コラボ企画「ビスケット・アンド・ドーナツ」のあとがきに代えて、 高橋京希とBUTAPENNが熱く語る 今だからこそ明かされる、「B&D」秘話。 読者から送られた質問をもとに一問一答形式で進めます。
Q. 『ビスケット・アンド・ドーナツ』の企画は、どのようにして生まれたのですか?
A. 京希
元々、当時あまり忙しくなかった僕と、BUTAPENNさんとは、メールやメッセンジャーなどで話をする間柄でした。
丁度その頃、以前sleepdog君とやっていたコラボレーション小説『大好きだよ、君が。』が終わった頃で、その出来に恵比須顔だった僕が、またコラボをしてみたい、というような趣旨の事を会話の中で話したことが、そもそものキッカケだったように記憶しています。
やると決まってから、僕の方で『ビスケット・アンド・ドーナッツ』っていうタイトルはどうかって言ったんです。元々、このタイトルの小説をいつか書いてみよう、と思って暖めていたんですよ。ビスケットもドーナッツも、甘いお菓子なのに、砕けちゃったり穴が開いていたり、ネガティブなイメージも持ってますよね。そこが人生とリンクして面白いのかな、って。
世間知らずな人が人生を甘く考えていると、砕けちゃったり穴が開いたりするよ、っていう。
結構、BUTAさんの反応が良かったので、案外スムーズに決まりましたね。
でも、次回予告縛りにしよう、って言ったのはどっちだったかなぁ。BUTAPENNさんだっけ? もし僕だったら、何て大変な事をしたんだ!、ってその頃に戻って叱ってやりたいけどね(笑)。
でも、始める前はすごく簡単に考えていましたね。次回予告縛りなんて、簡単じゃぁーん、って。結局、優しい次回予告を考えてくれたBUTAPENNさんに救われました。
A. BUTAPENN
私は京希さんの回答を補足する形で答えていきますね。
私が京希さんの存在を知ったのは、sleepdogさんとのコラボ『大好きだよ、君が。』です。それからこっそり彼の小説サイトにお邪魔するようになったのです。
そのあと2004年に『吾輩ハねこまつり』を開催したとき、第48代我輩さんが京希さんを誘ってくださったんですね。
そこで知ったのは、限りなく純文学的で、登場人物に対して優しい視点を持ちながら、しかも破壊者である(笑)という矛盾した両面を持った彼の作風でした。参加作品『風する猫も相及ばざる』にはその前者の側面が、第二会場のリレー小説(「吾輩猫の写生文」)では後者の側面が、強く出ています。
もしかして、すごい人なんじゃないかと思いました。
その後、ブログコラムスでの対談などでご一緒した前後から、どちらともなくコラボ企画の話が出ましたね。これは、若い男の精気を吸うチャンスだと(笑)、飛びつきました。
次回予告縛りリレー小説という形式を提案したのは、京希さんじゃなかったっけなあ。「田処処」と中心として互いのキャラをすれ違わそうというアイディアは、メールのやりとりの中から自然に発生しました。
Q. 予告縛りリレー小説という形式をやってみて、大変だったこと、有意義だったことは?
A. 京希
前の文章にも少し書いたけど、結構大変でした。
それはきっと、BUTAPENNさんもそうなんだと思うけど、この世界観にそれは出せない!、って次回予告があったりね。
それが面白いところであり、醍醐味でもあったけど。
ただ、反省点としては、僕が連載途中で会社を立ち上げる事になって忙しくなっちゃって、その頃から次回予告縛り、という定義が曖昧になってきちゃったような気がします。
あれは本当、反省すべきところだね。
この場を借りて、BUTAPENNさんや、続きを待っていた方に深くお詫びを申し上げます。
A. BUTAPENN
いや、ほんとにもう大変だった。
まず、第一回でつくづく後悔しましたね。だって、いきなりお題が「新しい恋人とはじめてのデート」で「前の恋人と比較する」ですよ? 当初の計画では、まず香澄が夫に女扱いされず、ぶちきれて、不倫願望を持つというところをじっくりと初回で書こうと思っていたのに、結局は冒頭から不倫シーンを書かざるを得なくなってしまったわけです。
いきなりあのシーンですから、いったい香澄ってどういう女?とびっくりされた方も多かったのではと思います。
自分ひとりで書くものだったら、絶対ああいう構成にはならなかった。予告縛りの恐ろしさをしみじみ感じつつ、それでも何とかしてやるという覚悟と開き直りが生まれましたね。
自分で出すお題には、多少とも自分に都合のいい展開を盛り込めるのですが、でもそれじゃいけないと、わざと難しいお題を出したりしました。第4回のお題「映画のシーンをちりばめる」というのは、自分で自分をドツボに落とし込んでしまいました。だって、映画見てないもん。
