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日付が新しいものほど、下になります。
2004/10/1 [ 日記のはじまり ]

 何日か前、瑠璃子から電話があった。
「あんた、日記書く気、あらへん?」
「誰に向かって、ものを言うてんのん。日記なんて、三日坊主どころか初日から挫ける円香さまやで」
「そうやなくて。あんたがなかなか手記を書いてくれへんから、日記形式なら書けるかと思たんよ。一日三行。これなら、なんとかなるやろ」
「一緒やと、思うけどなあ」
「ふーん、あんた、ディーターとの結婚生活がうまく行ってへんのやな。だから自分のこと書きたくないんやろ」
「そんなアホなこと言いな、って」
「聖クンが成長につれて、だんだん憎たらしゅうなってきて、日記に書き残したいほど可愛くなくなってきたんやな」
「があぁっ。そんなことあるはずないやんか!」
「そやろ、そやろ。じゃ、書いて!」

 ……結局、瑠璃子にいいように丸め込まれたみたい。
 とりあえず、一ヶ月。十月いっぱいは頑張るということで、覚悟を決めた。
 でもねえ。こんな性格の私のことだから、あまり期待しないでほしい。ちなみに、恒輝は「10日以内でギブアップ」に一万円賭けているらしい。


2004/10/2 [ けんかした ]

 ディーターとけんかしちゃった。
 けんかの理由はよくあること。つまり、私は絶対に自分が正しくてディーターが間違っていると思ったし、ディーターは絶対に自分が正しくて私が間違っていると思ったのだ。世界の夫婦げんかと戦争の99%は、これが原因なのだと思う。
 で、私はいつものようにワーッと自分の言い分をまくしたてて、ディーターは、じっと私を見ている。
 そして、いつものようにそれで終わると思ってたら、今日は違った。
 「これは不公平だ」と彼が言い出したのだ。
「円香はいつも日本語で自分の言いたいことを言う。俺はその十分の一も言えない。日本語でけんかするのは、一方的に不利だ」
「そりゃまあ、そうかもしれへんけど」
「だから今日は、ドイツ語でけんかしよう」
 そう言ってディーターは、立て板に水を流すような調子で、理路整然と自分の言い分をドイツ語で述べ始めたのだ。
 私も負けじと、
「イ、イッヒ ハーべ ゲザークト、……あれ?」
 全然出てこない。ドイツ語はけっこう勉強したはずなのに。こういう咄嗟のときって、やっぱり母国語でないと言葉にならない。
 ああ、そうだったんだ。
 私はいつも、ディーターは私よりずっと大人だから、けんかのときに黙って聞いてくれてるんだと思ってた。だけど彼だって、時には言いたいことがいっぱいあったんだ。
「やっぱり、あかん。こういうのって、不公平や」
「だろう?」
「でも、それやったら、私たち国際結婚の夫婦はどうやってけんかしたらええの? 日本語もドイツ語も不公平なのに変わりあらへん」
 私はポンと、手のひらを叩いた。
「ふたりともしゃべれない言葉でけんかしたら? モンゴル語なんか、どう? さすがのディーターかて、モンゴル語は知らんやろ?」
「円香、本当にまじめに言ってる?」
「うーん」
 そうは言っても、体力勝負じゃディーターが強いに決まってるし……。一番公平な勝負って何だろう?
「そうや! これしかない」
「「じゃんけん、ポン!」」
「うわあっ」
「よっしゃー。勝ったあ!」
 ふっふっふ。三戦三勝。円香さんの強さを思い知ったか。
 あれ? なんか最初と話が違ってるみたいだけど、まあいいか。

2004/10/3 [ アイリッシュ・ディナー ]

 日曜日は、私たちが自宅のマンションで3人だけで夕食を取る唯一の日だ。他の日は稽古があるので、そのまま葺石の実家で食べている。この1、2ヶ月は私が大学院入試の修羅場だったため、藤江伯母さんに甘えて私たちの分も作ってもらったり、出来合いのものを買っていた。だから、こうしてディナーを作るのは久しぶりのような気がする。
 今日のメニューは、アイリッシュシチュー。いわばディーターの「おふくろの味」だ。
 作り方は簡単。ラム肉とじゃがいもと玉ねぎを切って厚手の鍋に入れ、水を入れ、火にかけるのだ。そして、ただひたすら煮込む。この簡単さが、ぐうたら主婦である私のお気に入りの理由だ。
 本当は各家庭のバリエーションがいろいろあって、それぞれの秘伝があるという。私は、タイムやローリエを入れたあとに、栄養を考えてざく切りトマトとかキャベツとかを入れるけれど、きっとディーターのお母さんはもっと別なものを入れていたのだろう。
「何が入ってたかなんて、全然おぼえてないよ」
 とディーターは笑って食べてくれるけど、本当は、彼の記憶にあるのは、違う味のはず。
 ディーターのお母さんに会いたかったな。会って直接、デュガル家の伝統の味を教わりたかった。
 そんなことを考えつつ、本を読みつつ、じっと待っていると、ことことと鍋の音がして、家中に暖かくいい匂いがふわりと漂ってくる。
 ディーターが日本のおでんや鍋物料理が好きなのは、アイリッシュシチューと同じ温かい雰囲気が、家族を感じさせるからだと思う。それに何よりも、ビールがおいしいから。
 あとは、塩コショウして味をととのえるだけ。スコーン(これは夙川のパン屋さんで買ってきた。手作りでなくてごめんね)と、ギネスビールを添えて、ディナーのできあがり。
 3人で食べる食事は、多少ヘタでもおいしいよね。
 小さく切ったじゃがいもを口に入れ、ほっぺたをふくらませてモグモグしている聖。大きくなったら、「これが僕のおふくろの味」と言ってくれるといいなと思う。
   

2004/10/4 [ やったぜい! ]

 ようやく合格! やったぁ。
 第一志望のK女学院はすべったけど、第二志望のS女子大の大学院から、めでたく合格通知をもらった。
 私の通っているK学院大学は、実は臨床心理士資格認定の指定校ではない。しかも、指定校にも一種と二種があり、一種であれば、二種に課せられている一年の実務経験なしに、いきなり検定試験が受けられるのだ。この差は大きい。
 と言うわけで、9月の試験まで、私はそれこそ大学入試でもしたことがなかったような猛勉強をしてきた。
 受験中、実家の用事を一手に引き受けてくれた藤江伯母さんも、聖が泣いているとき抱っこしてくれた祖父も、「コネなんかあるか!」と冷たくつきはなしてくれた父も、京都のあちこちの神社で受験のお守りを買ってきてくれた鹿島さんと茜さんも、眠いときも甘えるのを我慢させてしまった聖も、本当に今までありがとう。なんだかアカデミー賞の受賞式のスピーチだな。
 みなさんのおかげで、無事に合格できました。
 
 そして誰よりも、私をいつも愛して、励まし、支えてくれたディーター、ほんとにほんとにありがとう。
 また2年、学費がかかるけど、それもよろしく。しっかり稼いでね。
 

2004/10/05 [ 雨の夜 ]

