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Chapter 6
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サキニ大陸――。 牧畜・遊牧に適した広い乾燥地帯が全土の5分の3を占める、冬も温暖な土地。 その西半分のペルガ王国。さらにその西南端に位置する貿易都市エクセラ。 そこは町全体が巨大な市場(スーク)とも言える都市だった。 通りという通りの軒先の極彩色の日除け布の下には、所狭しと品物を並べた露店が連なり、噴水のある円形広場といわず階段といわず、 場所さえあれば行商人たちが、野菜や壷や胡散臭い骨董品を広げる。 あちこちから間断ない商人の呼び声が響きわたり、狭い通りを金髪碧眼の放浪民族の子どもが、歓声を上げて走りまわる。 「うわあ、リュートの小っこいのがいっぱいいるなあ」 屋外のカフェで食事をとっていた若者が、まぶしげに目を細めながら通りを眺めた。 濃緑のローブと、円テーブルの傍らに立てかけた長いごつごつしたヤドリギの杖。長身ながら華奢な体つきからして、職業は魔導士だ。 黒い長髪を毛糸の束のようにゆるく捩り合わせて、背中でまとめている。 ほっそりした神経質そうな顔の印象を、あるときは皮肉気に、あるときは楽しそうにくるくる表情を変える灰色の瞳が裏切っている。 「そうか。ここはリュートの出身地だったっけ」 「活気のある町だな。品物も豊富だし、とても魔王軍が山の向こうまで迫っているとは思えない」 彼の向かいで茶葉を拭きやりながら、熱いお茶をすすっていた20歳にもならない騎士が、ホーッと深い吐息をついた。 陽光を受けて輝く金褐色の髪が風になびいては丸くはねる。 深い色を帯びた緑の目と少年の面影を残した端正な顔立ちは、楽しそうな微笑に彩られている。 彫金師が念入りの細工を施した銀の胸当てと、上質の革の草摺、濃紫のマントは名のある貴族の出である証拠だ。 しかし肝心の貴族の徴であるサークレットがない。また目ざとい者ならば、腰に差している剣が似つかわしからぬ安物の青銅製であることに気づいただろう。 カフェの奥からひとりの少女が出てきて、彼らのテーブルに飲み物のグラスと、山盛りのパスタを取り分けた皿を置いた。 「お、よく食うな。太るぞ」 黒髪の若者がからかった。 「やだ、ギュス。イヤなこと言わないでよ」 彼女は恥ずかしそうに席に着いた。 淡い水色のローブを纏い、肩に無造作に垂らした黒い艶やかな髪が、動きに合わせて軽やかに揺れている。 黒く大きな瞳の目立つ顔は、少し前まで病気がちだった名残だ。しかし今は透き通るような肌にうっすら赤みが差し、1月ほどの旅を経てすっかり健康を取り戻したことがうかがい知れる。 「店の人と立ち話をしてたの。魔王軍が来ていることは、町の人もけっこうわかってるみたい」 天使の姿を彫りだした短い杖を椅子の背凭れにはさみこむと、古代語で食前の祈りをささげる。古の僧侶の呪文を操る白魔法の使い手であることは明らかだ。 「それにしては、ちっともあわてる様子がないな。もっと不安気にしていても良さそうなものだが」 騎士が呟く。 「安心してるんじゃないのか。高い山がまだ奴らを阻んでいる。それにいざとなれば、港にごまんと停泊している船に乗って海に逃げ出せばいいわけだし」 魔導士がいつしか声をひそめる。 「それに――噂だけど、ここの商人どもは、魔王軍に武器を密売して大儲けしてるんじゃないかって」 「馬鹿な。魔王軍は人間のひ弱な武器などに頼ったことはない」 3人が声の方に振り向くと、カフェの日傘ほどもある背の高い男が見下ろしていた。 黒い魔導士用のローブを前をはだけて着ているが、そこから覗く筋肉質の体と鋭い身のこなしは明らかに戦士のものだ。 右手に抱える鞘入りの剣は船の櫂のように大きく平たい。 腕の皮膚は、魔族の黒い血が浮き出て浅黒く見える。 両手には細い布を幾重にも巻きつけ、猛禽のような爪を隠している。 フードのため、顔は陰に沈んでいるが、紅蓮の炎のような紅い瞳と、頬骨から膝まで伝い落ちる月光のような銀色の髪は隠れていることができない。 しかしこの雑多な人種が入り乱れる町では、彼の異様な風貌も誰の目にも止まることはなかった。 書物すら読んだことのないこの国の民衆は、世界にはまだ見たこともない民族がいるものだと合点してしまうのだ。 