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The Chronicles of Thitos
ティトス戦記

外伝 Episode 1
旧暦3635年 黒竜月


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§2

 最初の3日で3度魔王軍の襲撃を受け、前途多難に思われた旅も、山奥深く分け入るにつれて魔物の影も見えなくなり、平穏な日々が取って代わった。
 遅れていた毎日の行程がはかどるようになると、エルゲンはたびたび小休止しては、読み書きの練習をせがむリュートに付き合ってやった。
 月明かりでもあれば、彼は寝る間も惜しんで本をのぞきこんでいた。
 16年の人生の中で、字が読めないということが大きなコンプレックスになっていたのだろう。
 初めのうちは、あまりの物覚えの悪さに匙を投げかけていた教師役も、いったんリュートが何かのコツをつかんでからは、むしろ毎日の成長を見るのが楽しみですらあった。
 出会った頃は、無愛想でとっつきの悪い性格に見えた彼は、エルゲンに全幅の信頼を寄せるようになった今は、歳相応に、いや歳以上に幼く、人懐っこいことがわかった。
 子犬のようにまとわりついてくる彼に、自分も下手をすればこれくらいの子どもがいてもおかしくないのだと思い当たり、エルゲンは苦笑を禁じえなかった。
 峰々はしだいに険しく高くそびえ立つ。
 それぞれの荷袋からマントや上着を取り出して羽織るほどの標高になった。
 旅に出て8日目。
 突如として眼下に深く、大地がひび割れたような峡谷が姿を現わした。目指す地に着いたのだ。
 峡谷の底は、荒涼とした風景。
 小動物一匹の姿すらなく、大気がピリピリと、しびれるような威圧に満ちている。
 ふたりは知らず知らずのうち、全身の力をいつでも開放できるよう身構えた。
 顔を見合わせ、うなずく。突き当たりに黒々と穿たれた洞窟に足を踏み入れた。