 雨の夜は好き。
 窓や軒先を打つ単調なリズム。暖かく居心地のいい部屋の中で、何かに包まれている安堵感を覚える。
 昨夜はそんな雨の音を夢うつつに聞いていたら、ふと隣に寝ていたはずのディーターが窓辺に座っているのに気づいた。
「どしたん、ディーター?」
 窓の外を見つめたまま振り返りもせずに、彼は言った。
「……悪い。一本吸ってもいいか?」
 私はしばらく黙って、それから答えた。
「聖のおらへんところやったら、ええよ。そっちの部屋に行こう」
 私たちは隣の書斎に移った。彼は引き出しの奥に隠してあったキャメルの箱を取り出し、一本口にくわえる。
 ディーターはときたま、ほんのときたま、煙草を吸いたがる。幼い聖のため、煙草が大嫌いな私のために、普段はベランダで吸うことさえ我慢しているけど、どうしようもなくなるときがあるらしい。そういうときは必ず、昔のことを、――多くはユーウェンであった頃のことを――思い出しているのだ。
 ソファにぐったりと背中を預けて、幾度か煙を吐き出しながら、彼は雨の音に聞き入っているようだった。
「覚えてるだろ? はじめてキャメルを吸ったのが、雨の夜だった」
 隣に座っていた私は、何も言わずうなずく。
 今、ディーターは半分、私に向かって話しているのではない。まるで、自分の中の消えていった人格たちに語りかけているよう。だから、声はかすれて消え入るくらいに小さい。
「家では「あいつ」がずっと飲んだくれて、暴れて、だからもう何日も外で寝ていた。毎日雨が降って、腹が減っていた」
 たぶん、彼が思い出しているのは、シェーンという支配人格を持っていたころ、叔父の性的・身体的虐待から逃げ出して、かっぱらいをしながら野宿をしていたというころだ。
 ディーターは煙草をくわえながら、話し続けた。
「隣に座っていた男が、キャメルを一本俺に分けてくれた。どこかで拾ってきたライターは湿気てて、何度もカチカチ鳴らして、やっと火がついたんだ」
 いつのまにか私は、北アイルランド・ベルファストの街角の、濡れて硬いレンガの壁を背中に感じていた。
 煙草の先は、暗闇の中でそこだけポツンと赤く見えた。
 多分、11歳の彼にとって、全身を冷たく濡らす雨の中で、暖かく乾いたものはその煙草だけだったのだろう。
 ディーターはそれから長いあいだ、じっと指先にはさんだ煙草を見つめた。
 灰がはらはらと床にこぼれ落ちていく。
 根元まですっかり短くなってしまうと、私はそっと彼の指から煙草を取り、丁寧に火を消した。
 そして、苦い香りのする彼の胸にしっかりと抱きついた。

2004/10/6 [ 手が重なるとき ]

 きのうの雨で乾かなかった分も含めて、ものすごくたくさんの洗濯物を青空の下に干した。聖の小さいシャツの横にディーターの大きなシャツ。並んで、風でひるがえっているのが、とても楽しそう。
 干し終わってベランダから部屋の中に入り、ディーターの腕から聖を受け取る。
 脇の下にしっかり両手をあてがって、私の受け取る準備ができても、ディーターはちょっとの間手を離さない。
 お互いに相手が抱いていると思って一緒に力を抜いたら、聖は床に落っこちてしまう。落っことしてしまったことが今までにあるわけではないが、それでもヒヤリとしたことはあるのだ。だから、念には念を入れる。

 たとえ無駄のように見えても、親であるということは、そういうことの積み重ね。
 私たちに授かった大切な小さな命を不注意のために傷つけないように、私たちは手を重ね合わせる。

2004/10/7 [ 迷い ]

 恒輝は今春から社会人になった。大手メーカーの営業マンだから、帰りが遅い。平日の稽古はもう無理で、土曜日だけ、ときどき参加している。
 けれど平日でも時折、夜ふらりと来ては晩御飯を食べていくのが恒輝らしいけど。
 いつもの彼らしからぬ、元気のない冴えない表情は、仕事の疲れもあるだろうが、もっと別の理由があるせいだと思う。

 瑠璃子は来春から東京での就職が内定している。小さいけれど、希望していた出版社だ。一方、恒輝の会社は、本社が東京だとは言え、入社当初は関西勤務。ずっと遠距離恋愛が続いている。
 いずれはふたりとも東京を居住地と定めることになるはずだ。関西にふたりがいなくなるのは寂しいけれど、それはしかたがない。
 ただ、瑠璃子のうちは、西宮に古くから住んでいる格式の高い旧家。しかも瑠璃子は二人姉妹の長女だ。大学を卒業したら、必ずこっちに戻ってくるように言われていたらしい。今彼女は家の人を説得の最中なのだけれど、それにともなって、ふたりの間までぎくしゃくしているみたい。私から見ると、元々はささいな行き違いのように思えるんだけど。

 ふたりの人間が結婚するって、大変なことだと思う。当人たちだけがよければいいのではなく、周囲の人間の気持ちも考えなければならない。私とディーターの場合は、幸い家族の反対はなかったけれど、その代わり、それとは全然違う大変さがあった。
 人にはそれぞれいろんな種類の戦いがある。誰も代わってあげられない。でも、神さまから与えられたその戦いは、どんなに苦しくても無駄ではない。自分の成長のためにきっと必要なことであるはずだ。
 がんばれ、瑠璃子も恒輝も。

 そう心の中でエールを送っていたら、恒輝が夕食の席でこんなことを言い出した。
「ディーター、おまえ、そんなに早く結婚して、後悔してへんか?」
 ディーターはそれを聞いて、思いっきり喉をつまらせた。
「俺な。このごろ迷うてるねん。別に無理に結婚しなくても、ええんやないかってな。籍を入れるって、そないにすごい意味があることやろか。かえって、いろんなしがらみを背負ってしもて、お互いが見えなくなるんやないかってな」
「そ、それは……」
 ディーターはしどろもどろで、私のほうをチラリと見る。
 そのあと、男どもはそそくさと、ふたりで外へ飲みに行ってしまった。
 がーん。ち、ちょっと、何よそれ。
 なんで、「結婚して、よかった」って言うてくれへんのん。
 確かに私って金食い虫で、家事も育児も中途半端で、おっぱいもペタンコになって女としての魅力もないけれど。まさかディーター、私と結婚したこと後悔してない……よね?
 結局、ディーターが帰ってきたのは、なんと1時過ぎてから。恒輝は終電を逃して、タクシーで尼崎まで帰ったと言う。
 「何を話してたの?」と聞いても、生返事しか帰ってこない。
 ああん、気になる。ふたりは何を話してたんだろう。

2004/10/8 [ 台風接近 ]

 今日は朝から、一日中雨。台風22号が接近しているせいだが、ホントに今年は台風が多い。
 というわけで、今晩は実家にそのまま泊まることにした。
 夜に大雨が降ったら、聖を抱っこしてマンションまで帰るのは大変、ということになったのだ。それに、明日は土曜で大学も休みだということもある。
 マンションのほうはしっかりと戸締りして、聖の着替えや紙おむつなどのお泊まりの準備に日記送信用のノートパソコンまで整えて、夕方から実家に戻った。
 道場の窓の鎧戸を下ろし、雨戸も全部閉める。母屋、離れ、道場と、長い縁側のある葺石の家は、雨戸の数だけでも半端じゃない。
 震災で家が半壊して改修工事をしたとき、雨戸を全部アルミ製に取り替えてしまったので、昔に比べて楽といえば楽だけど、ちょっぴり残念。子どものころ、がたぴし言わせながら木の雨戸を繰(く)るのは、とっても楽しかった。うっすら埃のついたかんぬきを、カキッと小気味よい音を立てて押し上げるのも、木の節目から漏れ入る朝の光の中で目を覚ますのも、大好きだった。
 久しぶりに実家でのお泊り。昔使っていた自分の部屋に布団を並べて敷いて、聖も喜んでゴロゴロところげ回っている。
 門下生との稽古と、家族全員での夕食が終わったあとは、ディーターと聖と三人でお風呂に入ることにした。
 実は結婚4年目にして、ディーターといっしょにお風呂に入るのは今晩が初めてなのだ。そもそも欧米人の彼は、誰かと風呂に入るということ自体に慣れていない。
 そこを無理押ししての、初体験。
 広い檜張りの風呂場で、泡だらけになりながら、背中を流しっこした。えっちな気分になるかと思ったけど、聖がいるのでそれどころじゃない。
 暖かい湯船に顎まで沈んで、身体を寄せ合いながらじっと耳をすますと、外は不思議なほどしーんとしている。今は雨が止んでいるらしい。
 でも、近畿の南の方は今も大雨だと聞く。明日が台風の再接近。このあたりも、いずれ風雨が激しくなるのだろう。恐いけれど同時に、どんなときでも三人でいられるっていいなあって、ふわりと心が浮き上がるような安心感に襲われる。
 と、このまま終われば、幸せなお風呂タイムだったんだけど。
 温まっていい気分になった聖が、お湯の中でうんちをしてくれて、最後に大騒動になってしまった。あーあ。
 