ましてや、この男が1月前まで魔王軍の指揮官であったことや、テーブルについている若い男女が死闘の末に彼を仲間として迎え入れ、そのために勇者の称号を失って祖国を追放されたことなど、思い至るすべすらなかった。 長い船旅の末、昨日自由都市エクセラに辿り着いた4人は、今魔王軍の最前線がある東方の山中に赴く前の情報収集と、物資の準備に取りかかったところだった。 「遅かったわね、ルギド」 アローテはぱっと顔を輝かせて、彼のために椅子を引いた。 彼女にとっては、結婚を約束したこともある恋人。 でも彼は未だに彼女に心を開いてくれない。一度だって昔のようには微笑まない。 姿が見えなければ、心配で死にそうになる。いつか何も言わずに去ってしまうのではないかと。 「もう俺たちは食べ終わったぞ」 「おまえも何か取ってこいよ」 「いい。もう食事は済ませた。それより……」 ルギドは腰を下ろすと、一枚の紙をテーブルに広げた。 「宿屋でこれを描いていた」 「何だ、これは?」 「この大陸の地図じゃないか!」 アシュレイが身を乗り出して目を走らせた。 「こんなのは見たことがない。すごく精密にできている」 東西に長い、魚のような形をしたサキニ大陸。中央を貫く高い山脈が、今魔王軍の支配下にあるエペ王国との国境線だ。 地名は魔族の文字で書かれてあるが、海岸線の一本一本、山々の稜線に至るまで、精緻に描き込まれている。 「どこで手にいれた?」 「俺がこの大陸を攻めていたとき、部下に作らせたものだ。現物は魔王城にあるが、記憶をたどって描いた」 「記憶だけでここまで?」 「こんなもの一度見れば覚えられる」 ギュスターヴはアローテにこっそり耳打ちした。 「リュートの頭とは全然別の構造になってるぜ。あいつは自分のいる町の名前すら覚えてなかったものな」 「僕が聞いた限りでは、魔王軍はこの峰の向こうに駐留しているらしい」 アシュレイは地図の一点を指差した。 「ざっとここから300キロ。王都からでも250キロあまりだ。しかもまだ高い尾根を挟んでいる」 「別働隊を仕立てるならともかく、歩兵団が進軍するには10日、いや15日はかかる距離だ」 ルギドは苛立たしげに奥歯を鳴らした。 「いったい何をしていた……。俺の作戦ならもうとっくに王都を占領している頃だ」 「おいおい、魔王軍がもたついてるのが、まるで悔しいみたいな言い方だな」 ギュスターヴが突っかかる。 「当たり前だ。俺の指揮していた師団だぞ。うまくやってもらわなくては不愉快だ」 「おまえなあ、いったいどっちの味方なんだよ!」 「やめてよ! ふたりとも、喧嘩するのは」 アローテが頬をブッとふくらませて、彼らを引き離す。 「とにかくこの状態なら、この地図も活用できない無能な奴が指揮しているのは間違いない」 魔族は吐き捨てるように、 「王都はあと3週間は持つと見ていい」 「そうか。敵の様子を一番よく知っているルギドが言うのなら間違いないな」 アシュレイがにっこりした。 「僕たちも準備にたっぷり時間をかけられる」 「そうと決まったら、さっそく買い物だ!」 途端にギュスターヴが張り切り出す。 「薬草もとっくに底をついたし、できればマジックアイテムも長期戦に備えて買っておきたいしな」 「あのぅ、それなんだけど……」 フォークを置くと、申し訳なさそうにアローテが言った。「おかね……もうないの」 「え?」 男たちは固まってしまった。 「船賃に2400サリングかかってるし、宿代も前払いさせられて、食費とか差し引いたら……」 彼女はおそるおそる、テーブルに指で数字を3つ書いた。 「そんなぁ」 ギュスターヴの悲鳴。 「こないだ長老の名前で、魔導士ギルドで金を借りたばっかりだろ?」 「それ何週間前の話よ」 「せっかくこの青銅の剣をエクセラの武器屋で買い換えようと楽しみにしてたのに」 「ごめん。もうそれどころじゃないの」 「だって考えてもみてくれよ。青銅の剣だぜ? どうやって魔王軍と戦うんだよ。ゴブリンだって倒せやしないよ」 「何だよ、おまえの力はあの勇者の剣のおかげだったのか?」 「ああ、もう!」 ルギドがテーブルを拳で叩いた。 「俺はなぜこんな馬鹿どものお守りをせねばならないんだ!?」 3人はその場にすくみ上がる。 「アシュレイ」 「あ、ああ」 「おまえは勇者の称号を剥奪されるとき、わかっていなかったのか。