Q. あの結末は、はじめから考えていたの?
A. 京希
そうですね。リレー小説を書く時は、あらかじめマルチエンディングを頭の中で想定して書くようにします。相手といかにして絡むか、というのもまたひとつのポイントとなるかと思うので、相手の出方によってエンディングを選択しています。
今回は、3話か4話ぐらいまで書いたあたりで、あの終わり方にしよう、と決めてましたね。
だから当然、他にもグッド・エンディングみたいなものもあったし、かなり複雑に後半にかけてドーナッツサイドに入っていく展開も考えていました。結局流れで消えていきましたけどね。
最後まで悩んだのは、最終回は10年後で、視点が穂汰流になっていて、その頃青磁は事故死していて、穂汰流は10年前に助けてくれた青磁の気持ちを支えにたくましく生きている。そして50歳になった牧村香澄の主催するカルチャー教室で、彼女の指導を受けている、という展開でした。
これだと、とても爽やかな終わり方になるはずだったんですけど、それでは良い話路線のドーナッツサイドに勝てないだろう、弱いだろう、と思い直し、あの終末に落ち着いたんです。
あれは非常に小賢しい終わり方で、ドーナッツサイドすらビスケットサイドに内包されるお話だったんですよ、と言ってるんですが、逆にあの事実を知った上でもう1度ドーナッツサイドを読み返すと、まったく違う読後感を得られるという、かえってBUTAPENNさんにおいしい展開になってしまったかな(笑)。
A. BUTAPENN
第三回をアップしたあたりでしょうか。京希さんが思いつめたように、メールで「ビスケットサイドは、人の心を突き刺すような終わり方になるかもしれない」と書いてきたので、何か企んでいやがるな(笑)と薄々予感はしてました。まさかこういう結末になるとは思わなかったですけどね。
実は、私の方は、途中で最初の方針を大転換したんですよ。それまでは最初のコミカルな展開で最後まで行くつもりでした。
不倫願望を持って積極的に行動する香澄が、普段の生活では絶対に出会わないような様々な男と出会いながら(たとえば、女装癖のあるサラリーマンとか、不登校の高校生とか、昔の同級生とか、ホームレスとか)、社会に対する視野を広げて、成長した女性となって家庭に戻っていく。リョウは、生きる希望を失ったホームレスの青年として、最終回にしか登場しないはずでした。
それが、途中でだんだんと、香澄に本当のつらい恋をさせたいという願望が強くなってきてしまったんです。それはやはり、京希さんのビスケットサイドを読んで、青磁と穂汰流の姿を見ているうちにそうなってしまったとしか言いようがありません。
私ひとりの小説なら、こういう展開にはならなかったと思います。だってこれはある意味、私の大嫌いな本当の不倫ですから。「これを不倫に含めるか」という質問もあったので、ここで答えますが、最後まで肉体的な関係はなかったものの、香澄はやはり不倫したと私は思っています。
Q. お互いの作風について、どう思っているか
A. 京希
僕とは全然、違うタイプの作家さんですよね。無論、性別や年齢、宗教観からしてまったく違う、本当なら出会わないような二人ですから当たり前なのかも知れないけど。
きっと、そういう部分が面白い効果をもたらせるんじゃないかな、とは思っていました。
BUTAPENNさんのような表現を、僕はゼッタイにしないはずだし、BUTAPENNさんも僕のようには書きたくないと、生理的に思っちゃうはずです。そんな二人が同じ作品を書く、ってのはやっぱり、ワクワクするところかなぁ、と。
ただ、最初の方のコメディ的な展開には嫉妬しましたね。狙って書いてらっしゃるんだろうけど、あれはすごい。勘違いというか、何と言うか、ああした表現の仕方は読んでいて悔しくなりました。俺、負けてる、って思いましたね。
できれば次は、違うコラボをしたいな、って思うんです。僕のストレートな作風の小説で勝負したい気になりましたね。
A. BUTAPENN
作風が違う、というのは初めからわかっていたこと。だからこそ、コラボをする意味があると思いました。だって、似たような作風のふたりが小説を並列で書いても、何も新しいものは生まれない。じょうずヘタを競うだけです。
私はその当時、自分の殻を破りたいという願望があったし、冒険をしてみたかった(だから、あえて絶対にイヤな不倫というテーマを選んだわけです)。京希さん相手なら、変化球を大リーグボールで投げ返すくらいのキャッチボールができるのではないかと思っていました。そういう意味で、あのラストは期待を裏切らなかったですね。
さっきもいったとおり、京希さんには、小説の枠組みや登場人物を破壊しつつ表現するという破壊者の側面もありますが、ストレートな純文学路線という側面もあります。そっちで勝負したら、たぶん私は勝てないですね。でも、やろうというなら、やったろうじゃん(笑)。
ドーナツ第2回、第3回の、大阪の喜劇みたいな饒舌なコミカルさは、今回あえて挑戦したことのひとつです。意識して、実在の芸能人の名前も入れました。浮きまくってます。でも狙ったというわけでもなく、私がコメディを書いたら、あれが精一杯というだけ(笑)。
