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The Chronicles of Thitos
ティトス戦記

Chapter 3


 ルギドは王宮の物見台に立ち、月明かりに煌々と照らされたサルデスの城下町を眺めた。
 街は白い壁の残骸があちこちにあるだけで、あとは見渡す限り、通りの碁盤模様だけが延々と続く廃墟と化していた。
『クク……』
 自分の剣が破壊した街が、己れの力の象徴として何よりも美しいと感じ、彼は恍惚と笑い声を洩らした。
『お帰りなさいませ』
 かつてのサルデス王の寝所に戻ると、魔王城にいたときと同様、ジョカルが出迎えた。
 趣味の悪い絵の額と壁紙は彼によって取り外され、少しはましな部屋になったように思える。
『今日は、幾ついらっしゃいましたか?』
『3つか……。少し疲れたな』
 鎧を外しながら、ルギドは天井を仰ぎ、ほっと吐息をついた。
 サルデス王都を落として、1ヵ月――。彼は毎日先陣に立ち、王国中の出城と要塞から始めて、今は人間の町や村を襲っていた。
 戦闘員は徹底的に虐殺し、主だった建物以外すべて焼き払い、村人全員を一ヶ所に押しこめる。
 働ける者は奴隷として徴用し、老人や子どもには家畜の世話をさせる。家畜は、人間の肉で腹を満たせない下級の兵の食物とさせるためだ。
 村に一個ずつ小隊を残しては、人間どもの支配と、奴隷や「餌」の供給の責任を持たせる。一人でも逃亡者が出た場合、ルギドはその小隊長の命で贖わせた。
 魔王軍に対しては徹底的な規律と絶対服従と武勲への寛大な報償。人間に対しては虐殺と物以下の扱いで、恐怖と無気力を植え込む。
 彼の戦略は、わずか1ヶ月で世界最大の王国サルデスを全く解体して、魔族の支配する国へと作り変えつつあった。
 恭しく杯を捧げてから鎧の片付けなどに追われる、小柄な飛行族の従者の姿をちらりと見て、ジョカルはルギドをじっとねめつけた。
『ルギド様。今朝からおかしいと思いました。何故ゼダしかいないのです? 人間の女奴隷はどうなさったのですか?』
 ゼダは困ったように、恐る恐る主の顔色をうかがった。
『もういない』
 空の杯を弄びながら、平然と彼は答えた。
『またお召し上がりになったのですか?』
『ああ。「残り」はゆうべゼダに片付けさせた』
『まったく……』
 ジョカルの不機嫌は、腕に一筋だけある鱗がゆっくりと逆立ってゆくことで、すぐわかる。
『あそこまで言葉と仕事を教え込むのに何日かかったと思われるのですか。泣いてわめいて卒倒して……。
わたくしの身にもなられませ。お食事が足りないわけではありますまい』
『あいつらはたかが、「餌」じゃないか』
 ルギドは面倒くさげに寝台に仰向けに倒れこんだ。
『俺の足を洗い、髪を梳り、杯を運ぶ。俺はむしゃくしゃすれば殴り、気が向けば犯し、飽きれば食う。それだけだ』
『飽きたから殺した。そうおっしゃるのですか?』
 ジョカルの執拗な問いに、彼はぼうっと天蓋を見つめて視線を逸らせていたが、ついに『いや』と答えた。
『奴らの態度がなぜか途中から変わるのだ』
 彼は怪訝な面持ちで、従臣に訴えた。
『最初ここに来たときは、一日泣いている。俺に抗おうとしたり、隙を見ては逃げようとしたり、自害しようとする。そのうち諦めて人形のように無表情になる。
……だが、何人かは突然態度が変わる。俺のことをじっと見つめたり、寝台ですがりつこうとしたり、笑いかけ、挙句の果ては汚い人間の言葉で話しかけてくる』
 吐き捨てるようにルギドは言った。
『俺はそれが我慢できない! ……それでつい、食ってしまう』
 ジョカルは賢者のごとき思慮深い表情で微笑んだ。