2004/10/9 [ もうひとつの台風 ]


 台風が関東のほうに大きくそれていったため、午後からはほとんど雨も降らなかった。瑠璃子のいる首都圏方面は、夕方ごろが大変だったらしい。ニュースで、渋谷が大洪水になっている映像を映していた。
 さて、葺石家には、それとは別の小さな台風が通過した。
 居間で、父とディーターがドイツ語で言い合っているのを小耳にはさんでしまったのだ。全部は聞き取れなかったけど、だいたいこんな内容だ。
『だから、卒業までは親の責任として俺が払うって言うてあるやろ』
『でも、円香は俺の妻だ。俺が払うのが当然でしょう』
 どうも、私の大学院の学費の支払いについて、もめているらしい。
 私がこれから2年間行くのは、私立の女子大。入学金もろもろに加えてけっこうな授業料がかかるのだ。ほんとに我ながら金食い虫でいやになっていたのに、押しつけあうどころか、どちらも払ってくれるつもりだったなんて知らなかった。感激して、しばし立ち尽くしてしまう。
 とは言え、父親と夫がにらみ合うこの目の前の状況は、厄介といえば厄介。
「まあまあ、ふたりともそんなことでケンカせんと」
 私はわざと脳天気を装って、彼らの背中をぽんぽん叩いた。「そんなんやったら、仲良くお金を出し合って、余った分で私のカシミヤのコートとかバッグを買うってのはどう?」
 ふたりとも、怖い顔でじろりと見る。ちぇっ。冗談の通じないヤツらめ。
 きっちり折半するとか、入学金と授業料を分担してくれるとか、現実的な解決法は思いつかないのかしら。ディーターも結構こういうところは依怙地だし、父は昔からあのとおりの性格。男ってまるで子どもみたい。
 しかたなく、私はその夜、父の診療室のドアをノックした。
「遅くまでご苦労さま。お茶でもどうぞ」
 と、机で仕事をしていた父に猫なで声を出す。
「ねえ、お父さん。気持ちだけは、十分いただいたから」
 と、いつのまにか肩なんか揉んじゃったりする。
「18年間育ててもろた上に、大学の4年間の費用まで出させたんや。もう十分やと思うねん」
「そやけどな」
 父は、まだ不貞腐れている。
「おまえたちは、これから聖が大きくなるにしたがって、なんぼでも金が要るんや。せめておまえがひとり立ちするまで、親の務めとして学費は俺が払う。なんぼそう言うても、あいつはきかへん。夫としてのプライドとか、小さなことにこだわってるんやろうが、無理をしてキツい仕事を入れて病状が不安定になったら、どないするつもりや」
 父は今でも主治医として、ディーターの心の状態にすごく気を使ってくれているのだ。
「お父さん、ありがと」
 本当に演技でなく、涙がでそう。私は、父の首に背中から抱きついた。
「でも、ここはディーターに花を持たせてあげてほしいんや。お願い。そして、私にくれるつもりだったお金は、貯金しておいて」
「貯金?」
「うん、これから聖が中学や高校に入るたびに、たくさんお金がいると思うねん。そういうときにちょっとでも援助してくれたら、私たちもすごい助かるし、聖もきっと喜ぶ。「おじいちゃん、大好き」って」
 必殺「聖ネタ」攻撃。見事に、父はめろめろになってしまった。
「そうやなあ。おまえに使うより聖の将来のために使たほうが、日本の社会に有効活用できそうやなあ」
 やれやれ。やっぱり、娘より孫のほうが可愛いですか。ちょっぴり悔しいけど、とにかく父の懐柔策は成功したみたい。

 さて次は、頑固な旦那さまの機嫌をなおさなくちゃ。

2004/10/10 [ 夙川河畔 ]

 連休。と言っても、人ごみに出るのが好きではないディーターといっしょに、わざわざ連休中に行楽地に行くことは、あまりない。
 私たちが休日によくすることは、近くの夙川べりの散歩だ。
 甲山や六甲連山を背中に聖のベビーカーを押し、とりとめのないおしゃべりをしながら、ゆっくりと香枦園浜のほうまで歩いて、また戻ってくる。
 夙川はそんなに大きな川じゃなくて、底がはっきり見えるくらい浅いのだが、川沿いにゆっくり歩くと、流れる風と頭上にかぶる街路樹が、生き返ったような心地にさせてくれる。台風が過ぎたあとの薄日の中だが、川床の敷石の上に、澄んだ水がきらきらと光る。そして下流に行くにつれて、次第に潮のいい香り。
 山の恵みと海の恵みをわずかな時間で両方味わえる、すてきな散歩コース。
 もし何十年も経って、聖が大人になって独立して、ディーターと私はおじいさんとおばあさんになっても、変わらずふたりでこの夙川を散歩しているだろう。
 もしどちらかが天寿をまっとうして、ひとりになってしまっても、残されたほうはやっぱり日曜日にはここに来るだろう。
 時を越えてふたりで歩き続ける、そんな満ち足りた思いとともに。
 平凡でいいから、そういう人生を送りたい。願いながら、私は歩いていた。

2004/10/11 [ 母の鏡 ]

 うちの実家には納戸という、古い箪笥や家具ばかりを置いてある部屋がある。今日、自分の秋物の洋服を探していて、久しぶりに納戸に置いてあった古い鏡台に目が留まった。
 この鏡台は、母の死後何年も家にあるものだ。震災のときばったり倒れてしまって、鏡の上の方が三角形に大きく割れ、表面の合板も醜くめくれ上がってしまった。
 もう捨てようと、祖父と鹿島さんが相談しているのを聞いて、小学六年の私は、「いやや、絶対に捨てんといて!」と、みんながびっくりするような大声で叫んだのを覚えている。
 ぺたんと前に座って表面をなでる。深呼吸する。
 引き出しを開けると、母の匂いがした。この鏡台は私にとって、十年の歳月を埋めてくれる母の記憶そのものだ。
 化粧水や乳液の瓶は、中身が腐るからと捨ててしまったが、それ以外は、母が突然の事故で死んでしまったその日のままだった。中身が干からびて、ひび割れているコンパクト。先が少しちびた、オレンジ色の口紅。
 旅行に行ったとき買ったらしい、どこかの神社の印の入ったミニ草鞋のキーホルダーやら、化粧品屋さんの粗品でもらったカラフルな爪きりセット。片方なくしたゴムの髪留めや、幼稚園のときに私が大切にしていたらしい、グリコのおまけまで。
 母が生きていたころの私にとって、鏡台の引き出しは宝島だった。
 いい香りをさせながら、きれいにお化粧している母の膝によりかかるようにして、私は心安らぐいろんな魔法を、ここでかけてもらっていたような気がする。

