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The Chronicles of Thitos
ティトス戦記

Chapter 23


 魔導士の村ユツビ村は、久々の外界からの来客に、今日も朝から沸き立っていた。
 昨日午後、サルデスから勇者アシュレイ・ド・オーギュスティンが到着し、長老の館の客人となった。 さっそく盛大な歓迎の宴会が、祭り好きの村人たちの手で、夜を徹して繰り広げられた。
 それに加え、予定では今朝、もう一組の客が訪れるとあって、またあらたな酒宴の準備で村は上を下への大騒ぎになってしまったのだ。
「まったく、暇だよなあ。この村のやつらは」
 ギュスターヴは一人ごちながら、準備の人々でごったがえす村の広場を器用にすりぬけ、長老の家への坂道を駆け上がった。
「おおーい。アッシュ!」
 アシュレイは、長老の家の庭にある井戸のそばで、顔を洗い終えたところだった。


 国境の森で彼らが別れてから、1年2ヶ月が経とうとしていた。
 20歳のアシュレイは、今ではギュスターヴの背を追い抜いた。短かった栗色の髪を肩まで伸ばし、少年の面影の残っていた顔の線は、もうすっかり精悍な青年騎士のものだ。
「おはよう。ギュス」
 白い歯を見せ笑顔を浮かべかけたアシュレイは、とたんに眉をひそめた。「あいたた……」
「それが二日酔いってやつだよ」
 ギュスターヴは、腕組みをしながらにやにやしている。
「20にもなって、酒がはじめてとはな。情けねえぞ」
「長老が僕のそばで、酒樽をかかえて待ち構えていたんだ。断ろうにも、あっというまに杯がいっぱいにされてしまうし」
「あれがじいちゃんの趣味みたいなものだからな。ま、今夜はルギドが主賓だからだいじょうぶだろう。あいつなら、ニ樽飲み干しても、けろっとしていそうだからな」
「ルギドたち、……本当に今日来るだろうか」
 そう不安げにつぶやきながらアシュレイは、村を見晴らす丘の端に立った。
「あいつひとりなら、当てにならないけど、あのふたりがついてるから大丈夫さ」
「大きくなっただろうな。ジルとリグ」
「手紙では、魔族の文字や古代ティトス語までルギドから教わったと書いてあったからな。あいつに似て、ひねた子どもになってなきゃいいけど」
 ギュスターヴは、ぽりぽりと頭を掻きながら、
「そうだ、ちょっと俺の家に来ないか? 二日酔いに効く薬が確か置いてあったはずだ」


 ふたりは道の両側に咲き乱れる色とりどりの春の花を愛でながら、ゆっくりと坂道をくだった。
「昨日はほとんど話もできなかったな。せっかく1年ぶりの感動のご対面だったのに」
「ああ。でも、ギュスはほんとうに変わってないな。相変わらず村のガキ大将やってるようだし」
「ちぇっ。これでも、じいちゃんと一年間、必死で国中にある古代ティトスの文献を調べまくってたんだぜ」
「何か見つかったのか?」
「ああ、いくつか新しい魔法は仕入れたけどな。……収穫はそれだけだ。畏王を封じ込める魔法に関しては、ゼロさ」
「そうか……」
「おまえのほうは、どうなんだ、アッシュ? サルデスの復興ぶりは、風の便りには伝わってきたが」
「ああ、去年の麦の増産が成功して、この冬は餓死者が出なかった。ほっとしているよ」
「グウェンドーレン【女王】の賢政のたまものだな。相変わらず髪を短く切って、男の格好で走り回ってるのか?」
「真っ黒に日焼けして、民の先頭に立って働いてる。王宮からほとんど出たことのなかった昔のころを考えたら、まるで別人のようだよ」
 楽しそうに恋人のことを話すアシュレイを、親友はまぶしげに見つめた。
「惚れ直したってか?」
「よせよ。ギュス」
「アローテにも……、彼女のような強さがあったらな」
 振り返って丘をあおぐギュスターヴの目には、沼地の陽炎(かげろう)にも似た、灰色の悲しみが宿っている。
「ああ、そうだな……」
 うなだれたアシュレイの横顔を見て、黒魔導士はあわてて話題を変えた。
「で、魔王軍の状況はどうなってる?」
「グウェンの命令により、投降する者たちには国境の森を住処として与えている。危害を加えようとしてくる者はやむを得ず攻撃するが、できる限り捕虜にして、魔王城に送り返す」
「サルデス軍の中には、そんな命令聞かない奴もいるだろう。自分の国をあれだけ奴らに踏みにじられたのに、生かして逃がすなんて」
「確かに。……でも時間がかかっても、何回でも話し合ってわかってもらう。それしか方法はないからな」
 アシュレイの緑の瞳には、静かな理想の炎がゆらめいていた。
「あの森で暮らしていたとき、グウェンがルギドと話したそうだ。人間と魔族が共存する国、古代ティトスの再来、【新ティトス帝国】の建設を彼女は夢見ている。僕はその夢を女王といっしょにかなえたいと思う」
「サルデス王国軍元帥閣下ってのも、苦労が絶えないな」
「ふふ。まあな」
「あ、ここだよ。俺のうちは。汚くしてるけど入ってくれ」
 通りを一本入ったところに、アカシア材でできたこじんまりとした家があった。
 ユツビ村では同じ年齢の者が男女に分かれて共同生活をすることが普通であるため、長屋のような建物がよく見られる。そんな中で自分の家を持つということは、一人前の魔導士である証しだ。
 背丈よりやや低めの扉を開けると、埃を透かして見えたのは、羊皮紙の巻物や厚い革表紙の魔法書が、文字どおり足の踏み場もなく散らかっている有様だった。きれい好きのアシュレイにとっては鳥肌が立つような光景だ。
「ま、適当に座ってくれ」
「……いったい、どこに?」
 そのとき、村の入り口の方角から、人々のどよめきが聞こえてきた。
 ふたりは顔を見合わせると、先を争って戸口から飛び出した。


