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The New Chronicles of Thitos

新ティトス戦記


Chapter 20



「ほんとに……見えてないのか?」
 ラディクはおそるおそるルギドの前に立つと、拳を作り、ゆっくりと彼の顔に近づけた。
 ルギドは瞬時に、その拳をつかんだ。
「おまえの動きくらいはわかる。息づかいや衣ずれの音。生き物の気は、視力以外の感覚でも判断できる。だが……」
「気配がないものは無理か――」
 ラディクは「くそ」と唾棄するように叫んだ。
「ジュスタンのやつ、肝心なことを教えずに行っちまいやがって」
「おそらく、塔の仕掛けのことなど何も知らされていなかったのだろう。この国は、一部の階級だけに知識を秘することで、秩序を保ってきたのだ」
「手をつないでやろうか?」
「無用だ。おまえが先に歩いてくれ。そうすれば、その足音を聞いて、後についていく」
「お、おいらもそばでお教えしますから」
 三人はようやく、塔の入り口から奥にむかって進み始めた。ラディクの後についたルギドの足取りは、何も見えないとは思えぬほど堂々としている。
 それにしても、先の見通しがつかないとは、まさにこのことだ。
 魔力をなくした盲目の王と、魔法の心得もない吟遊詩人、それにイタチより小さな従者の三人で、最強の魔導士の集う【結界の塔】相手にいったい何ができるというのだろう。
「気をつけろ。頭がパイプに当たる」
「パイプ?」
「ああ。何百本という透明なパイプが、まるで血管のように縦横に塔の中を張り巡らされている。太さはパロスの皇宮で出されるソーセージくらいだ。狐を見たウサギみたいにすごい勢いで、中を油に似た琥珀色の液体が流れている」
「おまえの説明はわかりやすい」
 ルギドは苦笑した。「さすが詩人だな。豊かな描写力だ」
「そういう訓練を師匠から受けたからな」
「おまえの歌の師とは、いったい誰だ?」
 ゼルが、つんつんと主のマントを引っ張った。階段が尽きたという合図だ。
 塔の二階部分。中央の吹き抜けの空間を取り囲むように、石造りの回廊が延々と続いている。
「おまえのそらんじている歌の中には、俺にも聞き覚えのあるものがいくつか混じっている。歌い継がれてきたものではなく、千年前の古歌を文献から掘り起こして、採集してきたのだろう。わずか17歳のおまえに、それだけの作業は不可能だ」
「ああ。歌を集めたのは、とんでもなく変わり者の爺(じじい)さ。そいつが世界中巡り歩いて、古い歌を集めるのが好きだった」
「『いた』ということは、すでに鬼籍に入られたか」
 ラディクはそれきり口をつぐんで、答えなかった。
 回廊の突き当たりには、また上への階段があり、階段を昇るとまた回廊が始まる。
 警戒は怠らずに進むが、テアテラ兵にはひとりも会わない。魔族軍との戦いのために全員引き上げてしまったのだろうか。
「……だいじょうぶですか」
 ゼルが主を気づかう声が、時折り廊下に響く。
 はるか上に見えた歯車装置が、昇るにつれて眼前にせまり、そのきしみは耳を聾するばかりに大きくなってきた。
「すごい大きさだな」
 ラディクは、目を見張った。
「そばで見ると、歯車のひとつひとつが、帝国軍艦の外輪よりでかい。こんなもの、帝国領内でも見たことがない」
「俺は、見たことがある」
 ルギドは言った。
「【風の階(きざはし)】と呼ばれる封印の神殿が、やはり歯車を動力として動いていた」
「それって、一万年前の古代ティトス帝国の遺跡か?」
「そうだ。このエルゲティの塔も封印の神殿も、おそらく同時代に作られたものなのだろう」
「あんたはそのとき、もう生まれていたんだよな?」
「残念ながら、古代ティトス文明について俺はほとんど知識がない」
 ルギドは苦笑いを浮かべた。
「畏王は、中央の文明から隔絶された辺境の地に暮らしていたからな。ろくな教育を受けたこともなく、おまけに、建物と見れば破壊することしか頭になかった」
「なんだか、わけがわからない」
 ラディクは当惑したように、うめいた。
「機械はこの二百年間で発明され広まったものじゃなかったのか。一万年前に、今の機械にそっくりな、それでいて今の文明を凌駕するほどの文明が発達していたというのか」
「ただし、蒸気ではなく、魔を動力とした機械文明がな」
「魔が動力ということは、魔族を中心とした文明なのか?」
「人間でも魔族でもない、第三の存在が生み出した文明だ」
「第三の存在? 竜や召喚獣、とか言うんじゃないだろうな」
「違うな。やつらにはそんな知性はない」
 胸をぐいと鷲づかみにされたような恐怖に襲われ、ラディクは思わず身震いした。
「じゃあ、そんなやつら、どこにいるんだ」
「このティトスの中には、いない」
 ルギドは閉じていた紅い目を開いて、射抜くように彼に向けた。
「ティトスの外の世界から来た文明だ――俺たちが全世界だと信じているティトスは、大きな世界の中の、ほんの箱庭にしか過ぎない」