 鍵のかかる引き出しの一番奥には、剥げた金メッキの宝石箱の中に指輪がいくつか入っている。
 ひときわ大きく目立つのは、翡翠の指輪。
 台座が飛び出したデザインで、とても実用的だとは思えないのだが、母はお出かけのときにいつもそれをはめていた。
 父は、照れくさげにニヤニヤ笑って、
「そんなもん、全然値打ちないで。金あらへんときに買うてやったヤツやから」
 と言うのだが、きれいな青緑色で、まるでどこかの山奥の、きらきら陽光に映える湖の表面を見つめているような輝きが私は好きだった。
 ディーターに最初に会ったとき、おじいちゃんの部屋の障子越しの光を浴びた彼の目を見て、私はこの翡翠に似ていると思ったのだ。
 なつかしくて、とても優しい色。
 もしあのとき、異国の男の瞳に母の指輪の色を重ねなかったら、私はもしかして、全然ことばの通じない彼の身辺に、これほど深入りしようとは思わなかったかもしれない。
 5年経った今、こうしてふたりは結ばれていなかったかもしれない。
 そう思ったとき、母の遺した指輪がまるでディーターのことを予言していたような感じがして、なんだかとても不思議な、母に抱かれているような心地がした。

2004/10/12 [ 親友の結婚 ]

 瑠璃子から、突然の電話。
「恒輝がな。金曜の晩遅く、会社帰りのスーツ姿でいきなり東京に現れたんや」
「えーっ。金曜夜って、もしかして台風のどじゃぶりの真っ最中、違うかったん?」
「うん。スーツが絞れるくらい雨でぼとぼとになって、それでも開口一番、「結婚するで」って」
 明るくはずんだ、それでいて少しうるんだ声だった。
「たとえ本社の辞令が出ても出なくても、来年の春に式をあげるんやって。待つのはもうごめんや。一秒でも早く、おまえを「柏葉瑠璃子」にしたいんやって。なんか恒輝らしくないセリフやろ。ゴーインでカッコよくて」
「ほんまやあ。よかったね、おめでとう、瑠璃子」
「ありがとう、円香。それにディーターにもお礼言うといて」
「え?」
「ディーターが恒輝に言うてくれたらしいんよ。結婚の心構えについていろいろ。結婚して家庭を持つのは覚悟がいる。特に、子どもを育てるのは思った以上に大変だったって」
「……」
「でも、その苦労を苦労と思わなくなる力を互いに与え合うことができるのが、結婚ということなんだって。だから迷わずに結婚しろって、焚きつけてくれたんやて」
 ディーターと恒輝はあの日、ふたりで飲みに行って、そんなことを話してたんだ。
「式はそっちでするから。恒輝が今、神戸の式場を押さえてるはずや。必ずふたりで出席してよ」
「あたりまえやん。イヤ言うても行くから、覚悟しときや」

 ほんとうにおめでとう、瑠璃子。
 結婚生活のスタートまでには、まだいろいろな難問があると思うけど、瑠璃子と恒輝なら大丈夫だと思う。ふたりなら、どんな困難も乗り越えられる。それは私の体験から言ってあげられること。
 そして、ディーターも同じように思っていてくれたことが、涙が出るほどうれしい。

 私の大好きな親友たち。幸せになってほしい。

2004/10/13 [ 予防接種 ]

 一歳前後の赤ちゃんがいると、予防接種が大変。今日、聖を連れて病院に行ったら、待合室は同じくらいの赤ちゃんの泣き声であふれていた。
 三種混合の一期と二期。ポリオもあるし、麻疹と風疹もある。一般の個人病院の診療時間に予約を入れていかなければならず、しかも予定していたその日に体調を崩して、少しでも熱が出たらアウトだ。
 さらに、これから冬にかけて風邪の季節。3歳までは病院とは縁が切れない日が続くと、病院で出会った先輩ママたちはこぼしていた。
 今の私は、大学生とは言っても卒論演習だけだから暇があるけど、働いているお母さんはとても大変だと思う。病院通いだけは、他の人に頼むことができないのだ。
 もっと子育てのしやすい社会になればいいと思う。そうでないと、日本はますます子どもが減って、将来、聖のお嫁さん探しにも困ることになるだろう。
 などと考えているうちに、聖の番が来た。お医者さんにちくっと注射されたとき、口をへの字に歪めて泣きそうになったけど、そばにいた若いきれいな看護婦さんに「わあーっ。がまんしたね、えらいねえ」とあやされて、とたんに機嫌が直った。
 うーむ。もうしっかり、この年で男してる。お嫁さん探しの心配いらないかも?

2004/10/14 [ 誕生日 ]

 私こと円香・グリュンヴァルトは、本日めでたく22歳の誕生日を迎えました。
 今日の日記はこれでかんべんしてね。
 だって、今夜はこれから、ディーターの祝福のキスを受けるのに忙しいんだもん。

2004/10/15 [ お出かけ ]

 今日は朝から秋らしい、抜けるような快晴。
 思い立ったが吉日、というわけで、お弁当をいっぱい作って、三人で神戸の王子動物園に行った。疲れたけど、すごく気持ちのいい一日だった。

 聖は今、一歳二ヶ月。
 もうとにかく、はいはいを始めた八ヶ月頃から目が離せなくて困った。ヘタすると、こっちが走っても追いつかないほどの速さで家中を這い回るし、ティッシュは箱から全部出しちゃうし、つかまり立ちして、テーブルの上のとんでもないものを口に入れるし、そっちへ行っちゃダメというところにわざと行っては、段差のあるところからころげ落ちて泣くし、いないと思ったら家具のすきまの狭いスペースに入りこんで眠っちゃってるし、ディーターも私もほとほと疲れてしまった。
 それでも、可愛い。一歳前後が赤ちゃんの一番かわいい頃なんじゃないだろうか。生まれたときフサフサだったディーターそっくりの金髪は残念ながら産毛だったらしく、今はすっかり濃い茶色に生え替わってしまったが、そのためかキュッと顔が引き締まって見える。もう赤ちゃんじゃなくて、男の子という感じ。
 離乳食も終わって、このあいだから大人とほとんど同じものも食べられるようになったし、手をつないであげれば、たくさん歩けるようになったし(その代わり、よく転ぶけど)、ようやく、いろいろなところに連れて行ってあげられる年になったのかもしれない。

 ライオンもコアラもシマウマも、大人になった私にはそんなに驚きもないはずなのに、ベビーカーに乗っている聖が何かを見て、指をさし「うぉっ?」なんて声を出すと、私も同じものを見て「うぉーっ」といっしょに叫んで、よその人に笑われている。
 まるでゴリラの親子だ。恥ずかしいのか、そのそばでディーターは、高い枝の葉を捜してるキリンみたいに余所見してる。
 聖にとっては生まれて初めて見ているものなんだと思ったら、何もかもがすごく不思議で新鮮で感動する。
 聖の目線を通して世界をもう一度、新しい目で見る。子育ては大変だけど、それが親に与えられた特権なのかもしれないな。

2004/10/16 [ 夜泣き ]

 やってくれた。聖の久々の夜泣きだ。
 動物園行きがとっても楽しかったのか、前日興奮してなかなか寝つかなかった。とにかく電車の中でも動物園でも、いろんな人に、かまわれるのだ。もともと葺石の実家で大人に囲まれて育っている子。人見知りもせず、愛嬌の良さはピカ一だ。
 それが、裏目に出てしまった。あやしてくれる人ごとに笑顔をふりまかなければならない昨日のような状況に置かれて、聖は疲れてしまったのだ。
 人間て、こんな小さな赤ちゃんの頃から、人付き合いに疲れてしまうんだな。大人の私たちと同じ。
 やっと寝入って、やれやれと思ったそのわずか2時間後に、聖はまた大声で泣き始めた。
 こんなとき、母親の私は以前ならおっぱいという神通力があったのに、断乳してしまった今はそれも使えない。まるで、印籠をなくした黄門さまだ。
 一生懸命、抱っこしてゆすりながら、
「そうや、ディーター。子守唄歌って」
「え?」
「モーツァルトでもシューベルトでも、景気よくぱーっと、ドイツ語のやつ」
 景気よくかどうかは知らないけど、ディーターはしぶしぶ、低くてきれいな声で子守唄を歌ってくれた。
「ふにゃあぁぁ」
 私もすっかりいい気持ちになった頃、聖もようやく寝入ってくれた。
「大成功。これからもこの手で行こうね」
 と、私たちも目をこすりながら、ふたたびベッドにもぐりこんだ。