Q. 資料はどうやって集めたのですか?
A. 京希
まぁ今は、インターネットもあるし、本屋や図書館に行けば書籍もあるし、脳内に溜め込んでるものもあるし、ただ、資料過多になってしまうと京極夏彦の小説みたいになっちゃうので(笑)、そこは気をつけたいな、と思っています。
A. BUTAPENN
私もインターネットで調べたことが主ですが、リョウの病気に関することは、少し前に読売新聞大阪版の健康医療欄に連載されていた、統合失調症患者の手記を参考にしました(「統合失調症とともに」 森実恵著)。本にもなっています。
ただ、掲示板でも指摘いただいたように、この病気の治療についての描写が現状とは異なっている点があり、誤解をまねきやすい表現をしたことは申し訳ないと思っています。
Q. 一話ごとにつけたタイトルの意味は?
A. 京希
意味ですか(笑)。そうですねぇ。
最初の方に打ち合わせして、『タイトルはビスケット、ドーナッツそれぞれの種類を入れよう』って事になっていたんです。それで僕はビスケット風のお菓子の名前をタイトルに織り込んで行きました。
第1話 「ビスキー・アンド・リスキー・クッキー」
「ビスキー」っていうのは「ビスケット」の事です。ブルース・ブラザーズの曲にビスケットって歌詞が出てくる曲があるんだけど、何度聞いても「ビスキー」って歌ってるようにしか聞こえなかった。それで、ビスキーって響きがいいな、と思っていて。後は語感で、「リスキー」と「クッキー」を繋げました。割と、語感を重視するところがあるんです。無論、内容とかけ離れていないように、ってのが大前提ですけどね。
第2話 「サイレント・クラッカー」
クラッカーはお菓子のクラッカーと、「パーーン!」と鳴らすクラッカーのダブル・ミーイングです。本来派手に音を鳴らすはずのクラッカーがサイレントだと、何か事件の波動が音もなく浸透していくようなイメージにならないかな、って思ってつけました。なかなか好きなタイトルですね。
第3話 「ザ・シークレット・ドラッグ『KAN‐PAN』、アンド・ウォーター・ブルー・ストーリー」
これは秘薬の惚れ薬が乾パンだったってのと、水野君っていう男の子の話を絡ませたかったので、(『アリーmyラブ』みたいにしたかったんですね)こんな長い名前になってしまいました。でも、意味的には最もストレートです。浅いです(笑)。
第4話 「プレッツェル・オペレーション・ツェルベロス」
プレッツェルというお菓子をタイトルに使えないかと思ったとき、ツェルべロス作戦を思い出したんです。ツェルベロスっていうのは、ドイツ読みのケルベロスですね。ドイツ海軍の物資輸送作戦の呼称なんだけど、物語自体、本当は巻物やプレゼントを輸送する話だったので、その名残というか、ミスリードする為に残しました。聞きなれない言葉の羅列もいいですよね。
第5話 「パフ・アイデンティティー」
お菓子のパフと、化粧するときに使うパフのダブル・ミーイングです。人格って、化粧とかで隠せるじゃないですか。本当の気持ちを仮面の下に隠してる。これはそれの、暗喩ですね。
第6話 「ハードビスケット、ソフトビスケット」
人生は哀しい事と嬉しい事の繰り返し。これは僕の人生観なので、それを表現したくてつけました。
最終話 「ビス・コクトゥス 〜藍子の夢〜」
ビス・コクトゥスっていうのはビスケットの語源となったラテン語で、2度焼かれるものって意味があるんです。ビスケットは2度焼いて強度を増す事からきているんですけどね。それが近作の2回哀しい出来事を受けたら人はどうなるのか、っていうもう一つのテーマの着想源となっています。
たまに勘違いされている方もいるんですけど、『ビス・コクトゥス』=『藍子の夢』ではありませんので、悪しからず。
A. BUTAPENN
そうか、水野くんだからウォーターか!(笑)。
私のは、ただ単純に、「ミ○ター・ドーナツ」などで市販されてるドーナツの名前を参考にしただけです。
第1話の「シュガー・ドーナツ」は、砂糖をまぶすみたいに、人生にいろいろな嘘をまぶして生きている女性の姿を象徴したつもり。第2話の「ツイスト・ドーナツ」は、いろんな登場人物のからみ合いだから。第3話の「豆乳ドーナツ」は、単に和風甘味処「田処処」が舞台だったから。第4話の「オールドファッションドーナツ」は、高校時代の回想が多かったから。第5話の「エンゼルクリームドーナツ」はリョウが天使のイメージだからで、第6話の「ビターチョコレートドーナツ」は苦い恋、最終話の「ホームメイド・ドーナツ」は家庭に帰るという意味を込めています。