 洞窟の奥行きは、思ったよりは狭かった。
 そのかわり天井は峰全体をくりぬいたかと思われるほど高い。
 そして、その天井に頭をぶつけそうなほど巨大なドラゴンが正面に鎮座している。
 青い鱗がぬめぬめと光り、双の瞳は金色。
 鼻からは2本の煙突さながらの蒸気が立ち上る。
 一度入ったものは二度と出られぬ牢獄のような真っ赤な口。白く長い牙と牙のあいだから、糸のように唾液が垂れ落ちる。
 剣よりも鋭い爪の生えた前足は、うず高い足台の上に置かれ、その足台はとよく見ると、無数の人間や魔物の骸骨でできており、あるものは古くべっこう色に、あるものは昨日できたかのように白い。
「すげえ……」
 興奮して目を輝かすリュートの背後で、エルゲンは今日自分の人生が終わったことを悟った。
[何者……。我の寝所を侵すとは]
 脳の芯を揺すぶるような深い声で、ドラゴンは語りかけてきた。まったく知らないことばだったが、不思議と意味はわかる。
 子どもの頃、エルゲンが母親から聞かされたおとぎ話では、ドラゴンは古代ティトス帝国が繁栄する前、まだ人間が影も形もない頃から、この世界を支配していた知恵ある種族だ。
 あまりにも誇り高きゆえに争い合って数を減らし、ティトス文明の滅亡とともに姿を消したという。
 その最後の生き残りたちのうちの一匹がこいつなのだろう。
 人生の終わりに見るという走馬灯のごとき取り止めもない考えにふけっていたエルゲンを、リュートの声が正気に返した。
「やい、ドラゴン! 俺と勝負しろ。俺とおめえのどっちが強いか、はっきりさせようぜ」
 彼の顔には、躊躇も恐怖も気負いもなく、あるのはただ、強いものと手合わせできるという興奮と喜びだけだった。
[なんだ、この身の程知らずの人間は……]
 ちろちろと青い炎を口の端にのぞかせながら、巨大な古の種族は人間たちを見おろしていた。
[貴様の顔……、見覚えがあるぞ]
「あいにくだな。初対面だよっ!」
 リュートの剣は雷光のように鞘から放たれ、次の瞬間にはドラゴンの前足に突き刺さったかに見えた。
 しかし、竜の鱗は青銅の剣ごときで切り裂かれるほど、やわではない。
 彼は逆に、鞭のようなしなやかさで振り下ろされた尻尾に右半身をしたたかに打ちつけられ、壁際までふっとんだ。
「リュート!」
 エルゲンは駆け寄って、彼を抱き起こした。
「ちっくしょう……」
 半分意識を失い、青いガラス玉のような瞳で天井を見つめていたリュートだったが、すぐに正気に戻り歯ぎしりした。
「この剣じゃ、奴のからだには効かねえ!」
「リュート、無理だ。如何なおまえでも、これほど大物のブルードラゴンは倒せない。隙を見て逃げるんだ」
 しかし彼は何も聞いていない様子で立ち上がり、右半分の頬と髪を真っ赤な血で染めたまま、エルゲンに左手を突き出した。
「エルゲン、おめえの剣を俺に貸してくれ」
「リュート……」
「いいから、貸せってんだ!」
 騎士の手から剣をもぎ取ると、リュートはふたたびドラゴンに相対した。
「このタコ野郎! 今度こそ血祭りに上げてやる。覚悟しろ!」
 そう叫ぶと、ドラゴンから2度目に繰り出された尾の一閃を、頭を屈めて器用にかわし、まるで怪我なぞしていないかのように身軽に跳びはねて、ドラゴンの身体の下にもぐり、腹を切りつけた。
 だが今度も空しい金属音が響いただけだった。ドラゴンは全くダメージを受けていない。
 思わず後ずさったリュートの頭上から、とてつもない風圧とともに前足の鋭い爪が襲いかかった。
「あああっ!」
 洞窟内に、彼の苦痛の叫びが木霊した。
 とっさに後ろに飛びのいて致命傷をまぬがれたものの、革のズボンに包まれた左脚は縦に引き裂かれ、深い傷から血があふれだす。
「リュート!」
「くっそう……。この剣でもだめだ」
 そうつぶやく彼の肌は、多量の出血のため死人のように青ざめ、身体はがたがたと震え出し、瞳孔も開きかけている。
「やめてくれ、リュート、おまえ死んじまうぞ!」
 エルゲンは必死にとりすがって哀願したが、聞き入れられないと知るや、彼の脇に肩をさしこみ、抱え上げて洞窟の入り口まで引きずり出そうとした。
「何するんだ、エルゲン! 俺はまだ戦う。はなせ!」
「なにをくだらないことを言ってるんだ、リュート!」
 エルゲンは顔を真っ赤にして、雷鳴のように怒鳴った。
「命あってこその勝ち負けだ。死んでしまったら、何にもならんじゃないかっ」
「俺には命より大事なことだ!」
 リュートは右手でエルゲンの腹を殴りつけて、ようやく自由になると、仁王立ちになって叫んだ。
「俺は世界でいちばん強くならなきゃ、生きてる意味なんて、ねえんだ!」
「な……」
 腹を押さえながら、エルゲンは絶句した。
 リュートは左足を引きずるようにして、ドラゴンのもとに戻っていく。
 ブルードラゴンはちょうどその時、ゆっくりと尻尾を巻き上げ、ふたりに向き直ったところだった。
 わずかに立ち位置を変えたその拍子に、足元の骸骨の山が崩れ、今まで埋もれていたものが姿を現わす。
「あれは……!」
 リュートは指でエルゲンに合図した。
「何だろう、平べったい金属のかたまりのようだが」
「ありゃ、剣だ!」
 リュートの瞳がふたたび爛々と輝き始めた。「あれなら、竜の鱗を突き抜けられるかもしれねえ」
「ち、ちょっと待て。あんな妙な形のばかでかい剣はないだろう?」
「頼みがある、エルゲン」
 やはり彼の言うことなど何も聞いていない。
「俺が奴を引きつけるから、その隙に剣をあそこから引っ張り出して、放り投げてくれねえか?」
「だ、だから、リュート。あれは剣なんかじゃ……」
「行くぜ!」
 彼はドラゴンの視線をわざと引き寄せながら、左へ回り込んだ。
「このでくのぼうのトカゲ野郎! 俺を殺れるもんなら、殺ってみやがれ!」
「ああ! もう!」
 ヤケクソになったエルゲンは、敵の背中側からこっそりと、骸骨の山に取り付き、慎重に登り始めた。
「これか……」
 確かにリュートの言ったとおり、それは剣だった。
 しかし、こんなものをかつて彼は見たことがない。
 全長は有に、子どもの背丈ほどもある。平たい刀身は、剣というよりはまるで船の櫂のようだ。
 根元だけ骨を取り除いてから柄の部分を握ったが、渾身の力をこめて引いても、びくともしない。
 ドラゴンは、リュートに執拗な攻撃をしかけていた。
 このままでは、奴は死んでしまう。エルゲンは玉の汗を浮かべ、脳の血管が切れそうになるのも構わず引き続けた。
「うおおおおおっっ!」
 がらがらと髑髏の山が崩れ落ち、大剣は永年の呪縛から解き放たれた。
 エルゲンは最後の力を振り絞り、剣を放り投げたが、思ったほど遠くには飛ばずに、骨の山をずるずるとすべり落ちただけだった。
「すまん! こっちだ」
 それを合図に、リュートは一目散に剣に向かって走り始める。
 竜の振り下ろした前足をぎりぎり皮一枚のところでかわし、一回転して自分も滑り降りると、大剣の柄を左手でつかみとった。
 そして鞘から剣を引き抜くと、全身で雄たけびを上げながら、片手で高く掲げた。
 並外れた長躯。ベヒーモスを軽々とかつげる膂力りょりょくを持つ彼でなければ、この剣は使いこなせない。
 まさにリュートのためにあったような剣だ、とエルゲンは思った。
 剣先から柄までをうっとりと眺め、その重みを確かめるように一振りすると、リュートはそのままドラゴンの正面に突っ込んだ。
 分厚い板のような鋼の刀身がギラリと光ったかと思うと、ドラゴンの脛がばっくり割れて、青い血が噴水のように噴き出した。
[きさま……]
 ドラゴンは真っ赤な口をかっと開けると、青い炎を吐いた。
 リュートはとっさに敵の胸倉に飛び込んで、それをよけると、今度は後ろに回って、大剣を大上段に振りかざして尾の先を真っ二つに切り裂いた。
 ドラゴンは苦鳴を洩らすと、ゆっくりと長い首をよじって怒りに燃える金色の瞳でリュートを見た。
[そうか。貴様は畏王いお……。一万年前帝国を滅ぼし、わが種族をも滅亡に追いやった破壊神だな]
 リュートは尻尾に飛び乗り、山の急斜面のような背中を駆け上がると、怒り狂って暴れる竜の首筋に深々と刀身を刺し込んだ。
 ドラゴンは長い断末魔の悲鳴を上げると、髑髏を粉々にまき散らしながら、どうと倒れ伏した。
「はあ……、はあ……」
 敵が息絶えたのを確かめたリュートは、骨片の散らばる地面に仰向けにころがり、ふいごのように空気を求めてあえいだ。
 ほとんど我を失って立っていたエルゲンは、あわてて駆け寄り、持っていた袋から竹筒の水薬をリュートの口に差し込み、ズボンを左右に引き裂くと、傷に薬草を貼り、大きなさらし布できつく縛った。
「まったくおまえは、……なんて奴だ」
 自分でも認めたくなかったが、エルゲンは安堵のため半泣きになっていた。
「人間はな。命が一番大切なんだよ。強くなくたって生きてりゃどうにだってなるんだよ! ……わかったか!」
「エルゲン。ごめんな」
 リュートは天井を見つめながら、にっこりと笑った。
「だけど、こいつ強かったなあ。俺が今まで会ったなかで、一番強えモンスターだった。俺は生きていてよかったよ」
 幸せそうに微笑む彼を見て、エルゲンは背筋につんと痺れが走るのを覚えた。
 世界でいちばん強くなければ、生きている意味がない。たった16歳の少年にそこまで言わしめるものはいったい何なのだろう。
「そういえば、ブルードラゴンの奴、おまえを知っているような口ぶりだったな。おまえのことを「イオ」とか何とか呼んでいたが……」
 リュートの右の額の傷を手当てし、包帯を巻きながら彼がつぶやくと、
「え? 何て言った?」
 リュートが振り向いた。
「一番最初に尻尾でぶん殴られたときから、右耳が聞こえねえ。鼓膜を破られてるみたいだ。もうちっと大きな声で言ってくれ」
「え?……」
「奴が最後に言ってたことも、ほとんど聞こえなかった。奴は何を言ってたんだ?」
「いや、どうでもいいさ」
 エルゲンは肩をすくめた。
「どうせ長生きしすぎて耄碌した竜のたわごとだろう」
 ふたりはドラゴンの死体に近寄ると、その眉間に生えていた一枚だけ金色に光る鱗を、剣の切先で丁寧にはがし取った。
「これで俺たちは、『竜殺し』だ。名誉ある騎士様だぞ!」
「やっほう!」
 ふたりは骸骨をカラカラと踏みしだきながら、跳びはね、抱き合って踊った。


