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The Chronicles of Thitos
ティトス戦記

Chapter 27


 ルギドは巨大な炎の球を掌から生み出し、デーモンブレードに移すと、畏王の幽体に切りかかった。
 アシュレイもレイピアの回りに風を巻き起こしながら、それに続く。
 アローテは魔法防御呪文【アンチ・マジックシェル】を唱え、ギュスターヴは息を整えるとトランス状態に入った。


「いいか」
 魔王城攻略の直前の作戦会議で、ギュスターヴは一同に語った。
「生命封印呪文【イリブル】は、今までの魔法と桁が違う。やってみないとわからねえが、恐らくトランス状態でも一時間、ぶっ通しで呪文を唱えることになる」
「そんなに……」
「四面の立体魔方陣を描きながらの詠唱になる。そのうち一つでも壊されたら、初めからやり直しだ。だが、俺の魔法力から言って、一度唱えるのがやっとだろう。
一時間、俺と魔方陣を守りきってくれ。そうしないと、【イリブル】は完成しない」


 ギュスターヴは黒檀の杖を左手で真直ぐ前に捧げ持ち、右手の人差し指で一心不乱に、空中に魔方陣を描き始めた。
 ルギドとアシュレイは、畏王に息つく暇を与えぬように、完璧な連携攻撃をくりだしていた。魔法防御呪文を唱え終わったアローテがそれに加わる。
 ちょうど2年前、ルギドと勇者たちがサルデス城で戦ったときの経験が生かされた。
 前面から側面から、よどみなく畏王の幽体に、ふたりの魔法剣が切りかかる。それにアローテの後方支援が加わる。
 畏王は、その合間にも強力な四元素の魔力攻撃をしかけてくる。
 それを、あるときはかわし、あるときははね返し、またあるときは真正面から受け止め、ギュスターヴをすべての攻撃から守る。
 アシュレイは、時間が経つにつれ、ルギドが魔法剣にこめる魔力の光球がどんどん巨大になってくるのに気づいた。
 まるで畏王とルギドのふたりの魔力が呼応し合って高まっているようだ。
 ルギドのいつもの余裕さえ感じられる戦いぶりとは異なり、髪をふり乱し、歯を食いしばり、汗の玉を飛び散らせ、まさに死力を尽くしているのがわかる。
 それほどにしなければ、倒せない敵なのだ。
 レベルが違う。
 勇者は戦況を的確に読み、前線を離脱した。
 後方の魔導士たちを守ることとルギドに回復魔法をかけることに専念するのが、自分のできる精一杯のことであると、悟ったのだ。
 幽体である畏王の表情の変化は定かではないが、確実にその魔力は削がれているはずだ。
 無限でなければ、いつかは尽きる。それだけを唯一の希望として抱きながら、4人は戦った。