『ルギド様。あなたはその人間の女の心を食ってしまったのです』
『心を、食う?』
『そうです。人間どもは「恋」と呼んでいますが。心を食われた女はその男のことを思い続け、男のために何でもしたいと願うようになってしまうのです』
『それは……まるで、呪いの一種だな』
『そうかもしれませぬ。しかし心を食われた女は何かと重宝な存在。命すら貴方のために投げ打ってくれます。我慢なさって、次はおそばにお置きなさいませ』
『ふん。ごめんだな』
 そう答えながら、彼は高窓の外を見た。夜の暗がりの中にほんの瞬きのあいだ、誰かとても懐かしい女の顔が浮かんだような気がしたが、それは目をこらす間もなく消えてしまった。


 アシュレイたちはサルデスの東海岸、王都から50キロほど離れた場所に降り立った。
「艦長。僕たちを降ろしたらすぐ、沖まで離れてください。魔王軍が攻撃して来たり、あるいは僕たちが7日経っても戻ってこないようなら、サキニ大陸へ向かってこの書状をペルガ王にお渡しください」
「分かり申した。ご武運を」
 岩だらけの海岸から、草ぼうぼうの崖を掻き分けながら登ってゆくと、見慣れたサルデスの大草原が眼前に広がった。
 しかし、生き物の気配はなかった。草木は瑞々しさを失い、邪気を含んだ澱んだ大気があたりをおおい、心なしか空の色までが暗かった。
「アッシュ。行こう」
「ああ」
 ギュスターヴに促がされて、アシュレイはようやく歩を進めた。
「アローテ」
「ええ……」
 アローテも同様だった。
 やれやれ、まともに戦えるのはどうやら、俺だけみたいだなと、ギュスターヴは一人ごちた。
 アシュレイは祖国の敗北と、彼が子どものとき騎士である父親を失ってから親同然に面倒を見てくれた、国王の悲惨な死のショックから立ち直れずにいた。
 そしてアローテと言えば、敵の魔将軍がリュートであるかもしれないという可能性を考えては打ち消し、打ち消しては考える毎日が、ただでさえ病がちな彼女の体をさらに追い詰めていた。
 いや、ギュスターヴ自身、失意の底にいる2人を励ますという任務を自らに課していなければ、とっくに逃げ出していたかもしれない。
 魔法剣の意味するところの本当の恐ろしさを知っているのは彼だけだった。
 古の魔導書はこんな言葉で締めくくられていた。
[もし、それに十分耐え得る刀身というものが存在するとすれば、魔法剣は世界を消滅させる力すら持ちうるであろう――]
 小一時間の行軍の後、地図の示すところに果たして村はあった。デルフィアのすさまじい破壊ぶりに比べればましだが、集落は荒れ果て、魔王軍が襲来したことは明らかだ。
 そっと茂みの中から様子を覗うと、やがて数匹の魔物の下級兵どもが、奥から姿を現わした。
 その後ろの井戸のそばを、人間がおびえながら足早に通りすぎるのも見える。
「奴らは1小隊20人……てとこか」
 しばらくの観察の後、黒魔導士がささやいた。
「ああ」 アシュレイが柄に手をかけ答える。
 祖国の人々が魔物の支配に甘んじている姿を目の当たりにして、ようやく彼の目に怒りの炎が燃え始めたようだ。
「行こう。アローテ、大丈夫か」
「ええ、行けるわ」
 奇襲攻撃。
 アシュレイの剣が入り口付近にたむろしていた3匹を、2振りでなぎ倒した。アローテが白魔法を唱え、彼の防御力を高める。
 わらわらと駆けつけた魔物どもが一斉に彼に襲いかかろうとする頃には、ギュスターヴの風の呪文の詠唱が終わり、まとめてふっ飛ばす。
 リュートがいればもっと短時間で片がついたのだろうが、それでもかなり満足のいく結果で勝利を収めた。
 騒ぎを不審に思った村人たちが家畜小屋や礼拝堂のドアの隙間から顔をのぞかせ、やがてわっと外に飛び出してきた。
