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The Chronicles of Thitos
ティトス戦記

Chapter 16




 その夜かれらは、王都ラオキアの廃墟のすみにテントを張った。
 王都はゲハジの二個師団の手で破壊され尽くし、酸鼻をきわめる光景と化していた。
 唯一の救いは、ラオキアはもともと中央集権国家ではなく、周辺の地域にはまだ無事な城砦や村がいくつか残っているかもしれないことだった。
 リグはさきほどまでの悲惨な戦場の体験と、目の前に広がる死の都の光景に、おびえきってアローテの腕の中でしか眠れなかった。
 ジルはけなげに平静をよそおっていたが、ルギドが切ったゾンビ兵が、彼の元部下たちだったことをアシュレイから聞かされると、口を真一文字にむすんで黙り込み、何時間も寝返りばかりうっていた。
 そして、ルギドは誰がなにを話しかけてもひとことも答えぬまま、テントから離れた廃墟の瓦礫の中にすわって夜を明かした。
 翌朝はやく一行は、北西に進路をとった。
 馬が進むにつれ、高度は下がり、すでに海抜下に達している。
 灰茶けた大地は次第に凍土におおわれ、針葉樹林の冷涼な風景へと変わった。
 ようやく村人が無事な、泥炭作りの村に行き当たると、そこで石造りの暖かい一夜の宿と食事にありつくことができた。
 雪ぞりと食料、ジルとリグにはトナカイの毛皮で作ったコートや靴を調達できたことも幸いだった。
 凍結湖にたどりつくには、さらに2日を要した。
 地面が凍りついた雪におおわれ、馬が役に立たなくなったのである。
 空には灰色の雪雲が強風にあおられ、激しく形を変えながら西から東へと飛び去り、吹雪と太陽が交互に頭上にやってくる。
 ゼダはルギドのマントにすっぽりともぐりこんで暖をとっているらしく、姿を見せない。
 ジルとリグ兄妹は、最初トナカイのそりに乗せられてはしゃいでいたが、寒さと退屈におそわれると、ルギドの両足にしっかりとしがみついて歩き始めた。
 魔族は最初なにも言わず、されるままになっていたが、ギュスターヴに「三人のお母さん」とからかわれると、癇癪をおこし、ゼダまでいっしょに体から振り落とした。
 眠りこけていたゼダは何がなんだかわからず、雪の中に頭から突っ込んで、足をバタバタさせているところを、アローテに大笑いされた。
 アシュレイは、皆がそれぞれのやり方でルギドを慰めようとしていることに気づいた。
 そして何も言わないが、ルギドも痛いほどそれがわかっているはずだった。
 凍結湖へのきびしい旅は、彼らの最後の幸福なときでもあった。


 凍結湖。
 夏でさえも湖底の氷は融けることなく、ほんのわずかな魚類以外の生き物を寄せつけない湖。
 その湖底の氷のドームの中に、古代神殿「氷の殿(みとの)」はある。
 まるで氷そのものでできたような、半透明の緑柱石の建造物。
 しかしいったんその外階段までたどりつくと、不思議なことに内部は空気で満たされているという。
「もぐるしかないが……。ジルとリグはどうする?」
 澄んだ水を透かして湖底をのぞいていたルギドが、腰を上げた。
「俺はだいじょうぶだ」とジル。
「あ、あたしは泳げない……」
「だいじょうぶよ。私が手をつないで引っぱってあげる」
 アローテが優しくリグの髪をなでた。
「いっぱい息を吸って、止めていればいいのよ」
「ギュス、おまえ」