 ギュスターヴの立体魔方陣は最後の面に突入していた。
 それを知ってか、畏王は執拗に全体攻撃を繰り出すようになってきた。
 しかしギュスターヴは、それに怖じて呪文を言いよどむことも、目を開いて戦況をうかがうこともしなかった。 敵の力が直撃すれば、無防備の自分は必ず死ぬことがわかっていながら、彼は仲間を信じ、なすべきことに没頭しているのだ。
 四面の魔方陣がゆっくりと回転を始めた。
 黒魔導士の詠唱と指がとまった。
 魔方陣はいよいよ速度を増しながら、まばゆい輝きをその紋様のひとつひとつから放った。
 ギュスターヴは、かっと目を見開いた。
「ルギド。行くぞ!」
 ルギドはとっさに振り向き、天に向かって剣を高く掲げた。
 魔方陣からあふれ出た光は矢となって、黒い刀身が割れんばかりの轟音と衝撃とともに、剣の中に吸い込まれていった。
「くそう。何て力だ」
 暴れ馬のごとく手の中から飛び出そうとする剣を、彼は全身の力で押さえ込み、そしてキッと畏王をにらみつけた。
「畏王。これでおまえを永遠に封印する」
[何だ、その力、その魔法は……]
「食らえ!」
 雄たけびとともに、ルギドは宙を跳び、畏王の幽体を上段から真芯でとらえた。
[うおおおおっっ]
 城全体を揺るがさんばかりの悲鳴。
 謁見の間のどす黒い水が、空中に竜巻のように舞い上がり、飛沫を上げる。
 床と壁全体に生き物のように亀裂が伸び、火花が散り、空気の分子ひとつひとつが震えながら彼らに襲いかかる。
 長い時が経ち、何の物音も聞こえなくなったときも、水はまだ霧となってあたりを包んでいた。
「アシュレイ……ギュス……ルギド」
 アローテのか細い声が響いた。
「ルギド……どこ?」
 霧がようやく晴れたとき、彼女の目にまず、放心して座り込んでいるギュスターヴが、そして両手を床につき、肩で息をしているアシュレイが、そして剣を杖代わりにして、片膝を起こして立ち上がろうとしているルギドの姿が映った。
「畏王は……?」
 苦しい呼吸の下から、ルギドが問いかけた。
 暗黒の空間に、ぼんやりと異次元の存在が浮かび上がる。
「……だめか」
 思わず歯噛みするギュスターヴ。
「いや、そんなことはない」
 アシュレイの歓声が空気を裂いた。「効いてる! 奴はもう、幽体を保てない!」
 畏王の体は、霞をかけたようにおぼろで、しかも形が崩れ、まるでそれは地にうずくまっているかのようだった。
[おのれ……]
 地の底から搾りだすような低い声で、畏王は呪いの言葉を吐いた。
[負けるのか……。我はまた、人間と魔族の前に負けるのか……]
『そうだ、おまえは負けた』
 ルギドは、抜き身の剣をぶらさげた尊大な姿勢のまま、その前に立った。
『一万年間、おまえはひとりだった。
誰を信じることもなく、心を許すこともなく、たったひとりの味方であったジョカルさえもいとも容易く、ごみのように見捨てた。
全世界の生命を滅ぼし尽くさんと願いながら、滅びてゆくのはおまえのほうだ。
おまえが虫けらのように蔑んだ連中に、おまえは敗れ去ったのだ』
[この異次元の牢さえ出られれば、その肉体さえ我のものとなせば、敗れることなどなかった]
『この体は、俺のものだ。もう誰にも渡さない』
 ルギドは勝利の嘲笑を、口の端ににじませた。
『よくも今まで、俺をいいように操ってくれたな。おまえのほうが虫けらのくせに』
「ルギド?」
 アローテは、彼に生じた異変を敏感に感じ取って、思わず顔を上げた。
[フフフ……]
 畏王は不気味な笑い声を上げた。
[それほどに不安か。我を滅ぼすことが]
『なんだと』
[おまえはわが魂の片割れ。鏡の向こうの現身【うつしみ】。我が存在するゆえ、おまえも存在する。我が滅すれば、おまえも滅する。我こそがおまえの命の源]
『……うるさい』
[気づいているのであろう。我にとどめをさした瞬間に、おまえもその存在をなくし、空の器、生ける屍となりはてることを。だから今、無意識に攻撃の手をゆるめた]
「……畏王の言ったことは、本当なのか、ルギド?」
 アシュレイが、ぼう然と問いかけた。
「でたらめだ」
 言下に否定する。「俺は、俺だ。断じて空の器などではない」
[今まで、我の命じるとおりにおまえは動いてきた。おまえには自分の意志など、はじめからないのだ」
『俺はもう操り人形じゃない。おまえの指図など受けない。俺はおまえを越えた。おまえより強い!』
「やめろ。ルギド、落ち着け」
 3人は、獣のように牙をむき出して叫ぶ彼を間近で見て、肌の粟立つのを覚えた。
 畏王と同質の邪悪な気、暗黒のオーラが彼を包みはじめている。
『俺は、誰の支配をも受けない。この体の支配者は俺だ』
[では、試すがよい。我を倒して、おまえがどうなるのかを]
『くそっ』
 彼は逆上して剣をふりあげた。しかし、足が前に出ない。柄を握る両手がぶるぶると震えている。
[おまえが生き延びる道は、ただひとつ。我をその肉体に降ろし、真の所有者がどちらであるか、争うのだ。
おまえが勝てば、我が消滅し、その体は永久におまえのものだ。我が勝てば、おまえは消滅し、その体は我がものとなる]
「ルギド、待て」
 アシュレイは押し殺した声で諭した。「これは、罠だ。畏王の口車に乗るんじゃない」
[我を降ろせ。それとも、おまえには勝つ自信がないのか]
『わかった……』
「ルギド!」
『来い! 畏王!』
 彼は両腕を広げて叫んだ。『勝つのは俺だ!』
 ふたりの身体から、同時に黒い炎が噴きだした。
 畏王の幽体が形を失い、あたかも煙のようにルギドの実体に真一文字に吸い寄せられていく。
「うああああああ!」
 その口から、ぞっとする苦悶の悲鳴が吐き出された。
 膝を地面につき、腕で己を抱え込みながら、爪でからだを引き裂き、もだえ苦しむ。
「ルギド……」
 ぶるぶると震えているアローテに、ギュスターヴが這い寄る。
 そのふたりを庇う位置に、アシュレイが立つ。
 3人は身体を寄り添わせて息を詰め、仲間の体内で行われているはずの壮絶な闘いの行方を見つめた。
 すべての物音が消えた。
 屈められていた背中がゆっくりと起き上がった。銀色の滝のような髪がさらりと背中に流れ、閉じた瞼が徐々に開いた。
 何事もなかった表情で立ち上がると、彼はアシュレイたちに向き直った。
「ルギド」
[ルギド……?]
 邪悪な笑みが浮かぶ。[それは、いったい誰のことだ?]
「……ッ!」
[ふふ……。とうとう取り戻したぞ。このからだ]
 畏王は皮膚の感触を確かめるように、うっとりと自分の腕を伸ばして撫でている。
[我は勝った。奴はもはや消滅した。もう誰も我を邪魔する者はいない]
「バカやろう、ルギドのやつ……」
 ギュスターヴはうなった。「畏王に乗っ取られちまったのか」
[今度こそ、世界のすべての生きとし生けるものを滅ぼし尽くす]
 畏王は紅い瞳に狂気の色を宿して、アシュレイたちに歩み寄った。
[貴様らを、まず血祭りにあげる。生意気な人間の勇者。我にいまいましい魔法をかけようとした黒魔道士。そして奴の愛した女]
「ギュス」
 アシュレイが、戒めるように友の顔を見て、首を振った。
「わかってる」
 ギュスターヴは顔を強ばらせながらも、しっかりと両の足をふんばった。
「約束しちまったからな。最後まで信じると」
「そうだ。あいつは必ず勝つ」
「負けちまったときは、俺たちも仲良く黄泉に付き合ってやるとするか。……へっ。情けねえことに、何にも打つ手がないだけなんだけどな」
「ルギド、お願い!」
 アローテの祈るような叫びが、暗黒の広間に響き渡ったその瞬間。
[ぐわあああっ]
 再び畏王の肉体から、天井を焦がさんばかりの黒い炎がもつれながら噴き上がった。
[ルギド、貴様ッ。まだ生きていたのか。そんな……馬鹿な!]
 彼の両腕が、その意志に反してゆっくりと動き始めた。
 左手に下げていた剣を逆手に持ち変えると、何のためらいもなく自らの心臓に深々と差し込む。
[ギャア―――ッ!]
 この世のものとは思われぬ絶叫が上がり、畏王の体内からすさまじい魔力が放出された。
 城、いや島全体が激しい揺れに翻弄され、アシュレイたちは津波のように荒れ狂う水に押し流された。