 村人たちを掻き分けると、待ちわびた3人の姿があった。
「ルギド! ジル! リグ!」
 ジルもリグも、見ちがえるほど背丈が伸び、大人びていた。
 ジルは腰にブロンズナイフの代わりに、長剣を帯び、小ぶりの胸当てを着けている。しなやかな筋肉のついた四肢。手首には小手、二の腕に金の輪をはめ、どこから見ても一人前の剣士の装備だ。
 ひとつ年下で9歳になるリグは、まだあどけなさの残る顔立ちに、思慮深げな濃紺の瞳。背丈に合わせて自分でつめた浅葱色の魔導士用のローブの裾から、すらりと伸びた白い足首がのぞく。
 そのかたわらに、長躯の魔族が立っていた。
 鈍い光沢のある、ゆったりと風を含む古代風の黒のローブをまとい、その上を流れ落ちる銀の髪が、朝の陽にまぶしく照り映える。
 瞼を閉じたまま微笑むその顔に戦士の荒々しい面影はなく、右腰に吊るしている黒鞘の剣がなければ、古の魔導士が絵から抜け出て来たように見えただろう。
 子どもたちが、アシュレイとギュスターヴを見つけて、駆け寄ってむしゃぶりついた。
 彼らが人垣を分けた跡を、ルギドが近づいた。
「アシュレイ。背が伸びたな」
「見えるのか?」
「声のする位置でわかる。以前よりずっと高い」
「よう、久しぶり。ルギド」
「ギュスターヴ」
「もうすっかり普通に歩けるな。剣は持てるのか」
「ああ」
「まったく、本当に魔族の身体って便利にできてるよな。普通、指なんか生えてこねえよ」
 軽口を叩きながらも、ギュスターヴはうれしそうだった。
「だが……、目はまだ無理みたいだな」
「そうだな。見かけは元通りだが」
 ルギドはゆっくりと瞼を上げた。
 紅い瞳。
 しかしそこにあったのは、昔のような燃えさかる紅蓮の炎の色ではなかった。
 さながら奥深い洞窟に眠る、透き通った水晶。美しくもうつろな輝き。
「視る力は、もうない」
「そうか……」
「みんな、丘の上の屋敷に向かおう」
 アシュレイがうながした。「歩きながら、道々話そう。長老様が待ちかねておられる」
「待て、アシュレイ」
 ルギドが否んだ。「その前に、アローテに会わせてもらえないか」
 アシュレイとギュスターヴは、曇った顔を見合わせた。
「アローテは、長老の家の裏手にいる」
 アシュレイが静かに答えた。
「同じ方向だから、とりあえず歩き出そう。このままだと村の人たちに取り囲まれて、また動けなくなる」