 アシュレイは顔をこわばらせているギュスターヴにこっそりささやく。
「そういえば、言ってたよな。金づちだって」
「な、何とかなる。要は沈みゃいいんだろ」
 と黒魔導士は、威張って胸をそらせる。
「俺の苦手なのは、浮かぶほうだけだからな」


 凍えるような冷たさの中を湖底まで泳ぎ、ルギドが大剣を突き刺して作った氷の裂け目を通りぬけ、全員無事に神殿の正面の太い円柱によじのぼった。
 玄関から続く広い回廊に立ち、アシュレイの炎の呪文で服や体を乾かしてから、内部に進む。
 ゲハジのことばが本当なら、数ヶ月前に魔王軍がここを訪れているはずだったが、その痕跡を示すものは何もない。
 一万年前から誰も足を踏み入れぬごとき静謐さと荘厳さが、あたりに満ちている。
 空気は澄み切って冷たい。
 足音が氷のかけらを砕いたような甲高い音となって反響した。
 天井や壁を構成する緑柱石は、互いに光を反射しあって、不思議な光と影の文様を作り出している。
「これは……」
 儀式かなにかに使われたであろう広間に足を踏み入れた。
 壁は天井にいたるまで様々な生き物と風景のレリーフが彫りこまれ、彼らは一万年前の人々の目がレリーフを介して注がれているような、時間の浮遊感を味わった。
「すごいな」
「ああ。これは古代ティトス文明のころの風景だな。でもこの生き物たちは……」
 正面の一段高くなった飾り棚の上には、ひときわ目立つ巨大なレリーフがほどこされていた。
 そこには、空と大地、陸と海、森と草原などが、遠近法とは異なる一定の法則で並べられ、その舞台に満ちている生き物たちの配列、しぐさ、表情などから、明らかに何かの意味をもった叙事詩を描いていることがわかる。
「これはすべて、魔族の姿だ」
 ルギドは、風の階(きざはし)で見たものを思い出させるように、あのときと同じことばを繰り返した。
「翼をもつ者、地を這う者、氷の揺籃に生いし者、溶岩にたゆたう者……。これらが繁栄して作り上げたのがティトス帝国。そして人間は……」
 彼は壁の隅に小さく描かれた生き物の群れを指さした。
「魔族に食料として飼われていた家畜が、人間の祖先だ」
「うそだっ!」
 ジルが気色ばんでさけんだ。
「人間が魔物の食料だなんて、そんなことあるか!」
「ここに描かれてあるのは、魔族の側から見た歴史だからな」
「人間の古くからの言い伝えでは」
 アシュレイが淡々と説明する。
「創造主が人間を大地の支配者として造られ、最初に人間の興した文明がティトスだった。しかし神に反逆した天使の一部が地獄に落とされ、呪われた魔族となって、ティトスを滅ぼし、今も神と人間にさからい続けている」
 それを聞いたルギドは乾いた笑い声をあげた。
「どちらも自分たちの側に都合のよい、でっちあげの作り話だな。人間も魔族もおのれこそ、世界の支配者であると主張し合っているだけだ」
「今となっては、真実をつかむことはむずかしい、ということか」
「あの……」
 リグはもじもじしながら、アローテの袖をひっぱった。
「なに? リグちゃん」
「あのね、あたし……」
 恥ずかしそうにくちごもったあと、一気にまくしたてるように続けた。
「この絵、あたしにはね、人間も魔族も仲良く暮らしているように見えるよ」
「え? そうかしら」
「リグの言うとおりだな」
「そうなのか、ルギド?」
「人間はティトス帝国の数ある部族の中の一部族だった。その意味では、人間も魔族の中の一部だったのだ。