 どれだけの時間が経ったのか。
 雫の垂れ落ちる高い音色だけがうつろな部屋に響いている。
 どこから差し込んでくるのか、光が室内にあふれ、水は深い蒼に澄み渡っていた。
 飲み込んだ水を吐き出し、激しく咳き込み、それでもアシュレイとギュスターヴとアローテは、助け合いながら部屋の片隅で立ち上がると、崩れかけた通路をよろよろと渡った。
「ルギド!」
 畏王?
 いや、そこにいるのは紛れもなくルギドだった。
 胸の真ん中を剣に貫かれ、すでに岩の塊と化した城の壁にその身体は磔りつけられている。
 両手は剣の柄にかけたまま。
 ぐったりとこうべを垂れ、顔は見たこともないほど蒼白で、足元には黒い血だまりができていた。
「あなた……」
 アローテがころげるようにして駆け寄った。
「待ってて、今回復するわ……。アッシュ、お願い。剣を抜いて。早く」
「アローテ」
 ルギドはゆっくりと瞼を開いた。「みんな。……そこにいるのか」
「おまえは勝ったんだ」
 アシュレイがぼろぼろと涙をこぼしながら、うなずいた。「畏王は消滅した。もう、どこにもいない!」
 ギュスターヴは必死で、ルギドの両手を剣の柄からもぎとろうと努めている。
「おい、この手を離せ! これじゃ剣が抜けないだろうが」
「ギュスターヴ。無駄だ」
 彼は天を仰いで、数度あえいだ。
「この剣には、【イリブル】がまだかかっていた。封印は発動された。もう二度と、この剣を引き抜くことはできない」
「ルギド……、なぜ?」
「黙っていて、すまなかった」
 彼は、仲間のいない方向に微笑みかけた。眼の代わりに回りを知覚する魔力が失われているのだ。
「この魔法は異次元にいる畏王を封印することはできない。この身体に畏王が降臨した状態でなければ、効力はないんだ」
「だからって、……だからって!」
 ギュスターヴはなおもルギドの手をこじあけながら、泣き出した。「おまえまで一緒に封印されちまうことはないじゃないか!」
「これしか……方法はなかった」
「ルギド。封印を中止しろ!」
 アシュレイは恐ろしい剣幕で叫んだ。
「畏王はまた復活させればいい。何度でも、何十度でも戦ってやる。僕たちには、おまえが生きていることのほうが大事だ!」
「もう、遅い。アシュレイ」
 ルギドの声はだんだんと細くなってくる。
「俺は、畏王とともに逝くことを選んだ。……畏王は一万年のあいだ、孤独にさいなまれながらこの世を呪ってきた。その憎悪はおそらく、この封印をもってしても消えることはない。
俺はこの世界でただひとり、その気も狂わんばかりの苦しみが理解できる。……だから、畏王とともに……永遠に……奴がもう二度と生ける者を呪わなくてもすむように……」
「それで、そのためにおまえは、アローテを遺していくっていうのか!」
 ギュスターヴは肺が潰れるほどに怒鳴った。
「またおまえは、アローテをひとりで悲しませたまま、行っちまうのか!」
「この城は……崩れる」
 彼には、もう何も聞こえていなかった。
「早く逃げろ……、俺は……畏王と、海に……沈む……」
「ルギド――ッ!」
 3人の絶叫をかき消すように、海水が怒涛のごとく流れ込んできた。
 魔王城はことごとく瓦解し、島の周辺部のみをぽっかりと残して、すべてが海の底へと沈んだ。


