶対に場所をゆずらないね」
「……だな」
「トップ談合とか、しちゃってね」
 返事がない。
 彼は、もう寝息を立てていた。きっと、すごく疲れているのだろう。こんなになるまで働いて、家族を守って。
 なんだか、涙が出てきた。彼の背中に身体を押し当てて、パジャマにめそめそ涙をこすりつけた。
 そうしていたら、お腹の中がとくんと動いた。おしくらまんじゅうは、ちょっと苦しいよと抗議しているみたい。

 春になったら、ペンギン夫婦にタマゴが孵る。
 今度はふたりで、新しい命を温めようね。


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