 ところが。
「……」
「……」
「なんか、眠れなくなってしもたね……」
 暗闇の中で、起き上がる。
「喉、渇かない? ホットミルク飲もか? ウィスキーをちょっぴり垂らして」
 ディーターはすぐに賛成した。「ミルクをちょっぴり垂らしたウィスキーの方がいい」なんて言いながら。
 私たちはキッチンの灯りをつけて、テーブルであったかいマグカップを手に、向かい合った。
「私ね、ドイツって子守唄の国やなって、小学生の頃思っててん」
「どうして?」
「だって、モーツァルトの子守唄もシューベルトの子守唄もドイツ語でしょ?」
「それだけのことで? 第一、モーツァルトもシューベルトもオーストリア人だし」
「子どもの聞くドイツ語って、それしかなかったんやもん。だからドイツでは、森の中の木の家で、大きなエプロンをしたお母さんがいつも子守唄を歌っているんやなって」
 弁解しながら、そのときの自分の考えに自分で笑ってしまう。
「それだけ遠い国やってんよ、私にとってドイツは」
 ディーターも、実は似たようなことを考えていたと言った。キモノとか紙の家とか、西洋人が持つそんな画一的なイメージしか日本に持っていなかった頃のこと。自分がこうして日本に住むようになるなんて、思ってもいなかったと。
 そのふたりが結婚して、こうやって午前1時のキッチンで向かい合ってる。考えたら、人間の運命って、なんて不思議なんだろう。
 私たちはちょっとの間、ふわふわした夢の続きの魔法にかかったみたいに、お互いをまじまじと見つめ合った。こんな大切なことを思い出せるなんて、聖の夜泣きに感謝したい気持ちになる。
 ミルクを飲み終わって寝室に戻ったとき、私はディーターの腕をそっとさわって言った。「やっぱり、まだちっとも眠くならへん。私にも子守唄、歌って」
 彼は、すっごく意味ありげに笑った。「いやだ」

 結局、それから私たちは眠れないことをいっぱいしてしまって。
 夜泣きで寝不足の聖といっしょに目を覚ましたのは、なんとお日さまが高くなってからだった。
   

2004/10/17 [ そして誰もいなくなった ]

 蛇口の栓をきゅっと閉めたとき、背中にたとえようもない戦慄が走った。
 さっきまでバタバタとうるさかった家の中がしんと静まり返っている。まさか、もう惨劇は始まったのだろうか。
 突然、台所の隣の居間から、かすかな男のうめき声。どさりという音。
 ここは安全だと思っていたのに。
 私はあわてて居間に飛び込み、畳の上に倒れている鹿島さんを発見する。白目を剥き、元ハリウッド俳優らしい端正な顔は苦痛に歪んだまま。
「うそ……」
 私はとっさに、居間の隅に寝かされている聖を見た。すやすやと深い寝息をたてているのでほっとする。
 どこか安全なところを探さなければ……。私がとっさに思いついたのはトイレだった。
 だがトイレの前では、ドアをふさぐような格好で、藤江伯母さんが仰向けに倒れていた。きっと私と同じことを思いついて、その直前に襲われたのだろう。藤江伯母さんの死に顔は、心なしか幸せそうに微笑んでいた。
 それを見たとき、敵の正体に気づくべきだったのだろう。でも私の頭は、パニックでそれどころではなかった。
 渡り廊下を走る。祖父が、片付け途中の食器の箱を手に持ったまま、壁にぐったりと凭れかかっていた。
「こ、こんな感じでええんか」と薄目を開けて、照れたようにつぶやく。
「うん、ええと思う。もうちょっとそのままでいてね」
 もう少し行ったところで、父の死体に出会った。まるで倒れる瞬間に石になったみたいに、両手両足を高々と上げている。
 うーん、この格好を長時間保っているのは大変だったろうに。くすぐったろか。
 そう感心していたとき、「うわああ」という、恒輝の断末魔の悲鳴が聞こえてきた。道場のほうだ。
「恒輝!」
 走っていって、倒れている彼のそばにひざまずくと、ひくひくと虫の息で答えた。
「せ、せっかく結婚が決まって、人生バラ色やのにぃ」
「私……、犯人はてっきりあんたやと思ってた」
「俺もや。犯人は円香やと思て、油断してた」
 ということは。
 残された人間はただひとり。
「ディーター」
 暗がりから現れた人影を見て、私は立ち上がった。「まさか、あんたが……、知らんかった」
 ディーターは翡翠色の瞳を光らせて、笑った。
「まさか、ディーターがウィンクキラーやったなんて!」

 私とディーターの恒例「真ん中バースデーパーティ」。友だちや門下生を呼んでのご馳走のあとは、家族総出で後片付けをしながらの「ウィンクキラー大会」だったのだ。
 ほんとにうちの家族どもは乗りやすいというか、なんというか。役になりきってくれるので楽しいことこのうえない。ディーターのウィンクを私だけ見られなかったのは、残念だけど。
 来年は、聖くんもいっしょに参加できたらいいなあ。

☆ 「ウィンクキラー」の本当のやりかたを知りたい人は、ネットを検索してみてくださいね。
 

2004/10/18 [ 四捨五入 ]

 今日はディーターの誕生日。
「今日から25歳やね。四捨五入したら、もう30かあ」
「そこで四捨五入する意味が、よくわからないんだが」
「そういえば、ユーウェンはいつも、肉体年齢より5歳年上やったんと違う? 本当に30になってるやん」
「……」
「ユーウェン、大台に乗って、おっさんになったご感想は?」
「くそっ。馬鹿馬鹿しいのに、なんだか無性に腹立つ……」

2004/10/19 [ ハリウッドからの便り ]

「きのう俺に、レスリー・テンからメールが来たんや。3年後にハリウッドで本格時代劇を撮影するための準備に入ったと」
 縁側から雨音とともに鹿島さんの声。障子に映る高い影がふたつ。
「香港にいるご主人のリックも参加しての、共同監督や。もうスポンサーもついて、かなり具体的な話らしい。それで、俺に殺陣の監修をやってほしいと依頼がきた。おまえもいっしょだ」
 横にいるはずのディーターは、何も答えないまま。
「合わせて、出演もしてほしいと言ってきてる。俺は、坂本竜馬の役や。そして……。ディーター、おまえには主役をやってほしいと」
 え……。
 私はもう少しで、叫んでしまうところだった。ディーターが主役? ハリウッド映画に出るの?
 さらに長い無言のあと、彼はようやく答えた。
「俺には、できない」
「演技のことなら、心配することは……」
「そうじゃない」
 かぶせるような強い調子で、ディーターは続けた。
「康平、おまえには言っておいたほうがいいかもしれないが、……ケルンの聖ヘリベルト大学病院に、俺のことをしつこく問い合わせてくる奴がいるらしい。……退院後の行方について」
「それって……、まさか、昔のテロ組織の奴らか?」
「そうじゃないと思う。それならば日本にいる限り安全だ。俺の恐れているのは、もっと別の可能性だ」
「もっと別の?」
「言ってもしかたのないことだ。……とりあえず、病院のほうは断固として口を閉ざしてくれてる。だから今の俺は、公の場に出るわけにはいかない。映画の出演どころか、どんな小さな裏方の役でも。回りにどれだけの迷惑がかかるかわからない」
「そうか……。そういうことなら、仕方ない」
「このこと、円香には言うな」
「わかってる。心配させたくないしな。レスリーのほうには、俺から言うとく。……取り越し苦労やと、ええけどな」