「何てこった。あいつは……」
 ゼリク王は、事実を受け入れることを拒否するように、何度も首を振った。
「初めっから、自分の肉体でもって、畏王を封印するつもりだったのか」
「ルギドの馬鹿! 卑怯者!」
 ジルとリグはわあわあ泣きわめいた。
「なんで、ひとことも言ってくれなかったんだよ」
「わしは、こんな予感がしておったよ……」
 崩れ残った岩山の上に放心して立ち尽くす勇者たちのもとに、ユツビ村の長老が近寄り、静かに言った。
「あやつはそれが、幾十万もの生命を奪ったおのれの罪を償う、唯一の方法だと知っておったのじゃ」
「長老さま」
 アシュレイは島の中央にうがたれた水面を見つめながら、答えた。
「今にしてやっと、僕にはわかりました。20年前、神から与えられた予言の勇者は、僕ではなかった」
「アシュレイ」
「20年前、時同じくして、魔王の身体から生み出されたリュート、そしてルギドこそが、神に選ばれた本当の勇者であったのだと」
「そうじゃったかもしれんのう」
「俺は認めねえ!」
 岩に胡坐をかいてうなだれながら、ギュスターヴがなおも叫んだ。
「あいつは、ひとりで格好つけすぎだ。仲間の俺たちのことをちっとも信じてなかった。あいつは俺たちを裏切ったんだ。
アローテと結婚までしておきながら……、いっしょにいられないとわかっていながら……」
「いいえ。ギュス」
 アローテは、睫毛に涙をいっぱいにたたえながら、微笑んだ。
「ルギドは必ず帰ってくる」
「アローテ……?」
「だいじょうぶ。俺を信じろって言った。あの人は、必ず帰ってくる……」