「もう魔物はこれで全部ですか? 安心してください。皆さんを助けに来ました」
「勇者様! ギュスターヴ様、アローテ様も!」
 エルド大陸の英雄である彼らの顔は、子どもとて知らぬ者はいなかった。
 村長らしき初老の男が人垣を掻き分け、進み出た。
「何てことをしてくれたのです。勇者様!」
「え?」
 村人たちの喜ぶ顔を予想していた3人は、呆気に取られた。
「こんなことをして奴らに知れたら、この村の人間は全員皆殺しです」
「大丈夫、必ず僕たちが皆さんを守ります。もうすぐサルデスの軍艦もここに……」
「あなたがたは知らないのです」
 村長は首を横に振った。
「あの紅い目の銀髪の悪魔を…。
あいつは騎士五千人を一瞬で壊滅させたのですよ。城の近衛兵が何の手出しもできない中で、国王を食らったのですよ。
……悪いが、勇者様たちと言えども、あいつに敵うわけはございません」
「逆らわなければ何とか生きていけるんだ!」
「俺たちのことは放っといてくれ!」
 口々に罵る村人たちの表情を、アシュレイたちは呆然と見回した。恐怖のあまり、気力と尊厳を失い、卑屈さに歪んだ愚鈍な顔が、彼らを取り巻いていた。
「後始末はわしらがします。悪いが勇者一行をこの村にお留めするわけにはいかない。出て行ってくだされ」
 村の外に追い出された彼らは、へたへたと木陰に座り込んだ。
 ついこの間まで、夏至祭に沸いていた村々。生きる喜びに満ち溢れ、自由を謳歌していた村人たち。
 たった1ヶ月でこれほど人間は変わるものなのか。
 魔物がこれほどに、人間の有様を変えてしまえるものなのか。
「くそう!」
 アシュレイは緑の瞳に暗い憎しみの念をたぎらせ、ぎりぎりと歯噛みした。
「ルギドめ! 赦さん! 必ず……必ず、殺してやる!」
「アッシュ……」
 アローテは、今まで見たこともないほどの怒りに我を忘れている彼の背中を見て、言い知れぬ不安に喉を詰まらせた。


 それでも3ヶ月が経とうとする頃、サルデス王国の北東の国境地帯を皮切りに、徐々に人間側が勢力を盛り返してきた。
 1つ、また1つと村や町が解放され、大商業都市ローダなどは、多いとまでは言えないまでも、かなりの物資を海路で補給してくれるようになった。
 一番の勝因は、魔法王国テアテラが、ギュスターヴの要請に応えて、魔導士軍団を送りこんでくれたことだ。
 隣国テアテラは古代魔法発祥の地。いわば国全体が、魔法研究機関の様相を呈しており、魔王軍の入ることのできない巨大な結界を国中に張り巡らせている。
 そのためルギドも先代の魔将軍たちも、テアテラには手が出せないでいたのである。
 4ヶ月目にはサルデスの5分の1が、人間側の手に戻った。
 ルギドはサルデス王宮の玉座に坐って報告を聞いていたが、そのあまりの敗色の濃さに、報告していた兵を突き殺した。
 彼が立ち上がると、広間中にビリビリと電気が走った。
『俺がサキニ大陸を攻めていたわずか2ヶ月の間に、一体貴様らは何をしていた!』
『ルギド様。お静まりを』
 玉座の傍らに立っていたジョカルが短い言葉で制すると、彼はふたたび腰を下ろし頬杖をついた。
『やはり、テアテラを放っておいたのがまずかったか……』
『はい。それに何と申しても、勇者の存在が人間どもの志気に与える影響は大きいようです』
『父王の言われたとおりだったな』
 彼は自らの不見識を悔いた。しかしそれと同時に、一度手に入れたおもちゃを取り上げられたような、子どもじみた怒りがふつふつと湧いてくるのを抑えることができなかった。
『明日、俺が出る』
『サキニ大陸の主力部隊を呼び戻しましょう』