 一週間後。
 自由都市ワドルに戻り着いたとき、エルゲンが神妙な顔つきをした。
「国王に謁見を申し込むためには、それはいろいろな準備が必要なんだ。俺がぜんぶお膳立てしてくるから、おまえはここで待っていてくれないか」
 彼は名残惜しそうに、きつくリュートを抱きしめると、
「5日後にハンターギルドで落ち合おう。この竜の鱗は証拠として見せなきゃならんから、俺が預かっておくよ」
 しかし、5日経っても、エルゲンは戻ってこなかった。
 さらに一週間。
 リュートは暇つぶしに、ギルドでときどきハンターの仕事をこなしながら、エルゲンの帰りを待ちわびていたが、彼は現われなかった。
 そんな姿を見るに見かねて、ハンターギルドの受付嬢「鉄の女」セスタが申し出てくれ、リュートは彼女の一人暮らしの部屋にころがりこむことになった。
 さらに10日ほど経ったある朝、リュートは彼女の部屋で目を覚ました。
 隣でぐっすり寝ているセスタの首の下からそっと自分の腕をはずすと、寝台から起き上がり、下着とズボンだけ身につけてから、大きな欠伸をしながら窓に近寄った。
 窓辺の椅子に腰かけて外をながめると、ワドルの街の美しい赤レンガの通りや教会の尖塔の向こうに、こんもりと木々が茂る丘があり、その後ろに常春の国らしい澄み切った青空が広がっている。
 出窓には、セスタが丹精込めた南国の花々が色とりどりに咲き乱れていたが、リュートの見ている前で、その花びらにふわりと一枚の紙が風に乗って舞い降りた。
 それはビラ新聞だった。民衆の興味のある事件や噂話を、おもしろおかしく書き立てて一色刷りしたものだ。
 二ヶ月前のリュートならば、誰かに読んでもらうか、挿絵だけで内容を推測するしかなかったろう。
 でも今は違う。
 彼は手を伸ばして紙片をつかむと、眉根をよせて、懸命に文字をたどり始めた。
「えーっと。……ご、ごじゅう、……ねん、ぶりに……?」
 長い時間をかけて、最後まで読みきった。