しかし、人間だけには他の部族があたりまえに使える魔力がなかった。代わりに呪文を唱えることで四元素【エレメント】を操る魔法と言う術を編み出したのだが、当時はまだそれは、不十分で不完全な手品でしかなかった」
 ルギドの声は、次第に低く、くぐもったものになってゆく。
「そこで、人間の王は……魔力を兼ね備えた、より強い人間を生み出すという欲望に駆られ……、俺を……」
「ルギド?」
 アシュレイの呼びかけに、彼がはっと顔を上げたとき、ギュスターヴが素っ頓狂な大声をあげた。
「おい、ルギド、アッシュ、来てみろよ」
 彼は広間の中央に屈みこみ、正方形のタイルの一枚を片手で押し下げているところだった。
「これ、もしかして例の仕掛けじゃねえか?」
 果たして、床の一部が腕幅ほどの立方体となって上にせり出し、側面が開くと、様々なアイテムを入れた空間が現われた。
「お宝だ!」
 すでに半分盗賊に転職した感のある黒魔導士は、万歳して喜んだ。
「見ろよ、保存状態も良さそうだ。この神殿は気に入ったぜ。守護者を倒さなくても、お宝が手に入っちまうんだからな」
 しかし、ギュスターヴのことばが終わらぬうちに、小刻みな振動が彼らを襲った。それはまるで部屋全体が少しずつ動いているような感覚だった。
 そして、まさに部屋は回転していた。
 その証拠に、彼らを招じ入れた入り口の扉は、今は押してもびくともしそうもない石壁にふさがれている。
 とどめとばかりの大きなきしみとともに、左側の壁が縦二つに割れた。
「お、おい。まさか……」
 アシュレイが心底イヤそうな顔をして、ルギドを見た。
「ああ、そうだな。他の神殿は、守護者を倒すと宝が取れる仕組みだったが、ここは反対に、宝を取ると守護者が現れることになっているらしい」
「待ってくれよ、それじゃ罠じゃないかよ!」
 ギュスターヴはそれでも素早く袋に宝物を詰め込むと、アローテやジルたちの後を追って、部屋の隅に退避した。
 ルギドとアシュレイは、その場で剣を放ち、割れた壁の奥をにらみつける。


 姿を現わした部屋は、今いる広間とは対照的に、暗い影に沈んでいた。
 奥は広く、壁すべてをおおうほど巨大な石の神像が安置されている。
 そして空間の中央部分には、ぼうっと青く光を放つ物体がいくつか浮かび上がる。
 ふたりの戦士は、あたりに注意を配りながら、一歩二歩と暗がりに踏み入った。
 部屋の真ん中が大きく四角に切り取られて一段高くなっている。その床は古びた色合いの碁盤模様。
 そして、そのあちこちにゆらめく、人の身長ほどの青い炎が浮かんでいる。
 闇に目が慣れるにしたがって、碁盤の中央奥に、痩せた長身の人影が映る。
「ジョカル……」
 ルギドが息を呑んだ。
 面長の顔に透き通ったうろこのある肌。黒く真直な髪を長く垂らし、ゆっくりと開いた瞳は真珠色の光彩を放ち、黒衣は足の爪先を隠している。
[我は氷の守護者……]
 しかし、その口から出た言葉は、人ならぬ者のそれだった。
[我は、贄となりし者の生命を吸い、その贄の力と知識とを得る。これは、最後に生贄として捧げられし者の肉体……。塵と化すまで、我はこの姿を保たん]
 守護者は、ゆっくりとその場にいるすべての者を見渡した。
[なんじは…]
 ルギドに、そのまなざしが注がれる。
[この贄の記憶にありし者。……古の人間の王子、【畏王】]
「クッ」
 ルギドは逆上して、大剣を大上段に振りかざす。
[おまえと時間を無駄にするつもりはない、氷の守護者【ガーディアン】! おまえを倒して、取り込まれたジョカルを救い出す!]