 歯車を横目に通り過ぎて、さらに上へ上へと上がり続けると、階段はようやく尽きた。
 ひとつの大広間を両側からサンドイッチのようにはさみこんで、細い廊下が二本渡してある。
 向こう側の廊下には、扉があった。どうやら、最上階に向かうには、大広間を通り、その扉をくぐるしかないようだった。
 だが――。
「床がない!」
 ラディクは、茫然として叫んだ。
 その大広間には、まったく床というものがない。のぞきこむと、眼下に先ほどやり過ごしたばかりの歯車がぎしぎしと回っているのが、素通しで見えるのだ。
「空を飛んでいけとでも言うのか?」
 天井を見上げ、滑車のような移動装置がないかと探したが、何もない。
「お、おいらひとりなら、飛べますが」
 ゼルが、しゃっくりしながら答えた。「おふたりを運んでいくのは、飛行族の翼ではとても無理です」
「だが、テアテラの魔導士たちには羽はないぞ。奴らがここを渡っているんだったら、きっと何かの手段があるはずだ」
「ちょっとひとっ飛びして、向こう側を調べて来ましょうか?」
 ルギドの肩の上からふわりと舞い降り、おっかなびっくり様子をうかがったゼルは、「あれ」という素っ頓狂な声を上げた。
「これ、床ありますよ」
「え、ほんとか」
「ほら、ガラスみたいに透き通ってるんですよ。ほら、ほら」
 ゼルは、透明な床の上で小さな足をトントンと踏みしめながら、凱旋将軍のように得意げに歩き始めた。
 しかし次の瞬間、彼女の姿はかき消えた。
「ゼル!」
 ラディクがあわてて駆け寄って下をのぞくと、巨大な歯車のすぐ上でぱたぱた飛んでいるゼルの姿を見つけた。
 上昇しようとして、見えない床板に頭を何回もぶつけている。五度目か六度目にようやく戻ってきた。
「ああ、あぶなかった。もう少しで、歯車に挽き肉にされちまうところでした」
 黒いゼルの顔はすっかり血の気がひいて、白っぽく見えた。
 着地して、ぶるりと身を震わせると、
「床全体が碁盤の目みたいに細かく区切られていて、床板のあるところとないところがあるみたいです」
 身をもって確かめた事実を、報告する。
「でも、目で見ただけじゃ、さっぱりわかりません。なにせ、全然光を反射しないんですから」
「テアテラの奴らは、床板の配置図を持っているのだろうな」
 ふたりの会話を聞いていたルギドが、言った。「時間をかけて慎重に進めば何とかなるだろうが――」
 余分な時間はないのだ。
 じっと行く手を見つめたラディクは、いきなり靴を脱いで裸足になった。そして、サックの中から布きれを一枚取り出した。
「な、何をするんですか。ラディクさん。それじゃ余計見えないです」
「見えないほうが、見たものに惑わされずにすむだろう」
 吟遊詩人はバランスを取るように両腕を垂らすと、ためらわずに大広間に近づいた。
「ら、ラディクさん、落っこちたら挽き肉になっちゃいますよ」
「……ヤツは何をしているのだ? ゼル」
「目隠しをして広間を歩くつもりなんですよ。ああ、それにナイフを取り出して、自分の足の裏を切ってます! 頭おかしくなっちゃったんでしょうか?」
 ルギドとゼルが固唾を飲んで見守る中を、ラディクは透明な床の上に足を運び始めた。
 一歩。二歩。
 軽いハミングが、次第に歯車の音に調子を合わせて、旋律が紡がれ、歌となる。