 私は、こっそりとその場を離れた。
 ショックだったのは、ディーターが笑顔の仮面の下で、今でもどれほど過去のあやまちの結果に苦しめられ、おびやかされているかということだった。
 平和で穏やかに見える私たちの生活は、いつ崩れるかわからない砂上の楼閣なのかもしれない。
 私は彼の力になることができない。できるとすれば、何も知らないふりをして笑っていること。
 少しでも、彼の心が安らげるように。
 

2004/10/20 [ またまた台風 ]

 もういい加減にしてくれえと叫びたくなるくらい、また台風が日本列島を直撃。
 朝から降り続いた雨は、昼過ぎにはどんどんひどくなってきた。朝から警報が出ていたので、市内の学校も全部お休み。
 葺石流の稽古も今日は無理だということで、門下生たちに連絡の電話をかけまくり、ついでに父にも電話して、実家の様子を聞く。
「おう。雨漏りはしてへんけど、池の水があふれそうやで。この調子で降り続いたら、庭中で鯉が泳いでるのが見られるな」
 と暢気なことを言っている。
 震災のときに補修したとは言うものの、築二百年のボロ家。いつ崩壊するかと、台風が来るたびに気が気ではないのだ。
「今晩も、三人でそっちに泊まりに行くよ」
 と私が言うと、
「やめとけ、やめとけ。こんな時に外へ出たら、ひっくんがお空に吹き飛ばされてしまうがな。藤江姉さんにも、今日は来るなって言うたくらいや」
「でも、伯母さんもおらんかったら、食事はどうするの?」
「親父と、適当にカップラーメンでも食べるって。それよりか、屋根が飛んだら、そっちのマンションに避難しに行くからな」
 「男やもめにウジが湧く」って言うけど、祖父と父はまさにその男やもめふたり。居間でいっしょにカップめんをすすっている図はちょっと笑える。
 父が若いころは、葺石流の跡継ぎで揉めたこともあって、父子の仲はあんまりよくなかったらしいけど、こうやって老境に入ると、そういうわだかまりも消えてしまうのだろう。

 そんなこんなで、稽古がなくなったディーターと三人で、久しぶりにのんびりとした夜を過ごすことができた。
 聖をお風呂に入れたあと、ゆっくりと湯船につかっていると、換気口からゴオゴオとものすごい風の音が聞こえてくる。台風が去ったあとの吹き返しの風だ。続いてどこかでバリバリとトタンか何かが破れる音。おまけに消防車のサイレンまで。
 こんな風が吹いたら、冗談じゃなく実家の屋根は飛んでいるかも。
 なんだか恐くなって、あわててお風呂を飛び出した。
 寝室に入ると、なんとベッドの上でディーターと、パジャマを着た風呂上りの聖が並んで寝ている。窓のアルミサッシがガタガタ震えるほどの暴風の中、よくも平気で寝られるもんだと感心する。
 でも、こうして並んで寝ていると、そっくり。目元とか、耳の形とか。
 普段は会う人ごとに聖は私似だと言われるけど、やっぱり父子なんだなあと、いつまでも飽かず眺めてしまった。

 台風が運んできた、二組の父と子のツーショット。

2004/10/21 [ しまった! ]

 しまった。おとといの日記に、耐える妻らしくカッコいいことを書いたのに。
 どひゃあ。これってディーターも見ていることをすっかり忘れてた。
 今朝、彼は呆れ果てたように言った。
「円香って、ぜんっぜん秘密を守れないタイプだよな」
「ははは。……すいません」
 ちなみにこの日記は、一日遅れで瑠璃子が自分のサイトにアップしている。場所や状況を大幅に脚色して、私たちを架空の人物ということにするためだ。したがって、その中では私たちの住む場所は関西のどこかで西宮ではないし、私たちの名前も円香やディーターではなく、匿名を使っているわけだ。
 でも、こういう事情だから、ますます瑠璃子には用心してもらわなければならないかもしれない。場合によっては、サイトアップをとりやめてもらうかも。そうならないことを願ってはいるが。

 ところで、今朝の彼の反応を見ていると、ひとつの疑念が湧いてきた。
 ディーターも鹿島さんも、途中から私が聞いてることをちゃんと知ってて、話していたのではないかということ。だってね。葺石流の師範と師範代ともあろうものが、障子一枚へだてた人間の気配を探れないわけないもの。
 ディーターは、私に日常生活で用心しろと注意をしたかったけれど、私のショックがこわくて面と向かっては言えない。それで盗み聞きさせるという手段をとったとしたら……。うーむ。

 そこらへん、どうなんでしょ、旦那さま?
 

2004/10/22 [ 恥ずべきこと ]

「前からずっと不思議に思ってたけど」
 と前置きして、ディーターは今日仕事の帰りに歩いてきた通りのことを話した。
 そこは駅から近くて地理的にとても便利な地区なのに、大きな店があまりなく、人通りが少なく閑散として見えるのだと。
 私は答えに窮した。
 私も小さい頃、同じ疑問を感じていた。
「あのへんに住んでる子と、遊んだらあかんよ」
 死んだ祖母が、幼い私にそう言ったことがある。おばあちゃんは優しくて大好きだったけど、そう言ったときのおばあちゃんの顔は、嫌いだった。
 私たちの住む町に、そして全国に、まぎれもなく「人権問題」が存在することは、小学校や中学校のときからもう長い間習ってきたことだ。しかし、人の考えはそう急に変わるものではないのも、また事実なのだ。
 そのことを説明したら、彼はとても静かな、でも深い怒りを表した。
「ベルファストで俺たちカトリック教徒は、古くて汚い地区に押し込められて暮らしていた。明らかにイギリス系住民の住む町とは違うと、あそこは危険だと、ずっと指をさされて悔しい思いをしてきたんだ」

 住む地域によって人を差別するなんて、先進国と呼ばれるこの国にもまだこんな古臭い考えが残っていたことは、日本人として恥ずかしい。そして世界中で同じような悲劇が今も起きていることが、人間として悲しい。
 聖が大きくなった頃、そんな話まるでウソみたいだねと、笑い飛ばしてくれる未来になればいい。
 

2004/10/23 [ なぜ? ]

 新潟の大地震。いったい日本はどうなってしまったのだろう。このところ、台風・地震の連続で、あまりにも「○○人死亡、○○人不明」というニュースが多すぎる。多すぎて心がマヒしそう。

 阪神大震災の、あの頃を思い出す。ひっきりなしの余震のたびに身体が硬直して、新しいことを始める気力を持てなかった。目をつぶると何かがのしかかって押しつぶされそうで、夜眠れなかった。思い出のいっぱいあるものを大量に捨てながら、もう二度とものを持ちたくないと思った。
 何を見ても全然何も感じないかと思うと、何を見てもやたらと涙があふれるときがあった。自分のいる場所が平穏でも安全でもなく、どんどん見知らぬものに変わっていく恐怖におびえていた。

 洪水や地震の被災者の方々の、一日も早い回復をお祈りします。

2004/10/24 [ 虐待の連鎖 ]