 彼は碁盤目の祭壇に一跳びで駆け上がると、守護者に向かって突進した。
 右隅の青い炎が一瞬ゆらめいたかと思うと、音もなく、行く手をふさぐかのように斜めに移動した。
 それを察知したルギドは、反射的に左横に飛びのき、剣で炎を切りつけた。
 しかし、炎はゆらめいただけで、何の反応も見せない。
 それどころか、次は奥にあった別の炎が真直ぐ前に進み、ルギドの側面から襲い掛かってきた。
「グアッ」
 苦しげな悲鳴をもらしながら、彼はその場に膝をついて倒れこみそうになったが、何とか体勢を立て直すと、祭壇脇に飛び降りてそのままうずくまった。
「だいじょうぶか?」
 アシュレイが駆け寄った。
 隣室に待機していた魔導士たちも、飛び込んできた。アローテはルギドのマントをめくり、身体を調べた。
「……焼けていないわ。なぜ?」
「これは物理的な炎ではない」
 荒い息の下からルギドが答える。
「生命力を削る吸収の炎【ドレインファイアー】だ。……くそっ、左手が痺れて動かん」
 アローテが回復呪文を唱え始める。
 ギュスターヴが四角い祭壇を見つめながら、なにごとかブツブツ言っていたが、やがて「わかった!」と叫んだ。
「9かける9の81目の碁盤……。守護者を守る4体の炎…・…。これは【ティトス・チェス】だ!」
「チェス?」
 アシュレイが困惑の色を浮かべて、問いただした。
「チェスなら、8かける8の碁盤じゃあ」
「古代ティトスに伝わり、今ではとっくに廃れているやり方なんだ。俺はじいちゃん、……いや、ユツビ村の長老とよく遊んでいた」
「そうか……」
 ルギドは小声でつぶやいた。
「そういえば、父がよく城の屋上で家臣たちと興じていたな」
『ルギドサマ?』
 ゼダがいぶかしげに、主の顔をのぞきこむ。しかし次の瞬間、
「ギュスターヴ、それではこの戦いは、チェスのルールにのっとってやらねば、負けるというのだな」
 とたずねる彼の口調には、何の変化も見受けられない。
「ああ、多分守護者がキングで、4体の炎はクイーン、ビショップ、ナイト、ポーン。それぞれ定められた動きをするはずだ」
「こちらも五人揃えねばならんのか」
「いや、ティトス・チェスのルールから言えば、最低キング・ナイト・ポーンの3体がいれば、ゲームは成立する。しかし……」
 ギュスターヴは、薄い灰色の瞳をこらしながら、考え込んだ。
「しかし、もし3体揃えずにゲームに入った場合、またそれぞれがルールに反した動き方をした場合、さっきのように一方的に攻撃を仕掛けられるんだと思う」
「3人か……」
 アシュレイが一同を見渡した。「僕とルギド、それに……」
「俺も入る!」
 ジルが鋭い声で叫んだ。
「動きの素早さだけなら、ギュスやアローテよりも俺のほうが上だと思う」
「それしかないな。ギュスにはゲーム全体を指揮してもらわなくてはならん」
 勇者は同意を求めて、ルギドを見た。ルギドは黙ってうなずく。
「それじゃ、ルギドがキング。アシュレイはナイト、ジルはポーンだ」
 ふだんとは見違えるように、ギュスターヴはてきばきと指示を出した。
「ゼダは上空を飛んでてくれ。上から駒が間違った動きをしないか見張るんだ」
『ハイッ、ギュスサン!』
「ルギドが敵のキングを追い詰めたら、チェックメイトだ。……アローテ、無駄かもしれねえけど、3人に魔法防御を……」
「もうかけたわ」
 アローテがにっこり笑った。
「それじゃあ、俺はあそこに立つ。多分、あそこがプレイヤー席だ」
 ギュスターヴは隣室に戻ると、先ほどせり上がった、財宝が隠されていた立方体の台の上に立った。ちょうど奥の氷の神像と碁盤をはさんで相対する配置になっている。
 彼が台に立ったとたん、ふしぎな淡い光が祭壇の下から灯って、碁盤を照らしはじめた。
「プレー開始の合図だな」
 ローブを腕まくりして、黒魔導士は身を乗り出した。


「先手と行かせてもらうぜ。……ナイト2の3へ!」
 アシュレイが指示されたマス目に移動した。すると一番手前の青い炎が瞬き、彼を迎え撃つように前に進み出る。