 5日後。前線基地が置かれたワードック島。
 人々はそのあいだ、戦争の後始末のため、忙しく働いていた。
 戦死者の盛大な葬儀と負傷者の看護。軍装をほどき、基地を解体する。
 それらに一応の目途がつくと、義勇軍を皮切りに各国の部隊は、続々と本国への帰還を開始した。
 ルギドの生前の命令どおり、自ら降伏した魔王軍の残党たちは捕虜として丁重に取り扱われ、やがてジルとリグをリーダーとする「緑の森軍」の指揮のもとに、 ペルガの北の森に護送されていった。
 魔王もすべての魔将軍も滅んだ今、彼らに反抗の意志はまったくなく、あたかも憑き物が落ちたように誰もがおとなしく従った。
 20年の長きにわたって続いた人間と魔族との戦いは、魔王の永遠の封印をもって終わりを告げた。
 そのことを誰もが喜び合いながら、しかしワードック島には重い哀しみのとばりが降りていた。
 彼らの総大将が海の底に沈み、みずからの肉体を持って永遠に畏王を封印するという予期せぬ結末に、だれも皆、一様に衝撃を受けていたのである。
 その中でアローテが、とりわけ甲斐甲斐しく負傷者の回復や食事の世話に没頭している姿は、周囲の涙をさそった。
 ギュスターヴは、駐屯基地の士官用の小屋の中で、しみじみとアシュレイに訴えた。
「俺、アローテがまた正気を失っちまうんじゃないかと、恐かったよ」
「ああ」
 アシュレイもうなずいた。
「だが、そんな心配は無用だった。僕たちの中で一番早く立ち直っているのは、彼女だ」
「女って強いな。愛する者を心から信じているとき……」
「ああ、うらやましいくらいだよ」
 そのとき、唐突に小屋の扉をノックする音が響いた。
「元帥閣下」
「入れ」
 アシュレイの応答に、サルデス王国の軍服を着た17、8の年若い下士官が、最敬礼をした。
「閣下。たった今、東の海岸で起きた騒ぎを、兵が報告してきました」
「いったい何事だ」
「男がひとり、浜辺に流れ着いたのです。気を失っていますが息はあります。裸で身元を示すものは何も持っていません」
「どんな容貌の男だ?」
「魔族ではありません。人間です。長い金髪で目は青く、兵の話によると、総大将ルギド閣下にそっくりな顔をしているそうです」
 アシュレイとギュスターヴは椅子を蹴り倒して立ち上がった。
「そいつは……、今どこにいる?」
「古い漁師小屋です。サルデス兵のひとりが扉の外で見張っています」
「アローテをその小屋に呼んでくれ。今すぐだ!」
 血相を変えて走るアシュレイとギュスターヴに、基地の兵士たちが何事かと色めき立つ。
 海岸にほど近い丸太作りの漁師小屋の扉を開け放つと、ふたりは肩で息をしながらも、できるだけ音を立てずにそっと、寝台に横たわっている男のもとに近づいた。
 まるで、眼の前の光景がガラスのようにもろく崩れ去ってしまうことを恐れるように。
「リュート……」
 間違いはなかった。
 きらきらと陽光に輝く、まっすぐな金髪。日に焼けた肌。
 4年前の彼らの記憶と寸分違わぬ、友の姿がそこにあった。
 アローテが開いている戸から飛び込んできて、両手で口をおおった。「リュート?」
 その瞬間を待ちわびていたかのごとく、男はゆっくりと瞼を上げた。
 夏の終わりの晴れ渡った空のような青い瞳が、枕辺に立つ3人に注がれる。
「アッシュ……、ギュス……」
 震える声が唇から洩れた。
「アローテ」
「リュート!」
 アローテは、彼の首に両腕を回すと、今までせき止めていたであろうもの全てを洗い流すかのごとくに、大声で泣き始めた。


