第六話  空に翔けるもの(3)                   back |  top | home




 持ち寄りのカーテン地か何かで作った仕切りの向こうは、いくつかの小部屋になっていた。そこがそれぞれ、看板の「チャネリングによるラブラブ相性診断」が行われるブースであるらしい。
 入り口の壁際には、順番を待っているカップルたちが数組並んでいた。
 受験校で、他にとりたてて派手な行事もないT高では、毎年の文化祭が恰好のカップル誕生の場となっていた。特に三年生はこれが最後のチャンスとばかり目の色を変えて、自分がひそかに想っている相手を誘う。
 他校からのナンパ組も加わり、文化祭の日の校内はカップルがあふれる。勢い、クラスや部活の出し物もこぞって、カップルに受けるこの手の相性占いやゲーム、お化け屋敷などに集中することになる。
 文化祭が中止になると聞いて詩乃が反対の声を上げたとき、即座にその場にいた多くの生徒が同調してくれたのは、そういう理由があったのだ。一方、風紀の乱れを気にする教師たちにとっては、真っ先に中止したい行事だろう。
「チャネリングとは、いったい何なんだ?」
 統馬は、回りの男女のアツアツぶりに、うんざりしたような表情を浮かべている。
「そんなことも知らないのか、横文字オンチめ」
「チャネラーって、昔で言う、霊媒とか口寄せのことだと思うよ」
 草薙と詩乃がひそひそと話していると、
「チャネリングとは」
 突然背後から、やたらと朗々とした男の声が響いた。
 にぎび面で、制服がかわいそうなほどの堂々とした体格。さっきまで廊下で呼び込みに立っていた超常現象研究同好会メンバー。しかも、2年D組の一員である。
「あ、神林くん……」
 詩乃は、統馬といっしょに相性診断などに来ている現場をクラスメートに見られた恥ずかしさに、みるみる頬を染めた。
 しかし、当の神林は、そんなことにはまるで無頓着のようだった。
「お答えしよう。チャネリングとは、「集団的無意識」との交信によって、前世や魂についての知識を得ることである。「集団的無意識」とは、心理学者のユングの唱える「民族固有の意識の集合体」のことであり、非常に高度な知性を持つ存在である。霊媒や口寄せの類は、しばしば危険な低級霊を呼び寄せてしまうが、我々の場合、意識覚醒によって高い自己、つまりハイヤーセルフへとレベルアップしているため、そんなことはありえないのである」
「うへえ。あやしいヤツじゃのう」
 詩乃のウェストポーチにへばりついている草薙が、呆れたようにつぶやく。
「何か、言ったかね。弓月委員長」
「い、いえ。な、な、何もっ」
「矢上も、まるで信じていない顔だな」
 普段から人を小馬鹿にしたような目つきをしていると誤解されやすい統馬を、神林は挑戦的ににらみつけた。
「まあな」
「霊の存在も信じていないと?」
「そんなもの、信じる必要はない」
 草薙も、「確かにのう。毎日会っているものを、「信じる」必要などないわい」と同意する。
「そうか。ふたりとも信じていないわけだ」
 神林はおおげさに肩をすくめて、芝居がかったセリフを吐いた。
「それでは特別に、会長であり、一番高い能力を持つチャネラーであるこの僕が、きみたちの前世や未来について、見てしんぜる。公開霊視になるゆえ、料金の金券500円分は特別におまけしてやろう。」
 彼はガタガタと、その場にある椅子と机を並べて、どっかと座り、統馬たちを手招きする。入り口付近で順番を待っていたカップルたちも、「なんだなんだ」と興味深げに集まってきた。
「どうする? 矢上くんが探していたのは、神林くんなの?」
「まだわからない。見たところ霊力があるなどとは、とても思えんが……」
「でも、本当に夜叉の力で霊視をしてるのかも……」
「間近で確かめるのが一番じゃ。乗ったふりをしてみては?」
 ひそひそ声の相談がまとまり、ふたりは神林の前に座る。
「まず、女性の生年月日を」
「昭和62年5月23日です」
「西暦でお願いする」
「あ、はい、1987年5月23日です」
「では、男性は」
「永禄九年一月十日」
「は?」
「西暦だと……1566年、なのか」
 素早く、草薙に教えてもらったらしい。
 周囲からくすくす笑い声が漏れる。神林は、怒りで真っ赤になった。
「冗談も休み休み言え。それじゃ、おまえは四百年以上前に生まれたっていうのか!」
「そうだったら、どうする? おまえの占いの範囲外か」
 統馬は、すまして答える。
「前世も見ると言ったのだろう。四百年前の俺の前世を見てくれればいい」
「くそぅ。それなら、そうしてやる」
 神林はまだ赤い顔をしていたが、それでも目を閉じて集中に入ると途端に、ひどく真剣な顔つきに変わった。
 あたりがしんと静まり返る。
 彼は、机の上に置いてあった紙と鉛筆に、すっと手を伸ばした。紙の左端に、いくつもの同心円を描く。いわゆる「自動書記」というものだろう。
「きみたちふたりは、ずっと昔出会っている……」
 単調な、くぐもった声で、神林は話し始めた。
「互いに愛しながらも、そのことに気づかず、戦いの渦に巻き込まれ、否応無しに憎み合って別れたのだ……」
「え……」
 詩乃はそれを聞いて、どきんとした。それって、まさか……。信野のこと?
「ふたりが初めて出会ったのは、……川のほとり……」
 かたわらにいた統馬の身体が揺れた。気のせいか、その表情にかすかな驚愕の色が走る。
「それは……いつだ?」
 飽くまでも冷静に、問う。それに答えて、神林の指がすらすらと文字を描き出した。
「千八百年前……。中国……黄河河畔」
 それを見たとたん、腰を浮かしていた詩乃は椅子に崩れ落ちて、吐息をついた。
「なんじゃ、三国志の時代か。びっくりさせるな」
 草薙も肝をつぶしたような声を上げる。
「なんじゃ、とは何だ。弓月委員長。きみはときどき年寄りくさい発言をするな」
「あ、ああ、えっと、ごめんなさい……」
「まあいい。これできみたちの前世の因縁がわかった。きみたちは愛し合うたびに引き裂かれる運命をたどってきた恋人同士だ。このままだといずれ、きみたちも別れることになるぞ」
 神林の非情なことばに、周囲から同情のため息が漏れる。
「運命。前世の因縁。いいことばだな」
 統馬が、先を続けようとする彼をさえぎった。さっきまでの不機嫌を通り越して、冷笑を浮かべている。
「そんなものは、困難を前にして何もしない者の言い訳にすぎん。今の生が、天界から人間に与えられたすべてだ。その中で全力を尽くせぬ者は、何千回生を与えられても、何も生み出すことはできない」
 そして、冷笑をも通り越した激昂。そのことばの鋭さに、神林は次第にたじたじとし始めた。
「ぼ、僕はただ、それを防ぐお手伝いを……」
「前世の因縁ということばを、軽々しく使うな。本当の因縁とはどんなものか、おまえにわかるというのか」
 そのとき、教室の奥で、もうひとつの騒ぎが起こった。机や椅子をガタンと揺らす音。
「もう、いいわよっ!」
仕切りのカーテンをめくって、女生徒が走り出てくる。教室を飛び出したその後を、男子生徒がなにごとか叫びながら追いかける。
「おい、統馬!」と、草薙が叫んだ。
「あいつらだ」
 統馬も顔色を変える。
「え? 夜叉に憑かれているって、あのふたり?」
「ああ、こんなことをしてる場合じゃない、追いかけるぞ」
「お、おい、待て!」
 ぽかんとした表情を浮かべるチャネラーと観衆を残して、統馬と詩乃は駆け出した。