勇者の名を無くすということは、剣だけではない、今までサルデス王国から受けていた金銭的、物質的援助をすべて失うということだ。 他国に行ったところで今までのような王室の保護も、王宮への出入りすら許されない。 やがては無一文になるということは、リーダーとして当然考えておくべきことだろう」 「はい」 「ギュスターヴ」 「へ?」 「魔法力回復薬(マジックアイテム)なんかに頼るな。連戦・長期戦になるとわかってるなら、魔法力を温存して戦え。馬鹿の一つ覚えみたいに最初から大魔法をぶっ放すな」 「……おう」 「アローテ」 「きゃっ!」 「財布を預かってるなら責任を持て。使うだけ使ってなくなったなどと、子どもでも言えることだ。見通しを立てて早めに報告しろ」 「わ、わかりました」 「さすが元魔王軍の指揮官だ。説得力が違うなあ」 「ルギドがいてくれて心強いわ」 「でもいっそのこと、こいつを王宮に引き渡した方が金になるぜ」 彼はこめかみに手を押し当てた。 「……これなら魔王軍で三個師団を指揮してたほうがまだ楽だった……」 「それでもやっぱり……」 アシュレイはなおも訴える。 「この剣は何とかならないかなあ、ルギド」 「策がないわけじゃない」 「え?」 地図を押し出して、一点を示す。 「この国の北部に広い森林地帯がある。昔から魔族の棲家とされてきたところだ。 その森の奥に、『風の階(きざはし)』と呼ばれる、古代ティトスの神殿があると言われている」 「風の階?」 「魔導士なら聞いたことはないか? この世界には4つの元素(エレメント)を司る古代神殿が、各大陸にひとつずつ存在することを」 「あ、思い出した。ひとつは俺たちの国テアテラにある、『炎の頂き』――」 「あの火山の上にある神殿のこと?」 「あとは、スミルナの『地の祠(ほこら)』と……」 「アスハ大陸、ラオキアの『氷の殿(みとの)』」 ルギドがうなずいた。 「その4つの神殿にはそれぞれ、エレメントを司る神像が祭られている。多分その神像の前には……」 「多くの奉納物がある」 ギュスターヴが引き継いで言う。 「何かで読んだことがある。古い言い伝えで、古代人は神々に宝や武具を捧げて、武勇と勝利を祈る習慣があったと」 「その中に剣があるかもしれないってことか!」 「古代の魔導書も残ってるかもしれないぜ。この世のどこかに隠されているという風の最上級魔法のヒントが神殿の壁に刻まれているって可能性もある!」 「いいから、坐れ」 興奮して立ちあがって叫んでいるふたりを、いらいらしてルギドがにらむ。 「そう一筋縄で行けるような場所ではない」 「なにか罠でもあるのか?」 「守護者(ガーディアン)が神殿を守っている。古代ティトスの伝承には、近づく者はすべて殺されると記してあった。 どこまで真実かはわからんが、少なくとも人間の世になってから今まで、たどり着けた者は皆無だろう」 「そんなところに行ってだいじょうぶなの?」とアローテ。 「俺ひとりなら大丈夫だ。おまえら3人の面倒までは見切れんが。……どうする?」 「もちろん行くよ。うまく行けば良い剣が手に入るし、だめでも修行にはなる」 「金目のものを頂いて売れば、当分生活には困らないしな」 ギュスターヴはすっかりトレジャーハンターの気分になっている。 「それにしてもルギド、なぜ古代神殿の伝承なんか調べてたんだ?」 「守護者の存在が気にくわなかっただけだ」 涼しい顔で言ってのける。 「この世で強いと言われているものは全てぶっつぶす。俺より強い存在は必要ない」 「……おまえやっぱり、リュートだな……」 北方に向かうという隊商のキャラバンを探し当てると、2日後には首尾よく馬車に同乗することができた。 積荷を行商しながらのゆっくりとした道中。 沿岸から内陸に入るにつれて、昼間は強い陽射しが照りつけ、夜は零度近くまで冷え込む。 見渡す限りの草原が延々と続く風景は、時間の感覚をマヒさせる。 時折立ち寄る村々では、アシュレイとギュスターヴは荷物運びを、アローテは食事作りを手伝わされたが、ルギドは知らぬ顔で馬車で昼寝を決め込んでいた。 8日目の朝、森との分岐点で隊商一行と別れると、あとは4人だけの徒歩の旅が始まった。 翌日の昼、目指す森に着く。 鬱蒼と生い茂る木々。下生えの草の重なりから見ても、人や魔物が日常立ち入っている気配はなく、まさに聖域と呼ぶにふさわしい森。 