  花嫁になる娘は 花婿にシャツを縫ったよ
   鋏を持たずに 布を断ち
  針を持たずに 糸で縫う
   花婿はそれを着て 暖炉の前で踊ったよ

 しなやかな足さばき。まるで空中でステップを踏んで踊っているようだ。全く見えていないはずなのに、よどみなく確実に、次の一歩のための足場を探し出す。
 数分も経たないうちに、彼は広間の向こう側に到着していた。
 目隠しを外すと、叫んだ。
「ゼル。ルギドの手を引いて、こっちに渡ってこい」
「で、でも。おいら、道順をよく覚えていません」
「床板をよく見ろ。俺の足の血がこすりつけてある。その血の跡をたどってくればいい」
 無事にふたりが広間を渡り終えると、ラディクは足の裏に血止めを塗って、さっきまで目隠しに使っていた布を、包帯代わりに巻いているところだった。
 ルギドはじっと少年の様子をさぐると、言った。
「これも、おまえの歌の魔力なのか?」
「そんなんじゃない」
 靴を履きながら、ラディクはぶっきらぼうに答えた。「子どものとき、俺はいつもこうやって歩いていた。だから、その呼吸を思い出すために、あのころの歌を歌っただけだ」
「……なぜ、そんなことを?」
「そうしないと、親に殺されるからさ」
 彼は、乾いた笑みを口元に浮かべてルギドを見上げた。その表情には、刹那の憎悪がこめられた。
「あんた譲りの、この紅い瞳のせいでね。この目を絶対に人に見せるなと言われ続け、俺は六歳で村を出るまで、夜寝るときさえも目隠しをはずすことを許されなかったんだ」


 奥の扉の向こうにあったのは、四角い小部屋だった。
 彼らが入ってしばらくすると、扉は何もせずに閉まり、移動する感覚が足元の床から伝わってきた。
「部屋が昇ってる」
 ラディクがつぶやいた。「これで最上階まで行けるのか」
 上昇感が途絶え、扉がふたたび何者かの手によって開くと、その先は細長く奥行きが広い、パロス宮殿の両翼のギャラリーに似た部屋だった。
 両側の壁にはガラスの容器に入れられた無数の松明が灯されて、まぶしいほどの光を放っている。 自然には存在しない、うすら寒い色の光だった。
 床は水晶の石板がはめ込まれ、半透明の鈍い光沢に輝いている。
 もしかするとさっきのような仕掛けがあるかもしれない。二の足を踏んでいたラディクに、
「さ、先に行って、偵察してきましょうか」
 ルギドの肩に止まっていたゼルが、果敢にも申し出た。
「おいらがラディクさんの役に立てるのって、それくらいですから」
「ふうん、ずいぶん殊勝な心がけじゃないか」
「おいら、いい男には、とことん身を捧げて尽くすタイプなんです」
「げ」
「何が『げ』なのよ。せっかくいい男って呼んであげたんだから、感謝しなさい!」
「……待て」
 ルギドが突然、鋭い声を上げて、ふたりを押しとどめた。
 戯れ言を交わしているあいだに、一体の獣がのっそりと物陰から姿を現わしたのだ。
「……子牛か?」
 振り向いたラディクは、唖然として言った。
 それは、太った小さな牛とでも言うべき鈍重な動きの生き物だった。体の表面は一見、つるりとした陶器のようで、よく見ると柔らかく白い産毛がびっしりと生えている。
 角も牙もなく、鋭い爪もなく、危険を感じさせるものは何も持っていない。ただ目だけが、暗い穴を覗くような、底知れぬ不気味さを秘めていた。
[イオ・ノイエ]
 ゼルから獣の形状を聞くや否や、ルギドの口から古代ティトス語がほとばしった。そして同時に、腰の黒剣が鞘から放たれた。
「気をつけろ。こいつはただの獣ではない」
「召喚獣なのか?」
「ああ」
 前に出ようとしたルギドの進路を、ラディクがふさいだ。
「あんたは休んでろ」
「……なぜだ」
「この塔に入ってから、ずっと苦しいんだろ」
 ラディクは、冷ややかな口調で言う。
「あんたが魔力を失うと、目が見えなくなるだけじゃない。封じ込めている畏王が暴れだして、身体を乗っ取りそうになるんだろう」
「……」
「すっかり忘れてた俺もバカだけどな。ゼルがときどき、だいじょうぶかと尋ねてるのを聞いて、途中でようやく気づいた。……平気なふりしてないで、少しは弱音を吐けよ。俺のことを頼りにしてるっていうのは嘘なのか」
「ああ」
 ルギドは、ラディクがなぜ怒っているのかを知って、思わず微笑んだ。「すまなかった」
「別にあやまってほしいわけじゃねえ」
「だが、強がりではない。ここは俺にまかせろ」
 ルギドの顔をさぐるように見て、ラディクはしぶしぶ道を譲った。
「わかった。まかせる」
 ルギドはそれまで閉じていた目を開いた。その目は、ふいごの空気で熾火が一気に燃えさかるように、激しい光を帯びた。次の瞬間、彼は雷光のように刀身を獣に突き立てた。
 ――完全に捉えたはずだった。
「うわっ」
 ラディクは思わずのけぞって、悲鳴を上げた。「なんだ?」
 そこにいたのは、獅子や象どころではない、部屋すべてを覆い尽くさんほどに巨大化した召喚獣だった。
「こ、これが、さっきのヤツか?」
「【イオ・ノイエ】とは」
 ルギドが背中越しに簡潔に答えた。「【小さくないもの】という意味だ」