「ポーン2の6へ!」
 ジルが動いた。敵もそれに合わせて。
 じりじりと、時間が過ぎて行った。
 氷柱に囲まれた広間だというのに、ギュスターヴは汗びっしょりで盤上をにらんでいる。
 頭の中で目まぐるしく作戦を組み立てているらしく、眼球が痙攣を起こしたように、細かく左右にぶれる。時おり口の中で、人に向かっては言えないほどの呪いの言葉を吐いている。
 盤上の駒である三人も、極度の緊張を強いられたまま、長い沈黙の戦いを演じていた。
 少しでも指示と異なる場所に移動すれば、すべてが水泡に帰す。ほんの目の前の敵にすら切りかかることのできない苛立ちばかりが募る。
「ボーン、4の5へ」
 ギュスターヴがはじめて、小躍りした。「行っけえ! ジル」
 ジルは青い炎の浮かぶマスにためらわず踏み込むと、ブロンズナイフを斜めに振り下ろした。
 炎は音もなく姿を消した。
「やったああ!」
 ジルの歓声が、高い透き通った天井を突いて、こだまする。
「へへっ。じいちゃんほどは手ごわくないみたいだな」
「ギュス。……がんばって」
 アローテはいつのまにか、長老の家で必死にチェス盤にかじりついている幼なじみをそばで応援して見ていた幼い少女の頃に立ち戻って、両手をきつく握りしめた。
 1時間が経過した。
 勝負はもつれた様相を呈しながらも、こちらの被害はひとりもなく、敵の炎はすでに三体を消している。
 中盤まではアシュレイとジルだけがあわただしく動いていたものの、その後はルギドに指示が行くことが頻繁になった。少しずつキングが敵陣営を侵していく。
 明らかに勝負は終盤に来ていた。ギュスターヴはチェックメイトを意識している。
「キング、8の7へ!」
 ついにプレイヤーがかすれた大声をあげた。「チェックメイト!」
 キングは、氷の守護者と同じマス目に入った。
『ジョカル……』
 虚ろに前を見つめている従臣の耳元に小さくささやくと、ルギドは大剣を彼の懐に突き立てた。


『ルギド……さま』
 碁盤を照らす光はすでになく、最後まで残っていた青い炎も消えうせた。
 勝敗の決した盤上では、主に抱きかかえられて横たわるジョカルが、目を開けてうれしそうにつぶやく。
『ジョカル、しゃべるな……。今、アローテに回復させる』
『いいえ、ルギドさま』
 従臣は、彼を見上げて微笑んだ。
『おわかりでしょう。私はもう、死んでいるのです。今話せるのは、氷のガーディアンの魔力がまだ身体の中に残っているため。ほどなく、私は動かぬしかばねとなりましょう』
『ジョカル!』
『ルギドさま。……いいえ、畏王さま』
 彼のみに注がれる紅い瞳をうっとりと見つめ返しながら、ジョカルは弱々しく片手をあげる。
『あなたの失われた過去を、お話しする義務が私にはまだ、残っています』
『俺の失われた過去?』
『ずっと秘密にしておりました。あなたが本当は畏王さまであることを……』
 震える指を、いとおしげにルギドの頬にすべらせる。
『二十三年前…、私は人間の養父を殺して、山に逃げ込みました。
どこをどう逃げたか、不思議な声の導きによって、ガルガッティアにたどり着き、その地下深くに潜って行きました。そこで、封印された畏王さまの肉体にお会いしたのです』
『……畏王の体が、ガルガッティアに……?』
『黒い棺の中に、今のあなたと同じ御姿で横たわっておられました。私にそれまで呼びかけていたのは、異次元の牢獄に囚われている畏王さまの精神。
畏王さまは、ご自分を封印した魔族どもと人間どもすべてに復讐する日を、一万年間待っておられました。
そして、現世に降臨されるお手伝いをするようにと、私は選ばれたのです』
 ジョカルは苦悶と法悦が入り混じった吐息を、口からもらした。
『おそれおおくも畏王さまと同じく、人間と魔族の血が混じりあった私。……世界のすべてを深く憎んでいた私を、同じ心を持つ者として、畏王さまは選んでくださったのです。
私は五年間、昼夜の別なく、ティトスの魔導書の研究をし、畏王さまのお体を小さな核に閉じ込めることに成功しました。