冬の午後の傾いた陽は、頭上に絡み合って張り巡らされる枝にさえぎられ、ほんの数歩先さえ深い闇に沈んでいる。 身を刺す冷気に4人はそれぞれ、マントやローブの前をかき合わせる。 鳥の声が止み、宵闇をミミズクの遠い呼び合いが響く頃、木立の切れ目を見つけ、下生えの草をはらうと、火を熾した。 「食事にするぞ」 アシュレイが焚き火のそばから呼ぶと、ルギドは腰かけていた木の根から立ち上がり、剣を掴んだ。 「ここでは俺が夜の見張りに立つ。おまえたちは食べてさっさと寝ておけ」 彼が木々の奥に消えると、 「あいつ、何も食べてないんじゃないか?」 心配するアシュレイに、ギュスターヴは携帯食を頬張りながら、 「ほっとけよ。今までサボってたのが少しは悪いと思ってんだろ」 男たちが焚き火のそばに夜具を広げて横になるのを見届けて、アローテはこっそり森に分け入った。 ようやく目が慣れる頃、老いた木々が自然と倒れてできた広場のような空き地があり、その隅にルギドの姿を見つけた。 彼はひときわ大きな木に背中を預け、フードを外し、顔を上に向けて目を閉じて立っていた。 それはあたかも、森の霊気を吸い込み、体の隅々にまで行き渡らせる儀式の途中であるかのようだった。 急にこのまま、彼が森に透けて行ってしまいそうな不安に襲われ、思わず叫んだ。 「ルギド!」 彼はゆっくりと目を開いた。こんな新月の暗闇の中でも、その瞳は紅く光っている。 「……どうした?」 「眠れなくて……」 静かな呼吸さえ感じられるところまで、おずおずと近づく。 「あなたも、疲れているのではなくて?」 「ああ。あの草原の陽射しは俺には強すぎた……」 今の彼の声は低くて柔らかい。 昼間アシュレイたちに接するときのような皮肉気で傲慢な口調は姿を消していた。 「だが、ここの空気は気持ちがいい。魔族の住処だっただけのことはある。俺の体に合っているようだ」 アローテは急に苦しいほどのせつなさがこみ上げてきて、ルギドの胸にしがみついた。 「アローテ?」 「……ごめんなさい。でも、怖いの」 震える指でしっかりと、彼のローブを掴む。 「眠るとあなたがいなくなってしまう夢を見る。ふっと私の目の前から消えて行ってしまうの。そうすると怖くてもう眠れない……。自分でも変だとわかってる。でも、どうしようもないの!」 しゃくりあげながら、今までの1年間の想いをぶつけるように、アローテは彼の胸を叩いた。 銀色の髪が彼女の頬を優しく撫でるように触れると、涙があとからあとから湧いてくる。 しかし、やがて頭上で彼が呟いたことばはそれとは裏腹に冷たかった。 「もう、離れろ」 「……」 「言ったはずだ。俺はリュートではないと。おまえは錯覚しているだけだ。俺はおまえが愛した男と同じ顔をしているにすぎん」 「……でも」 「俺は魔族だ。人を愛する心など持っていない。あるのは、支配するかされるかの関係だけだ。俺にとって女は隷属させるだけの「もの」でしかない」 「でも、わたしは……」 涙で潤む瞳をまっすぐに上げた。 「わたしはあなたが好き。リュートを愛することとあなたを愛することは、私の中では同じことなの」 「それはリュートがもういないことを認めたくないからだ。あの男はもうこの世にはいない。その事実を認めるのが恐いから、俺を奴の身代わりとしているだけだ」 「嘘じゃないわ」 アローテは手の甲で目を拭うと、彼から離れた。 「あなたが魔族でも人間でも、リュートという名前でもルギドという名前でもかまわない。私はあなたが好き……」 ルギドは下生えの草や小枝を踏みしだくと、静かに空き地の真中に立った。 不思議なことに月の光のあるはずのない夜に、その体は淡く青白い光を浴びていた。 「覚えておけ。リュートはおまえを捨てた。死を超える愛情などあの男の中にありはしなかった。それどころか魔族になる瞬間、力を得られる喜びしか感じていなかった。 ……おまえは忘れられたのだ」 「ルギド……」 冷たいことばの裏で、人を拒絶する仕草の裏で、この人は自分が赦せないのだ。 たぶん永久に。 そう思って項垂れたとき、森の湿った土の香りがした。 アローテの口の中に伝い落ちる苦い涙の味を慰めるかのように。 |
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