 日曜の朝食。
 いつもよりのんびりした雰囲気に油断したのか、ふたりとも目を離した隙にあっというまに、聖が赤ちゃん椅子から身を乗り出して、コーヒーの入っていたマグカップを倒した。
 聖の前には、蓋のついたストロー付のミルクのコップがちゃんとあるのに、わざわざ、私たちのコップを取ろうとして倒したのだ。幸い、倒れた方向がよくて、熱い液体は聖のほうには行かなかったのだけれど。
「聖!」
 ディーターがすごい剣幕で怒鳴った。彼のそんな声を聞いたのははじめて。
 手を振り上げたので、私は聖がぶたれると思って、とっさに目を閉じた。こわくて、全然身体が動かない。
 何も起こらなかった。聖がわっと泣き出したので目を開くと、ディーターは自分の手を見つめ、放心したように座っていた。
「俺……、今、聖を叩いた?」
「ううん」
 私は、ディーターのもとに近寄った。
「叩いてないよ。叩こうとしたけど、ちゃんと直前で止めた」
 彼はぼんやりとした表情で私を見た。「でも、聖が……」
 私は必死に首を振って、否定した。
「大きな声で怒られたから、びっくりして泣いてるの。痛いからじゃないよ、叩かれたからじゃないよ」
「でも、コーヒーをこぼした。悪いことをした。……悪いことをしたら、叩かなきゃ」
 明らかに様子がおかしい。表情が虚脱して、まるで誰かにしゃべらされているようだ。
「聖は悪いことをしたんじゃないよ。ただ遊びたかっただけ。テーブルの上のものに興味があって、それで取ろうとしただけ。それは、全然悪いことじゃないの。私たちがもっと気をつければよかったの」
 彼はうなだれて、かすかに震えだした。

 虐待の連鎖。
 ディーターは幼いころ、叔父に虐待された。きっと食べ物や飲み物を少しでもこぼしたら、それだけでひどく折檻されたのだろう。そうやって育った子どもは、自分が親になったときに自分の子どもに同じことをしてしまう人が多いと言う。それが正しい「しつけ」だと信じて。それしか教わってこなかったために。それを「虐待の連鎖」と呼ぶ。今、日本でも深刻になっている問題だ。

「ディーターは飲み物をこぼしたとき、叔父さんにそうやってぶたれていたんやね。でも、それは正しいことじゃない。間違っているの。叔父さんのやり方が、間違っていたの。あなたが今、叩くのをやめたのは正しいの」
 そう言って、力いっぱい彼の頭を抱きしめた。
 聖はそのあいだもずっと、泣き続けている。

 ごめんね。聖。もう少し待ってて。あとで、ムッティもファティもいっぱい抱きしめてあげるから。
 今は我慢してて。ファティの心の中の子どもが、聖よりももっとひどく泣いているの。
 

2004/10/25 [ 名医 ]

 私が実家の台所で晩ご飯の支度をしているとき、父が近づいてきて、ぽんぽんと私の頭を叩いた。藤江伯母さんがお風呂を沸かしに行っているときのこと。
「ディーターに、聞いたで」
「うん」
 彼はきのう聖を叩きそうになったことを、主治医である父に相談すると言っていたのだ。
「やっぱり、まだ必要以上に囚われているんやな。虐待してしまうんやないかという恐怖に。無理ないけど」
「それでね。お父さん、私」
 私は鍋をごしごし力をこめて磨きながら、昨日からずっと考えていたことを打ち明けた。
 聖を保育園に預けること。
「今はいいけど、来年になったら私、大学院の授業がびっしり入ってしまう。今までより通学時間も長くなる。彼にも負担が大きいと思うねん。どうかな」
「それは、おまえたち夫婦が決めることやけど」
 父は私のうしろに立ったまま、私の背中に向かって続けた。
「ディーターと聖を引き離すのが目的やったとしたら、あんまり感心せんなあ」
 私は、ちくちくする金属たわしをぎゅっと力いっぱい手のひらに握りしめた。やっぱり父に隠しごとはできない。

 そう、私は昨日から心の奥底でずっと恐れている。ディーターと聖を、たとえ少しの間でも二人きりにしてしまうことを。
 私の目の届かないところで、ディーターがもし聖を虐待してしまったら? 私は彼の敵になってでも、聖を守ることになるのだろうか。ううん、多分彼はそんなことはしない。必死になって自分を止めようとして、そして、また追い詰められてしまうだろう。そして、去年ケルンの病院に5ヶ月再入院しなければならなかったような状況に、またなってしまうのだろう。
 もしそんなことになったら、今度こそ私たちはもう立ち直れない。

「あのな、実は俺、母さんの墓参りに行くたびに、手を合わせながら謝ってることがあってな」
 突然、父はまったく関係のないことを、のんびりした調子で話し始めた。
「おまえが、2歳ちょっと前くらいのときや。俺と母さんはまだそれぞれに、病院勤務をしていた。久しぶりに休みが合って、家で朝から親子三人一緒にいてたんや。俺は寝転んでテレビを見て、香穂は同じ部屋で、たまったアイロンがけを片付けてた。
そしたら、いきなり凄い声でおまえが泣き始めた。母親にまとわりつこうとして、間違ってアイロンに腕を触れてしまったんやな」
「え? でも……」
「右腕の肘のそばやったかな。痕なんか残ってへんやろ。ほんのちょびっとやったからな。俺の火傷の処置もカンペキやったし。けど、俺はそのとき、おまえの手当てをしながら、ブツブツとひとりごとみたいにして、文句を垂れたんや。
『ちゃんと注意しとけよ。女の子なんやから。傷が残ったら、おまえのせいやぞ』ってな。
そのときのあいつの、びっくりして、それから悲しそうに歪んだ顔は今でも忘れられへん。あの勝気な母さんが、何も言い返さずにじっと泣くのを我慢しとったんやで?
自分はテレビを見ながらウダウダしとったくせに、看護師としての激務の合間に休みなく家の用事もこなしていた母さんに、俺は言ってはならないことを言うてしもたんや。あの言葉だけは、一生赦されへん言葉やったと俺は思てる。
父親というもんはな。母親と違て、努力して、訓練して、やっとなれるもんなんや。ディーターがもし俺のような責任逃避男やったら、聖がコーヒーをこぼしたとき、おまえに「気をつけろ」って怒鳴るだけやったろうな。本気で聖を怒れたんは、本気で父親になろうと努力してるからやと、俺は思うで」
「うん……」
 背中を向けたまま、泡だらけの鍋の上にぽとりと涙をこぼした。
「ひとつだけ、質問や。聖はディーターのことを怖がってるか?」
「ううん!」
 私は、ふりかえって必死になって否定した。「さっきも聖は自分から両手を伸ばして、ディーターに「抱っこ」をせがんでたよ。抱っこしてもろたら、ニコッて笑った」
「それなら、全然問題あらへん。赤ん坊は、親の心の中にあるものを敏感に感じ取る。聖をよおく観察していたら大丈夫や。聖の笑顔が凍りつくようになったら、用心せなあかん。今のおまえみたいな辛気臭いブス顔になったら、それこそ要注意や」
「なんやの、それ!」
「おまえは、笑っとったら母さん以上の美人なんやからな。スマイルスマイル」

 聞いているうちに、すーっと心が軽くなるのを感じた。父は私の心の恐れをちゃんとわかっていて、今の思い出話をしてくれたのだろう。
 父って本当に名医だったんだなと、22年間で初めてしみじみと思った日だった。  

2004/10/26 [ 秋たけなわ ]

 季節の中で秋が一番好きなのは、自分が秋生まれだからだろうか。
 秋は、いい。
 雨の日の落ち葉の匂いも、青空をひっかいてできたような薄雲も、金木犀の香りの重さも、秋でなければ味わえないものばかり。
 高校のときマフラーを編んだきりの私だけど、古いセーターをほどいた毛糸玉を引っぱりだして、編み物をしたくなるのもこの季節。
 空気がさわさわと皮膚の上ではじける。
 熱いココアが飲みたくなる。
 無性に人恋しくなる。
 やさしい雨音を聞きながら、こんな夜に限って京都の撮影所で泊りがけの仕事をしているディーターの携帯に、とりとめもないメールを送った。

2004/10/27 [ jamais vu ]