 立ち入り禁止の立て看板が立てられた本館四階奥、進路指導室前の廊下の突き当たり。
 ふたりの男女が、数メートルの距離を置いて向き合う。
「……知っているのか、弓月」
「うん、確かふたりとも2年A組の人」
 緊張をはらんだその光景を、壁と掲示ボードの影に隠れるように、夜叉追いたちが見つめている。
「もう、いい」
 女生徒が、長い沈黙を破って口火を切った。
「コウスケの気持ちはよくわかった。相性診断の答えを聞かなくても、ほんとはわかってた。私とのことは、遊びにしか過ぎないってこと」
「遊びってなんだよ!」
 いらついたように、男生徒が答える。
「俺はアユミとは真剣だよ。でも、俺たちまだ高校生だぞ。結婚とか将来とか、そんなの考えられるわけないだろ」
「女は考えるよ。いつだって考えてるよ。いつ赤ちゃんができたっておかしくないこと、してるんだもの。考えないわけに、いかないよ!」
「うっわああ。修羅場じゃのう」
 草薙が、ぽわぽわの肉球で目に蓋をしてしまう。
「それは……」
「好きだから、って言ったじゃない。ずっと永久にアユミのこと愛してるって、言ってくれたじゃない! それなのに、まだ高校生だからって逃げちゃうわけ!」


 カタカタと軽やかな音を立てて、カーソルが画面を左から右に、上から下へと移動する。
 そのあとには、文字の軌跡が残される。
「女は男を縛りたがる。男は女から逃げたがる。古今東西の恋愛の真理というものかな」
 その画面を頬杖をついて眺めていたT高の制服を着た男は、おもむろにエスケープキーを押す。
「くだらんな……。こいつらの恋愛ごっこは、ネタにはならん。次の目標に移ってくれ」
 画面にほどなく、【了解】という文字が現れる。
 テンキーに、いくつかの数字を入力する。とたんにパソコン画面は白く発光し、新しい文字を打ち始めた。
 男は眼鏡の奥の目を、愉快そうに細めた。


 その頃、廊下の端にいたアユミとコウスケは、ぽかんとした表情をして互いを見つめ合っていた。
「あれ? 俺たち、どうしてこんなところに?」
 統馬は立ち上がって、うめいた。
「気配が……消えた」
「なんですって」
「一瞬にして、あいつらから夜叉の気配が消えた。まるでどこかに吸い込まれるように、一瞬にだ」
「それじゃ、もう目の前のあの二人には、夜叉は憑いておらんのか」
「ああ」
 当惑したようにつぶやき、窓の外を見る。
「……こんなことがあるのか。俺にはさっぱりわからん」
 



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