『いや、いい。ジョカル、おまえが俺の代わりに行って指揮を取れ。魔将軍たちの前で、3ヶ月でサキニ全土を取ると公言したのだ。攻撃の手を緩めるな』
『でも……』
『勇者どもは、俺一人で殺る』
 好戦的な光を紅い目に宿し、ルギドは微笑んだ。
『俺のかいた恥は、何倍にもして返してやろう』


 初冬の凍えるような風が枯草を騒がす。
 アシュレイたちは、本隊を離れて行動していた。
 サルデス北部地帯はもう戦いの季節ではない。人間たちが冬支度に勤しむ頃、魔王軍の動きも鈍くなる。
 一説によると、奴らの一部は変温生物らしい。毎年冬になると、敵は暖かい南方の大陸に矛先を向けて行ってしまう。
 言わば、自然の休戦協定が行なわれているのだ。
 アシュレイらは、冬の間の軍の駐屯場所を定め、食糧や燃料の補給の段取りをつけるためローダに行った帰りに、各地を巡回しながら、軍との合流地点に向かっているところだった。
 都市や村は平和にやっと慣れ、手付かずだった家々の再建も急ピッチで行なわれていた。
 その様子を見ながら、パーティ随一の懐疑主義者と自他ともに認めるギュスターヴは、不満げにローブの紐をいじっていた。
「……おかしい!」
「どうした、ギュス」
「あまりにうまく行き過ぎている。こんなトントン拍子に事が進むとかえって不安になる。罠、なんじゃないかと」
「ルギドがいないお蔭だ。奴は今、サルデスから離れ別の大陸を攻めているらしい。そこの人たちには悪いが、僕たちはその隙をつけたってわけさ」
「そうだな……」
「僕たちは今はサルデス再建のことだけを考える。18年前の歴史のやり直しだ。完全に復興したサルデスとテアテラが協力し、他の大陸を少しずつ解放していけばいい」
「18年前と同じ条件ならな」
 ギュスターヴが反論した。
「ついこの間まで戦っていた魔王軍は、縄張り意識丸出しで、俺たちが一ヶ所を攻めている間、他の将軍は助けに来ようともしなかった。
しかし今は違う。ルギドは神出鬼没だ。巧妙に守りの薄いところを攻めてくる。今までのやり方で俺たちは勝てるのか」
「守りの薄いところなど作らない。今のサルデス・テアテラ連合軍は、2ヶ月前と見違えるくらい強くなっている。志願兵も増えた。このまま行けば……」
「アッシュ!ギュス!」
 最後尾に馬をつけていたアローテがふたりの会話を押し止めた。
「大気が騒いでる。……変よ!」
 3人が口を噤むと、ざわざわと枯草の鳴る音が前にも増して高くなってくる。近くから不吉な声を上げて烏が飛び立って行く。
「見て!あそこ!」
 アローテが指差したのは、彼方の丘陵の上。数本の冬枯れの木立の陰から、じっとこちらを見下ろす者がいた。
 黒い馬。黒い鎧。銀色の髪が強風に煽られ、蛇のように蠢いている。
「あいつが……」
「ルギド……」
 黒馬に鞭をくれると、彼は3人との間のかなりの距離を一気に下ってきた。
 彼らも馬から飛び降り、戦闘態勢を敷いた。
 両者は声の届くほどに近づき、相対した。
 ルギドはゆっくりと馬を下り、風にもつれた髪をかきあげる。
 紅く光る目。尖った耳。長い爪と水掻き。ニヤリと笑った口の中に覗く鋭い牙。皮膚の下を流れるどす黒い血。そして銀色の髪――。
 すべてのものが魔族であることの証しなのに、それでも3年間寝食をともにした仲間の顔は見間違えようもなかった。
 3人はガクガクと震え出した。
 リュートだ。
『ダ ジュス バリアル ティス ハ ティノン ダ?(誰か魔族の言葉を解する者はいるか?)』
 ルギドはひとりひとり値踏みするように見回し、訊ねた。
 真先に我に返ったのは、やはりギュスターヴだった。
『ダ。アルク ティノン(いる。全員わかる)』
『それは助かった。今日は通訳を連れていないからな』