 以前来たときとそっくりな、村人たちの長い行列を後に従えて、丘を目指して歩く。
「で、ようやくガルガッティア城にたどり着いて、そこに5ヶ月いたんだ」
 ジルとリグは先を争うようにして話し始めた。
「壁全体がずらりと本棚の、すごい部屋があってね。ルギドは毎日じっと朝も昼も夜もそこの魔術書に埋もれて座っていた」
「ジルと私が交代で読んであげたの。最初はてのひらに指で字を書きながら。でも、すぐにスラスラ読めるようになった。古代ティトス文字だってなんだって」
「城の中は、地下12階のダンジョンになってて、俺は暇さえあれば、そこを探検してたんだ。知性の退化したはぐれ魔族がたくさんいてさ。こてんばんにやっつけてやったから、最後は俺を恐れて逃げ出すようになったけど」
「なに言ってんの。ルギドに手伝ってもらわなかったら、今ごろ、ジルなんか地下4階あたりで骨になってたくせに」
「まあ、少しはそういうこともあったけどさ。宝がけっこう残ってたよ。ギュスがよだれを垂らしそうなマジックアイテムとか。ほら、俺の腰に差してる銀の剣も、そこで見つけたんだぜ」
 アシュレイの両手にしがみついたまま、両側から同時攻撃を仕掛けるふたりのあとに、ルギドとギュスターヴが並んで続く。
「ルギド。そう言えば、村の魔族よけの結界はもう大丈夫なのか?」
「ああ。俺もこの1年で多少鍛えてある。前のときは……」
 思い出し笑いを抑えきれない。
「長老に何から何まですっかり見破られていたな。極めつきの食えない爺さんだ。まったく」
 ギュスターヴが首をひねった。
「おまえ、雰囲気がなんとなく変わったな」
「そうか」
「ああ、どことなく落ち着いたというか、丸くなったというか。……年寄りくさくなったというか」
「年寄りくさいはひどいな」
 彼は空を仰いで、ほうっと吐息をついた。
「だが、そうかもしれん。ジルとリグといっしょに1年以上過ごしてみろ。誰だって変わるしかない」
「ずっと……あの調子だったのか?」
「いつもはもっとひどい。俺は右の耳と左の耳で別々のことを聞くすべを身につけたぞ」
「ははあ。それが1年ずっとか。そりゃ老け込むわな」
「しかも、旅のあいだじゅう俺はあいつらの父親ということになっていた。そのほうが国境や宿屋で詮索されずにすんだからな。
それをいいことにあいつらは……」
「お父ちゃん!」
 ジルとリグは、ふたりの会話を聞きつけたのか、アシュレイから離れるとルギドのもとに駆け寄って、両手を引っぱった。
「お、おとうちゃん……?」
 ギュスターヴは口をあんぐり開けた。
「ねえ、ギュス。聞いてよ。こいつったらお父ちゃんのくせして、自分では何にもしないでふんぞりかえって、洗濯も掃除も全部俺たちにやらせたんだぜ」
「難しい数学の問題を教えてくれるくせに、店で買い物したときのお釣の計算ができなくて、あたしにやらせるんだよ」
「お父ちゃんのくせに!」
「この……っ」
 ふたりの大合唱にかっとなったルギドは、目が見えないのにもかかわらず、素早くふたりの首根っこをつかまえると、怒鳴った。
「お父ちゃんって呼ぶな! 俺はおまえらの母親をはらませた覚えなんてねえ!」
 子どもたちは身体をねじって、器用に彼の手からすりぬけると、笑いながら坂の上まで走り去った。
「ルギド……、お、お、おまえ」
 アシュレイもギュスターヴも、今の彼のことばに凍り付いている。
「疲れた……」
 膝に手をつき、がっくりとうなだれているルギドは、確かに老け込んでいた。


 館の生垣の前では、長老が直弟子たちとともに迎えに出ていた。
「よくぞ、戻ったな。ルギド」
「長老。久しぶりだな」
 ルギドは、今回は自ら頭を下げて、長老の抱擁を受け入れる。
「この前の訪問では、暇も告げず出立して、すまなかった」
「ホッホッ。今回は姿を消して出て行ってしまわぬように頼むよ」
 長老は彼らを居間に招じ入れた。
 ジルとリグは、一年半前訪れたときに知り合った友だちに再会し、庭で石蹴りに興じ始めた。
「ルギドよ。おぬし、一回りも二回りも器が大きゅうなったな」
 長老は客人たちに椅子を勧めると、感嘆したように魔族を見つめた。
「もう、このわしにも、おぬしの魔力は底が見えぬ」
 ルギドは足を組み、黙って微笑を返す。
「いつも微量の魔力を身体全体にまとっているようじゃな。それで、テアテラを覆う結界にもまったく影響を受けぬわけだ。 その上、魔力のヴェールのおかげで、周囲を五感よりもはるかに鋭く知覚できておるはずじゃ。目なぞ見えなくてもな」
「さすが長老だな。見抜かれていたか」
 ルギドは楽しげに、両手を降参の印に挙げた。「もう少し見えないふりをして、みなをこき使ってやろうと思っていたのだが」
「おまえも、じいちゃんに劣らずたぬきだな!」
 ギュスターヴが噛み付いた。「いったい、いつから見えるようになってたんだ?」
「サルデスでの拷問で眼を失ったとき、俺の中の畏王はその方法で回りを見ていたからな。多少の練習は必要としたが、国境の森を発つころにはもう不自由しなかった」
「それじゃ、ジルとリグに魔導書を読ませる必要なんかなかったんじゃないか。……もしかすると、わざと見えないふりをして、ふたりに字を教えたのか?」
「さあな」
 飽くまで、しらを切る。
 アシュレイが訊ねた。
「ルギド。畏王の封印魔法のことは何かわかったのか?」
「ああ」
 ルギドはうなずいた。「だから、こうして手紙を送り、皆に集まってもらったのだ」
「それはいったい、何だったんだ?」
「アローテにもこの話に加わってほしいのだが」
「アローテは……」
 ギュスターヴは頑なに首を振った。「ここに来ることはできない」
 ルギドは、彼の拒否の意思を、目で見るより鋭く感じ取った。
「わかった。順を追って話そう」




Chapter 23 End


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