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AMAZING CHRISTMAS STORIES No.3 クリスマスのお話を毎週一話ずつご紹介していきます。 |
だれが鐘をならしたか 作:R.M.オールデン
むかしむかし。あるとおい国の都の丘の上に、りっぱな教会がたっていました。 この教会の大きなことといったら、入り口からは奥のほうがぼんやりかすんで、よく見えないほどでした。 礼拝堂のいちばん奥におかれているオルガンも、たいそうみごとなもので、オルガニストのひくおごそかな調べは、とおくの家々にまでひびきわたりました。 教会には、ツタにおおわれた灰色の塔が立っていました。 この塔はあまり高いので、上のほうは空気のすんだ日だけやっと見えるのでした。 塔のてっぺんにクリスマスの鐘があるということは、だれもが知っていました。けれど、何年ものあいだ、その音を聞いたものはいません。 教会の近くに住むおじいさんが言うには、おじいさんのお母さんが子どものころに、いっぺんだけ鐘がなるのを聞いたことがあるそうでした。 クリスマスイブに教会にあつまる人たちは、思い思いに、イエスさまにお誕生日のおくり物をするならわしでした。 いちばんねうちのあるおくり物が、祭だんにおかれたしゅんかんに、塔の鐘がなりだすといういいつたえがあったからです。 けれども、鐘がならなくなってから、長い年月がたっていました。 人々がイエスさまに、あまり心のこもったおくり物をしなくなったからだともいわれました。 毎年、クリスマスイブになると、お金持ちの人たちはきょうそうで、りっぱな品物を祭だんにおきました。 けれども、だれもかれも、ほかの人より上等なおくり物をしようということばかり考えて、自分がもらったらうれしいと思うような、心のこもったおくり物をしようなどとは、すこしも思いませんでした。 祭だんにおくり物をおいた人は、自分こそ鐘をならすことができるだろうと耳をすましました。 でも、聞こえるのは、高い塔の上で風がうなっている音だけでした。 都からとおくはなれた小さな村に、ペドロという男の子が弟とくらしていました。 ペドロと弟は、教会の鐘のことはよく知りませんでしたが、クリスマスの礼拝のさかんなようす、聖歌隊のうつくしい歌声、 あつまってくる人々のりっぱな服そうなどについて、うわさを聞いていましたので、ぜひ一度いってみようと話し合いました。 「すてきな物が見られるし、聞けるんだよ。赤ちゃんのイエスさまに会えたら、うれしいねえ!」とペドロは、弟に言いました。 クリスマスの前の日は、雪がちらほらするひどく寒い日でした。 ペドロと弟は、昼過ぎにそっと家をぬけだしました。 ふたりは、こおった道を手をつないでいっしょうけんめい歩きつづけたので、日がくれる前に、都をかこむ城壁のところにつきました。 ふたりが城壁の門から入ろうとしたとき、道ばたの雪の上に、だれかがうずくまっているのに気づきました。 ちかよってみるとそれは、みすぼらしい女の人で、長い旅をつづけたあげく、寒さとつかれで、たおれてしまったのでした。 このままほうっておいたら、こごえ死んでしまうでしょう。 ペドロはひざまずいて、ゆりおこそうとしましたが、女の人は目をつむったままでした。 ペドロは決心したように、弟に言いました。 「兄ちゃんは、この人をたすけてあげなくちゃいけない。教会には、おまえひとりで行っておくれ」 「ぼくひとりで? じゃあ、兄ちゃんはクリスマスのお祝いに行かないの?」 「ああ」とペドロは泣きたくなるのをがまんして言いました。 「このおばさんの顔を見てごらん。まるでマリアさまの絵のようじゃないか。 でも、雪の中でねむったりしたら、こごえ死んでしまう。町の人は、みんな教会に行って、ここをとおりかかる人もいない。 兄ちゃんは、このおばさんの身体をせっせとこすって、あたたかくしてあげるつもりだ。 ポケットにパンがのこっているから、気がついたらすこしずつ食べさせてあげようと思う。 礼拝がおわったら、だれかおとなの人をつれてきてくれないか」 「でも、ぼくひとりで教会にいくなんて、いやだなあ」と弟はいいました。 「ふたりともここに残ることはない。 兄ちゃんの分まで、なんでもよく見て、よく聞いてきておくれ。兄ちゃんがどんなにイエスさまのお誕生祝いに行きたいと 思っているか、イエスさまはよくごぞんじにちがいないからね。 そして、だれも見ていないときに、そっと祭だんのところへ言って、この銀貨をおいてきてくれないか」 ペドロはそういうと、銀貨をいちまい、弟の手ににぎらせました。 弟のすがたが遠ざかっていくのを見おくりながら、ペドロは涙をこらえました。 むりもありません。あんなにたのしみにしていたクリスマスのお祝いに行けなくなってしまったのですから。 その夜の教会は、いつもにまして光りかがやいていました。 オルガンにあわせて、何千人もの歌声がひびきわたり、城壁の外にいるペドロにさえ、じめんがふるえるのがかんじられました。 礼拝のおわりちかく、イエスさまにおくり物をささげる人びとの行列がすすみでました。 えらい人やお金持ちが、めいめい用意してきたおくり物をじまんそうにもって、祭だんに近づきます。 かがやく宝石をもった人。金のかたまりをかごに入れて重そうにさげている人。何年もかかって書き上げた、むずかしい本をおこうとしている、えらい学者……。 行列のさいごにやってきたのは、この国の王さまでした。 王さまが宝石をちりばめたかんむりをぬいで、祭だんにおいたとき、人びとはどよめきました。 こんどこそ、鐘がなりだすだろうと思ったのです。このかんむりのように、すばらしいおくり物をささげた人はいなかったからでした。 けれども耳をすませても聞こえるのは、やっぱり風の音ばかりでした。 人びとはがっかりしました。 「あの鐘がほんとうになったことなんか、いっぺんだってありゃしなかったのさ!」 聖歌隊がおしまいの賛美歌をうたいだしたときでした。 オルガンの音がぴたっとやみました。 年取った牧師さんは、しずかにというように、片手をあげていました。 礼拝堂のなかは、針いっぽんおちても聞こえるくらい、しずまりかえりました。 そのとき、人びとの耳にかすかに、でもはっきりとうつくしい鐘の音がひびいてきたのです。いままでだれひとり聞いたことがないほど、すんだきよらかなしらべでした。 みんなおどろきのあまり、しばらくものも言えませんでした。 けれども、いっせいに立ち上がって、祭だんを見つめました。いったいどんなすばらしいおくり物がおかれたのでしょう? 人びとの目にうつったのは、ちいさな男の子のすがたでした。 ペドロの弟が、だれも見ていないときに、兄からわたされたいちまいの銀貨を、そっと祭だんのかたすみにおいたのでした。 * * * * * * * 出典:R.M.オールデン作「だれが鐘をならしたか」(偕成社「クリスマス物語集」より)、 「百万人の福音」(いのちのことば社) |