 からかうように、ルギドは深々と頭を下げた。
『初めてお目にかかる。魔王軍上級指揮官が一、ティエン(王太子)・ルギドだ』
「王子……ルギド……?」
『おまえか。勇者というのは。その小柄な奴』
 アシュレイは魔導士たちを庇って、1歩前に踏み出した。
『アシュレイ・ド・オーギュスティン。サルデス王国の騎士にして、国王より勇者の名を賜る者』
『俺はギュスターヴ・カレル。テアテラ王国ユツビ村出身の黒魔導士。
 こちらは白魔導士のアローテ・ルヴォア』
 アローテは立っていられないほどの動揺に、よろよろとギュスターヴのローブの袖に掴まり、大きく見開いた瞳でルギドを見つめた。
「リュート……。あなたは、リュートなんでしょう?」
 魔族の表情が険しくなった。
『何だ、この女は? 何を言ってる?』
『おまえはそっくりなんだよ。1年前に行方不明になった俺たちの仲間、リュートって奴に!』
『おまえたちの仲間、だと? ……フフ……』
 ルギドはさも可笑しそうに横顔を向けた。
『そう言えば、前に同じようなことを言っていた奴がいたな。あれは誰だったか……。そうだ。サルデス国王だったな』
『何だと……!』
 アシュレイが肩を強ばらせた。
『何を血迷ったか、俺に向かってその名前を呼び続けた。
……フン、馬鹿な奴だ。せっかく生かしておいて豚でも飼わせてやろうと思っていたのに、あれで気が変わった。
だが、まずい肉だったぞ。心臓も脂肪でぶよぶよだった』
『よくも――!』
 アシュレイは今にも剣を抜きそうに身構えた。
「止めろ! アッシュ。挑発に乗るな!」
「わかってる。……でも!」
 アシュレイは柄から手を離さずに、ルギドを睨みつけた。
『国王陛下は、僕を我が子同様に育てて下さった。王妃様も母親のように優しく、王子も王女も僕といっしょに育った。
……それなのに、その方たちの目の前で、陛下をけだもののように食らうとは!』
 ルギドは残忍な喜びを目に輝かせて、笑った。
『わからないのか。だから、俺はサルデスを襲ったのだ。
人間の分際で勇者と祭り上げられているおまえの、国と国民を滅茶苦茶に破壊し、おまえの愚かさを思い知らせるためにな!』
『くそう。ルギド! おまえは……おまえだけは、絶対に赦さん!』
 叫ぶより早く、アシュレイの金色の聖なる剣はその鞘から放たれた。
『始めるか。いいだろう。俺も忙しい身だ』
 同じく目にも止まらぬ早さで、ルギドも黒い刀身を閃かせた。
「いいか。アッシュ。熱くなるなよ!」
 杖を構えてギュスターヴが怒鳴る。
 その次の瞬間、彼はアシュレイに肩と肩とを触れ合わせた。
「ちょっと長いのを詠る。気合入れて奴を引きつけてくれ」
「わかった」
 そして、アローテに向き直ると、
「アローテ、しっかりしろ! 魔法防御呪文(アンチマジックシェル)を唱えるんだ」
「ええ……」
「気を抜くな! 奴はリュートじゃない。わかっただろう。リュートの皮だけをかぶった悪鬼なんだ」
「はい!」
 ふたりの魔導士が詠唱に入ると同時に、アシュレイは鴇の声を上げながらルギドに切りかかった。
 電光石火の連続攻撃も、細身の長剣に難なく受け止められる。反対に、アシュレイの果敢な打ち込みをひらりとかわすと、黒鎧の剣士は刃の腹を思い切りぶち当てた。
「うわっ!」
 一瞬、態勢を崩しかけたアシュレイは、すぐに構え直した。
『いいものを見せてやろう』
 ルギドが剣を持っていない右の掌を上に向けると、ぼうっと光る球体が空に立ち昇った。
 その手で柄を握ると、黒い刀身が見る見る赤みを帯び、ちろちろと蒼い炎がゆらめき始めた。
『それが古代ティトスの魔導書にある魔法剣か!』
『ほう。よく知っているな』
『それでデルフィアとサルデスの都を破壊したんだな』