 あなたを好きになったはじめの頃は、心臓が自分のものじゃなくなったみたいだった。あなたを見るたびに、こんなにドキドキしてたら早死にしちゃうよ私、なんて思ってた。
 でも、いっしょに暮らすようになって、毎日そばにいたら、さすがにそういうこともなくなる。話すとき、まともに顔を見てないこともしばしば。横に並んだり、背中合わせだったり、あっちを向いたりこっちを向いたりしながら。
 でも、ときどき、不意打ちされることがある。
 たとえば、街角で。待ち合わせの場所の大勢の人込みの中で、私の視線はどんな遠くからでも、あなたを射抜ける。
 私にまだ気づいてなくて、ちょっと所在無げな表情で頬杖つきながら、花壇のへりに腰掛けているあなたを見たとき、私の心臓はメトロノームみたいにアレグロを刻み始めた。まるではじめてデートするときのようだ。
「ほら、聖。ファティだよ」
 なんて、腕の中の息子に話しかけて照れくささをごまかしながら、私はあなたに駆け寄る。

☆ jamais vu(ジャメヴュ)=未視感    

2004/10/28 [ ジュリーさんの失恋 ]

「円香ちゃん、聞いてっ。わたし、失恋しちゃったの」
 ジュリーさんこと宮下くんは、私が道場にお茶を持っていくなり、飛びついてきた。
「ジュリーさんの恋の相手って、……男性よね」
「あたりまえよ。半年前からお店にずっと来てくれる常連様やったの。そりゃあもう、いい男なのよ。だけど思い切ってコクハクしたら、フラれちゃって……。ああ、毎日息をするのも辛い。わたしどうしたらいいの」
 よよと泣き崩れるジュリーさんを見て、私はことばを失った。
 竹刀を持っているときは、なかなかに勇ましい男性なのに、こうして恋に泣く姿は女性そのもので、すっかりほろりと共感してしまったのだ。
「ジュリーさん……、元気出して」
「そうだ、円香ちゃん」
 彼、じゃなかった彼女は、涙に濡れた目をキッと上げた。
「わたしに、ディーターのお尻を触らせて!」
「ひえっ。なんで、急にそんな話になるの!」
「人生に絶望したわたしに、生きる希望をちょうだい。今まで奥さんの円香ちゃんに遠慮して我慢してきたけど、これからは本気でアタックするわ」
「なんで、ディーターのお尻が、生きる希望なの」
「だってえ、彼のお尻って最高。ジーンズの上から見ても、ほれぼれするくらいかっこいいんだもん。ね、円香ちゃんなんか毎日ナマを見てるんだから、余計そう思うでしょ?」
「思わへんて。第一ほかの男の人のお尻見たことないから、比較のしようがあらへん」
「あ、そうか。そんなら、奥野くん、参考のためにちょっと見せたげて」
「じ、じ、冗談じゃないですよ。ジュリーさん、自分で見せればいいでしょう」
「あほ、オカマが女の子にケツを見せるなんて、末代までの恥やわ」
「す、村主(すぐる)さん〜。助けてくださいよう」
「うーむ、さすがにわたしの知る限り、中国の故事成語に「尻」は出てこんな」
「円香ちゃん、お願い。どうせ触っても減るもんやなし」
「あたりまえや。減ったら、恐いわ」
「見逃してくれるなら、ただとは言わない。一万円でどお?」
「一万円? ううう。心が動くなあ」
 会話に夢中になっていた私たちは、背後にディーターが真っ赤な顔をして立っているのに気づかなかった。
「そうや、清代末のイソップ寓話の翻訳文学「意拾喩言」に、「螳螂捕蝉,不知黄雀在後」というのがある。エサを狙っているカマキリが目先の欲に囚われて、尻にかみつこうとしている鳥に気づかないという意味や」
「……てめえら、よくも人のいないときに、そういう話を!」
 竹刀を振り上げたディーターから、きゃあきゃあ逃げ惑うジュリーさんや奥野くんを残して、私はさっさと道場を逃げ出した。

 だから、あとのケツ末はシリません。  

2004/10/29 [ 厳罰 ]

 ゆうべ、ジュリーさんたちとの会話についての日記を書き終わったら、ディーターにベッドに引きずり込まれた。
 神聖な道場で、お馬鹿な話をした罰なのだそうだ。
 裸にひんむかれて、うつ伏せになるように命じられて……。
 ああ、これ以上は恥ずかしくて、とても書けましぇん。
 ディーターを怒らすととても「怖い」ことになると、つくづく学んだ。今日の午前中はマジで足腰が立たなかったです。

2004/10/30 [ ハロウィーン前夜 ]

「ふっふっふ。なぜ俺がおまえたちをこっそり、この道場に呼んだかわかるか?」
「あまり、わかりたくない気分です」
 ディーターが、うんざりした調子で答えた。
「何を隠そう、もちろん怪談や」
「やっぱり」
「おじさん、今はもう夏とちゃうのに」
「何言うとる。恒輝、今日は何の日か知っとるか。「万聖節前夜」ハロウィーンのそのまた前夜や。ディーターなら知ってるやろうが、西欧では今こそが、怖ろしい魑魅魍魎がバッコする季節なのだ」
「なんだか、こじつけくさいなあ」
 鹿島さんの力ない抗議もどこ吹く風と、父は用意していた4本の蝋燭を床に並べた。
「親父は寝る時間やし、聡兄さんには、また逃げられてしもたからな。今日はこの4人だけや」
「あれ、藤江さんや円香ちゃんは呼ばないんですか?」
「そう、今宵は女人禁制の夜や。いつもの怪談とは少し毛色を変える。「怪談」からKを取ってみい」
「KAIDANから、Kを取る? アイダン? なんじゃ、そりゃ」
「ノン、ノン。小泉八雲を知らんのか。怪談のスペルは「KWAIDAN」やろ」
「KWAIDANからKを取る……」
「WAIDAN……」
「……ワイ談」
 父は、はははっと大口を開けて笑った。
「さあ、そっちから順番に、今までの女性体験を話していく。蝋燭の炎が全部消えたとき、絶世の美女の幽霊が現れるんや」

 父がこてんぱんに打ちのめされて、竹刀の山の中に埋もれているのを発見したのは、私が戸締りのために道場の前を通りかかったときだったとさ。
 おしまい。

2004/10/31 [ 今日でおしまい ]

「勘弁して!」
 私はとうとう、瑠璃子に電話で泣きついた。
「せっかく一ヶ月続いたのに。『習い性と成る』ということわざは、あんたには通用しないんかな」
「とにかく、卒論の締め切りがもうすぐやねん。せっかく大学院に受かったのに卒業できひんようになる。これ以上は無理」
「まあ、しゃあないな。あんたが一ヶ月、日記を書き続けたというのは、奇跡に近いもんな」
「そのとおりや。もっと誉めて〜」
「10日しか続かへん言うた恒輝との賭けには一応勝ったし、まあ許したる」
「瑠璃子、あんた、私が何日続くって賭けたの?」
「11日」
「……」

 ということで、私の日記も今日で終わり。あれほど毎日苦労したのに、いざやめてしまうとなると、なんだか寂しいのが不思議だ。
 この一月、自分の回りをいつもより真剣に観察したような気がするし、そのおかげで、普段は見過ごしていたたくさんのことに気づくことができた。
 この日記が励ましや支えになって、一歩踏み出すことができたこともある。口では言えなかったことを間接的に言えたこともある。
 もしいつかチャンスがあったら、またやってもいいかなとも思っている。
 ……なんて書くと、PCを隣からのぞきこんでいるディーターは呆れ顔なんだけど。
 これからは、この日記を書くためにいろいろ協力してくれた愛する旦那様と息子に、その分たっぷりご恩返ししたいと思ってます。ほんとよ。
 





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