 ゼルは、ルギドのマントに必死でしがみつきながら、敵の動きを教えようとしていた。
 召喚獣は部屋中のものを押しつぶさんとばかりに巨大化したかと思うと、攻撃を受けそうになると、みるみる豆粒のように矮小化して、するりと剣の勢いを殺してしまう。
 さらに、その豆粒ほどに縮んだ体を的確に剣先が捉えようとすると、また巨大化して、その膨張力でルギドの身体をはねのける。
 ラディクも弓で加勢しようとしたが、まったく無意味に等しかった。
 敵の体に狙いを定めることすらできない。たとえ当たってもスポンジのような体にはダメージを与えられない。
 剣士として天性の勘をどれほど備えていたとしても、目の見えないルギドにとっては、変幻自在の召喚獣は相当な難敵だった。しかも今は畏王を抑えこむために、全神経を使っている状態。
 ルギドは小さく舌打ちした。戦いをいつも心底から楽しんでいる彼にとって、こんな苛立ちは珍しい。
「ああ、ルギドさまがこれほど苦戦なさるだなんて……」
 苦戦どころか、まともな戦いと呼ぶべきものではなかった。
 敵に何のダメージを与えられない代わりに、こちらも何のダメージも負っていない。敵は攻撃手段を持っていないのだ。ただ、のらりくらりとかわすだけ。
 時間だけがじりじりと過ぎていく。
 ゼルは、あっと叫んだ。
「もしかして……この召喚獣の役目って、侵入者を足止めして疲れさせるだけなんじゃ……」
「そうだろうな」
 ラディクも、そのことに気づいていた。竪琴と弓を背負いなおして、長身の魔族の後ろに身を屈める。
「こいつは、ただの【壁】だ。俺たちを奥の間に行かせないためにだけ、存在してる」
「ああ」
 ルギドは敵との間合いを、慎重に測っていた。
「倒す必要はない。この【壁】をすり抜けて、奥の間にひとりでも行ければ、勝負は俺たちの勝ちだ」
「ひとりでも、な」
 ルギドが雄たけびを上げて召喚獣に斬りかかると同時に、ラディクはルギドの背後から、身軽に跳躍する。ふたりで同時に行動を起こし、敵の注意を分散させて、隙をつこうという作戦だ。
 召喚獣は、ふたたび巨大化した。
 空間いっぱいまで脹らむと、壁ぎりぎりを走り抜けようと試みた小柄なほうの人間を弾き飛ばし、そして、真正面からの鋭い剣に対しては、身体を萎ませることで対抗した。
 どれほど敵が大勢であろうと、どれほど素早い動きであろうと、【イオ・ノイエ】は即座に対応できるように作られている。
 だが、目の前にいる相手は、今まで侵入を防いできたどの敵とも違っていた。
 いくら跳ね飛ばしても、即座に床や壁を使って方向を変え、すばしこく巧みに向かってくる。熾烈な斬撃は、スポンジのような身体でさえも吸収しきれないダメージを与えてくる。
 そして、【彼】の最大の過ちは、敵はふたりであると認識したことだった。
 ひとりの身体にしっかりとしがみついていた小さな生き物のことを、ただの付属物だとみなしたのだ。
 ふたりの目まぐるしい動きに対応することに追われているうちに、小柄なほうの敵が、その付属物をもうひとりから引き剥がし、召喚獣の身体がいびつに収縮した場所を狙って、思い切り放り投げた。
 【イオ・ノイエ】は対応できなかった。その瞬間、おのれが敗北したことにさえ気づかなかったのだ。
 その小さな付属物――ゼルは、奥の壁に張りついた格好で、自分の身に起こったことをようやく知った。
「えーっ! ま、まさか、お、お、おいらが?」
「がんばれよー」
 召喚獣の巨体の向こう側で、ラディクが陽気に手を振った。






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