 言いつつ、アシュレイはじりじりと間合いを取った。
『知っているなら、話は早い』
 ルギドは小動物をなぶる猛獣の瞳になった。
『少しでもかすっただけで黒焦げになるぞ!』
 一振りであたりの枯草が宙に舞い、燃えて溶けた。
 カキンと高い音、剣と剣が合わさる。アシュレイの手にものすごい熱さと痛みが伝わってきた。
「ア……ツッ」
 彼は思わずうめき声とともに飛び退いた。
 ルギドの左手の剣は今や轟音を立てて燃えあがる。それはまるで、彼が闘いの興奮に酔いしれるにつれて、威力を増しているようだ。
 長い時間、剣を触れ合わせているわけにいかない。一瞬で仕掛けなければ。
 アシュレイは剣を横に構え、戦法を変えた。
 雄叫びを上げながら走りこむと、腰を落とし、敵の足を払いにかかる。
 さすがに予期されていたものの、出足は鈍る。
「ギゼルの神殿に煌く金剛石、アル・ウリヨンの風の流れ、エメネーの頂きに落つる雷光……」
「ムタールの慈悲深き神。我の回りに守りの輪を開き給え。汝のしもべを嘉し給い、聖き聖所より御翼打ち開き給いて……」
 ギュスターヴとアローテはそれぞれ一心不乱に呪文を詠唱し続けていたが、ギュスの方がわずかに早く唱え終わると、顔を上げた。
「アッシュ!」
 勇者は素早く反応して、魔族から離れる。バリバリという大音声とともに、雷撃呪文がルギドを襲った。
 彼は余裕をもってかわしたが、その直後に畳み掛けるように、真空の刃が降り注いだ。
 ルギドの膝まで達する銀髪の先が一房、はらりと地面に落ちた。
『雷と真空の呪文を同時に詠唱して、時間差をつけて発動させたのか……』
 細く背の高い魔導士を、ちらりと紅い目で振りかえる。
『なかなか楽しませてくれるな』 
「くっそーっ! あの鎧は魔法防御力もあるのか!」
 ギュスターヴは地面を叩いて悔しがっていたが、
「あぶない。アッシュ!」
 仲間の魔法の結果を見届けようと動きを止めていたアシュレイに、容赦なく炎の剣の旋風が襲いかかった。
「ぐあっ!」
 彼の左腕がざっくりと割れ、しかも小手ごと燃えあがった。もんどりうったアシュレイは丘の斜面を転げ落ちた。
 アローテがあわてて駆け寄る。そこにルギドは間髪を入れず2発目を放つ。
 ちょうどその瞬間、アシュレイを中心に、彼女が唱えていた絶対魔法防御結界が発動し、炎は四散した。
「アッシュ!」
「だ、だいじょうぶだ……」
 アローテはすぐに回復呪文を唱え、焼け爛れた左腕に手をかざすと、その傷は見る間に薄らいでいった。
『ほう』
 その一部始終を観察していたルギドが剣を翻すと、赤い炎は消え、刀身はもとの黒に戻った。
『チームワークか。おまえたちの強さの源は。一瞬たりとも躊躇うことも止まることもなく、それぞれの分を果たす団結力……というところか』
『前はもっとすごい奴がいたんだよ』
 ギュスターヴは拳を握り締めて叫んだ。
『そいつがいれば、俺たちはもっと強かった。そいつの剣に守られて、俺たちはどんな長い呪文も唱えられたし、どんな奇襲も可能だった』
 ルギドはゆっくりと丘を降りて近づく。
『リュートがいれば、おまえなんか、いちころに仕留められたさ!』
 アローテが気遣わしげに幼なじみの後姿を見上げた。アシュレイの回復の時間稼ぎをしていることは 明らかだった。
 銀髪の魔族は、そのことを知ってか知らずか攻撃する素振りも見せず、薄く笑っている。
『そいつは1年前、ベアト海の地底洞窟にある魔王城で行方知れずになった。――ルギド、おまえが現われたのは確かこの1年のことだったな』
『……』
『魔物の中には、ほかの生物の体を乗っ取っては永遠の命を保つ者がいると聞いたことがある。おまえも大方、リュートの体を……』