『50年ぶりに、竜殺し現る』

 記事は、王都エペの王宮に、エルゲン・フライヤという勇敢な戦士が現われ、南部の峡谷にてドラゴンを倒したと、その証拠の品である竜の鱗を示したので、都は50年前ゼリク・ライオネルを得て以来の竜殺しの出現に沸き立ち、 エペ国王はさっそく彼に名誉ある称号を与え、宮廷に召抱えたことが書かれてある。
 挿絵には、およそ本人とは似ても似つかぬ、りりしい騎士姿の男があった。
「あっははは……」
 リュートの大きな笑い声に、セスタは裸の胸を隠しながら、がばっと跳ね起きた。
「い、いったいどうしたんだい?」
 含み笑いを残しながら、彼は新聞を渡した。
「どうやら俺は、あいつに騙されちまったみてえだ」
 セスタはひとしきり紙面に目を走らせると、気の毒そうに彼を見た。
「あたし……、あんたが可哀そうで言い出せなかったんだ。エルゲンは昔とんでもない詐欺師だったんだよ」
「へえ」
「何でも遠い昔は、きちんとした城付きの騎士だったらしいけどさ。上役ともめて、ぶん殴って、城を追い出されてからは、あちこちの強そうな冒険者のパーティに潜り込んでは、見つけた お宝を独り占めしたり、装備品を盗んでとんずらしたり……。
近頃は誰にも相手にされなくなったもんで、真面目にハンター稼業に精を出してたんだけど、あんたみたいなよそ者に久しぶりに出会って、悪い虫が出たんだろうね」
「ま、いいや」
 リュートは椅子の上で長い四肢を伸ばして、思い切り欠伸をした。
「どうせ宮廷のお抱え剣士なんて、俺の性分には合わなかったし。あいつとの旅はけっこう楽しかったし、字も教えてもらった。それに……」
 寝台のそばに立てかけてある鋼の大剣をじっと見た。
「それに、この剣も手に入ったし、別に損はしてねえや」
「あんた、それで平気なの? お人よしにも程があるよ」
 セスタは呆れたようにつぶやく。
「本当のことは自分だけが知っとけばいい。ドラゴンを倒したのが本当は俺だってことも」
 リュートは、気持ち良さそうに風に吹かれながら、窓の外に上半身を突き出して、空を見上げた。
「エルゲンか。……いい奴だったなあ。またどっかで会えるといいな……」


 エルゲン・フライヤは6年間、エペ王室付きの騎士団大隊長として奉職し、栄誉と名声を享受したが、旧暦3641年赤竜月、魔王軍との平原での戦いにおもむき、敵指揮官ルギドによって斬殺されたと伝えられている。
 死の臨む直前、彼は敵指揮官の顔を見て誰かの名を大声で叫んだと、近くにいた部下は証言しているが、定かではない。




外伝 Episode 1 End

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