Q. 性格の20%以上を借りたというモデルは何人いるか?
A. 京希
いません。僕はあまり、そういう描き方はしないですね。反対に、逆モデルで書くことが多いです。あいつの性格がこうだったらおもしろいな、って全く逆の性格をあてはめて書いたり。そういう事の方が多いです。むしろ、性格より僕がキャラクタメイキングで役立てているのは癖とか、語尾ですね。変な笑い方だったり、言葉遣いだったり、誰かと話していると、そういうのを観察して覚えておいて、実際に使ったりします。
小説での性格って、すごく難しいですよね。ストーリー展開させる為だけの悪い奴、とかゼッタイに出したくないですから。実際の人間も性格の基本があって、そこからふり幅がある。そのふり幅の大きさも違いますよね。機嫌の良い時もあればそうじゃない時もあるし。一概に悪い奴と言っても、立場上そうしないといけない方だっていますしね。
そういう意味で言うと、今回は夢の中の話なので、結構好き勝手やってます(笑)。今はあんまり、こういう書き方はしなくなりましたね
A. BUTAPENN
私も、性格を参考にした身近なモデルというのは、いません。香澄がBUTAPENNかと思った人がいるかもしれませんが、残念でした(笑)。
ただ、勇作の外見は、うちのダンナさまがモデルです。ちょっと前まではリチャード・ギアに似てると言われていましたが、今は西田敏行に似てるというところなんか(笑)。
Q. 中断の間に構想がどのくらい変わったか?
A. 京希
そんなに変わってないですね。悪いなぁ、何とかして面白くしなくちゃ、みたいに焦ったりはしたけど、それで内容が変化する事はありませんでした。そもそもいくつもの終わらせ方を最初に考えていたので。
A. BUTAPENN
私も、第4回で方針を大転換してからは、ラストまで大筋は決まってしまっていて、中断のあいだも変わることはありませんでした。
Q. 苦労話はありますか?
A. 京希
コラボとして、何が最良か、それが一番大きいことです。あの終わり方にすると、批判も来るかと思ったんです。BUTAPENNさんの作品を真剣に読んでらっしゃる方を傷つけるやり方ですから。
それでも、僕にはああするしかなかったんですね。この方が面白いからやっちゃえ!って(笑)。
僕一人で書いているなら、きっとこういう終わらせ方にはしないと思います。なんてったって、夢オチですから。それが許されるのは、相手の方も夢だった、という衝撃があるからなんですよね。そこに表現の意義がある。
僕はどんな形でも、読者の心に傷をつけていきたいなぁ、なんて思っています。
A. BUTAPENN
京希さんの話に補足しますと、この終わり方について私が京希さんから打ち明けられたのは、第6回をアップした直後です。私はラストまでほぼ書き上げていました。
正直、このままじゃ持ってかれる、と思いました。ドーナツを先に読んだ人がビスケットのラストを読むと、確かにひと粒で二度おいしい。読後、ドーナツ全体がまったく違う物語として浮かび上がってくるわけですから。ただ、最初にビスケットを読んだ人が次にドーナツを読むと、頭から夢の話、虚構の話としか受け取ってもらえなくなる。
でも、ふつふつと闘争心も沸いてきましたね。そういう先入観をふっとばすくらい、要はこちらの話にどれだけのリアリティがあるかという勝負ですから。飲み込まれなかったという自信はまったくありませんが、終盤へ来てようやく、コラボ企画らしい丁々発止のせめぎ合いになったなあと感じています。
私のほうは、苦労話というほどでもありませんが、ふたりの執筆の速度が違ったのが一番大きな戸惑いでした。
最初は、京希さんがぐいぐい原稿を送ってきて、ちょっと待って〜と私が泣きつくことが多かったのですが、彼が会社を立ち上げてしまった頃からは、私がもっと書くぞと思うときには、彼が忙しい。予告縛りなので、予告を見なければ次の構想ができないシステムなのです。
コラボの最大の難関は、ふたりの執筆リズムを合わせることだなと思いました。
肝心の予告縛りも、後半になるとお互いにあまり難しいお題を選ばなくなりました。とにかく完結させることが先決だと。
京希さんもおっしゃっていますが、このあたりを反省して次に生かさなければなりません。
ええ、またいつかやりたいですね、コラボ企画。
終 ―― ご愛読、ほんとうにありがとうございました。
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