『俺の肉体は父王から賜ったもの。貴様らの仲間の汚らわしい体といっしょにするな』
 ギュスターヴの言葉をさえぎった低い声には、憤りの響きがあった。
「ギ、ギュス……」
 足元からかすれた囁き。アローテがまた新しい呪文をかけ始めているため、上半身を起こしただけの体勢である。
「アッシュ。もう大丈夫なのか」
「いける。……それより」
 彼はじっと敵のほうを見た。
「奴は炎の使い手だ。デルフィアでもサルデスでも炎ばかり使っている。多分奴の弱点は……」
「冷気魔法か」
 魔法にはいくつかの系統がある。
 基本的に相反する性質の魔法は反発し合う。例えばギュスターヴは風や雷などの大気魔法を得意とするが、その反面、大地系の魔法は使えない。
 また防御でも、不得意な系統の呪文ほどダメージを受けやすくなる。 
「だから、次は氷結呪文で行ってくれ」
『ハ……アハハ』
 ルギドは突然、哄笑を始めた。
 ふたたび右手をあげたかと思うと、今度は真白に曇った大気の渦が現われ、剣に移ると、轟音をたてる冷気のうねりが剣を取り巻いた。
『おまえら人間どもと一緒にするな。俺には弱点などない』
「ちっ、聞かれていたか」
 アシュレイが舌打ちする。
「ああ、考えてみれば、奴には魔法の常識は通用しない。呪文の詠唱を全くせずに使っているからな」
「なんて奴だ……」
「それに、もうひとつ……」
 ギュスターヴは屈んで声を潜めた。
「気づいたか。奴は人間のことばをわからないふりをしているが、今の俺たちの会話はちゃんと理解したぞ」
「アッシュ、OKよ!」
 アローテの合図を聞くなり間髪入れず、ギュスターヴの背中を踏み台に宙に舞い、アシュレイは渾身の剣を振り下ろした。
 ルギドの剣と打ち合わすたびに、ぱきんぱきんと乾いた音を立てて固い氷の粒が空中に飛ぶ。それが顔に当たるのも構わず、彼は思いきり前に突っ込んで行く。
 長引くのは不利と悟り、明らかに勝負に出ていた。
『魔法防御力が上がった……』
 ルギドは、氷の剣が思ったほど勇者を弱らせないのをいぶかって、呟いた。
『あの女が唱えていたのはこれか。奴に魔法防御を施したな』
 アシュレイの激しい剣戟に押され、さすがの悪鬼も後ずさりして丘を登る、防戦一方の体勢に甘んじているように見えた。
 しかし、それも計算ずくだと誰も気づかぬうちに、勢いを得てさらに踏み込んだ聖剣の騎士は、カウンターの冷徹な一発を足に食らった。
「グハァッ!」
 アシュレイは2メートルも後方に吹き飛ばされる。
「ギュス! 詠唱を中断して、来てっ!」
 駆け寄ったアローテは短く命ずる。
「この傷の氷を炎魔法で溶かして! でないと回復できない」
 ギュスターヴは言われたとおり、弱い初級呪文を素早く唱え、アローテがそれに和した。
 ルギドはまた剣を翻すと、驚きの色を隠さずその光景を見ていた。
『あの女か……』
 彼の強い好奇心はアローテに集中した。
『あの脆弱な人間が魔王軍と互角に戦えた強さの秘密。……俺にないもの』
 魔族には白魔法という概念がない。創造神に仕える僧侶たちがかって激しい修行の中から身につけたという癒しの秘儀を、神に反逆した者たちが使えないのは当然だと言われている。
『あの女、欲しい……』
 一方アシュレイは、せわしく鞴(ふいご)のように動く胸を押さえながら、遺言のごとく言葉をしぼり出していた。
「ギュス、アローテ、今から言うことをよく聞け」
「アッシュ。しゃべっちゃだめ!」
「あれは……リュートだ」
「なっ……」
 ギュスターヴは目を剥いて仲間の顔を覗きこんだ。よりによってアローテに向かってますます動揺を誘うことを。
 アッシュは頭でも撃ったのか?