「何から話したらいいか、正直わからねえ」
 寝台の上に上半身を起こして、当惑した様子でリュートは額に両手を押し当てた。
「時間はたっぷりある」
 アシュレイが励ます意味で微笑みかける。「思い出せるかぎり、最初から話してくれたらいい」
「魔族の身体の中で、俺はずっと生きていた。人間の頃の記憶をなくし、ルギドとして考え、感じ、行動した。
その頃の俺たちは完全にひとつだった。だけど……」
 リュートは苦痛をあえて手元に引き寄せるような仕草で、拳を握った。
「いつしか、俺たちのそばに暗い邪悪な存在が現われた。封印の力が弱まるにつれ、畏王の意識が身体を操り始めたんだ。
だんだんと、その力は強くなり、ついに俺たちを乗っ取る寸前、俺たちはふたりに分裂した。
ルギドとリュート。魔族と人間のふたつの力で、畏王を押さえ込もうとしたんだ。
とてもうまく説明できてるとは思えねえが……」
「だいじょうぶだ。続けてくれ」
「畏王の意識は想像以上に強かった。俺たちは危うく消されそうになって、そして悟った。
やつの憎悪の深さは半端じゃねえ。このままでは何度畏王を倒しても、奴は必ず復活してしまう。
唯一の方法は、封印魔法によって、この身体ごと畏王といっしょに封印され、奴を全力で押さえ込むこと。それしかなかった。
ルギドと俺は長い間、相談した。そして……」
 うなだれて、口をつぐむ。
「ルギドは体内に残ったまま、畏王を封印すると。そして、リュートが元の人間の身体とともに切り離されて、この世界に戻ると……そう決めた」
「リュート……」
「アローテ」
 彼はかたわらにいた彼女にまっすぐに瞳を向けた。
「ルギドは最後までおまえのことを心配していた。おまえをまた、悲しませるんじゃねえかと。
奴を犠牲にして、おめおめと帰ってきた俺を赦してくれ。おまえを絶対にひとりにしたくない。一生守りたい。そのための選択だった。
俺たちを……赦してもらえるか?」
 アローテは涙でぐしゃぐしゃになった顔を、答えの代わりに何度も、何度もうなずかせた。
 リュートは彼女を腕の中に優しく抱き寄せた。
「ルギドからの伝言だ。……俺の『子どもたち』を、頼むってさ」


 

Chapter 27 End


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