十八年前――、私はガルガッティアの近くを旅していた放浪民族の夫婦を捕え、地下に閉じ込めました。女は腹に子を宿しており、私はその胎児に畏王さまの核を植え付けたのです。
わずか3日の後に、人間の幼児の大きさにまで成長を遂げた胎児は、母親の腹を食い破り、出て来ました。そして、母親の身体を喰らい、ついで、父親をも喰らいました。
……それが、ルギドさまのご誕生だったのです』
『嘘だ……。俺の両親は魔族に殺されたと……』
 ルギドは、震える声で反論する。
『私は、異次元におられる畏王さまの命により、あなたに、本来胎児が持つはずだった金色の髪と青い瞳を与えました。そして、魔の力を封印したのです。
両親を魔族に殺されたという偽りの記憶と、リュートという名前を与え、人間の孤児として、野に放ったのです』
『それでは、俺は、……リュートははじめから魔族だったというのか』
『半分は、ということになりましょう。畏王さまも半分は人間でいらしたのですから』
 ふたりの周りを取り囲んで立っていた仲間たちも、あまりの事の成り行きに、声すら失っている。
『何故、俺を人間として育てさせた?』
『畏王さまを閉じ込めている封印は、とても強いものです。一万年間魔力を蓄えた畏王さまですら、自力では打ち砕けぬほどに……。
その封印を解く方法は、たったひとつ。畏王さまに匹敵するほどの魔力を持つ強力な存在が、こちら側から封印の扉を開かねばならないのです。
あなたのお役目は、その強大な存在となって封印を解くことでした。そのうえで、その御身に畏王さまの精神を降臨させるよう強く望む必要がありました。
そのために、畏王さまは、ご自分と同じ人生をあなたに歩ませようとなさったのです。
人の世で、無力な孤児として過酷な人生を歩み、人間に強い恨みを持つこと。
その後に、魔族の側に引き寄せ、魔族の中で疎まれること。
そして、畏王さまと同じように、生きとし生けるものすべてを呪い、滅ぼす存在となられることを願われていたのです。
それがまさに、畏王さまのご生涯だったのですから』
『まさか、……それでは、俺が人間を裏切り、魔族の側につくことまで仕組んでいたというのか?』
『それも、すべて畏王さまのご計画どおりでした。リュートが無力な自分を知り、誰よりも強くなろうとしたことも、自分の両親を殺したと信ずる魔族を憎み、志を同じくする勇者どもといっしょに畏王さまのもとに来ることも。
そして、最も大切な存在である女が死んだと思いこみ、絶望し取引に応じることも、……すべて畏王さまがあなたの内側に働きかけて、仕向けていたことだったのです』
『そ、それじゃ、私は本当は死んでいなかったの?』
 アローテは涙を落としながら、つぶやく。
『私がゲハジをそそのかして、氷の守護者に私をいけにえに捧げるようにさせたのです。私自身の命を餌に、あなたをここにお連れするように。
これで、あなたの記憶の封印も解かれます。ご自分が畏王さまであることを、あなたはもう思い出しているはずです』
『ちがう。……俺は、畏王などではない』
『では、なぜ何の知識もないはずの古代ティトス語を解せるのですか? なぜ、私がお教えしなくても、あれだけの強大な魔力をお使いになれたのですか。あなたは畏王さまなのです』
『ちがう、俺は……』
『お願いです! 畏王さまと同じ心で、この世のすべての生命を憎み、滅ぼしてください。もうニ度と、畏王さまをおひとりにしないでください。私はもう……おそばに……』
『ジョカル!』
 ルギドは天を仰いで、血を吐くような叫び声を上げた。
『俺は、この世の破壊者になるように、初めから定められていたというのか?
俺が自分で選び取ってきた道だと信じてきたものは、すべて畏王によって計画されていたことだと言うのか?
……答えろ! ジョカル!』
 しかし、答えはなかった。――ジョカルはすでに、こときれていた。
Chapter 16 End

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