「間違いない。……剣を合わせる中で確信した。あれはリュートの太刀筋だ。
あいつのは、自分で編み出した我流の剣法だった。今のルギドの剣と、魔法剣ということを除けば全く同じ……。あいつといつも打ち合っていた僕だからわかるんだ!」
「そ、そんな……」
 アローテは力尽きたように膝を地面に着いた。
「さらに確信したのは、ルギドが人間の言葉を理解しているってことだ。最初のうちは本当にわかっていなかった。
戦いに集中するにつれ、わかり始めている。しかも自分ではそのことを気づいてない。……これはどういうことだ?」
「奴は、リュートの記憶を水面下で持っている、ってことか……」
 アローテを気遣いながら、しぶしぶとギュスターヴが答えた。
「でもな、ギュス」
 アシュレイはゆっくりと片膝をついて立ちあがった。
「僕はそれでも、あいつを殺す」
「アッシュ……」
「あいつが僕の国にしたことは赦せん! 奴がリュートならなおさら……、何故思い留まってくれなかった? 僕は奴がリュートだとしても……、リュートだからこそ、あいつを殺す!」
「わかったよ。俺も地獄の底までついてくぜ」
「待って! アッシュ! ギュス!」
 アローテの懸命の制止も空しく、ふたりは一斉に逆方向に飛び退き、走りざまギュスターヴは先ほど発動しそこねた雷撃呪文を引きしぼって放ち、それと同時に反対側からアシュレイの剣がうなりを上げて襲いかかった。
 轟音と振動が地を揺るがした。
 閃光が消え去る前、ルギドが可笑しそうに笑う声がした。
 見れば、ついと伸ばした左手の先で、雷撃の蒼い光がギュスターヴの魔法と打ち消しあって消えていこうとしている。
 一瞬のうちに右手に持ち替えた剣は、アシュレイの奇襲を完璧に受け止めている。
「俺の、最大の呪文が……」
 ギュスターヴは口の中で茫然と呟く。
『そろそろ飽きてきたな』
 ルギドは勇者を押し返すと、黒い刀身を地面を擦るほどに低く下げた。
『終わりにしてやる』
 黒い光が斜めに閃く。
 血飛沫も上げず、アシュレイが大地に沈みこむ。
「キャアアッ!」
 ルギドは倒れているアシュレイの髪の毛を掴み、そのまま自分の顔の高さまで吊り上げた。
「アッシュ!」
「いやああっ。アシュレイ!」
 仲間の必死の呼びかけも届かない。
『勇者の実力の程は見せていただいたよ』
 つぶやくとルギドは剣の切先を、彼の喉笛に当てた。
『だがもう十分だ。死ね』
「だめえっ。リュート! 殺しちゃだめぇぇぇっ!」
 肺が破れんばかりのアローテの絶叫。
 その途端、押し当てられた剣先がぴたりと止まった。
 何だ、これは……。ルギドはぼんやりと考えた。何故、体が動かぬ……。
 目の前にいつのまにか血だらけの若者の顔がぶらさがっている。
 俺はこいつを知っている。前にもこうして戦った。何回も何回も……。ずっと昔だった。
 ずっと昔……、あれは何時のことだ?
 誰かが遠くで泣いている……。悲しそうな泣き声が。あれは……誰?
 あろーて。アローテ?
 街角の手風琴弾きが紡ぎ出した音楽のように、彼の頭に怒涛の如くイメージが溢れ出し爆発した。
『う……ああっ!』
 ルギドは自分を破裂させようとする幻覚の洪水を振り払おうと、天を仰いで吠えた。
『貴様、何をしたっ。何の魔法をかけた!』
「なに……?」
 頭を抱え自分を睨みつける魔族に、ギュスターヴは事の次第を量りかねた。
 ようやく平静を取り戻したルギドは甲高い指笛を鳴らすと、すぐさま黒馬が丘陵の上から駆け下りてくる。
 ひらりとまたがり、手綱を取って馬腹を蹴りつけると、狂ったように走り始めた馬上から身を屈め、アローテの体をすくい上げる。
「アローテ!」
『この女、もらってゆく』
 ルギドは肩越しに勝ち誇った声で叫んだ。
『取り返す勇気があるなら、サルデスの王宮まで来い! 待っているぞ!』
 黒馬が丘の向こうに見えなくなるまで、ギュスターヴは立ち尽くしていた。
 やがて、よろっとアシュレイの元に駆け寄る。
「アッシュ。……アッシュ!」
 腰の袋から気付けの酒と薬筒を取り出し、友の体を抱き起こすと少量ずつ口に含ませた。
「ごほっ、ごほっ」
「大丈夫か、アシュレイ」
「ル……ルギドは……?」
「もう去った。いない」
「アローテは……」
「奴がさらっていった……」
 ギュスターヴは地面に拳を叩きつけ、ぐりぐりとめり込ませた。
「俺たちは……敵わなかった。 3人がかりで傷ひとつ負わすことができなかった。……おまけに、アローテまで……」
「う……ううっ。」
 仰臥したままでアシュレイがぼろぼろと涙を伝わせた。
「あいつが……、あいつがリュートだなんて。国王を虐殺し、サルデスを滅ぼしたあいつが、僕たちの……。
僕は誰を憎めばいいんだ。あいつにリュートの心が少しでも残っているなら、いったい僕は誰を……」
 若い戦士たちは、枯れた草原の真中でいつまでも泣き続けた。

Chapter 3 End

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